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クリスマス市のグリューワイン

feat: Eve 第八話

イヴは夢を見た。夢の中で、彼女は自分が今まで見たこともないものに出会った。
夢の中だから、当然それが名に何かを問いかける相手はどこにもいない。だが、イヴはそれが何かをわかっている気がした。彼女は目の前にあるそれを、何よりも可愛らしいと思った。エデンに咲き誇る花やエデンを跳ね回る動物たち、天使達や蛇、そしてアダム、それらすべてを差し置いても大切な存在だ、と思いながら、その名前も分からない二つの生き物を抱きしめた。彼らは二本足で歩いていた。腕は二本、目も耳も二つずつあった。ちょうど、自分やアダムに似ていると思った。ただ違うのが、彼らはずいぶん、自分たちに比べて小さいということだった。

小鳥の心地よい歌声で、彼女は目覚めた。目覚めると同時に、夢の中の光景と感覚は頭の中に解けるように消え去っていった。隣にはアダムが寝息を立てて寝ていた。ラファエルはいない。用事があって、先に帰って行ってしまったのだろうか。
イヴは寝ているアダムに近寄った。そして、上から彼を覗き込む。まるで自分が生まれた時、彼にされていた体制のようだと彼女は思った。
イヴはアダムの黒っぽい髪の毛を撫でた。だが、彼女の指がいくら豊かに生えたそれをかき回しても、アダムは静かに寝たままだった。昨夜安穏に眠れなかった分を取り戻そうとしているかのようだった。やがてイヴもあきらめ、アダムを底に寝かせたまま自分は散歩に行くことにした。


銀梅花が薫り高く咲き乱れる中に、彼女は蛇の姿を見つけた。銀梅花のふわふわとした真っ白な色の中に、蛇の金属質な輝きは実に目立った。
「蛇さん、おはよう」彼女があいさつすると、彼もやってきて「おはよう」と言った。
「昨日は大変だったそうだな」
「知ってたの?」
「アダムの声が聞こえていた」蛇はイヴの首に体を巻きつかせながら言った。
「今はどうしているんだ?」
「寝ちゃってるの。ぐっすりと」
「そうか、それは何よりだ」蛇は笑った。だが、昨日の事を話題に出されると、イヴはラファエルに和ませてもらったはずの心の不安に待たすk添い襲われてきた。アダムは何を見ていたのだろうか。自分が見た夢はもうほとんど思い出せないが、それでも心地よい夢だったことは確かだ。しかしアダムは、自分が決して立ち入ることのできない世界で、間違いなく恐怖にあえいでいたのだ。
蛇はそんな彼女の様子を良く分かったようだった。「イヴ。心配ないさ」彼は言った。「このエデンじゃ。悪魔はお阻るるに足らない。神様は、常にお前たちを守るよ」
「ねえ蛇さん、悪魔ってなんなの?」イヴは聞いた。
「この世のすべては、神様が作ったのよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、悪魔も?」
「ああ、そうだよ」蛇はこともなげに言った。
「なんで、同じ神様から出たのに、アダムも天使たちも、悪魔の事を怖がるの?」
「そりゃ、奴らがどうしようもない連中だからさ」
「でも、同じように神様に創ったはずのに」
「イヴ。たとえば、君が今もたれかかっている銀梅花はとてもいい香りがする」蛇は唐突に、そんな話を始めた、イヴは「ええ」ととりあえず返答した。
「だが、食べられない。あの向こうに見えるナツメヤシをご覧。銀梅花のようにいい香りなんて出さないけど、とても甘くておいしい実をつける。左に見える柳の木なんてどうだ?香りもないし、実もつけない」
蛇はするりとイヴの首を抜け、近くの気に移った。そして、するすると木に登ると、その気になっていたごつごつした黄色の木の実をもいで落とした。それはちょうどイヴの両手の間に収まった。
「かと思えば、そのシトロンの実のように、香りも甘くておいしい味も持っているものもある。そんなものさ。神様が作られたものは」
イヴは自分の手の中にあるシトロンの新鮮な香りを吸い込みながら蛇の話に納得しそうな気分だったが、それでも心の中で納得しいれないところもあった。
「でも、私はみんな好きよ。みんなとってもきれいで素敵なんだもの」
彼女はそうつぶやくと、シトロンの柔らかく、厚い皮に爪を立てて皮をむいた。中にある果肉のを器用に取り出し、それを口にふくんだ。蛇はそれを見て、少し感心しているようだった。
「へえ、まるかじりするかと思った」
「ちゃんと知ってるんだから、これくらい」
味は全く違うが、バナナと似たようなものだ。イヴはだんだん、果物の食べ方をなんとなく判別できるようになって来たことを自覚した。


蛇と別れて、彼女は一人、サマエルのいる密林に向かった。薄暗い密林のキノコの群れを通れば、いつも通りサマエルはうろの中にいた。
「こんいちは。どう?羽は痛む?」
「……もう、傷まなくなった」
彼はぶっきらぼうにそう言いかえした。イヴは「よかった!」と言った。
彼は、もうイヴを拒まなくなってきた。彼女に攻撃の意志などないとようやく分かったのだろう。彼は自分の灰色の翼を彼女の好きにさせて、自分はじっと無言のままうつむいていた。
イヴは慎重に触ってみると、確かに翼の付け根は固くなり、元に戻りかかっていた。もうすぐもとのように飛べるようにもなるだろう。
「大丈夫だった?」
「……ここには誰も来やしない。お前以外はな」彼は密林の空気と全く似通った、ひんやりした口調で彼女にそう言った。
「寂しくなったり、怖くなったりすることはないの?」
イヴはふと、それを疑問に思った。彼には昨日のアダムと同じようなことにはならないのだろうか。昨日は、自分がラファエルを呼べたからアダムも早く落ち着くことができたのだ。でも、彼はそうなったところでそばに居てくれる相手はいないし、ラファエルも呼べないのだ。それはどれほど心もとないものだろうかと思い、イヴは一瞬、彼は寂しさを感じるような存在ではないことを期待した。だが、彼はそんな彼女の望みを破った。
「寂しく?……そりゃ、思うよ。何回も」
彼はうろの外をぼんやりと見つめてそうつぶやいた。
「そうなの?」
「そう思わないやつ、いるか?」サマエルは言った。「俺は仲間から離れて、一人だ」
「仲間じゃない人とは、話したくないの?」
「なんで敵と話さないといけないんだ」
サマエルは低く、冷たい声でイヴに吐き捨てた。彼は相変わらず外をじっと見ていた。暗く彼らを覆う密林の木から、わずかに開く木漏れ日の向こうの空を彼は眺めているのだ。イヴにはそれがよく分かった。イヴは彼の翼を固定するつたをまた巻きなおしていた。
「……早く、迎えが来てほしい」
彼は何者だろう。
天使に似ているのに、天使は味方ではないという。人間でもない。蛇でもない、犬でも、魚でもない。
「あなたって何?」
イヴのその疑問は、非常に単純な問いかけとなって彼女の口から歩み出た。それを聞いたサマエルは視線を外から内に変え、ぼさぼさの髪の毛から覗く目で彼女を見据えた。だがそれだけで、答えを言いはしなかった。
「……答える、必用はない」
「なんで?」
「俺が何者かわからなくて、お前に何の不都合があるんだ!?」彼は急に業を煮やしたようにそう強く言った。
今まで聞けばたいていの事を教えてもらえたイヴにとって、彼の言葉は非常に新鮮なものだった。少し怖ささえも感じた。
だが、イヴはその言葉を聞いて、少し考えた。よくよく考えれば、大した不都合はないように思える。犬は犬、鹿は鹿、孔雀は孔雀、と呼びかけている。だがそれは、イヴが彼らの言葉を介さず、彼らそれぞれにつく本当の名前を知らないからだ。だが、目の前にいるこの彼は言葉が通じ、彼が何者であるかという以前にサマエルという名前を持つ何かなのだ。それさえわかれば、確かに大した必要はないように思えた。
「それもそうね。わかんなくてもいいわ」
イヴは彼ににっこり笑いながらそう返した。蛇の言っていた、何事も自分で覚えようとしなくてもいい、甘えてもいいとはこのことかもしれない。とも思った。
「お迎え、来るといいわね」
彼女はサマエルにそう言った。サマエルは素直にうなずき「ああ」と言った。
「来てくれるわよ。アダムがいなくなったら、私も必死で探すもの」
彼女は彼を安心させようと言った。彼の心にある不安感が見て取れたのだ。自分はラファエルのように、不思議な光で彼を包み込んでやることはできない。言うしかできない。しかし、言わずにすらいる気はさらさらなかった。
「うん。俺も……そう、信じてる」
事実、彼は表情こそ硬いままだったが、そのような少し希望のある言葉を言ってくれた。


その日帰ったら、アダムはいつもの通り憮然とした表情で、やってくる彼女を出迎えた。あの何者かにおびえる彼はそこにはいなかった。彼には怯えもなく、情けなさもなかった。いつもの通り、彼女の前に立ちはだかり、彼女に無愛想な言葉をかけた。だが、大きな林檎の木から、イヴでは背伸びしても届かないところになっていたひときわ綺麗な傷のない林檎を軽々ともいで、自分が食べるより先に彼女に渡してはくれた。彼女はそれが嬉しかった。
さらさらと冷たい水が流れる川のそばで、彼らは食事した。アダムはイヴと話すことが見つからないのか黙っていて、イヴばかり一方的に彼にどうでもいいような話をした。彼はそばにやってくる小鳥に果物をやりながら、聞いているのか聞いていないのかもわからない態度だった。
だが、彼女の語るネタが付き、少しの沈黙長慣れた後「イヴ」と、彼はようやく思い口を開けた。
「……昨日、ラファエルを、お前が呼んでくれたのか?」
「うん」
彼女は素直に返す。アダムはもう一度沈黙したが、やがて、静かに「……ありがとう」と言った。イヴはそんな彼を見て笑った。
「何がおかしい」
「何がおかしいか、貴方に言わなきゃ何か不都合がある?」
イヴは適当に、今日覚えた言い回しを使ってみた。彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になっていた。その顔は彼に水鏡に映して見せてやりたいほど紛れもなく滑稽なもので、イヴはもう一回笑った。

河原に生えていた草の中で、アダムとイヴは眠った。だが寝付かずに、イヴは空を眺めていた。黒い夜空に瞬く無数の星の群れから、天使たちの讃美歌が聞こえている気がした。天使たちは、夜も働いているのだろうか。悪魔を探すために。
彼女の眼に、光るものが止まった。それは、一つではなかった。2つ、5つ、イヴが数えきれないほどいた。無限に存在するようにも思えた。彼らは光りながらふわりふわりと飛び回り、イヴにはわからない言語で会話していた。
「精霊?」イヴは彼らに行った。彼らも、イヴに気が付いたようだった。だが、彼らはイヴに構おうとはせず、体をきらめかせながら川の上流に群れを成していった。
イヴは追いかけようとした。ちゃぷんと水の感触がする。彼女は水の中に体を沈め、彼らと同じ方向に向かって泳いだ。泳いでいるうちにイヴは、精霊たちの姿が見覚えがあるように思った。いや、精霊たちの姿に見覚えがあるのではない。光だ。その光には、どこか覚えがあったのだ。
泳ぎに泳いだ置き、イヴはやっとその光の正体に気が付いた。
精霊たちは、木に群がってその気に鈴なりに実る木の実を食べていた。まるで魚の目玉のような小さなもののようにも、イヴの頭ほどあるようにも、その木の実は見えた。その気のみは聖霊と同じ光を発していた。嫌。おそらく逆だ。この木の意を食べたから、聖霊たちはこの色に輝いているのだ。ぼんやりと発光する彼らが、木の実を一口、二口とかじると同時に、より一層強く、美しく輝いていくのだ。
柔かく、暖かく、明るく輝くその木の実は、完全な球体で、様々な色をしていた。赤色、オレンジ、青、黄色……十の色に煌めくそれを、イヴは見たことがある。彼女は隣を見た。予想通りだ。精霊たちは一人も群がってはおらず寂しげなたたずまいではあるが、それでもひっそりともう一つの木に寄り添う、真っ赤な光の身を付けた木がそびえたっていた。
イヴは、それに引き付けられるような思いがした。
精霊たちのわからない言葉に囲まれて、頭がぼんやりとしたまま、彼女はそれに引き寄せられた、目の前に、真紅に輝く光の実があった。それは、林檎よりも、イチジクよりもおいしそうに見えた。
彼女はそれに手を伸ばそうとした。その時、後ろから「どうしました?」という声が聞こえた。
彼女は、その言葉で正気に戻された気がした。一気に、頭の中に理性が流れ込んできたようだった。彼女は振り返った。そこにいたのは、前にここ、エデンの園の中央部に来た時に出会った人物だった。彼は木の上を降りて、イヴの隣に立っていた。
「おいしそうに見えたの」
「そうですか。君は正直ですね。いいことですよ」彼は微笑んで言った。
「でも、食べてはいけませんよ。それだけは」
「うん、ぼんやりして忘れてたわ。ごめんなさい」イヴは彼に素直に謝った。
「でも、あれは?」
イヴは精霊たちの群がる十色の実をつけた木を指さす。彼は「今の君にとってはあれはいいんです、どうでも」と言ってのけた。
「精霊たちはあの身を食べます。でも、あの身を食べたものは、永遠にこちらの実は食べられない」
「なんで?」
「そう言う風に作られたからです」彼は優しく言った。「どんな存在であろうと、この二つの実を両方口にすることは許されてはいないのです。彼らも、それを良く分かっているんですよ」
「どういうこと?」イヴは言った。
「簡単です。果物は君に、充足と癒しを与える。でも、この木の実は、それ以上のものを与えます」
彼は二本の木の光に同化しているようにすら、イヴには思えた。彼自身が、この優しい光と同じ存在であるように思えたのだ。精霊たちのように同じ光に輝いているのではない。光と同じだと思えた。
「この十の色の実は、食べたものに永遠の命を」彼は精霊たちに埋め着くされた木を指して言った。
「そして君が引き付けられた赤い実は、食べたものに無限の知恵を与えます」
「知恵?」イヴは言った。
「もっと頭がよくなって、いろいろなことがわかるということです」
「なるほど」イヴは納得した。「美味しそうに見えたわけmわかったわ。だって私、知りたいこともわからないことも、多すぎるんだもの」
「でしょうね」彼は愉快そうに笑った。「でも、食べてはだめですよ」
「なんで?」
「それが、神の決定だからです」彼は言った。「人間が知恵の実を食べたら、罰が身に降りかかります。必ず。そしてそれはおそらく……君にとって、何よりも深い悲しみになるでしょう」
「ほんと!?」彼女は驚いた。
「はい。本当です。君たちが幸せであるために、知恵の実は君たちが食べてはならないのです」彼は穏やかな笑顔のままイヴに告げた。精霊たちの食事が終わったのだろうか。光の球体とすっかり同じほど光に満ちた彼らは、一斉に音もなく飛んで消えていった。後には、イヴと目の前の彼だけが残された。
「幸せ……」イヴは言った。「……私、皆といられて幸せよ。そして、エデンに居られるのも幸せだわ」
「ええ。知ってますとも。ですから、君はこの実を食べ次第、エデンから追放されます」
「え?」
「それが、君にとっての一番の不幸ですから」
「いやよ、エデンを出たくなんかないわ」彼女は言った。「決めた、どんなに美味しそうだって、絶対食べないんだから」
「そうしていただければ、私たちも安心できます」彼はもう一度微笑んだ。
「また、送り返しましょうか?」
「ほんと?じゃあ、お願い」
彼女がそう言うや否や、彼は指を鳴らした。気が付くと、彼女は元通り、アダムの隣にいた。アダムは穏やかな寝息を立てていた。
「(知恵の実…)」イヴは考えた。「(あんなのいらないわ。だって、知りたいことを教えてくれる相手が、私にはいっぱいいるんだもの)」
ふと気が付けが河原にはまだ精霊たちがたむろしていた。彼らはアダムとイヴを見ているようだった。イヴは彼らに「おやすみ」と微笑みかけて、アダムの隣に寝転び、目を閉じた。

寝て起きた時、イヴは真直ぐに密林に向かった。昨日殆ど治りかけてきたサマエルの翼の事が何より気になっていたのだ。普段ならばエデンの様々なものを愛でる目を密林に向かう道を見つける事だけに使って、彼女は全く真直ぐに、その光に閉ざされた空間にいった。
「サマエル?」
彼女は彼の名を呼び、いつもの彼がいるうろの中に呼び掛ける。だが、彼女は面喰った。うろのなかは、もぬけの殻だった。彼の灰色の羽がいくつか散っているだけだ。静かな密林の中でも珍しく音があったはずの場所が、他と全く同様に、ものを言わない空間となってしまっていた。
イヴは怪訝に思い、うろから上半身を出す。
「サマエル!」
彼女はもう一度、問いかけた。冷たく湿った空気の中に、彼女の高い声がこだまする。すると、今度は返事が返ってきた。彼女はそれに安心した。それも、二重の意味で。
「イヴ、俺はここだよ」
そう言ったサマエルは、密林の屋根を形作る大きな太い木の、苔とヤドリギがびっしり生えた枝の上に居たのだ。灰色の翼を広げて。
「今行くよ」と言って、彼は羽を広げて幅断たせながら、イヴのもとに舞い降りた。イヴは彼により、彼のすっかり完治した翼を撫でた。



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