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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第五十一話

友人。
そう呼べる人間ができたのは、初めてだ。
ヒラムは夜空を眺めながら、そう考えていた。ソロモンが去って、一人の鋳造所で、彼は自分の言葉を思い出していた。
『ソロモンに避けられるのが怖い』と、気が付けば言っていた。
彼は自嘲気味に笑う。そのようなことを言える相手も、初めてだ。昔に至っては、自分は、そんなことを他人に言う権利もないと思っていた。
ティルスでソロモンの事を初めて聞いたとき、彼は知った。彼が、かつてその異常な風体から「悪魔の子」と呼ばれていたことを。彼はそれを聞いて笑ったことを思い出した。悪魔の子。そのような者が、めったにいるはずがない。彼はただの人間なのに、不当なことを言われていたにすぎないのだと彼は予測した。
そのことをヒラムに語るティルスの役人も、笑っていた。彼はおそらく、単純に面白かったのだろう。この世に、ヒラムと同じあだ名で呼ばれた人間がいて、その二人がこれから出会うことが。


エルサレムに届いた「海」の出来栄えは、絢爛たるものだった。ヒラムによって細かい彫刻がなされ、立派に磨き上げられたそれは、ソロモンがヨルダンで見た時よりも数万倍も煌めき、美しいものに仕上がっていた。
まさに神殿を象徴するような圧倒的な美をたたえたそれを見たがる人が次々やってきたため、その日のモリヤ山は仕事にならなかった。すっかりお腹の大きくなったナアマも、そのことが気になって馬車に乗ってそれを見に行った。護衛にはベナヤが付いた。彼女の眼にもそれは相当に美しいものと映ったらしく「……綺麗だこと」と、素直に言った。
ソロモンは無論のこと、その場に立つ者の中で最上位にある存在として、ヒラムに数々の賛辞の言葉を述べた、しかし、その言葉が形式的なものでなくソロモンの本心であったことはもちろんだった。彼は自らの首にしていた真珠の首飾りを外し、それを自分の前で跪くヒラムの首にかけた。
「お前の仕事ぶりの祝福のあかしとして、受け取るがよい」
ソロモンの言葉にヒラムは静かにうなずき、自らの首に無骨な彼には似合わないような繊細な真珠の首飾りをかけられることを誇らしそうに受け入れた。
「海」は本当に美しい。ヒラムの職人としての素晴らしさを一身にその身に集めたようなたたずまいをしていた。
周囲の人々は誰しもがそれを誉め、また、そんな職人ヒラムがまたモリヤ山に戻ってきたことを喜んだ。



その夜の事だった。
松明を何本も点したモリヤ山で、ヒラムはじっと待っていた。やがて、ラバの足音が聞こえて彼は振り返った。
「やっぱり来たか。ソロモン」
「ヒラム、聞かせてもらうぞ」
彼は真剣に言った。ヒラムも「……わかった。俺の言葉にも二言はない」と観念したように言った。
彼は、彼の手にはまった黒曜石の指輪を見せる。ソロモンはそれを、じっと見た。ヒラムもそれを見届け、ブツブツと唐突に何かを唱え始めた。
と、その時だ。
黒曜石に、不思議な模様が浮かび上がった。金色をした三角形のような紋章が、ゆらりと浮かび上がる。
ヒラムはソロモンに「目をそらさないでくれ、絶対に」と言った。ソロモンはじっと見守る。
すると、視界の外でいくつもの方向があがった。どれもこれも、聞くに堪えないような声。まるで、人間のそれではないような。
「顔を上げてくれ」
ヒラムの声。ソロモンはすっと指輪から視線を離し、顔を上げた。そして、仰天した。
ヒラムの後ろに、いくつもの不思議な存在がいる。人間でも、生物でもないそれは、何十体もいて、みんな違う姿をしていた。人間のような姿、動物のような姿、それらが混ざり合ったような異常な姿。だが共通することが一つあった。彼らは一人残らず静かにヒラムに従っていた。
「お前達」
流石に動揺を隠せない様子のソロモンを庇うようにして立ちながら、ヒラムはまるで、王のように威厳のある声で彼らに命令した。
「石切り場から石を運び、神殿を建設するがよい」
ヒラムの声に従うように彼らは次々と石切り場に飛んで行った。ヒラムはソロモンの方を振り返り「……どうだ?」と言った。
「ヒラム?……お前は……」
ヒラムはゆっくりと言葉を継ぎ、告げた。
「ソロモン。あいつらは、悪魔だ。そして……俺はそれを使役できる。俺は、悪魔の子孫だからだ」


異形の悪魔たちがヒラムの指示通りに、何も言わずただただ忠実に資材を運び神殿の建設をしている間に、ヒラムはソロモンに自分の事を語った。
「悪魔の子孫……とは、どういうことか。まず、それから話さなきゃならんな。ソロモン。この世の最初の人間から出た、この世の最初の殺人鬼の話を知っているだろう」
「……ああ」
知らないはずはない。イスラエル人なら、誰でも知っていることだ。
この世の最初の人間は、アダムとイヴと名付けられた二人。そして、その二人から生まれたアベルとカインと言う兄弟の話。二人は兄弟ではあったが、神に愛されたアベルとは正反対にカインは神の愛を受けられなかった。それに絶望し嫉妬した彼はある日、カインは弟のアベルを殺してしまった、と言う。
「だが、あれはただの」
「神話かおとぎ話?違う。あれは、実在した、本物の出来事だ。何千年も、何万年かもわからねえ昔に、確かに、それは起こったんだ。なぜ、そう言えると思う?……俺は、カインの子孫だからだよ。そしてだな、カインは、何故そんなことができたのか、なぜ、地上の初めての殺人者だったか、分かるか。……奴は、悪魔の血を引いていたんだ。奴は、アダムではなく、イヴと悪魔の間に生まれた子供だからだ。そして……だから、そのカインの子孫である俺も、悪魔の子孫なんだ」



ヒラムは、ティルスの支配下にある、とある田舎の共同体で生まれた。青銅職人の父と、イスラエル人の母。彼が語ったように、彼らはどちらもやさしかった。
母はイスラエル人で彼にヘブライ語を教えてくれたが、それでも彼女は、イスラエルの神の信仰を捨てていた。ヒラムはそれを疑問にも思わなかった。彼は父と母の愛情を受けて、普通に育っていた。
ヒラムは父から職人仕事を教わり、才能を開花させていった。父も母もそれを素直に喜び、彼らは本当に、ただ普通に幸せな家庭だった。

だが、ある日「彼ら」はやってきた。
「悪魔の娘はここに居るのか」
そう告げて、彼はずかずかと部屋に入っていった。何事だと思って父は抗議し、自分も彼らを攻めたが、当の母親は彼らを見て真っ青な顔になっていた。
大変な騒ぎになり、近所の人も追い出そうとしたので彼らはいったんは引き下がっていった。しかし、当然ながら父親は母親にそれについて問い詰めた。ヒラムはその時、初めて、カインの事を知った。

母は、生まれた時自分の親からそのことを聞かされていたらしい。代々語り継がれてきたというのだ。自分たちがカインの子孫であることと、それはすなわち呪われた悪魔の血筋であるということ。
彼らは、カインの血を憎み、自分を殺そうとしているのだと母は言った。そして、彼女はそれに耐えかね、イスラエルを捨ててここに来たのだと。
「バカバカしい」父はそう言った。
「そんなもの、単なる作り話だよ。君やあの人たちは考えすぎだ。信じすぎているんだ。君にもヒラムにも、何の罪もないのだし、皆普通の人間じゃないか」
父は優しく笑いながらそう言ってその場を収め、うろたえて泣きじゃくる母をなだめた。ヒラムはそれをしっかり覚えている。それが、彼が見た最後の、仲のいい家族の思い出だったからだ。

彼らは、全く攻めの手を緩めなかった。ヒラムの母を殺してやると息巻き続けた。それが続き、また彼らがあまりにも必死かつ真剣なので、次第にヒラムの母を庇っていた近所の人々も、実は本当に彼女は忌むべき存在なのではないかという疑念の目を向けるようになってきた。
ヒラムの一家はだんだん住みにくくなり、母親はより一層精神的に錯乱してきた。
「なにがカインの子孫よ」母は言った。「生まれたくて生まれたんじゃないわ、そんなもの!誰が、誰が嫌われ者の悪魔の汚名を着たがるのよ!なのに、どうして、私が、悪魔扱いされなくてはならないの」
ヒラムはそんな母親を慰めた。しかし彼がいくら言っても、母親はもう落ち着くことなく、同じように錯乱し続けるだけだった。彼女は家の仕事もできなくなり、代わりに彼にそれをやらせた。やらないと母親は貴方まで私を攻め立てる、と理不尽なほどに怒ったので、ヒラムは少しでも母を落ち着かせたいという気持ちから母親の一切の仕事を行い、母を慰めた。
やがて、父親の様子もおかしくなってきた。最初の方こそ彼女を信じていたのに、だんだん巻き添えを食って責め立てられる重圧と、精神的におかしくなってきた妻に付き合わされるストレスが彼をも追いつめたのだろう。
彼は、いつの間にか庇っていたはずの妻を攻め立てた。やっぱりお前は責められるべき立場なのかと。母は、それを否定するとことはなくただ錯乱して泣き叫んだ。それにいらだった父は母を殴った。それを機に、父から母への暴力はエスカレートしてきた。
そしてある日、ヒラムが目を離しているうちに、母親は自殺した。父も、それを悔いたか、それともこれ以上生きることに疲れたか、後を追うように自殺した。

ヒラム一人が残り、まだ子供でろくに稼ぎもでき居ない彼は近所の厄介になるしかなかった。イスラエルから来た人々はもう来なくなっていたが、彼のいた村の人々はすっかり彼をいぶかしむような目で見ていて、それでも一応親のない子供は成長するまで共同体で面倒を見ねばならないという地元のしきたりに従って、彼を冷たい目で見て罵りながら彼を育てた。ヒラムはずっと、彼らの迫害の眼に耐えながら成長していった。
「悪魔の子孫などではない、考えすぎだ」と言ってくれた父親の言葉が、心の支えだった。
彼らが何を言おうとも、自分は責められるべき存在ではない。そのような確信のみが彼を動かした。
彼は職人になりたかったが、誰も彼を弟子に使用などとはしなかったので、ヒラムは独学でそれを学んだ、父の仕事を思い出すようにして、何回も火傷や怪我をしながら職人仕事を覚えて言った。

そして、ある日の事だった。それは彼が、15歳になった日だった。

彼のいた共同体では15歳になれば完璧に一人前の大人であるという暗黙の了解があった。それはすなわち、もう彼を義理でも世話する必要はない、と村の皆が大手を振って言えるようになったということだ。
誰も彼に何も恵んではくれなかった。かといって、彼を雇おうとする人もない。狭い共同体で育ち続け、そこを抜けるという選択肢が思いつかなかったヒラムは、誰もいない家の中で考え事をしていた。
「(悪魔の子孫、だって)」
彼はそれを皮肉に思った。そして、急にそう言われていることに腹が立ってきた。彼は誰もいない仲で、まくしたてるように、目には見えない何者かに言った。
「悪魔の子孫?は、誰が言った、そんなこと!おい、俺の先祖の悪魔さんよ、悪魔なら死にもしねえだろ、ならあんたの可愛い子孫様が何を言ってるか聞いてみろ。悪魔なら何でもできるだろ、俺にその力でもよこしてみやがれ。俺はなんもしちゃいねえのに、あんたの血筋のせいで、こんな人生送らされているんだ。先祖のあんたが責任取るのが当然の話じゃねえか」
悪魔に声など届くはずがない。彼はそう確信しての事だった。彼は、こういっても何も起こらないだろうと思っていた。そのことをもって安心したかったのだ。悪魔なんていない、だから自分が悪魔の子孫であるはずもない、自分が馬鹿にされるいわれなどないんだと、彼は信じたかった。
そのまま、彼は眠った。

彼は夢を見た。
ゆらゆらと炎の揺れる、不思議な空間に彼はいた。夢にしては酷く鮮烈なイメージがあり、彼は視覚と聴覚のみならず、硫黄のようなにおいも、燃える炎の温度もその体で味わった。
不意に、彼の目の前に一匹の蛇がいることに彼は気付いた。片目のつぶれた蛇だ。蛇はじろりと彼を睨み、彼はそれにすくんだ。それを見届けたかのように、不意に蛇はするりと姿を変えた。それは、灰色の翼を背中に生やした人間のような姿だった。
「お前は……?」ヒラムは、恐る恐る言った。すると、目の前のその男は口を開いた。
「お前が俺を呼んだんだろうが」
「え……?」
「先祖に、来れるものなら来てみやがれと言っていただろ」
その言葉に、彼は寝る前に行っていた言葉を思い出した。しかし、そんなまさか、と彼は震えた。目の前に立つ、明らかに人間とは違う彼の姿を、ヒラムは急にすさまじく恐ろしいものだと思った。彼がなんであるか、言葉を聞かずとも、そんなことは明らかであった。
「じゃあ……じゃあ」彼は震える声で言った。
「じゃあ……俺はほんとにあんたの……悪魔の、子孫、だったのか?お、お袋も?お袋も、ほんとに悪魔の子孫だったのか?」
「ん?当たり前じゃないか。カインは、確かに俺とイヴの子だ。そして、お前は間違いなくカインの子孫だ」
その言葉は、重々しかった、悪魔のおどろおどろしい声とともに発せられたからかもしれない、ヒラムはその場に立っていられず、地面に突っ伏した。地面すらも赤黒く、流動するものだった。悪魔はそんな彼を見下ろしていった。
「どうした。嘆かなくていい、そんな必要、何もないんだぞ。誇るがいい。イヴは素晴らしい存在だった。間違いなく。俺にとっては、神よりも大切な存在だった。お前は彼女と、そして俺の血を引いているんだ。けがらわしく傲慢なアダムの血を、お前は普通の人間よりも引いていないんだ」
「煩い、だからどうした!それの何が誇りなんだ!」
ヒラムはまくしたてた。
「お前やらイヴやらがどうだったかなんて俺の知ったことか!俺はそのせいで、さんざんな目にあってるんだ!」
彼は母親がそうしたように、狂ったように泣いた。自分がすがってきたものを、今間違いなく否定されたからだ。悪魔の子孫などではないと思っていた。それなのに、悪魔の子孫であると当の悪魔自身に知らされたのだ。
だが、目の前に立つ彼は冷静に言った。
「ああ、そのことも勿論聞いている。まったく、アダムの子孫は変わらんのだな。……俺を否定する。俺を避ける。……まさに、神の現身だ!イヴは……イヴは違ったのに!ヒラム・アビフ。俺はアダムの子孫が憎い。だから、お前に目をかけてやる。俺の力がほしいと言ったな。渡してやらんでもない」
「えっ?」
ヒラムはその言葉に驚き、顔を上げた。悪魔は細長い指を伸ばし、彼の顎を持ち上げた。
「ただ一つ、悲しいことがある。俺は悪魔だ。残念なことに、お前はほとんど人間だ。アダムの血が色濃く入ってしまっている。だから、これを受け継がせるにも一筋縄ではいかない」
「なんだ、何か問題があるのか。……別に俺は、どんな問題でも構わん」
ヒラムは深い考えなど思い浮かばなかった。ただ、目の前の絶望から、彼は何でもいいような気がしていた。
「十年後だ」悪魔は言った。「十年後、お前の人生が終わる。そうだとしたら、どうだ?」
「どうでもいいよ。もっと短くても構わねえくらいだ」
ヒラムは、目の前に出された条件がひどく小さいものであると思えた。
十年?なんて長い時間だ。こんな人生、もう一日でも短ければそれだけいいのに。
「かまわん。お前の力とやら、よこしてくれ」
彼はヒラムがあまりにすぐ返事をしたので少し意外そうだったが、やがてにやりと笑い、彼の手を取って言った。
「ヒラム・アビフ。俺はこう見えても、ずいぶんと力ある悪魔でな。こういう力はどうだ。お前に、悪魔を呼び出し、使役する力を授けてやる。奴らは俺に逆らえないように、お前にも逆らえない。お前が死ぬまでの十年間はな。悪魔は何でもできるぞ。奴らは、お前の望みを叶えるだろう。俺はお前に指図などせん。お前の好きなようにやれ。アダムの子孫を虐殺しようと何をしようと、お前の自由だ」
「それは結構だな」
ヒラムのその言葉を最後に、彼の視界はふいに途絶えた。ヒラムが混乱していると、「では、契約成立だな」と言う声が聞こえた。

そこで、ヒラムは目が覚めた。彼は戸惑い、見たものが夢であると悟った。
なんてひどい夢だったんだ。夢の中でさえ、自分は言われたのだ。悪魔の子だと……。と、ヒラムは視線を落とした。そして、心臓が止まるかというほど驚いた。
見覚えのない指輪が指にはまっている。がっちりと。黒曜石をはめ込んだその豪華な指輪は、どこか禍々しい雰囲気を持っていた。
まさか、と、ヒラムは疑った。そして、念じてみた。悪魔よ、現れろ、と。

するとだ。
恐ろしいまでの悪臭が立ち込め、彼の目の前に、異形の悪魔たちが次々と現れた。それが厳格であるなど、ありえないと彼は悟った。彼は、その時はっきりと知った。自分は本当に悪魔の子孫で、本当に悪魔と契約を交わしたのだと。
彼は、恐れる気持ちを抑えながら、彼らに言った。
「……お前たち、なんでもできるんだな?」
彼らはコクリとうなずいた。ヒラムに逆らえないと言うように。鞭を恐れる猛獣のように。
「……俺は偉い職人になりたい。それを叶えることができるな?」
それが、彼が悪魔たちに命じた初めての命令だった。


彼は、自分でも信じられないほど職人のして天才の域になった。彼は自分で瞬く間に何でも作ることができるようになった。
悪魔たちは父親が残した道具を新品同様に磨き上げ、彼に心行くまで訓練をさせた。そして、彼の創ったものをどこかしらで売りさばいてきて、彼のもとに金を届けた。
近所の人々は後は死ぬを待つしかないような悪魔の子孫がなぜか金を得ているのを得て、いぶかしがった、強盗でもやったのだろうと彼らは彼を非難した。最初の方こそ、ヒラムはそれがつらかった。しかしだんだん、彼らの言うことになど耳も貸さなくなってきた。彼は、自信がついてきたのだ。
自分はできる、自分は有能だ、と信じたが最後、彼らの非難に心は傷つくことなどなくなってきた。なんだかんだと言っても彼らは自分より無能なのだ、できないものなのだ。彼はそう確信した。
ヒラムの住む集落にティルス王ヒラムの使いがやってきたのは、彼が悪魔と契約を交わしてからまだ一年もしない頃だった。

「これを作った職人がここに住んでいると聞いた。名前は、確か、ヒラム・アビフとか」
王宮からの使者は確かにヒラムが作り、そして悪魔がそれを討ってきた装飾品を差し出した。
「陛下はこの職人の腕を大層お気に入りで、そのものを首都に連れて行きたいとお考えだ」
「ヒラム・アビフと言うものならいますが、そんな職人ではありません。あれは、呪われた悪魔の子です。強盗もやっているのです」
共同体の人々は口々にそう言った。だが、王宮からの使者が来てそう言っているということを聞きつけたヒラムは自信満々に彼らの前に出て言って、自分がそのヒラム・アビフだと攻め立てる人々の声にも負けないほど大声で言った。
王宮の使者たちもさすがにヒラムが若すぎることに戸惑っていたが、彼は彼らの見ている前で素晴らしい装飾品を作り上げて見せた、それを見て、使者たちも納得せざるを得ず、ヒラムは共同体を生れてはじめて離れることになった。ただの偶然でここまでうまく者が行くはずがない。悪魔が自分の命令通り動き、自分を売り込ませたのだとヒラムにはすぐわかった。

彼が悪魔の子である、という評判は彼と一緒にはいってきて、王宮の関係者たちはそれを半ば面白がった。何人かは閉鎖的な田舎の戯言だとヒラムの故郷そのものをさげすみ、また、何人かはいささか真面目に受け取り、彼は危険な存在なのではないかと故郷の人々と同じように彼を避けた。ティルス王ヒラムはどちらかと言えば後者の方で、本当に悪魔の子孫などとはさすがに思っていないものの、彼の家系になんか問題があるのではないかと予測しているらしかった。たとえば、強盗や殺人者の息子であるなどと。ヒラムはそのことを悪魔から経由して聞き、そして笑った。
首都で、ヒラムはさらにその技術を磨いた。悪魔たちも協力し、彼に万能の才能を授けた。彼はあらゆる職人仕事に精通するようになり、王も彼のことを危惧しながら重用せざるを得なくなってきた。悪魔たちは非常に忠実に彼に従い、彼の言う「偉い職人にならせろ」という命令をかなえさせた。


ヒラムは若くして、ティルス一の職人であると絶賛された。もはや、彼を悪魔のこと言いこそすれ彼の腕前を疑うものはどこにもなくなっていた。
彼は、職人仕事が本当に楽しくなってきた。ここで生きている間、誰も自分を否定しない。そして、工具を握っている間、自分の魂が揺さぶられる。生きている、と実感できる。
たのしいことなど、子供時代なかった。だが、彼はいつの間にか、心の底から楽しいと思えるようなことを見つけていた。
王の命ずるままに様々なものを作り、それを褒められ、家に帰れば自分が首都で妻として娶った女とともに過ごす。そんな生活が、何年と続いた。


やがて、約束の10年が半分以上過ぎたある日のことだ。ヒラムは王宮に呼び出され、そして言われた。
「イスラエルを知っているか?」
知らないわけがない。自分の母親の故郷だ。
「イスラエルの王、ソロモンは今神殿を建設しているそうだ。それも、オリエントに存在しないほどの豪華絢爛たる大神殿だ」
「それはそれは……」
ヒラムは王が話していることがよくわからず、適当に聞き流した。王はそれを察してか、簡潔に要点から述べた。
「ヒラム・アビフ。私はお前を、貢物としてそのイスラエルに送ろうと思う。神殿建設の人材としてな。もちろん、嫌とは言わんだろう」
王はそういってのけた。ヒラムの意見など、聞く気はないようだった。むろんヒラムとていくら天才技師とは言えど王宮に仕えている身だ、いいえなどと言えるはずがない。
そして、その巨大神殿と言うものが、ヒラムの心を揺さぶった。イスラエルの神など正直な話、どうでもいい。もしも自分や自分の母を貶めたのが神の意志によることでの事なら、どちらかと言えばイスラエルの神は恨む存在であるかもしれない。しかし、そんなことは本当にどうでもいい。オリエントにこれまでにないほど精密な、美しい神殿。職人として、それを作りたい。それのために、定規を、コンパスを、のみを、槌を、思う存分ふるいたい。
迷う意味などなかった。ヒラムはイスラエルに行くことを了承した。

長い仕事になるであろうことで、彼の妻はもちろん嘆いた。しかし、彼は、職人として大きな仕事ができることをどうか誇りに思ってくれ、と言った。彼の妻は最後まで寂しがって抵抗していたが、やがて、彼が旅立つ予定の前日になって、泣きながら彼の門出を祝う言葉を述べた。



夜のモリヤ山で、悪魔たちは必死で働いている。自分の主君たるヒラムの命令を遂行するために。
今、何もかもわかった。夜に進んでいる仕事の正体は、これなのだ。ヒラムは誰もいない真夜中、こうして悪魔を使役して、神殿建設を手伝わせていたのだ。
ヒラムが「海」の爆発から生きながらえたのもそうだ。彼は悪魔の力を借りて逃げ出したのだろう。
「……そんな、事が……」
ソロモンは言った。ヒラムの話は、終わったようだった。
「どうだ。ソロモン王」
彼はぽつりと言う。
「俺がこんな化け物でも、友達でいてくれるか」
「何を言う」
ソロモンは言った。
「お前がそこまで気にするからどれほどの事かと思ったじゃないか。それのどこが、私に嫌われる理由なのだ。悪魔の子であっても、お前は素晴らしい奴じゃないか。正真正銘の人間であっても、下らん奴は山ほどいるのに」
ソロモンはヒラムに、静かにそういってのけた。ヒラムはそれを聞くと、笑って「有難う」と言った。

「初めてなんだよ。……俺と何の関係があるでもない。同じ共同体に居たわけでもねえし、俺を頼ってくる理由もない。それでもこんな仲良くなれて、何でもかんでもぺらぺら話せるし、俺の話を分かってもくれる、あんたみたいな奴は」
「ああ。……私もそうさ。私とこんな何時間でも話す奴、お前しかおらん」
「だから、あんたに避けられたくなかった」
「私も同様さ、ヒラム」
ソロモンとヒラムはそう言って、お互いに笑いあった。ふと、ソロモンはあることを思い出した。そして、それに対する答えがすでに出たことを思い出し、まさか、と彼の背筋に悪寒が走った。
「ヒラム……!?それでは、お前の言っていた、時間が足りない、と言うのは」
ヒラムはその言葉を聞き、ソロモンが言わんとしていることをわかって、うなずいた。
「ああ。俺は今24だ。今は、俺に与えられた最後の年なんだ。俺の人生はもうじき終わる。それまでに、俺は完成させたいんだ。エルサレム神殿を」

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