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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第四十九話

例の夜が明けた時、ベナヤは流石に自分とナアマに何かが降りかかってくるだろうと思って覚悟していた。しかし、そのような心配はなかった。ソロモンは全く何も気にしていないように普段通りにふるまった。とうとう自責の念に堪えかねたベナヤが、自分の方からあの事を罰さないのかと彼に吐き出すように言った。
「あの事?」
ソロモンは言った。そして、ようやく思い出したようだった。
「なんだ。お前、処罰してほしいのか?」
「……陛下。何事にも、けじめは必要でございます」
彼が硬い表情でそう言ったので、ソロモンは少しの間思案していた。やがて彼の手を引いて「ならばついてこい」と言いながら、後宮に向かった。


後宮で、ベナヤと一緒に彼はナアマに向かい合った。ナアマは昨晩のような得意げそうな、いかにも夫を見下した表情を作ろうと心掛けてはいたが流石にその顔には若干の焦りがあった。
「ベナヤがけじめをつけなくてはならんと言うので来たぞ。昨日、お前たちが私の部屋で抱きあっていたことについてだ」
彼はベナヤにナアマの隣にすわるよう指図した。言われるままにベナヤはナアマのいた長椅子に座り、ソロモンは勝手に小さな椅子を取り出してそこに腰かけ、二人に向かい合う形になった。
「それは御大層ね」ナアマはソロモンに行った。「……それで、どんなことをされるのかしら?この不義の妻は」
彼女はニヤニヤ笑っていた。ソロモンはそんな彼女にあっさり「何もせん。ベナヤにもだ」と言った。
「ナアマ。いい機会だから、この際私の意志を表明しておこう。お前がベナヤだろうと他の男だろうと、何人と契ろうとそれはお前の勝手だし、私はそれに関して何も咎めん。それで子供ができたとして、それをそいつに押し付けるのも私の子として育てさせるのも全くお前の自由だ」
ナアマはソロモンの発言に目を瞬かせていた。彼女より先に、ベナヤが口を開いた。
「陛下!?おっしゃってはなりません、そのようなことは!」
「何故だ?」彼はそれに、冷めた口調で切り返した。
「私は恋情や性欲と言うものの存在を否定はせんぞ。幼い子供でもあるまいに、気に入った男がいれば契りたいと考えるのは当然の話だ。ちょうど、男がしょっちゅう浮気を繰り返したり娼婦を買ったりするようにな。私は個人的に男女を問わずそれを行う権利はあると思っているし、ナアマにもその権利を認める。それがけじめだ。いけないか」
だって、まさか、こんな返答が来るなんて思ってもみなかったし思えるはずもない。ベナヤは昨夜に引き続き混乱した。ソロモンは思いついたように続けた。
「……ああ、しかしだ。何にせよしみついた文化的価値観と言うものは私個人で払拭できるものでもないしな。人目は気にしろ。対外的にお前は常識の範疇で私の妻としてふるまいなさい。隠れずに公然と愛人と愛し合うことがあれば、私もさすがに形式上処罰を行わなくてはならない。先ほど子供の処遇についても言ったが、子供の親権をどちらにやってもいいが愛人の子だと表明しつつ王子として育てさせる、などと言ったことは流石に許されんぞ。それは受け入れろ。私は夫としてお前にするべき衣食住や金の提供などはぬかりなく行っているつもりだ。お前も妻として基本的な義務を果たすべきだ。それは問題ないな?隠れてする分には、全くお前の自由だ」
「陛下!」ベナヤは叫んだ。「い、いくらなんでも……貴方の妻ですよ!そして、私は貴方の部下です」
「そうだが、だからどうした。所詮は結婚しただけの間柄だろう。私達に愛がないくらい、お前も見て知っているはずだ」
ソロモンは次第に面倒くさそうな様子になってきた。
「お子様は、どうなさるのですか」ベナヤは言った。「貴方の子供として、どこの誰とも知らぬ馬の骨の子供が育てられるかもしれないのですよ!」
「だからどうした。私の子として育てられたなら、生物学的な父が誰であろうと私の子だ。血統などに何の意味がある。そんな、見てもわかりもしないものに」
ソロモンは閉めとばかりに言った。
「私がお前らを罪に問うとすれば、私の部屋に無断で立ち入ったことくらいだ。だがこれに処罰を出すのも正直な話もう七面倒くさい。だから私は何の処罰も下さん。これからもお前たち、人目を忍んでなら存分にやりあえ。ナアマの夫である私直々に認める。以上だ」
ベナヤは背筋がぞくぞくした。
この目の前の男は、本当にかけらも気にしてはいないのだ。自らの妻と部下が愛人関係にあったことを。彼はまるで鳥は飛ぶものである、草は緑色である、といった至極当たり前の事の一つとして、それをとらえているかのようだった。
イスラエル人が非常に重んずる血統主義だって、彼は否定した。彼は部下の息子だろうと、労働者の息子だろうと、自分の息子だろうと、同じことなのだ。彼は血縁関係にない親子に希望を持っているというよりは、血縁関係のある親子を信用していないという方が正しいのだろうということは推し量られた。血縁関係があろうと家族など呼べるものじゃない。彼が育ったのは、そんな環境だ。
その環境が彼をこうさせたのか?それとも、それは全くの邪推で彼は生まれた時からこのようなのか?ベナヤがぐるぐる考えていると、ソロモンはそろそろ帰りたがっているようだった。
後宮は基本的に王しか入れない。ベナヤが入れたのは、彼の護衛であるような風を装っていたからだ。ベナヤ一人置いていくわけにはいかない。もしもそれをしてしまえば、つい先ほど言った「妻としての最低限の振る舞い」に抵触しかねない。
ベナヤは震えるまま、ナアマにそっと別れを告げてソロモンの後に従った。ナアマはぼんやりしていた。


やがてソロモンもベナヤもいなくなったころ、ナアマは自分一人寝台に突っ伏した。そして、泣いた。
「何よ……何よ!負け惜しみ言って!寝取られ男が!」
そう嘆きはしたものの、あれが負け惜しみなどではないことは彼女にも分かっていた。悲しいほどわかっていた。
激怒してくれればどれ程まで良かっただろう。初めてソロモンのプライドを折ったと確信できれば、どれほど嬉しかったろう。彼は、全く気にしなかったのだ。自分があくせくと他の男と契った期間を、彼は全部肯定することで、それは心底どうでもいいことだし彼のプライドには全く何の影響もないと表明して見せた。
もう、彼は傷つかない。自分がベナヤと寝ようと、労働者の子を産もうと、彼は眉一つ動かさずに目の前で起こったことを当たり前のように受け止めるだろう。昨晩のように。しかも、それは、ナアマが彼にとって価値のない者なのだからなのだ。
ソロモンのプライドを追ってやろうと思っていたのに、ナアマは、逆に自分に残ったわずかばかりのプライドさえも完全にへし折られてしまった。許しと言うのは時に恐ろしいのだ。慈悲ではない、無関心からくる許しがいかに恐ろしく、屈辱的であるかかをナアマは味わった。
彼女は体中が空虚になった。夜でもないのに寒くてしょうがなかった。誰かに抱きしめてほしいような気持ちだった。
「ベナヤ……早く、来て……」
彼女は蚊の鳴くような声でつぶやいた。


執務室でヤツガシラと遊びながら、ソロモンはじっと昨日の事を考えていた。やはり、おかしい。自分は見たのだ。ヒラムが火の中に飲み込まれるところを。周りの職人の反応からしても、誰もがヒラムを死んだものだと思っていたのだ。
一体、ヒラムは何者だ。彼は少々、怖いような思いでもあった。
「ソロモン?どうしたの」
ふと、気が付いたら隣にいたベリアルが肩を叩いた。
「ベリアルか。いや、少々、考え事を……」
その時、ソロモンは急に思い出した。ベリアルのような存在を彼が見たことを。
ソロモンはベリアルに、それを聞いた。しかしベリアルからの返答は「ボク、知らないよ。見間違えでもしたんじゃない?」だった。
ベリアルがこのように言ってくるのは珍しい。しかし、何にせよ当のソロモンも記憶が不確かなのだ。本当に見間違えであったかもしれないと思い、彼は会話をそこで切り上げた。とにもかくにも、ヒラムのこの後については早急に手を打つ必要がある。このままにしておくのは得策ではない。



二か月ばかりが過ぎた。
ソロモンはアドニラムと数人の護衛とともに、馬に乗ってとある場所に来ていた。ヨルダンの低地、スコトとツェレダの間にある、良質な粘土の産地である。ここに、王宮が所有する鋳造所があった。
「ヒラム・アビフ!視察に来たぞ」と、ソロモンは大声でヒラムの名前を呼んだ。当のヒラムは、ソロモンの声を聴きつけてすぐに来た。
傑作になるはずだった「海」が台無しになったショックは大きく、さすがのヒラムも気落ちしていると聞いて、ソロモンは彼をここに単身うつさせたのだ。彼がここに居ることは公表されてはおらず、ソロモンやアドニラム、口の堅い一部の人間しか知らない。
ヒラムの精神衛生上もその方がいいかと思われたし、また例の三人が逆恨みでヒラムに危害を与えに戻らないとも限らない。彼の身の安全を考えても、しばらくの間彼をこっそりと他のところに移させるのはいいことだと思えた。

「何を作っていた?」
ソロモンは少し楽しそうに、ヒラムに言った。ヒラムも笑いながら、金色に輝く薔薇の花を差し出した。神殿の備品の一つにするはずの、最上の黄金で作った造花のうちの一輪だ。
「素晴らしい!まるで生きているようだ」
ソロモンはヒラムの仕事ぶりを絶賛した。
ヒラムはしばらくの間直接神殿建設には携われなくなったが、神殿の備品としてまだまだおびただしいほどの金属器具を作る必要もあるのだ。ヒラムの最も得意とする青銅製のものなら台車や、「海」に水を満たすための水盤、「海」を支えるために台座、壺に十能、生贄の獣用の肉刺し。黄金で作る道具だって、また大量にある。それらのうちどれも細やかに美しく作った芸術品でなくてはならないというのがソロモンのこだわりだった。
ソロモンは、いい機会であるとヒラムのその作業を一任した。元が青銅職人なのもあって、ヒラム自身もそう嫌そうにも見えなかった。事実、彼は少しショックから立ち直っていると見える。
ソロモンは周囲のものをさがらせ、しばらくの間ヒラムと二人きりにしてほしいと言った。彼らが忠実にそうすると、彼はヒラムと話し始めた。
「以前のように頻繁に会うことはできなくなってしまったな」
彼は惜しそうにそう言った。
そう。ここはモリヤ山のように直ぐに来れる場所ではない。よって、前のように夜に会いに来て語り合うということもなかなかできなくなってしまった。
「気にしちゃねえよ。それより、エルサレムはどうなんだ?」
ヒラムは全く気軽そうにそう話しかけてくる。その元気さが、かえって不気味なようにも見えた。
だが、ヒラムには不思議な雰囲気があったのだ。聞くのをためらわせるような、そんな感覚。ふいに、彼の手にはめた黒曜石の指輪が光ったような気がした。
「ああ……問題はない。いつも通りだ。あ、ただな、お前のいるときにはあった、夜の作業が、なくなってしまった」
そうなのだ。あの謎の出来事が、今では怒らなくなってる。殆ど、ヒラムと一緒になくなってしまったように。職人たちは皆それを不思議に思ったが、元が不可思議なことだったのもあって、誰ひとりそれをとくに追求しようとはしていなかった。ヒラムはそのことを聞いて「ああ……そうかい」と、いささか興味なさ気な様子であった。
しばらくたわいのない話が続いて、ソロモンはふとひらむに聞きたかったことがあるのを思い出した。
「ヒラム……あの」
「なんだ?」
それは、あの日、「海」が爆発した日の帰り道にソロモンが考えていることであった。ヒラムに、このことを聞きたいと思っていたのだ。
「私たちは……友達か?」
「え?」
ヒラムはその言葉に面食らったようで、唇に指を当てて考え出した。
「友達……ねぇ。俺には、生まれてこの方いたことがないんだ。だから……正直、友達なんてものがどういうものを指すのか、それがそもそも、実感としてわかねぇんだ。ソロモン。あんたはどうなんだ?なんで、俺を友達だ、なんて思ったんだ?」
「……お前が、爆発に巻き込まれた日」
ソロモンは少し決まりが悪そうに、いっそいえば少々照れているように話し始めた。
「お前が目の前からいなくなるのが、悲しいと思えたんだ。それも……誰にも、感じたことがないほど。だから、私、お前の、友人なのではないかと思えた」
「悲しい?俺がいなくなることが?」
ヒラムはその言葉を信じられないと言った様子で聞いた。そして、不意に笑って、「ありがとう」と言った。
「ソロモン、あんた、俺の何倍も頭がいいんだ。あんたが思うんなら、間違いねえな。あんたと俺は友達だよ」



ナアマはここの所、苦しんでいた。体調が悪い。食欲がなく、吐き気がする。
ただの体調不良と片づけるには明らかに異常だ。彼女は、侍女に言いつけて医者を呼ばせた。

しかし、ほど無くしてそれの原因が分かった。彼女は今までの苛立ちはどこへやら、その顔を希望に満ちたものに変えた。


「ベナヤ!」
彼女は王宮に居るベナヤを呼んだ。一応のところ、ソロモンに命令されたように王妃然とした態度でだ。
だが、ベナヤには当然彼女の意図は分かる。彼は彼女のもとに歩み寄り、「なんでしょうか、王妃様」と形式的に挨拶したが、そのまま二人きりのところに行った。
ソロモンはちょうどヒラムのいる鋳造所に行ってしまって、王宮には数日間不在になる予定だった。その機会にと言うことか、と思ったが、彼女の意図するところは違うようだった。
ナアマはベナヤのそばにより、そして、にっこり笑って言った。

「ベナヤ、私ね。身ごもっているのよ。今日、そう言われたの」

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