クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第三話

マリアとヨセフが仲良くなるまで、そう時間はかからなかった。そのあたりになれば神殿に住むものはだいたい、大工たちと打ち解けていたのだ。だが、マリアとヨセフはこと、話が合った。
二人が同い年だということもあったかもしれない。ヨセフは屈託のない、明るい少年で、あまり男慣れしていない彼女にとっても非常に親しみやすい存在だったのだ。だが、彼には一つ異常なことがあった。読み書きができないことだった。
イスラエルではたとえ一般庶民でも、小さい時から学校での勉強を無償で受けられたため、識字率は非常に高かった。ほかの国ならばさておき、このイスラエルで大工という下々の身分だから字を知らない、という言い訳はありえなかった。事実ヨセフの同僚の大工たちは、ちゃんと字を知っていた。マリアがそのことを言うと、ヨセフは恥ずかしそうに「教えてくれる人がいなかった」とだけ言ったのだ。何か、不用意に深く聞くべきではない事情を察し、マリアはそれ以上の追及はしなかった。
しかし、全く話を聞かなかったことにしたわけでもない。そんな会話を交わした日からマリアはヨセフに文字を教えることにした。彼としても、もうすでに大きくなったのに誰かにいざ教えてくれというのが気が引けていただけのようで、文字を学ぶこと自体に関してはやぶさかではない様子だった。
彼は物覚えが早い方ではなかったが、マリアにとってこの生徒とのやり取りはさほど苦痛にはならなかった。ヨセフは分からないところは素直に何でも聞いてくるので、先生として考える手間は最小限のもので済んだのだ。彼は最近ようやく、自分の名前が書けるようになってきたあたりだった。
心もとない、書きなれていないことがよく分かる字を、彼は地面の上に書く。「大丈夫、あってるよ」とマリアが言うと、彼も嬉しそうに笑って見せた。昼下がりの休憩時間の事だった。彼らは月桂樹の木の下に居て、木漏れ日がちらちらと頭上に舞っていた。そばにはイチジクの木もあり、熟れている実がまばらに生っていた。
他の少女たちに囃し立てられるのもなれた。他の少女たちもヨセフとよく話したが、彼と一番仲良くなったのはマリアだったからだ。
マリアは、彼からぽつぽつとだが、様々なことを聞いた。彼の両親がとっくの昔に亡くなり、天涯孤独の身であることもだ。それ以来、様々なところをわたり歩き、今は大工仕事をしているということだ。彼の一生は過酷だったが、彼はまだ短い人生の中で今までやって来たさまざまな仕事の中で、大工仕事が一番好きだということも聞かされた。

彼は自分で書いた自分の名前をしばらくじっと見ていた。感慨深そうだ。マリアは木漏れ日に照らされた彼の横顔を見て、少し微笑ましいような、照れくさいような気分になった。こうしてみると、彼はなかなか格好良い気がした。鼻も比較的高いし、目と眉毛はきりっとしている。喉仏はすでに出ていて、子供がたくましい大人の男に代わる過渡期に彼があるのだということが読み取れた。すこしくせがあってバサバサしている髪の毛と若干長めの胴体が減点対象ではあるが……。
そんなことを考えていたら、昼休みが終わった。ヨセフは棒でくしゃくしゃと地面に書いた自分の名前を消すと「じゃぁ、待たな。今日もありがと」と言ってさっさと自分の仕事に帰っていてしまった。マリアもマリアで掃除の仕事があったため、「どういたしまして。お互い、お仕事がんばろうね」と言ってヨセフと別れた。掃除道具を、彼女は一人でとりに向かうつもりだった。
だが、その日はそうにはならなかった。ヨセフと別れてすぐ、彼女はヨアザルと出会ったのだ。
マリアはヨアザルに対して、彼の平安を祈った。ヨアザルもそうすると、「何をしていたのかね」とマリアに問いかけた。彼はマリアと並んで歩き、歩きながら会話をした。
「大工の一団の中の男の子に、読み書きを教えていました」
「大工の?そんなに小さい子供がいたのか?」ヨアザルが眉をひそめる。
「いえ、私と同じ十二歳です」
ヨアザルはますます不快感をあらわにした。マリアは、敬愛すべき後見人にとって自分のしている行為が意外とそこまで好ましくないことであるという事実を知り、それがあまり面白くなかった。
「イスラエル人に生まれておきながら、十二歳まで読み書きもできないほど勉学を怠っていたとは……お里が知れる」ヨアザルは憮然として言った。マリアは、ヨセフが十二歳まで誰にも文字を教えてくれとすがれなかった理由が少しわかるような気がした。読み書きを学ぶことが非常に簡単なイスラエルだからこそ、「何か」の理由があって読み書きができない人間へ向けられる偏見の目は予想外に厳しいのだろう。マリアも女性ではあったが、神殿に仕えている手前、そこらの同年代の少年よりは勉学を積んでいる身だからそのあたりの問題に関しては当事者には程遠かったが、なんとなくそう感じた。
若い少年であるという好ましさと、マリアとヨセフが読み書きの先生と生徒の関係となっている微笑ましさから、マリアの同僚の少女たちはまだそれを好意的に見てからかいながらも応援してくれるが、それらの事が判断に関係しないヨアザルは不機嫌になるのかもしれない。彼は社会的強者であるのみならず、祭司という職業上イスラエルに強い誇りを持っている男だ。マリアは彼の事をそう分析した。
だが、高位の祭司、それも自分の後見人にそこまで大きな態度はとれないし、取るつもりもなかった。「十二歳で読み書きができないからこそ」とマリアは言った。
「今、学ぶべきではありませんでしょうか?十三歳、十四歳になっても読み書きができないということにならないよう。それに、先生方はいつも、貧しい人々に施しをするなどして善行を積むものになるべしなどとおっしゃっています。お金のない人にお金を施すのが善行であるのなら、学のない人に学を授けるのもまた、善行なのではないですか?」
マリアは言い終わって、少しムキになったかも、と一瞬背筋が寒くなった。ヨセフへの読み書きの教授は非常に楽しい事だったため、それを否定されたような気がして頭に血が上らなかったとは言い切れない。しかし、少なくとも理屈では間違っていないはずだ。ヨアザルは何を言っても「屁理屈を言うな」の一言で片づける人間ではないため、少なくとも一喝されることはないはずだ、とマリアは思った。
果たして、その読みは当たっていた。ヨアザルは少しばかり考えた後「お前は優しいね、マリア」と、渋い表情を崩し切ったとは言いにくいが、それでも少し柔らかい表情で言った。マリアはほっとした。ヨアザルに限らず、祭司たちが怒った時ほど怖いものはない。厳しい言葉でどなられたり、仕事を増やされるのは序の口。酷い時には杖か鞭で叩かれるのだ。「こう厳しくしつけられてこそ、お前たちは立派な夫人になれるのだぞ」と言われていたが、正直な話をすると、マリアたち少女の間ではそれは半信半疑だった。誰も、叩かれることは嫌いだったからだ。
「モーセはなんで律法の中に、女の子を叩いて育てるなっていう文言を入れてないのかな」
「モーセは叩いて育てられてなんかないからだよ!だって、王室で育ったから」
そんな以前交わした会話を連想して、マリアは少しおかしくなった。
「しかしだね、マリア」というヨアザルの言葉で、彼女は現実に引き戻された。「しかし」が来ると思っていた。祭司に口答えしてしまった以上、無傷では済まされないのはまあ、しょうがないことだ。
「育ちの悪いものと積極的に付き合うのがよいことだともいいきれんぞ。殊に、お前は若い女性で、世間知らずだ。自らの身のためにも付き合う相手は選びなさい。それに、未婚の女性の身で、余り男と仲良くするのもはしたないことだ。その少しの行動が、将来お前を貞淑な夫人ではなく、呆れた売春婦に導くかもしれんのだからな。つつしみなさい」
まあ、普通の説教だ。この程度で済んで本当によかった、とマリアは思った。どうせ説教をされても、ヨセフとの付き合い自体をやめるつもりもない。文字を教えるという大義名分もあるのだから。
掃除用具入れに付き、マリアは「それではヨアザル様。ありがとうございました」とお辞儀した、彼も、自分の仕事に帰っていった。すでに神殿内の人々は、自分たちの仕事に戻っていた。

掃除をしている最中、ヨセフを見つけた。ヨセフは仕事の合間らしかった。彼は神殿商人の鳩の鳥かごが壊れてしまったのを、器用に直している様子だった。読み書きは子供以下でも、やはり大工仕事は出来る。彼はマリアの生徒としての彼と比べてずっと自信に満ちていて、堂々としていた。
「すっかり、お熱かしら?」と、隣で陶器の花瓶を磨いていたツェルヤが、視線をマリアには合わせずに言った。マリアは慌てたが、すぐに気を取り直し、堂々と「お姉さま、からかわないでください。あの子は友達!そして、私の生徒ですから」と言った。ツェルヤは花瓶に赤い薔薇とスミレの花をいけながら「あら、私、貴女に向かって言ったとは言ってなくってよ」と笑い返した。彼女の方が一枚上手だった。


マリアという少女は、どこにでもいる十二歳の少女だった。
丸くて大きな、愛らしい目をしていたがどちらかと言えばぽっちゃりした方で、貴族のドレスより農民の服の方が似合いそうな素朴な顔つきをしていた。取り立てて不細工とは言えないが、わざわざ美人というほどのものでもない。男を狂わず魔性の美貌、だの、人知を超えた神秘の美女、だの、天使のような穢れなき美少女、だのといった、古今東西の美女、美少女に使われそうな褒め言葉の数々は、いずれもそこまで相応しいとは言い難かった。イスラエル中どこを探してもいそうな素朴で、平凡な少女。彼女の外見に関して言えば、それが一番ふさわしかった。
しかし、彼女に魅力がないというわけでは断じてない。彼女の後見人として、彼女を実の親よりもよく見てきたヨアザルはそう感じていた。マリアは、笑顔の似合う少女だった。にっこりと笑った時にできるえくぼが、本当に愛らしいのだ。そして彼女は、話し声が穏やかだだった。マリアには、そばにいる人を和ませるような魅力があった。小さい時から、彼女は明るく、人懐っこく、誰にでも優しい。事実、友達も多い方だ。仲間の祭司たちの評判も、マリアはいい方だった。
それは、立派な彼女の魅力だ、とヨアザルは感じていた。だからこそ、彼は彼女の事が心配だった。
誰にでも人懐っこい彼女の性格が、ろくでもないあらぬ男を惹きつけはしないか。それで、厄介ごとに成ったりはしないか。マリアが十二歳になり、徐々に子供から大人の女性に代わってくる年齢になってきて、ヨアザルは最近、そのことを非常に心配しているのだ。
そのようなことを考えて神殿の廊下を歩いていると、神殿商人の鳩の鳥かごを治している大工の少年が目に入った。十二歳にもなって読み書きもできない少年とはあれの事か、とヨアザルは思った。
あの神殿商人は、生贄の扱いも悪いし値段も暴利だ。神殿としても境内での商売を断ろうかどうかと審議している対象だ。そんな相手の鳥籠を治すなど、やはり里が知れている、と、彼はヨセフを軽蔑した。そして、なおのことマリアを心配に思った。

会議場に入ると、すでに祭司たちが集まっていた。ヨアザルはそれら一人一人に平安を祈る。
「……実際、あのファリサイ派たちは面倒ですよ!」と、入口の方から声が聞こえた。初老の高位の祭司と、十六歳ほどの少年だった。彼は当の祭司の弟子である神学生だ。話し声は若かったので、神学生のほうだろう。
「天使の存在は、あくまで伝説上のものでしょう。聖書の本質はそんなおとぎ話じゃなく、モーセの律法にありますよ。この前の論争でつくづく思いましたが、奴らは現実を見れない連中です」
「全くだ。ああいうものが、多神教に転ぶ。お前は、それを良く分かっていて満足だが……」
「僕は生まれながらのサドカイ派ですよ、先生……おや、ヨアザル様!こんにちは、貴方に平安がありますよう」
色白で細身で、身なりのいい、いかにもエリートという風体のその神学生は、ヨアザルに非常に丁寧なあいさつをしてきた。彼とともに来ていた彼の先生も挨拶する。彼の名前はアンナスといい、古株の祭司だった。
「やあ、アンナス、カイアファ。君たちの上にも、平安があるよう」
そう挨拶をしていたものの、ヨアザルはまだマリアの事を心配していた。アンナスはそのあたりの勘が鋭い男で「何か物思いにふけっている様子だな」と言った。
「ほどほどにしろ。今は主と信仰に思いをはせる時間ではないのか?」
「……お前にそう言われなくてもわかっている」
ヨアザルは、この男が嫌いだった。彼は、人を下に見下しているようなところがあった。勘が鋭いのもあり、一々嫌な思いにさせられるのだ。ここ数年では、彼の一番お気に入りの弟子のカイアファも彼のそのようなところをよく引き継いでいて、師弟同士気が合う様子なのはいいことだが、不機嫌にさせられる要因が一つから二つに増えたようなものだった。
アンナスとカイアファは自分たちの席に着き、また勝手に世間話を始めた。「……ところで、あの業突く張りの商人の鳥かごが」「ふん、あんなものには神の報いが来るわ」ふと、自分が気に病んでいる問題と彼らの話題が微妙に重なったことに反応し、ヨアザルは聞き耳を立てる。
「しかし、あの男の子、よく鳩を騒がせずに治しましたよ。僕はペン以外持ったことがありませんが、職人とは器用なものですね」
「さよう。なかなかの勤労少年だな」
やはり聞かなければよかった、とヨアザルは思いなおす。やはり、この二人とは合いそうにない。
振り返ってみると、大祭司が到着しつつあった。彼は姿勢を正した。
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