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クリスマス市のグリューワイン

feat: Judith 第四話

《二日目》

夜になった。
ユディトは体を洗おうと、山の上の泉に昇った。ベトリアの水源になっているイズムだ。ホロフェルネスは彼女がそこで身を洗うことを許可してくれた。特に意図はなかったのだろう。
守りは手薄になっていた。もっとベトリアに近い方に守りを固めているのかもしれない。ユディトとミルツァはようやく、兵士が周辺に一人もいなさそうな一帯を見つけた。そこで水を汲んで飲んだ後、ユディトは裸になり、泉に身を浸からせた。ミルツァは周囲の見張りをしていた。
自分の肉体を洗いながら、彼女は昼間にホロフェルネスに言われた言葉と、そしてマナセの事を思い出していた。
思えば、マナセは無理に自分を満足させようと、一生懸命だった。結婚した時点ですでに老齢だったのだから、子種もとうに尽きている頃だろうに、それでもマナセは必死でユディトを抱こうと毎晩躍起になっていた。そしていつも、彼のものは固くなることはなく、ユディトは柔らかいままそれを無理やり押し込まれたりもした。本当のところ、ユディトが男のそれは本来固くなるものだということを知ったのは、結婚から三年もたった時だったのだ。
何も夜の事だけではない。マナセはとにかく、年齢を忘れようとしていた。若者ぶりたがっていた。もう隠居する年齢だろうに、必死で様々な仕事を引き受け、老体に鞭を打っていた。
三年と四か月前、マナセは畑の見張りをしている時に日射病で亡くなったのだ。その時の事もよく覚えている。自分はマナセに、影に入ることも、水を飲むことも、何度も勧めた。それでも彼はやせ我慢をやめずに、若い者達がするようにしていて、その結果死んでしまったのだ。
彼は自分の年齢をコンプレックスに思っていたのだろう、と、ユディトは思う。もっと言うなら、彼はひょっとすると、ホロフェルネスを常に意識していたのだ。自分とは違い、権力や金がなくとも、若さと美しさのあった彼を。そのため、自分もまた彼と同様に若いのだと自分に言い聞かせなければ、やっていけなかったのだろう。
ユディトにもはっきりわかることだった。彼はユディトに、本気で恋をしていたのだ。だからこそ、ホロフェルネスから奪い去る形になったことに、優越感と劣等感の混じるような複雑な感情を死の間際までずっと持っていたのだ。その感情を取り払うためには、自分は全ての面でホロフェルネス以上なのだ、放っておいてもユディトは自分の方になびいたのだと彼自身に言い聞かせるしかなかったのだろう。若さも、体力も、自分にはないものだ、それを補って余りあるものが自分にはある、と、彼はどうしても思えなかったのだ。思おうとすれば、若く活気に満ちた、自分とはくらべものにならないほど美しいホロフェルネスの姿が常に目の前に浮かんでしまったのかもしれない。ユディトは月の光を眺めながら、そのようなことを考えていた。夫の生前から、何とはなしに思っていたことではあったが、こうして改めて考え、そしてホロフェルネスに再開してみると、がぜんそれに説得力が増す。ホロフェルネスは一五年たった今も、美しかった。


不意に、ミルツァが「誰!?」と声を上げる。それに向かって、ユディトも反応した。満月の明るい寄りだし、ミルツァの持ったたいまつの光で、自分の裸体は明々と照らされている、
バビロニア兵か、と彼女は思った。その予想は外れてはいなかった。
だが、少し勝手の違うところがあり、姿の見えない彼はわぁと叫んだあと、、「ごめんなさい!ごめんなさい!そんなつもりでは!」と焦って叫び、慌ててがさがさと逃げて行ったのだ。まだ声変わりもしていない、幼い声だった。
バビロニア人生に来てからと言うもの、下品な舐めるような視線をむけられ続けていたユディトとミルツァにとっては、そのあまりに純情そうな声は非常に拍子抜けだった。彼女達は顔を合わせて、お互いに小首をかしげた。


その夜が明けて、ユディトとミルツァがバビロニア軍の奴隷たちを手伝って雑用の仕事をしながら陣営の中を歩いているとき、ふと、離れたところにポツンといる一人の少年兵を見つけた。彼はユディトを見るなり、顔を真っ赤にして目をそむけてしまったのだ。もしや、とユディトは感づき、彼に話しかけた。
「あの」
「は、はいっ!なんでしょうか!?」
彼は焦って声が裏返っていた。そして、その声は確かに、夜に聞いた斧と同じだった。
「……いいえ、なんでもないの。お名前は?」
「……メロダク、と申します」
「そう」
ユディトが笑うと、彼はますます真っ赤になってしまう。間違いない、昨日自分の水浴びにたまたま居合わせてしまったのはこの子だ、とユディトは確信した。まだほんの年端もいかない、ミルツァと同い年くらいにしか見えない少年だ。それでも、非常に育ちがよさそうな印象を受けた。バビロニア兵の不躾さも相まって、ユディトは彼に好感を持った。
「貴方、……気にしないでいいのよ、昨日の事は」
彼女は彼に笑いながらそう言うと、彼はいよいよ耳まで真っ赤になってしまい「は……はい」と言った。彼女はそれを、少し愉快に思った。
と、その時。宦官のバゴアスがやって来て「ユディト殿!おや、メロダクも」と言った。メロダクは彼を見て「おじい様!」と明るく言う。
ユディトは合点がいった。この二人は、祖父と孫なのだろう。バゴアスは宦官と言っていたが、おそらくは子供が生まれた後、宦官になったのだ。
「ユディト殿、孫と何かありましたか?」
「いいえ、何かと言うほどの事も……優しいお孫さんですのね」
「ええ、自慢の孫です」
バゴアスは流石に年の功があるらしい。上品な態度で、ユディトに接してくれた。
メロダクは顔を相変わらず真っ赤にしたままユディトに向かい合えない様子だったが、ユディトはそんな彼の事を可愛らしく思った。

「奥様?」
そこに、ユディトの変え売りが遅いのを心配したのか、ミルツァが現れた、メロダクはミルツァを見るなり「あっ……と声を上げ、その声から、ミルツァにも彼が誰だかわかったらしい。
「貴方……」
「ごっ、ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんです、信じてください、本当です!」
慌ててそう言う彼に、ミルツァも噴き出す。いくらなんでもここまででは、毒気も抜かれるというものだ。
「ミルツァ、私は気にしてないのよ、貴方もとやかく言わないでね」
「ええ、勿論です。奥様」
「あの……メロダクとの間に、何があったんです?」
「大したことじゃないんです、奥様にもメロダクさんにも、あんまり問い詰めないでください」
バゴアスは相変わらず腑に落ちなさそうな顔で、メロダクは照れ臭そうんしている。だが、ようやくメロダクも口を開いた。
「……あのう」
「なんです?」
微笑みながらそう言ったユディトに彼はせっかく落ち着いてきた顔をまた赤くしながら、それでもいった。
「……ネブカドネザル王やホロフェルネス将軍は、ユダヤ人を散々悪く言っていますが……そうでもないんですね。アキオルさんの言うとおり、優しい方がただ」
その言葉を聞いて、ユディトは一瞬面食らった後、「ありがとう、そう言ってくださって嬉しいわ」と彼に言った。
ミルツァも、悪い気はしなかった。「ありがとう」と、彼女も彼に向かって言った。
「お前も優しい奴だな、メロダク」
バゴアスは流石に立場上、こんなにこそこそ出会っても王や将軍の言い分を否定することはできないのだろうか、代わりにメロダクをそうやってほめた。


その日、ホロフェルネスはベトリアを見張っている兵たちの視察に来ていた。視察とはいえ、同づと言っては皆隊メインを取り繕うに決まっている。彼はわざとこっそりと影から、彼らをうかがった。
彼らはまさに、ホロフェルネスに対して愚痴を言っているところだった。
「いつになったら開戦するんだ、待ちくたびれるよ」
「大きな口叩いといて、あの将軍、かなり臆病なんだな!イスラエルの神を畏れているなんて」
「大体、あんな得体のしれない流れ者に将軍職を任されるなんてな」
「自分より若い奴に命令されるなんて、プライドが許さんよ」
「どんな手を使ったが知らねえが、あくどい野郎だ、ホロフェルネス……」
そのあたりで、ホロフェルネスはわざとらしく表の道に出て「どうだ、様子は」と大きな声で言う。彼らは慌てて縮み上がり「い、異常ありません!」と震える子和えで告げた。
ホロフェルネスは意味ありげに笑って見せ、彼らの怯えた反応を楽しんだとに「では、続けるがよい」とだけ言って立ち去った。後ろから、彼らの安どのため息が聞こえてきた。

所詮この程度だ、とホロフェルネスは思った。どの兵もいくら生意気を言おうと、自分が一にらみするだけですくんでしまう。
ベトリアの住民はさておき、彼らに至っては怒りの念もわいてこない。彼らが自分を軽蔑し、忠誠心などこれっぽっちも持っていないことなど、ホロフェルネスは知っていた。自分はまだ若いのだし、流れ者だ。武術の腕に自信がないではないが、そこまで超人的に強いわけでもない。せいぜい並の上程度だ。
それなのに、バビロニア王ネブカドネザルはこの討伐をするにあたって、ホロフェルネスを何の前触れもなく将軍職にした。ユダヤを討たせるためだけに、彼は将軍になったようなものなのだ。
コツコツと武勇を集め将軍にならんとしている軍人たちにとっては、わけもわからず流れ者のホロフェルネスがその立場になってしまうのは、さぞ面白くなかろう。だが、ホロフェルネスは別にそれで構いはしないと思っていた。
「(どれだけ他人に馬鹿にされようと……あの、砂漠で受けた屈辱よりは、数段ましだ)」
彼にはそう思えていた。そして、さらにこうも思えていた。彼は将軍になった際に王から賜った剣の柄を握りしめ、心に思った。
「(誰に好かれずともいい……ネブカドネザル様だけいてくだされば。孤独だった俺を拾い、俺に目をかけてくださったネブカドネザル様……あのお方こそ、神だ!あのお方のためなら、俺は何でもできる!そしてあのお方が俺に目をかけてくれる以上、たとえ世界中の人間が俺をさげすもうとも、俺の心は鉄のように傷つかずにいられる。神であるネブカドネザル様が、俺を庇ってくださるのだから!)」
彼は柄に刻まれたバビロニア王家の紋章を撫でながら、ついでに思い足した。
「(もっとも、ベトリアの民とユダヤ人共は別だがな……あれは、俺がこの世でネブカドネザル様の次に大切に思う存在を、母さんを、恥辱にまみれた死に追いやったのだから)」


その日、ユディトはホロフェルネスと会話する機会がなかった。夕方ごろ、彼とすこしでも話せればと思ったのに、それはふいになってしまったのだ。そのことの顛末は以下の通りだ。
いざ隙を見て向かってみれば彼の天幕は空で、バゴアスとメロダクが仲の掃除をしていたのだ。
「おや、ユディトさん、また会いましたね」
バゴアスとメロダクはそう挨拶した。メロダクはまだ照れているようだった。
「将軍閣下は何処かへ行かれておりまして……」
そう言ったバゴアスの隣で、メロダクが何かに気が付いたように言う。
「……ユディトさん、将軍閣下に、どのようなご用なのですか?」
彼は恐る恐ると言った風にそう聞いてきた。ユデイxトは慌てて言葉を濁したが、その答えは意外にもすぐに帰ってきた。
「和平の申し込みさ」
低い声で、後ろからホロフェルネスが現れたのだ。ユディトは驚いて道を開けてしまい、バゴアス達は彼に慌ててひれ伏した。
「和平……?」メロダクが顔を下げたまま言う。
「ああ、そうとも、その女、大層美人なのはお前の眼にも分かるだろう。その武器一つで、このホロフェルネスに慈悲の心を持たせられればと、そう思ってきた、それがこの女の魂胆さ。俺たちに寝返ったなどすべて嘘っぱちでな。特にメロダク、世間知らずのお前は覚えておけ。女とはこう言った生き物さ」
ホロフェルネスは早口でそう言う。ユディトは慌てた。
「おろおろするな。俺はこの話を、一応このバゴアスとメロダク以外にはしていない。俺は夕食まで昼寝する、バゴアス、誰も俺の天幕に入れるなよ」
彼はそう言いきって、天幕のカーテンを閉め切ってしまった。それで、ユディトはそれ以上彼と会話できなかったのだ。


「あの……」
その話が終わって、メロダクは目を白黒させていた。ユディトはバビロニア軍に潜入した自分の魂胆をばらされて顔を青くしたが、やがて彼は笑ってこう言った。
「……安心してください。ぼく、皆さんに言うつもりないですから。……ユディトさんは、本当にお優しいんですね。敵も味方も、無傷で済む方法を考えてらっしゃっているんですね」
メロダクのその無邪気な笑いが、ユディトにとっては心の救いにもなりそうだし、また同時に、心を痛めつけるような気もした。
バゴアスの方は反応に困っているようだったが、やがて彼も穏やかな笑いを浮かべ「ご安心を。私とて、このことを言いふらすつもりはございません。……だいたい、この戦自体、立て続けに怒って少し無理のある代物なのです。和平で済むならそれが一番いいのです。バビロニアの兵隊たちにとっても。それに、不可解なことも多いですが……貴方は、信じられるお方と言う気がするのですよ、ユディトさん」と穏やかに笑った。
「平和のうちにすむなら、それが一番なのです。戦など、なければないだけ良い」
「僕も、おじい様と同意見なんです……戦争は、嫌いです。だから……貴女に騙されたなんて思いません。むしろ、尊敬します…」

ユディトはとにかく、心優しい、とんでもないお人よしと言ってもいいかもしれないこの老人と孫によって、ひとまず自分の立場が崩れなかったことをまず神に感謝し、次に彼ら自身に深く感謝した。

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