クリスマス市のグリューワイン

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feat: Judith 第一話


バビロニア帝国にはユダヤ人居留地がある。そこで、一人のユダヤ人の老女が息を引き取った。
彼女の周囲の人は、まるでバビロニアの帝王が死んでもこれほどまでには悲しまないだろうと言うほど悲しんだ。彼らにとって、彼女は英雄であった。この世で最も天使に近い存在がいるとするのならばそれは彼女であると、誰もが思っていたのだ。
彼女の名前はユディトと言った。
百五歳にも及ぶ大往生、彼女の天使の人生は幸福に満たされたものであったと誰もが思っただろう。だから、彼らはまさか思うはずも無い。棺桶に隠された彼女の表情が、苦しみに満ちたものであったと。いや、数少ないそれを知っていた医者なども、ただ単に病の苦しさゆえの苦悶の表情だと思ったことだろう。
だが、そうではない。ユディトは何十年もの間、苦しんで生きてきたのだ。彼女が何に苦しめられたか。それは、罪悪感だった。天使のような女性に罪などあるはずもないと誰もが思っていただろう。だが、彼女は死の寸前まで、罪悪感に悩まされていたのだ。

どのユダヤ人も知り得なかったことの真相を、今一度、ここに語る。


《前日》

彼女は、ベトリアと言う要塞都市に生まれた。ユダヤ人の住む都市で、ユダ王国きっての要塞都市であり、イスラエルの神と、偉大なるダビデとソロモンの系譜に連なるユダ王への忠誠心を忘れない都市だった。
それは、ユディトが三十ばかりになったころの話だった。ベトリアに、ある衝撃的なニュースが飛び込んできたのだ。
「バビロニア王ネブカドネザルの軍が、こちらに向かっております。貴方方もご存じでございましょう。ネブカドネザルはメディア王アルファクサドと戦をし勝利しました。しかし、その際に彼は諸国の王や知事に援軍を求めたにもかかわらず、誰も彼の味方には訪れなかったのです。と言うのも、貴方方も当事者ですからよく知ってはいるでしょう。ネブカドネザルの力をあるものは侮り、またあるものは所詮異教徒の戯言に協力などするかと彼をないがしろにしたからです。しかし、ネブカドネザルはそのような状況でも戦に勝っていしいました。……ええ、もうお分かりでしょう。なぜ、ネブカドネザルがこのところ戦を仕掛けに仕掛け、小さな国や街をいくつも滅ぼしているか?全ては報復のためなのです。自らを侮りプライドを傷つけた罰を、ネブカドネザルは与えているのです。申し上げます、敬虔なるユダヤの民、ベトリアの方々。今まさに、その一隊が、ベトリアに向かってきております。貴方方の属するユダ王国の民も、例の際に、ネブカドネザルの頼みを蹴り、彼に侮蔑の言葉すら与えたからです」
そうまくしたてたのは、アンモン人の将軍、名をアキオルと言った。彼は、高い山の上にそびえたつ都市であるベトリアの近くに、何者かに酷く殴られ、しばりつけられていたのだ。
話しを聞いてみれば、彼はその当のネブカドネザルの軍隊に居たものの、ユダヤ人を討ち滅ぼすのは無理ではないか、という進言をした所、いたくその軍を率いていた将軍の心を害して、その見せしめにこのような目にあったらしい。そこを、ベトリアの住民に保護されたのだ。
「私は生まれ育ちはアンモン人でありますが、それでも、貴方達に敬意を払うものでございます。どうぞお慈悲を」そう語り、ボロボロの体で深々と頭を下げる彼を、ベトリアの長、オジアにカブリス、カルミス、めいめいは無論の事歓迎した。
「無論の事です、アキオル殿。我々は貴方を歓迎いたしましょう」
「ありがとうございます」
そのような話をしている頃には、ベトリア中のめぼしいものは集まって彼の話を聞いていた。このベトリアの危機の鍵を握っている人物の言葉でもあるのだ。
「このご恩は忘れません。私の知っている情報ならば何でもお話いたしましょう、お慈悲ある貴方方の町が滅ぼされることがないように」
「それはありがたい。では……ネブカドネザルはどのような陣営を持ってここに向かっているのですかな?」
そのことがにアキオルは息をのみ、話す。
「バビロニア人だけでも歩兵が十二万、騎兵は一万二千でございます。また、これまでに起こした数々の戦の結果多くの連合軍がネブカドネザルに慌てて媚びた結果後から従い、今やその数はとてもとても数えきれないほどに膨れ上がっております。彼らを統べるは、ネブカドネザルより、このたび、特別にベトリア討伐を命じられた将軍……その名を、ホロフェルネスと申します」
「えっ、ホロフェルネス……」
「大国同士の戦ならさておき、貴方方のベトリアがいくら要塞都市とは言えど、とても数の上ではかなわぬ人数です」
苦虫をかみつぶしたような顔でそう語るアキオルに、オジアはあくまで落ち着いた態度で続ける。
「ああ、無論のこと、そのことは存じておりますとも、アキオルどの。実は、貴方から賜った情報ほど詳細では無かれど、実は我々も、エルサレムにらっしゃる大祭司ヨアキム殿と長老会議の皆様より、不埒なバビロニア軍側がベトリアに向かってきているという情報は受け取っておったのです。かの方々は……有難いことに、我々に援軍を送り、また、策を授けてくださいました。このベトリアは、山の上に立つ都市。狭い山道には二人も一度に渡れぬ代物です。そこを封鎖せよ、と。さすればバビロニア軍は身動きもとれなくなるであろう、と。我々は夜が明け次第、さっそくその作戦に取り掛かるつもりでございます」
それを聞いて、アキオルは安心したような顔で言った。
「おお、それならば安心ですな!不肖、このアキオルもその作戦に参加させてください」
アキオルはそう深々と頭を下げた。様子を見に来ていたベトリアの人々も、いったんはその策を聞いて安心し、絶望するものはなかった。
ただ、数少ない何人かは、ある名前が引っ掛かっていた。

「ホロフェルネス……」
アキオルの話も終わり命名家に帰る野次馬の中、その名を呟いたのは、若い日のユディトであった。
「どうなさいましたか、奥さま」と、彼女の侍女、十四歳の少女であるミルツァが声をかける。彼女は「いいえ、なんでもありませんよ、ミルツァ」と、美しい顔をほころばせ、彼女を安心させるように笑って見せた。


ベトリアの天使、ユディト。このころから、誰もが彼女をそう褒め称えた。
ユディトの美貌たるやベトリアでも並び立つものはない。髪の毛は黒々と波打ち、透き通った白い肌と悲しげそうな黒い目は彼女に相応しい上品さをもって控えめに光り輝いていた。
彼女はその時、寡婦であった。三年と四か月前に夫であるマナセを亡くしたばかりだ。しかし、彼女は世で糾弾される女性がするように、若い男との恋に溺れたり、再婚をしたがることは断じてしなかった。彼女は夫の残した財産を立派に管理し、自分は美しい体を粗末な喪服に包んで何年間も過ごした。夫の喪が本来あける期間を過ぎても、彼女はそうし続けた。その美貌のみならず、家を治める者としての責任、貞女としての忠実さ、どれをとっても理想の女性、いや、もはやそれ以上ではないかと誰もかれもが彼女を崇めたものだ。だからこそ、彼女に無理に言い寄る男などいなかった。みんな彼女を性欲を超えて尊敬していたのであるし、よしんばそんなことをすればベトリア中からの反感だって買っただろう。女性一人が生きることが難しいイスラエルにおいて、ユディトは特別だった。彼女は女一人のみで、大量の資産を管理し、家の長として生きていたのだ。

ユディトはミルツァとともに家に帰った。しかし、彼女の顔から不安感は消えないままだった。
そして、その不安感を持つのはユディトのみではなかった。あの長老たちも持っていたのだ。大多数のベトリアの住民が知る由もなく、今やオリエントを征服せんとする侵略王ネブカドネザルの高い鼻っ柱を、偉大なイスラエルの神の加護によってへし折ってやれると確信していた中、彼らだけは嫌な予感を持っていたのだ。

そして、その嫌な予感は的中することとなってしまった。


後日夜が明けて、ベトリアの民が山道を封鎖しに出かけようとした時だった。彼らを待ち受けていたのは、バビロニアの歩兵たちだった。
彼らは狼狽した。バビロニア歩兵はろくな装備もないままにバリケードを築こうとやって来たベトリアの若者たちを狙い撃ちにした。生き残った者は、アキオルを含め這う這うの体でベトリアに帰還した。
アキオルはそのことを、青い顔をして報告した。そして、その青い顔はもっと青くなることになった。ちょうどその時、オジア達は一匹の伝書鳩からの手紙を受け取っていたのだ。エルサレムからベトリアに向かう道が、あべこべに封鎖されてしまったというのだ。さらに、バリケードを必死で崩そうとしたところを、彼らはバビロニア軍に不意打ちされた。エルサレムからの援軍は壊滅し、ベトリアに援軍を送ることは無理となった、と言う旨だ。
自分達が夜が明けてからしようとしていた策戦を、バビロニア将軍ホロフェルネスは機先を制し夜のうちに成し遂げてしまった、と言うことだ。
このニュースはベトリア中を駆け巡った、昨日まで希望に満ちていたベトリア人たちが、一気にその士気をくじかれ、腰が引けてしまったのも無理はない。

「皆の衆、落ち着け!」オジアはそんな彼らを鼓舞した。
「神を疑ってはならぬ。イスラエルの民はいついかなる時も、神をないがしろにした時、危機に陥ってきたのだ。ここで神を忘れ、我々が負けるかもしれぬ、などと思ってはならぬ!ネブカドネザルは今や偉大なるユダ王国を支配下においてしまうのではないか、とうわさされているのだ。そのような者に我々がひざを折ってはならぬ。神に祈るのだ。主の前にへりくだり、忠実であれば、主は我々を助けて下さる!」
彼は必死でベトリアの住民にそう言い聞かせた。彼らも、それで一応のところ、大人しくなった。ベトリアの住民は本当に、実に神に忠実な人間たちだったからだ。
彼らは老若男女揃い、必死で神に祈った。どうか、ネブカドネザルの進行を食い止めてくれ、このベトリアを救ってくれ、と。
だが、祈りも続き昼時になった時、彼らはもう一つ、大変なことに気が付いた。

昼の食事をしようとある主婦が泉に水を汲みに行った。そして、彼女は驚いた。ベトリアに水を引く水源の泉が、バビロニア兵に占拠されていたのだ。
彼女は驚いて逃げかえり、そのことを報告しようとした。だが、もう遅かった。ベトリアの水源を、バビロニア兵は完全封鎖してしまった出しい。井戸は干上がり、泉にもバビロニア兵がいるのでまさか水汲みになど行けるはずがない。彼らは顔を青くした。このままでは、乾くのを待てって死ぬしかないではないか。
信じられるだろうか?これが、たった丸一日もしないうちに起こった出来事だったのだ。半日で、バビロニア軍はベトリアの民を完全な絶望に追い込んでしまった。
さすがにこれには、オジアもなかなか強気な言葉を言えなかった。だってそうだ。水がなくては、どうやって助かるというのだろう。
彼はそれでもあきらめず、神に祈った。きっと神が雨を降らしてくださるはずだ、皆の者、神を疑うな、と、彼は言い続けた。

だが、状況は彼の思う通りにはいかなかった。水瓶の水は徐々に底をついてきて、老人や女子供などは早々に苦しみ始めた。それと同時に、食料もなくなってきた。
「してやられたか!」オジアは苦しそうにつぶやいた。「我々の町が真正面から乗り込めるものではないと分かって、じわりじわりと我々を弱らせる気だな」
「なんということでしょうか……」彼のそばに居たアキオルも言った。「何故……なぜ、ホロフェルネスは、こうも巧みにベトリアを封じられたのでしょう?初めて見るはずの土地なのに……」
その言葉に、オジアはびくりと反応した。アキオルは不審に思い、そのことを聞いたが、オジアはろくな言葉を言わなかった。
代わりに彼が言ったのは「祈ろう。祈れば、助けていただけるはずだ」と言う台詞だった。
だが、もはやそんなオジアの言葉は、ただの数日で意味のないものとなっていたのだ。ベトリアの民は口々に、バビロニア軍に降伏すべきではないか、誇りを失っても、渇き、飢え苦しみ死ぬよりはましだ、と言い始めたのだ。

オジアにカブリス、カルミスも、もはやその言葉を無視できなくなってきていた。神への信仰が大事とはいえ、民を無駄に死なせるのは、長老たる者のするべきことではないと思えたのだ。
彼らは苦渋の決断で、こう言った。
「五日だ。ベトリアに残っている水は、五日分だろう。もしも五日たって、神が我々を救ってくださらないのならば、我々は……屈辱ではあるが、バビロニアの軍門に下ろうではないか」


「聞きましたか!?奥様」
声を張り上げてミルツァが言った。
「あのオジア様が、とうとう、バビロニアの軍門に下ろうって……」
その言葉を聞いて、ユディトも心を痛めた。オジアがいかにユダヤ民族に、イスラエルに誇りを持っていたか、彼女は痛いほどにして散るからだ。
彼女は柳眉をひそめて、言った。
「……本当に、その将軍は……ホロフェルネス、と言う男は……一瞬でベトリアを封鎖してしまえたのね」
「はい。不思議な話だと、アキオル様も言っていました。まるで、ベトリアを昔から知っているようだって……」
そのことを聞いて、ユディトの顔がさらに曇った。ミルツァはそれを見て、おそらくはベトリアの絶望の故だと思ったのだろう、「奥様、お嘆きにならないでください、奥様」と言った。
「ベトリアにはまだ希望があります、奥様……!」
「ええ、ええ、ミルツァ……」
ユディトはとぎれとぎれにそう言い、ミルツァを抱きしめた。夫との間に子供の生まれないまま夫が死んでしまった彼女にとって、ミルツァは娘のように可愛がっている存在だ。
そして、ユディトは知っている。ミルツァもまた、これ以上なく信仰に厚く、イスラエルに誇り阻持っている少女なのだ。この状況は彼女にとって、身を切られるように辛かろう。
ミルツァと長く抱きあったのに、震える声で、ユディトは言った。
「……猶予は五日、有るのですね?」
「え?」
「私は……その間、行こうと思うところがあります。ともすれば……ベトリアを、救える、かも、しれません……」
彼女はとぎれとぎれにそう言った。

「ほ」ミルツァは驚いた。「本当ですか!?奥様!」
「……ええ……ミルツァ、このことを、長老様にもお知らせしておいで。もう一刻も余裕はないもの。……早ければ、早い方がいい」
「どこに、どこに行かれるのですか、奥様!?」
「……その将軍、ホロフェルネスのところにです。私は、彼と…和平の交渉をしに参ります。仰々しく武装した兵より、私のような女の方が、逆に、敵にも心を開くやもしれませんでしょう」


そのことを聞いて、ベトリアの民たちが驚いたのは言うまでもない。ユディトのような美しい女性が、敵陣に乗り込み……そして、どうなるか、考えられない彼らではない。だが、ユディトは言った。
「たとえ、どんなことになろうとも……可能性が、そう、この進軍を止める可能性がある限り、私はその将軍のもとに出向こうと思うのです」
だが、このような決断、彼女が一番つらい上に恐ろしいに決まっている。それに、このままではどっちみち、バビロニアに降伏する以外の選択肢はないのだ。ベトリアの民はいつもの通り、その発言をユディトの天使のように広い自己犠牲の精神と思い、彼女のために涙を流し、また、彼女を敬った。もはや、反対するにもできなかった。ああ、ユディト、貴方はなんと優しいのか。彼らの心が痛むのは、その彼女の優しさゆえにであった。
ミルツァも、彼女の主人に逆らいはしなかった。彼女は数年間女主人が着ていない晴れ着や宝石、化粧道具を引っ張り出した。彼女を最も美しく飾り立てるために。
自らの体、自らの誇りの危険にも構わずに、祖国のため死地に赴く勇敢で、途方もなく心優しい天使。彼らの眼に、ユディトはそう映っていたことは間違いない。

何故なら、ユディトが出発の直前、誰もいない自分の部屋で窓から差し込む夕日を受け、布団に顔をうずめながらうめいていた言葉を、誰も聞いていなかったからだ。彼女は、自分自身でもわからなかった。和平のために敵の手中に行くのか、それとも、かの将軍に、もう一度、自分は顔を合わせたのか。
「ああ……ああ、許して、ホロフェルネス。……お願いよ。この、ベトリアを、そして、私を、許して……」

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