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クリスマス市のグリューワイン

feat: Mary and Joseph 第一話

その日は、暑すぎない気持ちのいい日だった。白百合の花弁が柔らかな日差しを反射して、陽光に輝いていた。
神殿の改装工事にやって来た大工たちの一団。マリアはその中に、一人の少年を見つけた。そして少年もマリアを見つけたのだ。これが、二人の出会いだった。


「これからお世話になります、祭司の皆様方」と、大工の棟梁が頭を下げる様子が、窓から見えた。マリアと、彼女と同じように神殿に仕えている少女たちは、みんな面白がって窓からその様子を見ていた。
ヘロデ大王がこのエルサレム神殿を大改築しようとしているという話は聞いていた。「かのソロモンの神殿よりも豪華に、壮麗に」……それが、王の望みだった。
「どの人がかっこいいと思う?」少女たちの黄色いひそひそ声が飛び交う。「仲良くなれるかも」
大して本気で言っている言葉ではない。少女たちの戯れに過ぎない言葉だ。神殿という頭の固い空間で育てられている少女たちが、まさか神殿の工事にかこつけて男を漁るほど道徳的に退廃していたはずはない。だが、そのような厳しい空間に身を置かれた少女たちの数少ない楽しみの一つが、祭司たちの目を逃れての男の品定めであったことも確かだった。
やはり大工だけあって、きらびやかさや洗練された様子はない、汗臭そうな、野暮ったい男たちばかりだ。それでも彼女達は楽しそうだった。いくら洗練されてないと言ったって、普段彼女達が顔を合わせるような神殿に居るよぼよぼの祭司たちよりいくらかましだ。
「マリア、あなたは?」彼女の隣の友達が言った。マリアは少し悩んだ後「やっぱり、あの子!」と、かんなを持って列の後ろの方に立っていた見習いらしい少年を指さした。大工たちの中でも群を抜いて、彼は若かった。それなのに彼は不思議と、見習いらしくおどおどした様子がなく、堂々と立ってエルサレム神殿を見つめていたのだ。そこが、彼女の目を引いた。
若いということもあって、彼を指名している子も少なくなかったのもあり、彼女の言葉は多くの同意を得られた。「やっぱり、若くなくっちゃね!」「私もおじさんは嫌だなぁ」という声が飛び交う中、マリアはふと、彼の視線がこちらに飛んでくるのを見つけた。
「やだ、見つかった?」「こっち見た?」彼女達は相変わらず、ひそひそ越えではしゃぐ。大声ではしゃいでは、祭司たちに大目玉を食うからだ。マリアは、彼と間違いなく視線をあわせたような気がした。


マリアは三歳の頃から神殿に仕えている。両親とは時々顔を合わすが、家よりも神殿で暮らしていた時間のほうがずっと長い。彼女がそんな生活を送っていたのにも、少し特別なわけがあった。話は、マリアの産まれる前にさかのぼる。

「出て行け!」と、ルベンという名の祭司に暴言を浴びせられ、老人は倒れた。彼は祭壇をまつってあった低い階段から転げ落ちた。彼はユダ族で、名前をヨアキムと言った。
彼に持ってきた生贄の羊は、彼が倒れて手綱を話した拍子に一目散に逃げて行ってしまった。
「ああ」と、彼は手を差し伸べた。だがすぐに後ろから「追う必要などなかろう。貴様の捧げものなど無意味だ」と、冷たい声を浴びせられた。彼は、そう言われるとどうしようもない気分になり、手を引っ込めてしまうのだ。
一人の男が駆け寄ってくる。「いい加減にしないか!」と抗議する声。「私の親戚だぞ」
別の祭司が、倒れたヨアザルを助け起こした。彼はザカリアと言った。先ほどの言葉通りヨアキムの親戚の男であった。彼はヨアキムに傷や骨折はないか心配をした。幸いにも、大きなけがはなかった。ザカリアはほっと胸をなでおろすと「あんまりと言えばあんまりじゃないか。彼は、祈りに来ただけだぞ」と言った。
「彼は我々と同じくユダヤ人だ。ユダヤ人の中でも、神を熱心に信仰するものだ。……それがなぜ、神への礼拝を拒否されなくてはならんのだ」
それは、エルサレム神殿で起こったことだった。羊はもうとっくにどこかに行ってしまった。神殿商人の声が乾いた空気にこだまする。後ろで祭司が、別の参拝者の生贄を燃やし神に平穏を祈っている様子が、皮肉にも、ヨアキムにははっきりと見えた。
「神様に、祈らせてはいただけませんでしょうか」ヨアキムは痛みに耐えながら言った。「生贄ならば、また買ってまいります」
だが、彼を突き飛ばした張本人であるルベンは、階段の上からなおも彼を嘲笑するのだった。
「思い上がりめ。なぜ神が、貴様の祈りを許すと思っている。……この、子無しの分際で!」
ヨアキムはそれを言われ、顔を伏せてしまった。「おい!」とザカリアは抗議する。
「彼は、子宝に恵まれるように祈りに、ここに来たんだぞ」
「そいつは何歳だ?そいつの妻は?……老人じゃないか!我々はよく知っているぞ」ルベンは続ける。
「主は最初の人間にこう言われた。『産めよ、栄えよ、地に満ちよ』……子を産み、育てる事こそ、我らが務め。前はそれを怠る不心得者だ。なぜ、神に祈る権利がある?よいか、普通に暮らしていればできるんだ、子供というやつは!主がそうお作りになられた。もしもお前たちが普通に暮らしてもできないのならば……貴様の体が罪に穢れている!主がお怒りになられているということなのだ!この神殿に罪人を入れるわけにはいかん。どちらにせよ、貴様がこの神殿に入り、厚かましくも神にすがる権利などないのだ。何回言えば分かる!?」
「ヨアキムに罪などない!」ザカリアは言った。「この男は私が知る限り、善良な男だ」
「ザカリア。お前は結婚して何年だ?」ルベンがまたしても言う。「お前の所にもなかなかできないようだな……子供が」
それを聞き、ザカリアの顔もこわばる。
「罪びとは罪びと同士庇いあうものだ。……出て行け!ここは神聖なユダヤ人のみが入る場所だ。不心得者の来る場所などではない!」
彼は無理矢理追い出された。神殿の門の所で、彼は再び倒れた。神殿の門に居る気のふれた物乞いの老人が、じっと彼を見下ろしていた。


エルサレム神殿を追い出され、ヨアキムはさまよった。彼は、六十五になる。妻のアンナは六十二歳だ。ヨアキムは裕福な商人だった。生活には困らなかった。だがしかし、この年まで子供に一人も恵まれなかったのだ。
当時、不妊症に対する理解は現代よりも格段になかった。子供はできて当たり前、できない場合はただの「異常」とみなされる世界だった。

自分達の間に子供ができにくいということを、ザカリアはいつの間にか知っていた。だからこそ彼は、より道徳的に、より敬虔なユダヤ人になろうと努めた。神を信じればいつかアンナに子供が出来ると信じた。だが、数十年たっても、その傾向は現れなかった。アンナの月経は当然、とっくの昔に止まった。それでも、彼とアンナは、希望を捨てなかったのだ。
親戚の心優しい祭司であるザカリアが、彼ら夫婦の心の救いだった。ザカリアとその妻のエリザベトも、不妊に悩まされていた。彼らはみんなして、よく神に子をささげてくださいと祈ったものだ。
神を思い神に祈る時間が、間違いなく、ヨアキムにとっては幸せだった。

だからこそ、祭司ルベンから受けた言葉は彼の心を酷く痛めつけた。
自分が神の怒りを受けている。神が自分を罰している。自らの罪ゆえに……無責任で意地悪な祭司が言っただけの言葉も、彼には深刻なことだった。祭司とは神と人間を媒介するものだ。彼らからの言葉は、神からの言葉も同じだった。
彼は、アンナのもとに帰る気をなくした。自らもつらい思いをしながらも、笑顔で献身的に自分を支えてくれる妻の笑顔を、見たくはなかった。その笑顔を壊してしまうことを、彼は酷く畏れた。
彼はエルサレムの黄金門をくぐり抜け、着の身着のまま山に向かったのだった。

「偉大なる義人たちは、残らずエルサレムに子孫を残したものだ」
ザカリアは誰に言うでもなく、そう言った。歩きに歩いて、荒野についていた。
「私のように不妊に悩まされたアブラハムのもとにすらも、イサクという子供が生まれた。第一、彼はその前に妾との間にしっかりとイシュマエルを作っていたのだ。私は……私は子供を残さずじまいだ。神が私を見捨てるのもわかるというもの」
子供を持った物乞いの家族の方が、裕福で子のない自分たちの家族よりも豊かで、また、神に敬虔に従う人間たちのようにすら思えた。彼は、悲しみに打ちひしがれていた。町に帰るのが怖かった。
それでも、彼の心を住んでのところで支えているものがあった。それは、彼の変わらぬ神への信仰心だったのだ。
彼は言った。
「ですが主よ、私はそれでもあなたを信じます。神殿に入れぬのならば、この荒野で祈りをささげましょう。偉大なる先人たちがそうしておりましたように。この男をどうか憐れんでくださいませ。我が罪を、お許しくださいませ」
おあつらえ向けに、遊牧民が捨てたのであろうぼろぼろのテントを見つけると、彼はなんとか穴だらけのそれを張りなおし、その中に寝そべった。すでに、夜となっていたからだ。彼は飲むことも、食べることもなく、一人、荒野で神に祈ろうと思った。神へ、祈りが届くまで。

ヨアキムの行方不明を受けて、アンナがどれほど悲しんだことだろうか。周囲の者は皆、行方不明になったヨアキムが死んだものだとばかり思っていた。アンナも例外ではなかったのだ。
子供もないままついに未亡人となってしまったことを、アンナは何日も何日も、深く嘆いた。彼女の侍女たちが彼女を慰めようとしても、一切が無駄だった。ヨアキムから、神殿で何があったかも、彼女は残らず聞かされていた。夫の苦しみの原因が自分にあるのだと思わない彼女ではなかった。
せめて自分さえ、自分さえ子供を生める女であれば。彼女は嘆き悲しんだ。

そんな彼女の転機になったのは、ユディトという女奴隷がこう言ってきたときだった。
ユディトは「奥様」と、あくまで優しく彼女に語ってきた。「お嘆きにならないでくださいませ。もうすぐ、お祭りの日ではありませんか」。
敬虔なアンナならば、毎年、嘆くことなどなく祝う『主の偉大な日』が、その時近づいていた。ユディトは小さな手に豪華な装飾を施したディアデマをもって「さあ」と、女主人に手渡したのだ。
そのディアデマを巻いて、女主人に着飾って、せめてもの悲しみを癒してほしい。目の前のあどけない女奴隷がそう思っていたというのが、アンナに分からないことはなかった。だが、彼女は、分かっていてその心遣いを疎ましく思ったのだ。子供を産めない自らに心を痛めている分、彼女は他人の優れたところがたまらなく嫌なものに見えてきた。
彼女は悪いことだと分かりつつ、「おだまり!」とユディトの手をはねたのだ。ディアデマが床に落ちた。小さな宝石が床に落ちて音を立てた。
「そんなことしません、ええ、しませんとも!なんて子なんです!あなたは悪魔にたぶらかされて、私に罪を重ねさせに来たのですか!お下がり、女奴隷のくせに!」
彼女は感情に任せてわめいた。少女の奴隷は女主人の剣幕におびえていた。「何とかお言い!」と、彼女は感情に任せてまた叫んだ。叫びながら、アンナはすでに、そのようになっている自分自身を憎んでいた。
「どうせ私を馬鹿にしているくせに!私を、主に胎を閉じられた女と馬鹿にしてるくせに!」
アンナは、ユディトがつい最近子供を産んだことを知っていて、そう言った。
「奥様……たとえ、そうでありましても」ユディトはおずおずと言いかえした。
「そんなこと……いたしません。信じてください……」
弱気なユディトはそれ以上、言うことができなかったのだ。
アンナは、ユディトもわめいて反論してくることを期待していた自分に気づいた。彼女は無言でユディトをさがらせると、一人きりになった部屋で、床に落ちたディアデマを拾い上げた。細かい珊瑚の玉に、ひびが入っていた。
彼女は、たまらなく嫌な気持ちになった。自分自身が情けなかった。こんな女は主に嫌われて当然だ、とすら思えた。ただ善意のみで自分に接してくれた女奴隷の心すらも、自分は踏みにじってしまったのだ。
敬虔な女のつもりでいたが、自分はなんと偽善的なのか、と彼女は思った。

その時の彼女の心情を完璧に言い合わらすことはできないが、彼女はパニックのあまり半狂乱になったのかもしれない。彼女は急に、自らの喪服を脱いだ。そして、箪笥の奥にしまってあった自分の若いころの花嫁衣装を取り出し、すっかり年老いて痩せ細った自らの体をそれに押し込んだのだ。それを見ていた侍女たちは、女主人への恐怖を感じ、何も言うことはなかった。
アンナは中庭に出た。中庭の月桂樹を見ると、雀が巣を作っていた。親雀が餌を運ぶ様子が、彼女にはよく見えた。
「(雀よりも、私は下等ね!)」アンナは自らを責めた。「(空の鳥も地の獣も、子供を産んで育てるもの。水も大地も、生命をはぐくみ育てるもの。私は何もない。私は何にも比べられない……)」
子供のできない悲しみから蝕まれてきた彼女の心は、夫の失踪と、彼女自身による彼女自身への嫌悪により、ついに悲鳴を上げてしまったのだ。彼女はいつしか、高価な花嫁衣装が汚れるのもいとわないまま、庭で寝た。

アンナは気が付くと、誰かに寄り添われていた。「アンナ、アンナ」そう彼女を呼ぶ声が聞こえた。穏やかな、やさしい声だった。
彼女は怪訝に思い目を開けた。すると目の前には、不思議な存在が立っていた。それは高貴なドレスを着て、長い金髪をたなびかせ、白百合を手に持って優しく微笑む美しい女性に見えた。だが、アンナには彼女は、ただの女性とはまた別のものであるようにも見えた。なんといっても、彼女の体はまるでそれ自身が発光しているかのように明るく輝いていた。そしてその背中には、白百合と同じほど真っ白な、巨大な翼が生えていたのだ。
彼女はスラリと長い腕をアンナに差し伸べた。「お立ちなさい」。
それは不思議な感覚だった。アンナは、娘の頃に帰ったような気分だった。自分より大きなものに身をゆだねていられるあの頃に。彼女は、その白く光り輝く手に、自らの皺々の手を乗せた。目の前の彼女は優しく微笑むと「ごらんなさい」と、細長い指である所を指さした。
それは、荒野だった。そこに、ヨアキムがいたのだ。
「ヨアキム!」
彼女は叫んだ。不思議な存在は優しく続けた。
「貴女の夫よ。四十日四十夜の間、断食して祈りを続けているわ。貴女が子供を身ごもるように。貴女達夫婦の幸福のために」
「そんな……」
アンナは夫のその気概に心を打たれた。それでますます、自分が情けなく思ってしまいそうだった。だが隣に立つ彼女は機先を制して、彼女の肩を優しく抱き「よくお聞き」と言った。
「神様は貴女の夫の祈りを聞き届けたわ。貴女は必ず子を産みます。貴女もユダヤ人ならばよくご存じね……貴女達の祖、アブラハムと妻のサラも不妊に悩んだわ。でも、神はサラの胎を開かれた。神に不可能はないわ。神様を信じなさい。アンナ」
「あなたは……?」アンナは震える声で言った。
「天使と呼ばれているわ。名前はガブリエル」彼女はそう微笑む。
「よくって?もう、自分を痛めつけるのはおやめなさい。お腹の子に毒よ。ヨアキムのもとにも、私の仲間たちが向かっています。だから、彼はもうすぐ帰ってくるはずよ。笑顔で出迎えてあげなさい……いいわね?」
「天使ガブリエル様」アンナは言った。「もし……もし、そうであるのならば、私どもは、生まれてきた子を、神殿に、神様に仕えさせることいたしましょう。夫も信心深い者としてそれを望むでしょう」
「ええ、それが一番いいでしょう」天使は言った。そして、一輪の白百合を彼女に手渡した。
「忘れないでちょうだい。神様はいつでも、あなたたちを見ていらっしゃる」
彼女は翼を広げた。そして、軽やかに飛び去っていったのだ。

アンナは、そこで目が覚めた。
夢か、と彼女は思った。しかし、彼女はいつの間にか、自分が白い百合の花を握っていることに気が付いた。

彼女に理解のための時間はいらなかった。彼女はお腹を撫でた。まだ膨らんでもいないが、そこに、確かに何かがいるような気がした。

その時だ。
「奥様!」と入ってくるものがあった。ユディトだった。
「ユディト……」
アンナはユディトが何か言う前に、まず彼女に謝った。自らの暴言を悔いた。ユディトは主人に下手に出られたことに戸惑い、「いいえ、気にしておりません」と言った後、続けた。
「それよりも奥様、旦那様がお帰りです!黄金門のところに来ております!」
「なんですって!」
アンナはそれを聞いていよいよ跳ね起きた。
「ユディト、急いで準備をおし、私のよそ行きを出してちょうだい、髪も結うんだから!」
女奴隷は、アンナが元気を取り戻したのを見て、彼女に謝られた時以上に嬉しそうだった「はい、奥様!」と、彼女は先ほどまでの怯えが嘘のように元気に返した。

黄金門で、ヨアキムとアンナは再開した。ヨアキムも、やはり荒野で神のお告げを聞いたというのだ。二人の間に、疑いなどはなかった。

そうして生まれた娘がマリアだった。マリアが三歳になった時、彼らは例の天使と交わした約束通りに、マリアを神殿に仕えさせることにした。ザカリアが「責任感のある、いい奴を知っている」と、ヨアザルという高位の祭司を後見人として紹介してくれたので、マリアは彼の庇護を受けながら、神殿で同じように信心深い親たちに捧げられた少女たちと一緒に勉学や教養を修め、労働をして、育ってきたのだ。
それが、マリアが神殿に居る理由だった。
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