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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第五十二話


ソロモンは全て、ヒラムの思うままにさせた。神殿建設は、長年の時を経てすでに大詰めに入っている。思えば、ヒラムが来てもう3年にもなるのだから。
ヒラムはこの仕事を短い人生の最後の仕事にしようと、希望と責任感を持っているのだということはソロモンにもよく分かった。彼はひそかにアドニラムにその事情を、悪魔の子供云々の部分は伏せて伝え、作業を急がせるように言った。アドニラムも黙ってそれを了承した。王の命令と言うのもあるが、天才と凡才の差こそあれど同じ職人として分かるものがあったのではないだろうか。
目まぐるしく神殿の建設は進んだ。ヒラムは昼間は以前にもまして指揮者として働き、そして毎夜ごとに、悪魔たちに作業を手伝わせた。そして、ときにソロモンもその場に居合わせて、彼らの作業を見届けた。ソロモンにも、彼らの姿は見えるようになっていた。おぞましく、グロテスクな生き物たちではあったが、見慣れてくれば怖いと言うほどのものでもない。非現実的な姿は、ベリアルや、そして、あの死にかけた日に見た天秤を持った天使と似た存在であるような気もした。輝かしさや美しさには天と地ほどの違いはあれど、本質的に彼らは似ているとソロモンには何となく思えるのだ。
その中に混ざって彼らを指揮するヒラムは、確かに少し人間ではないもののようにも見えた。彼は何処か、彼らになじんでいた。
ヒラムを追いつめるようにめまぐるしく月日が巡り、ナアマのお腹はどんどん大きくなっていって産み月が近づいていった。だが、ソロモンはそのことに関しては無関心だった。彼にとっては、どうせ自分の子ではないだろう赤ん坊を宿した妻のお腹よりも、神殿が日に日に完成に近づくことの方が関心事だったのだ。

ある夜、ソロモンはヒラムに「皮肉なものだ」と言った。
「神をまつる神殿が、悪魔と、その子孫によって作られるなんて」
思いついたようにそう言うソロモンに、ヒラムは言った。
「ソロモン。お前、神を信じてるのか。意外だな」
「と言うと?」
「お前みたいなタイプは、この世には神なんてありゃしない、っていうリアリストの姿勢がよく似合うから、勝手にそんなイメージを持っていたよ」
神殿は、神のためじゃなく自分のために創りたいらしいしな、と、ヒラムは付け加えた。
神殿建設が神への忠誠心ではなく、自らの芸術的才能を燃やした結果乗り出した事業であるのは事実だ。確かに、ヒラムがそう言うのもうなずける。
だが、ソロモンはその言葉を聞いて「俺は、神はいると思っているよ」と言った。
神がいないはずはないだろう。自分はベリアルを見た。天使に助けられもした。そして、あの日、祭壇で燃え盛る兄の躯を見ながら、自分は、神の声を聴いた。
それらすべてが幻覚、まやかし事であるなどとは考えられない。それに、悪魔がいるなら神だっているだろう。悪魔は現に、自分とヒラムの前にうごめいているのだから。
「安心しろ、ヒラム。信じていると言っても俺はそこまで狂信的ではない。神の神殿が悪魔によって作られるは不信心なことだからどうこう、など、今さら言うつもりはない」
「当たり前だ。そんなこと今さら疑わねえよ」
ヒラムはそう言って笑った。
「ただちょっと意外に思っただけさ。ま……もし、神様がいるんなら少し心配だな。つまり……俺が作ったから、この神殿が完成した瞬間、神様のお怒りに触れてガラガラ崩れちまうなんてことが起こりゃしねえかどうかがな」
「ははは……そうならないよう設計した。安心しろ」
「さあねえ。いくら天才ソロモン王とはいえ、人間の力なんぞ、神様の前じゃどれほどのもんだかな」
彼らは冗談めかしてそのようなやり取りをした。月明かりのもと、すでに外観はできた神殿はそのシルエットを真っ黒に浮かび上がらせ、近くにおかれた「海」は青銅の体に冷ややかな光を反射していっそう美しく輝いていた。
悪魔たちは様々だ。赤や白、青色の炎を纏ったもの、青白く輝くもの、光などとは無縁に闇に溶け込みつつも、暗闇など意に介さず動くもの。彼らはどのような気持ちでこれを作っているのか?神をまつる大神殿を。自分たちが、何よりも憎むべき存在を。
しっかりと誇らしそうに立つその神殿の姿から、悪魔にその身を形作られることに対する屈辱など微塵も感じられないように思えた。むろん、このおぞましい生物達に迎合し、いずれその身の中に祭られる髪をないがしろにするような不遜さもなかった。彼はただ、誇り高くそこに立っていた。


ナアマは、数か月の間、ずっと穏やかだった。これがあのヒステリックな娘かと思うほど、彼女は優しく、丸くなった。
何人もの侍女たちに囲まれ、暇さえあればお腹を撫でた。
「(今となっては、昔が恥ずかしい)」彼女は思えた。
「(あそこまで何に対しても目くじらを立てていた自分が。今わかったわ。私は何にも満たされていなかったのだもの、何かを攻撃しないとやっていけなかったのよ。でも、今は違うの。私は満たされているわ、幸せよ。私も幸せをつかんだ。お姉さまたちのように)」
生まれてくるのは男だろうか?女だろうか?どちらでもいい、大切な子であることに変わりはない。男だったらぜひとも父親のように、そう、あのベナヤのようにたくまし句誠実な子に育ってほしい。もし女だったら……どうか、自分の気難しさは受け継いでほしくないものだ。もっとおとなしい、いい子に育てよう。うらやむと同時に尊敬もしていた自らの姉たちのように。
彼女は確かに、幸せを感じていた。やっと自分にももたらされた幸せを。
そんな彼女の隣に立ちながら、ベナヤも最近ではこのことに心を痛めるのをやめて、素直にナアマの幸せを喜んでいた。あの荒れていた、手当たり次第に男に身を任せていた彼女はもういない。どういう形であるにせよ、自分は彼女を救えたのだ。不幸な彼女を。それなら、それでいいじゃないか。


そして、とある日の事だった。
ソロモンは全速力でラバを走らせ、モリヤ山に来た。
モリヤ山には既に人が集まっていて、人だかりができている。多くの職人たちや労働者たちは、もう仕事を辞めて数万と言うおびただしい人数だが、リーダーであるアドニラムの指示通りにきちんと並んでいた。
ソロモンは黒いマントを翻しながら、悠々と彼らよりも前に立つ。神殿の上に、ヒラムが一人立っていた。
彼が、くぎを打ちつけた。神殿、最後の釘だ。そう。これを持って、イスラエル神殿が完成したのだ。
「完成、おめでとうございます!」
声がどっと巻きあがった。労働者たちも、集まった野次馬も。ヒラムははしごを使って下りてきて、ソロモンの隣に立った。ソロモンは彼に手を差し伸べ、彼と握手を交わした。いつも通り、手の組み方が独特の握手だった。
ソロモンは総指揮を務めたヒラムと、そして総監督のアドニラムの二人に、非常に丁寧な、そして熱のこもったねぎらいの言葉をかけた。そして次に、この事業にかかわった全員に対して、同じようにねぎらった。
そして、彼は、ヒラムに案内されながら、黄金に煌めく神殿に、彼と二人きり足を踏み入れた。神殿に誰よりも早く足を踏み入れたいと、ソロモン自身が願ったからだ。

その時のソロモンの感情は、感動と言う以外現せない。
先ほど出来上がったばかりの神殿であるにもかかわらず、ソロモンは確かに、そこにずっといた。何年間も、ここにいた。ベリアルが来る前から。自分が途方もなく孤独だったころから、自分はここに居たのだ。
そうだ。自分はこんな天井彫刻を眺めていた。こんな床を歩いたのだ。こんな扉を開いた。こんな柱に手を触れた。
見るものすべてが、自分の頭の中にあった幻だった光景そのものだ。ヒラムにアドニラム、何万人もの労働者、そして悪魔たちが成し遂げたのだ。自分の思い浮かべた神殿、そのものを作ることを。
ここには懐かしさがある。そして、暖かさがある。冷たい北の独房の部屋で、ずっと一人ぼっちだった心を、凍え死なないように温めてくれた暖かさだ。あの時は、自分の心は冷え切っていて、その暖かさを感じることもできなかった。感じるにはあまりに冷たかった。だが、ダビデもいない、バテシバもいない、ナタンもいない、自分を苦しめる者は全て惨めに死んでいった今、この暖かさが何と心にしみわたることか。自らを温めることを誰にも邪魔されなくなった今、神殿は優しく、大きく成長したソロモンを掻き抱いた。
じんわりと涙があふれた。彼はマントでそれをぬぐった。
これからは、いつでもここに来れる。この美しく、優しいところに。ソロモンは、彼ら以外誰もいない中、静かにヒラムを抱擁した。そして「ありがとう。本当に、ありがとう」と言った。
ヒラムはそんな彼を、自分の方からも抱き返した、ソロモンとは全く違う、たくましい筋肉のついた腕で。そして、彼を神殿の中央部に案内した。
中央部。唯一、イメージのわかなかったところには、まだ何もなかった。一番奥に空間があり、そこがカーテンで仕切られているが、カーテンはある意味がなかった。まだそこには、安置されるはずのものがないからだ。
モーセの十戒を治めた聖櫃が、後日の竣工式に、ここに収められることになっている。その場にはイスラエルの長老たち、司祭たち、預言者たちも訪れて、今のようにソロモンとヒラムしかいない、がらんどうで静かな場所ではなくなるだろう。だが、それもいい。彼は、美しいのだ。素晴らしいのだ。何人もの人を受け入れ、愛されるがいい。彼はそれができる。そして、ソロモンはそれを誇りに思うのだ。
この建物は、本当に最後までここだけは自分には見せなかったな、と、ソロモンは感慨深く思った。だが、それさえも今は明らかになる。
「どうやら安心したな」ヒラムもいった。彼も、満足したように満面の笑みを浮かべていた。「崩れる様子もないようで」


その日は、ソロモン王の一大事業の完成を祝って、竣工式の前祝のような形で宴会が催された。ヒラムもそこに呼ばれ、こういう咳が似合わない彼はいささか戸惑っていたようだが、それでも楽しんでいた。
ナアマはもうすっかりこのような場所に出れる体ではなくなっていたので、祝いの言葉だけ預けて宴会は欠席した。そのためソロモンの隣に座るものがなく、ソロモンは、ヒラムを自分の隣に読んだ。
ソロモンの隣に座ったヒラムは、相変わらずばつの悪そうな様子だった。
「もっと喜べばいいものを」ソロモンは言った。「お前を祝っているんだ」
「はは、お前もこんなんが好きそうなようには思えないぜ」
「まあ、好きか嫌いかで言ったら、あまり好きでもないが」ソロモンはヒラムに酒を勧めた、ヒラムはそれを一気に飲み干した。彼が酒に強いのは知っての事だった。
「酷い事故もあったが」ソロモンは懐かしそうに言った。
「お前が来てもう三年、こんなにも、月日が過ぎるのが早いとはな」
「まったくだ。良い友達を持つと、本当に時間は早く流れるな」
「その通りだ」
彼らは賑やかな宴会場の中でも、彼ら自身の会話を楽しんだ。
「ほんとうに」ヒラムはぽつりと言った。その目には、神殿に入ったソロモンと同じように、涙があふれていた。
「良かった。良かったよ……間に合って、本当に、よかった」
彼の肩は震えていた。彼自身も恐怖していたのだろう。完成を見ずに死ぬ恐怖と。
黒曜石の指輪が彼の指に食い込んでいた。悪魔からは逃れられまい。そして、彼もそれを受け止めたのだ。抗う気はないのだ、
「ヒラム」
ソロモンはヒラムの肩を静かに抱いた。
「ソロモン。……頼みがあるんだ。良いか?」
「……何なりと、言え」
真剣に、思いつめたような表情のヒラムに、ソロモンは同じような真剣さを持って、そう返した。
「二人で神殿までいかねえか。竣工式が始まったら、もう神殿に誰もいないなんてありゃしねえしよ。最後のチャンスだ」
俺たちはいつも、夜の神殿を見ていたんだしな、と、ヒラムは言った。そして、ソロモンも「面白そうだ」と、それに笑て散った。まるで、悪戯を考えた小さな子供の二人組のようだった。
ヒラムは、竣工式まで生きられない。
この日は、ヒラムの25歳の誕生日でもあったのだ。ヒラムが生きられる、最後の時間だったのだ。


王と主役の一人であるヒラムが退席してからも、にぎやかな宴は続いた。
「ベナヤ将軍?」ベナヤが声をかけられて振り向くと、そこにはアドラムがいた。
「陛下とヒラム・アビフをご存じありませんか?お耳に入れたいことができたのですが」
「さあ……どこへ行ったのか、私にもさっぱり。私でよければ伝言も承りますが」
「ああ、それはありがたい!では、お伝えください。ジュベラ、ジュベロ、ジュベルムの三人が、故郷の家に逃げていたのを、行方をくらましたそうです。なにか不穏なことが起こりはしないか、警戒をお願い致します、と」
それだけ言って、アドニラムはまた彼らを探しにどこかに出かけてしまった。
彼の真剣そうな様子を見て、自分も王を探しに行った方がいいかもしれ二あ、と思った矢先、あわててバタバタかけていく数人の声が聞こえた。宴会場の端がどよめく。そのどよめきは伝搬しているようだった。
「な、何事だ!?」ベナヤは言った。金切り声をあげたのは、ある年老いた医者だった。
「王妃殿下の陣痛が始まったのです!」

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