クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第二話

マリアは、青色の糸を紡いでいた。外からはさっそく、工事の音が聞こえた。
作業の傍ら、同じ作業をしている数人とともに、彼女は窓の外を見る。あいにくと場所が違うのだろう。窓の外では緑色の月桂樹の葉っぱが明るく輝きながら、夏の風に揺れているのが見えるだけだった。
期待を裏切られた彼女達は窓の外を見るのをやめた。そして彼女達は小さな声で、無駄話をしながら仕事をした。
余り自由に遊びまわれる立場でもない彼女だが、それでも神殿は出入りの多い場所だ。話のたねになるものはいくらでもあったし、それに関して自分勝手に噂をすることが彼女達には楽しかった。
「ねえ、あのお爺さんの事だけれど」
と、ツェルヤが言った。ツェルヤは、マリアたちの仲間の中でも比較的年上の少女でリーダー格と言ってもよい少女だった。年が上ということもあったが、父親が神殿に仕える高位の祭司であるということも大きかったのだ。
ところで、このように「あのお爺さん」と言われた場合、彼女たちの中でそれが誰であるかは決まっていた。神殿に時々来る、気のふれた老人の物乞いだ。話しかけても、奇声を発するだけで意味のある言葉は何も言わない。当然祈りに来るわけでもない。ただただ、ふらりとやって来ては何時間も門の入口の所でじっとしていて、誰も見ていないうちにどこかに消えてしまうのだ。
神殿で、彼を知らない者はいなかった。というのも、彼は何十年も前から、同じぼろを纏って、同じひび割れた椀を一つだけたずさえて神殿に来ているのだ。マリアたちはもちろんのこと、勤めの長い祭司たちも、まだ自分たちが神学生であった若いころから見たことがあったと言っていた。彼がいくつなのか、何者なのか、誰にも分からないらしい。ただ、不思議なだけで害はない。そもそも、神殿のような人がよく集まる場所なら物乞いもよく来る。神殿側としては黙認していた。
ツェルヤが言葉を続ける。「今日も来ているって。ハンナとハダーサが言ってたわよ」
「ほんと?」
「久しぶりじゃない?」マリアが言った。
「ええ。久しぶりね。それで……いつも通り、施しを持って行ってあげない?」ツェルヤは糸紡ぎの腕をいったん止めて、にっこりとほほ笑んでそう言う。少女たちは皆賛成して、糸紡ぎをいったん止めた。そして一人ずつ小遣いのあまりの銅貨や、お菓子の食べ残しなどを出し合った。
気味の悪い老人ではあるが害はないとあって、刺激の少ない彼女たちにとっては、またこの老人も楽しみの対象の一つだった。つまり、仕事をこっそりと抜け出して彼に施しをするのも彼女たちの習慣のうちになっていたのだ。いかに頭の固い祭司たちに気づかれずにそれを実行するかというスリル感が、この遊びの肝だった。
こっそりと抜け出すにしても全員で抜け出すわけにはいかない。そう言うわけで、彼女たちはこういう時、くじを引いて誰が彼のもとに向かうかを決めていた。
マリアは「実行者」になりたかった。それが一番楽しいのだから。ここ一年はなっていないような気がする。彼女は、心の中で冗談めかして神に祈った。
その祈りが通じたのだろうか。赤い染料を突けた糸を引いたのは、マリアだった。
「じゃ、マリア」
ツェルヤが袋を手渡す。
「決して見つからないように」彼女は大人びた顔をほころばせ、悪戯ぽく笑った。マリアも同じように悪戯っぽく「はい、お姉さま」と笑って見せるのだ。惜しくも外れくじを引いた少女たちも同じようにマリアを見送り、彼女が出て行くのを見届けたのち、素知らぬ顔で仕事に戻る。マリアは心臓をドキドキさせて、裏口を回った。今は祭司たちは会議中のはずだ。

日差しが照り付けていた。夏の日差しだった。門の近くに出ると、物乞いたちが集まっていた。参拝の客はたいがいが彼らには構わず通り過ぎるが、中に親切な金持ちが少しばかりの施しをしてやる姿が見えた。
熱い日差しの中なので、物乞いたちも日陰に引っ込んでいた。マリアはお気に入りの青いベールで日差しから目を守りつつ、例の気のふれた老人を探した。
それは、非常に楽に見つかった。一人だけ、太陽の照りつける日向でじっと座っている老人がいたからだ。別に彼にとっては今さらの事だった。この老人は、炎天下だろうと大雨だろうと、それを避けようともしないのだ。それでけろっとしているのだから、今となっては心配をする方が却っておこがましいような気が誰にもしていて、彼は放っておかれていた。
太陽の光を彼のしらみだらけの白髪が反射して、ベールを目深にかぶってもまぶしいほどだとマリアには思えた。「あの」と彼女は声をかけた、彼の鋭すぎるほどに鋭い目が、彼女を射抜く。
「少しですが、どうぞ」
マリアは銅貨やお菓子の入った汚れた袋をそっと彼に渡した。彼は震える手でそれを受け取る。何も言わないが、深くお辞儀をして、マリアに礼の意を示した。
ともかくも、これで「任務」は半分以上完了した。あとは、気づかれないように仕事部屋に帰って終了。マリアは彼にお辞儀をすると小走りで裏手の方に向かった。

そこに、人が一人いた。祭司でも、参拝客でも、仲間の少女たちでもなかった。彼は汚れた白い麻の服を着ていた。井戸のそばに立って、水を汲んでいたのだった。マリアと同い年くらいの彼は、昨日、大工の一団に紛れていた彼だった。
マリアと彼の視線が合った。

「こんにちは」と、先に口を開いたのは、マリアのほうだった。
「どうも」と、すかさず彼も言い返した。
「えっと」と、マリアは何となく、彼と少し言葉を交わさなくてはならないような気分になった。あるいは、「交わしたい気分」とも言えたかもしれない。「昨日来た大工さんの一人……だよね?」
「なんで知ってんだ?」彼は怪訝そうに言った。
「そんな格好してるの、大工さんしかいないよ」彼女は愉快そうに続ける。「水汲み?」
「うん。新入りの仕事だからって」
「私、手伝おうか?私、ここで働いてるから、水汲みとかもよくやるんだ」
「いいよ。女の子の手を借りるくらいじゃねえし」
彼は言葉こそぶっきらぼうだったが、顔は笑っていた。昨日遠目で見たとおり繊細な美しさからは程遠い風体だったが、日によく焼けた、健康的な見た目をしていた。彼はマリアたちが水汲みをする様子からは考えないほど、勢いよく釣瓶を持ち上げ、たっぷりの水をくみ上げた。その運ぶ水桶も、彼女たちが使う物の倍くらいある。なるほど、これなら確かに助けはいらないだろう。彼は自分と同じくらいの少年ではあるが、大工をやっているだけあって鍛えられた精悍な体つきをすでにしていた。
「名前、何?」今度は、少年の方からそう言いかえしてきた。
「俺はナザレのヨセフ。ユダ族」
「私もユダ族なの。名前はマリアだよ」
「へえ、偶然だな」彼は嬉しそうに笑った。屈託のない笑顔だった。
「ここで働いてるんだって?」
「うん、すごく小っちゃい時から」風が吹いて、彼女の青いベールを揺らした。彼女はそれが飛ばされないように、小さな手で押さえた。
「貴方は大工の家?」
「いや……別に、そんなんじゃねぇけど」彼の言葉が一瞬曇ったのが、まだマリアにはわからなかった。それほど、まだ彼女は大人ではなかった。
「でも一応、大工の見習いしてる」
「力持ちなんだね。頑張ってね」
「うん、マリアもな」
そんな言葉を交わしていると、彼女は急に、急いで帰らなくてはならなかったことを思い出した。
「あっ、もう行かなくちゃ」彼女は素直に言った。ヨセフも長話している暇もないのだろう。大きな水桶を両手に一つずつ持って立ち上がると、「そう?そんなら、また」と言って彼の方から先に歩いて行った。だが、振り向き様に思い出したように「あ、これから、よろしく!」と言った。
マリアの方も「こっちも、よろしくね!」と反射的に返した。


裏の階段を彼女はこっそり、足音を立てないように上った。祭司たちの会議はまだ続いていたようだ。ヨセフとあまり長話をしなかったのは賢明な判断だったと見える。
彼女は最後まで、誰にも見つからなかった。かくして「任務」は終わった。

「ただいま!」
マリアは明るく扉を開けて言う。真面目に糸紡ぎを、少なくとも表面上はしていた仲間たちはいっせいに「おかえり!」「ご苦労様!」と言った。
「どうだった?」
「完璧!誰も私の事気にしてなかった!」
マリアも自分の作業台に移る。少女たちはケラケラ笑ってはしゃいだ。これが、彼女たちの愉悦なのだ。いつも自分たちを監視できている気分になっている祭司たちを、鼻で笑える事実がまた増えたのが。
ツェルヤは誰よりも早く糸を紡ぎ終わって、二回目に入ろうとしている頃だった。「ところで、マリア」彼女は言う。
「なに?お姉さま」
「報告することは、それだけじゃないんじゃないの」彼女は含み笑いしていった。
「え?」とマリア。
「何、お姉さま、どういうこと?」周りの少女たちも食いつく。
「マリア、私の作業台のところに来てみる?……ここの真下が、水汲み場よ」
それを言われて、マリアは一気に焦った。
「なになに?」
「マリアの口から聞きなさい」
「何があったの?」
マリアもさすがに隠しかねた。
「ほら、覚えてる?昨日の大工の中にいた、あの男の子。一番若かった子」
「うんうん、覚えてる」
「え!?まさか、彼にあったとか!?」
「あったどころか」マリアは思い切って行った。「ちょこっとだけど話もしちゃった!」
その言葉に、作業場は沸き返った。
「何々!?どんな話!?」
「さすがに大した話はしてないよ……だって時間無いじゃない?でもね、名前は聞かれちゃった!」
「何それ!やだもう、マリアったらついてる!」
たった一、二分になるかならないかの会話で、彼女たちはずいぶん盛り上がったものだった。ツェルヤはさすがに落ち着いたものでそんな彼女たちをくすくす笑いながら見守りつつ自分の作業は続けていたが、不意に彼女はその赤い唇に手を当て「しっ!」と言った。
彼女のその言葉ほど、この空間に刺さるものはないのだ。彼女らは一斉に静まり返った。
「会議が終わったみたい、来るわよ……。たぶんだけど、ヨアザルさんの足音ね」
ツェルヤは長年働いていただけあってか、足音だけでだれが見回りに来るのかわかってしまうのだ。少女たちはもう完全に、男などに目もくれず貞淑に神殿に仕え続ける、まさに祭司の望む乙女の顔になって、黙々と糸紡ぎを続けた。

彼女の予想通り、入ってきたのは老齢の祭司ヨアザルだった。彼女達は皆礼儀正しく、彼に向かってあいさつし、その平安を祈った。彼もそのようにした。
「よく仕事しているようだな」と、彼はリーダー格であるツェルヤにまず言う。「はい、ヨアザル様」と、彼女も上品に言い返した。
「慎み深く仕事をしなさい」彼は厳かに言う。そして次に、自分が後見人となっているマリアに向かって声をかけた。マリアはツェルヤと同等に彼にお辞儀をした。
「よく頑張っているようで何よりだ。私も嬉しいぞ」彼はマリアをじっと見つめてそう言う。それで、それきり出て行った。
彼の足音が遠ざかっていく。少しばかり、外の工事の音が邪魔だったが、それでも少女たちは懸命に聞き分けた。やがて足音が完全に消えてなくなったころ、彼女たちはまた一斉にリラックスして話を始めた。
「で?その子どう、可愛かった?」
「可愛かったっていうか、近くで見たらさ、こう、やっぱ力強そうだなって……水桶がね、私たちが使ってるのの二倍くらいあるの」
「やだもう、そんなの持てるわけないじゃない!」
「持ってたんだってば!しかもそれを二つも、ひょいっと!」
彼女達の会話は延々と続くのだった。そして、彼女達以外のだれも、それを知りはしない。慎み深く育てられた彼女たちは、ずっと男の望む理想の乙女ように、静かに、黙々と、大人しく、命じられたことをやっていると信じ込んでいるのだ。


誰も、彼が去るところを見てはいなかった。物乞いの老人は、自分が歩いているところもわかっていないかもしれない。
彼は、袋の中に入っていたナツメヤシのお菓子を粉々に砕いて地面にまく。鴉がやってきてそれをついばんだ。干しイチジクを千切って、これもまた地面に巻く。ネズミがすぐに、それを攫って行った。
彼はぶつぶつと呟いていた。他の人間には、それが意味のない奇声であると聞こえただろう。それは、人間のためでも、動物のためでもない言語だった。すでに言葉を忘れてしまった彼が自分のために作った、彼だけの言語だった。
覚えている。彼はそれが何語で書かれていたかを忘れても、その内容だけは、はっきりと覚えていた。
「私の主が御自ら、貴方達に印を与えられる。見よ、乙女が身ごもって男の子を生む。その名を、インマヌエルと呼ばれる……」
彼は銅貨を道にばらまいた。貧民の子供が、先を争ってそれを奪い合った。だれも、かの老人の事は目に入っていないようだった。その、話している内容も。
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