FC2ブログ
 

クリスマス市のグリューワイン

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

feat: Judith 第七話

《四日目》

夜が明けた。ユディトはもう、気が気ではなかった。
ミルツァはゆっくり休ませている。彼女は侍女でありながら女主人の世話ができないことを気に病んでいたが、あんな状態の彼女を働かせられるわけがない。
ミルツァを責めることはできない。何を言ってホロフェルネスを怒らせたのは分からないが、自分と、そしてユダヤのためにしてくれたのだ。ユディトにはそれがわかっていた。
ああ、いっそ自分が、過去の偉大な預言者のように、本当に神に愛された存在であったら。彼女はそう願った。しかし、願ったところで何も変わらない。
時分は、モーセでもなければ、エリヤでもない。神の力を借りて民族を救うなど到底できない女にすぎないのだ。美貌はある。もしもホロフェルネスがただの他人の男であれば、あるいは自分の色香に迷った彼を殺してしまうこともできたかもしれない。だが、相手は自分が一度捨てた男なのだ。そんな風に都合よく行けば何の苦労もない。
それでも、とユディトは決心を固めた。
それでも、やらなくてはならない。やらないことを、体が許してくれないのだ。正義と慈愛の心に満ちた天使、と言われて育った彼女の体は、すでに彼女が正義を捨てユダヤを捨てることを許してくれなかった。彼女は、そういうふうに育ってきたのだと、自分の事を始めて実感した。ベトリアの天使と言う自分の本質から逃れることはできないのだと思い知らされることは、彼女の人生の中で今をおいて他にはなかった。
諦めない。諦めなければどうにかなるはずだ。でも、どうやって?分からない。どうともなるはずがない。それでもなんとかなるはずだ。彼女の思考はもうぐちゃぐちゃに混乱し、彼女自身もどうすることもできないほどになっていた。そしてなお、彼女の心は、彼女がそのままでいることを許してくれず、焦燥感は募るばかりだった。

朝になった時、ホロフェルネスの方からユディトの前に姿をあらわした。
「どうだ、ユダヤの神から、ベトリアを見離すという託宣はあったのか」彼は薄笑いを浮かべてそう言った。昨日彼女の侍女に乱暴を働いたことは、当然何の罪悪感もわいていない様子であった。ユディトはそんな彼に震えながら「……まだです」と答えた。事実、まだだ。自分に預言など下るはずがない。
「そうか、まあよい。今は追放してしまったアキオルに責めて誠意を払うためにも、俺たちは待つぞ。一週間でも、一か月でも。食料の補給は十分にあるからな」
ユディトは一瞬だけその言葉にほっとしたが、間もな句、それはだめだということに気が付いた。一週間に一か月?それほど包囲戦が長引いてしまえば、ベトリアの民は全員飢えと渇きで死んでしまう。彼女は止めるために何か言葉を発しようとした。だが、ホロフェルネスは「それともまさか、どうぞ今すぐベトリアに攻め込んでくれ、なんて言わないよな?」と厭味ったらしく言い返してきた。彼女は、黙るしかなかった。
ああ、神よ。神よ。貴方がどうにか言って下されば。あの敬虔なベトリアの民を救ってくだされば。ユディトは必死で神に祈った。しかし、頭の中は空っぽのまま、神を感じることなどできなかった。
ホロフェルネスは彼女を嘲笑すると、そのまま立ち去って行った。


「バゴアス」
自分の寝台を治しに来たバゴアスに、ホロフェルネスは言った。
「兵たちに発表するつもりだが。これから、ベトリア包囲は続ける。だがベトリアへ攻め込むことはない」
「?なぜですか、閣下……」
バゴアスも最初は、ユダヤの神が彼らを見捨てるまで待つと言った旨の発言に絡んだことだと思っていただろう。だが、それはいつ来るかわからないではないか。それなのにはっきり「ベトリア包囲を続ける」と言った彼の意図を、すぐには理解しかねなかったのだ。だが、しばらくすると、彼はその恐ろしさに気が付いた。
「か、閣下、それでは」
「ああ……俺は、最初からユダヤの神なんぞの託宣を待つ気はないさ。待つ気はないが、ベトリアにすぐ攻め込むつもりもなかった」
ホロフェルネスは戸惑うバゴアスを面白そうに眺めて言った。
「俺はだな、ベトリアの住民を、剣で楽に死なせてやるつもりなど毛頭ない。奴らは全て、渇きと飢えに苦しんで苦しんで、苦しみぬいて全滅させるのだ。それが俺の作戦だ。あの女奴隷共のように、バビロニアに、ネブカドネザル様に跪き惨めな奴隷になる覚悟を決めたもの以外は全員ユダヤの神を信じて、そのまま苦悶のうちに死ねばよい」

バゴアスはそれを聞いて、さすがに背筋に悪寒が走った。この将軍は、なんと残忍な勝利を望んでいるのか。だが、ホロフェルネスの端正な顔は、本当にそれを考えて楽しそうであった。
「(そう……これだ。これがふさわしいんだ)」ホロフェルネスは一人、考えていた。「(あの日、砂漠に追いやられた俺たちの悲しみと苦悶を、お前たちもたっぷり味わえばいい。水が飲めずに体が燃えるように火照るあの感覚を。汚い虫をつぶしてでも水分を必死でとったような、あの惨めさを。お前たちもあいわえ。そして干からびて死ぬがよい。投降してくるならよかろう。俺たちが受けた仕打ちのように、俺はお前たちを人間とも思わない扱いにしてやるのみだ。忌々しいベトリアめ、これがお前らの罪だ)」

ホロフェルネスは気が付いていた。それを天幕の外から聞いている存在を。だが、気が付いていて、無視した。彼にとっては誰もどうでもいいのだ。自分を含め、誰も、人間ではない。人間は、自分の母がいただけだ。そして、神として、ネブカドネザルがいるだけだ。後は全部獣と大して変わらない。それがホロフェルネスの世界観だった。


息を弾ませて、ユディトのもとにやってくる少年の姿があった。メロダクだった。
「メロダクくん!?」ユディトは彼の必死な形相に驚いた。周りに人がいないのを確認して、メロダクはまだ声変わりもしていない声をひそひそと小出しにして、ユディトに今しがた自分が聞いてきたことを語った。
「……将軍閣下は、最初から……ベトリアを、まともに殺す気などなかったのです。あの方は……ベトリア住民全てを、苦しんで死なすつもりなのです」
ユディトはそれを聞いて、めまいを覚えた。彼女にはわかった。ホロフェルネスの思いが。まさに彼が考えていたことが、彼女の頭にも浮かんだのだ。彼は、思い知らせるつもりだ。ベトリアから見捨てられた彼と彼の母がどんな思いをしたか。ただの剣の死では生易しいのだ。もっと、もっと長く続く苦痛を与えなくては、ホロフェルネスの気はすまないのだ。
ユディトはめまいのあまり、そこにへたり込んだ。ホロフェルネスの憎しみの底が見えない。彼の中にある人間的な情に訴えかけることが、日を経れば減るほど、不可能に思えてくる。人はここまで、憎しみに満たされることができるものだろうか。彼女は恐ろしくなった。ホロフェルネスに残る人間的な状。それが、ユディトが唯一頼れる一縷の望みであるというのに。それを壊してしまったのは、間違いなく自分たちなのだ。ベトリアなのだ。
そっと肩に手が置かれた。柔らかい手。メロダクのものだった。
「ユディトさん」彼は穏やかに、優しく語りかけた。「お可哀想に」
「ありがとう」
ユディトは、その黒葡萄のような目からころころと涙の玉を転がして、静かに泣いた。気が付けが、メロダクが彼女の顔を抱いて、自分の胸に押し付けていた。何か言おうとしたが、それよりも絶望のあまり泣きたくて、ユディトは彼に身を任せたまま泣いた。
「将軍閣下も、相当おつらかったのでしょう」メロダクは言った。「でも……あまりに、常軌を逸しています。先日ミルツァさんになさったこともそうですし。そして……ユディトさん。貴方は、こんなに優しいのに、将軍閣下のおかげで、こうもなくはめになる」
彼はユディトの背中を撫でた。ユディトの裸を見てしまい照れて慌てる少年らしい情けなさはなく、彼がしっかりと一人の男であることを、その手触りが物語っていた。
「……僕は、ここ数日で、どんどん将軍閣下が嫌いになります。誰も、人間とも思っていない。ただでさえむごたらしい戦争を、さらにむごたらしくする。全てはネブカドネザル様のため、そう言って……」
彼はユディトをなだめながら、そう語った。ユディトは涙をぬぐって、彼の顔を見上げた。その手つき同様、きりりと引き締まった彼の顔は、立派に、男のものであると思えた。
メロダクは、今度はユディトの眼をしっかり見ると、言った。
「ユディトさん。僕、貴女が好きです」
彼は唐突にそう言ったはずだった、。だが、ユディトにとっては特に唐突とも思えなかった。彼がそう言うことが、わかっていたような気がしたのだ。
「貴女はお美しい。貴女は清廉なお方です。正しく、勇気ある人です。平和を愛する、心優しいお方です。まだ、出会ってから何日もしていないのに、とお思いでしょうね。こんな子供がませたことを、とお思いでしょうね。でも、僕は貴女が好きです。貴女の、全てが好きです」
ユディトの眼から涙がこぼれるのをやめたのを見届けて、メロダクはそっと両手を彼女から話した。
「あなたの幸福のためなら、僕は何でもできます。バビロニアを抜け出て、貴女の故郷で、貴方に求婚したいとすら思っています。僕自身も、ユダヤ教に改宗して……」
「メロダクくん」
「もう一度言います。貴女の幸福のためなら、僕は何も怖くありません」彼はそう言って、立ち上がった。
「将軍閣下をこのままにはしておけない」
「メロダク君、何を!?」
踵を返した彼にユディトはそう叫んだ。彼は、後姿のまま、言った。
「平和にすめば、それでいい。あの方も人間です、平和の素晴らしさが心にしみないことはない……そう信じたいですよ。でも、あの冷酷な耳がそれを聞き届けないなら……どんな手段をしても、僕は、ベトリアの包囲網をとかせて見せます」
彼はそう言って、立ち去って行ってしまった。


「将軍閣下、貴方様のしもべメロダクが謁見することをどうかお許しください」
そんな丁寧な言葉を聞いて、天幕の中にいたホロフェルネスは「入れ」と言った、天幕の戸が開いては言ってきた彼の顔を見て、ホロフェルネスは面白そうに言った。
「良い面構えになって来たな。気弱なお前でも、戦場に居るうちに、軍人の風格を身につけてきたか」
「お褒めの言葉を賜り、光栄でございます」
「して、何の用だ」
紫布の寝台に足を汲んで腰かける総軍に、メロダクは頭を下げた姿勢で言葉を投げかける。
「先ほど塀に向かっての発表がありました、ベトリア包囲についてです」
「なんだ、何か悪い事でもあるのか?戦いは不得手なお前なら、嬉しくない令ではあるまい」
「閣下、あれは……ベトリア住民を飢えと渇きで皆殺しにする作戦ではないのですか?彼らの食料や水の補給路を、我々は全て断っているのですから」
ホロフェルネスは無論、わかっていた。わかっていたからこそ、彼は芝居がかかった笑いを含み「お前にしては上出来だ、その通りだ。それで、何の問題があるのかね?」と言った。
「無駄な血を流さずに済むのだぞ。悪い策戦ではないはずだ」
「いいえ……いくらなんでも、むごたらしすぎます。それに、その作戦だと、ベトリアの兵士たちではなく、民間人まで殺してしまうことになる。それは戦の流儀に反します」
「問題ない。ユダヤ人たちは彼らの歴史の中で、よく行っていたことだ」
「それとこれとは違います。時代も国も違います。このような残酷な戦争は……ネブカドネザル国王陛下のお顔に泥を塗りましょう。……かえって、ユダヤ人を生かしてやった方が、陛下の慈悲深さを物語ることになるかもしれません」
敬愛する王の名を出されて、ホロフェルネスは今度は自然な笑い方でははは、と笑った。
「なるほどなるほど。それはその通りだ。……もし、ネブカドネザル様が、この戦に赴くにあたって、俺にユダヤ人は老若男女全てに至るまで容赦するな、殺しても全くかまわん、お前の好きにするがよい、ただ、一切の情けは許さない、という命令さえ下していなければ、の話だが」
「なんですって」
メロダクはそんな会話のことなど当然知らなかった。ホロフェルネスは続ける。
「あの方は、俺以上にユダヤ人を嫌っておいでなのだよ。自分を侮辱したどの民族よりも、特別にね」
「そんな……」
メロダクは頭を抱える。ホロフェルネスはそんな彼に、何も言わなかった。
「でも……戦争は……こんな惨いことは……止めなくては……もっと、平和的解決が……」
「戦争が嫌いか?平和が好きか?」ホロフェルネスは相手の口が開いたのを見届けて言う。「ならば、いっそ死んでしまえ。お前は今この時代に生きるのに向いていない」
「将軍閣下……!」
「お前ひとりの言葉など、俺に何の価値もない。俺はネブカドネザル様のための忠実な駒。あのお方の命令がある以上、俺はいかなる情けもベトリアにかけんつもりだ」
「……ユディトさんは、何なんですか?」
メロダクはそうつぶやいた。
「ユディトさんに乱暴しようとした人たちを、無残に殺したことは?」
「話を聞いていなかったのか?ネブカドネザル様に剣序数る女に手をつけようとしたものを殺した、それのどこに不具合がある」
「……うそばっかり!」
メロダクは突然、今までの声色と打って変わるような大声を出した。それに、さすがにほろふぇねすも一瞬戸惑った。
「何……?」
「全部ウソだ!あなたの母親がどうとか、ネブカドネザル様がどうとか!」
「母さん!?」彼は驚いた。「メロダク、何故貴様が俺の母さんの事を知っている!」
「ユディトさんとミルツァさんから聞いたんです!」メロダクは責め立てるように言った。「あなたはそんな大義を抱えて、ベトリアを、ユディトさんたちを追いつめてるつもりですね!でも、違うんでしょう!あなたは、今でもユディトさんが好きなんだ!」
その言葉を聞いて、ホロフェルネスはすっと顔色を変える。
「なに……?」
「貴方はまだユディトさんが好きなんだ、彼女に未練があるんだ!だから、貴方とユディトさんを引き離した故郷が許せないんでしょう!ユディトさんに触れようとする人たちが許せなかった、彼らに嫉妬した、ただそれだけの事でしょう!」
その時だった。
ひゅんと空気を切る音がして、メロダクの顔に激しい痛みが走った。と同時に、彼の顔から血が出た。ホロフェルネスが、馬用の鞭で彼を叩いたのだ。
彼の顔は、怒りに染まっていた。
「言うに事欠いて……俺が、ユディトのためにベトリアを憎んでる?ユディトを取られることに嫉妬していた?この俺が?」
彼の声はわなわなと震えていた。
「だって」メロダクは痛みに耐えながら言った。「自分に何の利益もないのに、動く人なんていますか?」
「いるんだよ、それが」ホロフェルネスはまっすぐに血の切れ込みが入ったメロダクの顔を見つめて、無機質な声でそう返した。
「良い家に生まれて、祖父たちに愛されて、ぬくぬく育ってきたお前にはわかるまい。自分の幸せを望むこともできなくなった、それほどの不幸が、この世に存在するということを。お前にはわかるまい。恋だ愛だというものは、ずっと続くと信じているような、もの知らずの小僧には、俺の気持ちは一生わかるまい。俺の感情も、俺の憎しみも、お前たちの間には、所詮、他人の同情を引きたいがための自己憐憫のわがままとしか映るまい」
彼はもう一度鞭をふった。それは、メロダクの腕を直撃した。あまりに激しくたたきつけられ、メロダクは、出血するのみならず腕がしびれてしまった。
「俺はただの獣さ。お前たちと同じ、ただの下等生物だ。だから、俺を侮辱した罪については許そう。俺は所詮、侮辱されてもよい存在だ。だが、お前の罪はほかにある」
痛みへの喘ぎ声を必死で覆い隠そうとするメロダクをつまみあげて無理矢理立たせ、オロフェルネスは言った。
「お目の罪はだな、俺の母と、俺の敬愛するネブカドネザル様を侮辱した罪だ」
「えっ?」
メロダクはそう言って見せた。ホロフェルネスは続けた。
「お前が言ったのはそう言うことだ。まるでユディトさえ手に入れば、俺がこの復讐をやめたとでも言いたげだな。本当はネブカドネザル様で泣く俺がユディトを欲しいのだと言いたげだな。それはつまり、お前の考える俺の中では母が殺されたこと、ネブカドネザル様の誇りよりも、ユディトが俺のそばに居るか否かの方が重要事項であるようだ。……おまえは、俺の母と、そしてネブカドネザル様以上に、ユディトのほうがずっと価値ある存在だと、確かに言ったのではないか!あんな偽善者の売女が!なぜ俺の母と偉大なる王よりも大切なのだ!ええ、言ってみろ!お前は、俺の母とネブカドネザル様を、あのユダヤ女以下の存在と貶めたのだ!なんたる侮辱、なんたる大罪だ!」
彼はメロダクの着物を脱がせ、全裸にした。そして彼をつまみ上げたまま天幕の外に出た。外にいた兵士は、顔面を一文字に切り裂かれたメロダクを見て驚いたが、ホロフェルネスはそんな彼らに向かって言った。
「聞け!この小僧は、ネブカドネザル様を侮辱した!寄って、公開処刑とする!手の空いているものは濃い!この姿をあの破廉恥な二人の兵隊と同様に見せしめにするのだ!」


その声に、勿論ユディトも駆け付けた。「メロダクくん!」彼女は悲痛な叫びをあげた。
ああ、やはり無理だったのだ、ホロフェルネスを説得することなど。それどころかミルツァと同じく、彼の逆鱗に触れてしまった。その絶望も大きかったが、彼女はそれ以上に、メロダクの痛々しい姿の方に心を痛めた。メロダクは彼女の方を見たが、すぐに目をそらしてしまった。
「か、閣下!」そう言ってホロフェルネスの前にまろび出てきたのは、バゴアスだった。
「お許しください、孫が、何をいたしましたか」
「侮辱してはならんものをこいつは侮辱した。万死に値する発言をした。それだけだ」
「閣下!お慈悲を!」
バゴアスは地面に突っ伏し、土下座してホロフェルネスに頼み込んだ。
「私どもの息子夫婦が早世してからと言うもの、この孫だけが私の生きる望みでありました。孫の成長を楽しみに、今日という暇で生きてきたのでございます。孫の罪ならば私目がいくらでも償います、どうかお慈悲を!まだ若い子でございます、将来のある子でございます!お慈悲を、お慈悲を!」
ホロフェルネスは彼を見もしなかった。「どけ」と一言だけ言って、地面にうずくまるバゴアスを激しく蹴り飛ばした。彼はうめき声をあげて、地べたに転がった。
「貴様一人の命で替えがきくほど、こいつが汚したお方の誇りは軽くはない」
ホロフェルネスは兵隊にバゴアスを押さえつけるように言った。兵隊たちは躊躇しているようだった。バゴアスは長年群で宦官をしてきた身であるし、彼らとしてもホロフェルネス以上に親しく思っていた相手なのだから。だが、ホロフェルネスの剣幕の前に、とうとう兵隊たちもバゴアスを泣く泣く押さえつけた。
「お慈悲を、お慈悲を、閣下」
「黙れ!俺の母親と、ネブカドネザル様!この世で最も辱めてはならん存在を、この小僧は侮辱したのだ!」
ホロフェルネスは激しくメロダクに鞭を打ち込んだ。鞭が打たれるたび、彼の少年らしい、まだなめらかな皮膚が避け、赤い血が吹き出た。メロダクは必死で、苦悶の声を抑えているようだった。
首きりならいざ知らず、鞭打ちでは人は簡単には死なない。わかっていて、ホロフェルネスはむち打ちを続けた。解放する気などなかった。彼が死ぬまでやるつもりだった。バゴアスは、声がかれるほど、孫を許してくれ、すまない事をした、お慈悲を、と繰り返し続けていたが、それすらも彼の皮膚を切り裂く鞭のしなる音にかき消されていくような思いだった。一つ、また一つ、地べたに血が飛び散る。メロダクの体は真っ赤に染まっていった。それでもホロフェルネスは鞭打ちをやめなかった。彼の最も愛する者二人を侮辱された怒りは、彼をこのような行為に駆り立てたのだ。本当はもっと、もっと残酷な処刑法すらしてやりたい気分だった。だが、もうそのための準備をすることすら惜しいのだ。この小僧を一刻も生かしては置けない。その気持ちもあった。ユディトが自分にすがり寄って、また愛の言葉をささやけば、自分がベトリアを許すと思っているのか?ネブカドネザルを裏切ると思っているのか?ばかばかしいことだと彼は考えた。所詮、この血にまみれた小僧は、それしきの不幸しか経験してはいないのだ。不幸を自慢しても何にもならない事は確かだが、しかし、自らの気持ちを預かり知りもしないものに、訳知り顔で何かを言われたくなどない。ましてや自分の亡き母に対する無限の愛情と、ネブカドネザルに対する至高の敬愛を否定され、なぜ黙っていられよう。自分はもう、自分を愛する事さえできないのだから。彼らへの愛を失えば、もう、何をすればいいのかもわからないのだから。

数時間が経った。体中を余すところなく赤に染められたメロダクだったものは、ピクリとも動かず、ただの肉塊になり果てた。ホロフェルネスは満足そうに息を切らした。
「死体を片付けろ」
彼はそうとだけ言った。バゴアスが枯れ切った声で言う言葉など、もはや聞こえもしなかった。
彼は感じた。自分は今、軽蔑されている。無理もない。戦いが苦手だったとはいえ育ちもよく謙虚で、、自分にできることを必死にやっていたメロダクを好ましく思うものも多かったのだ。第一、年端もいかない者でもある。それを、こんな無残な殺し方をして、と自分を軽蔑するものが多く出ることくらい、彼にはわかっていた。だから、どうしたというんだ。彼らからの尊敬などいらない。ネブカドネザルの駒であり続けられれば、自分はそれで十分なのだ。
彼は踵を返し、天幕に帰っていった。

「おお……」
バゴアスはようやく兵士たちから解放され、変わり果てた孫の死体を抱いた。
「痛かっただろうね、つらかっただろうね。メロダク……お前みたいないい子が、なぜ、こんな目に……」
バゴアスは泣きに泣いた。そのほかのどの兵士も、それをとがめられなかった。バゴアスは宦官の服を孫の血にまみれさせ、そして、きっとホロフェルネスの天幕を睨みつけた。

スポンサーサイト

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。