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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第五話

それは、焼けつくような暑い夏の日だった。マリアたち、神殿に仕える少女たちも暑さに耐えながら、聖書の勉強をしていた。
熱さに身を任せてだらしない恰好をすることは流石にできない。聖書の先生が目の前にいるからだ。彼女らにとって苦手な祭司たちでないことがせめてもの救いだ。彼女はアンナと言った。もうすぐ八十になる老婆だった。若い時に夫に先立たれたものの、女預言者として長年神殿に仕え、この年まで生きてきた。今ではマリアのような神殿に仕えている少女たちの教育役も担っていた女性だった。優しく穏やかな先生で、皆、彼女の事が好きだった。
若いマリアたちよりも老婆のアンナの方が体が弱そうなものなのに、この目の前の教師は全くしれっとしていたので、音を上げるわけにはいかなかったのだ。
彼女達はイザヤ書を読んでいた。
アンナの講義を聴きながら、マリアは別の事を考えていた。ヨセフの事だ。大工たちはこんな日も、ぎらぎら光る太陽の下で仕事をしているのだろう。それだけでも大変なのに、また彼は虐められてはいないだろうか。そう思うと心配だった。だが、彼女が心配をしていると、気が付いたらアンナが彼女のそばに寄ってきて、軽く彼女を小突いた。アンナは優しいが、さぼっている生徒に寛容ということはない。
彼女はこれ見よがしな説教はしないが、マリアをひとまず今のところは勉強に集中させるにはそれで十分だった。

やっと講義が終わり、アンナが部屋を出て行ったところで、マリアは大きく伸びをした。外の日差しはますます激しくなっている。少しだけ外を見る。物乞いたちもみんな涼しい日陰に引っ込んでいる。例の老人の物乞いがいれば、構わずに炎天下の中座っているのだろうが、あいにくと彼は今日はいなかった。金槌の音がひっきりなしに聞こえる。やはり、こんな中でも彼らは仕事をしているのだろう。
マリアたちにも仕事はあるが、掃除や機織り、糸紡ぎなど室内でやるものがほとんどだ。こういう暑い日にはそのありがたみを実感するが、すぐそばに暑い日も外で肉体労働をする人々がいれば、ありがたみもひとしおだ。マリアは、女に生まれてきてよかった、とこういうときに限り心の底から思うのだった。

他の少女たちが休憩時間に入ってぞろぞろ勉強部屋を出て行く中、マリアは窓の外を見ていた。そこに、引き付けられるものがあるような思いだったのだ。気が付いたら教室は彼女一人になっていた。その時だった。彼女の目が、ある男性を捕えたのは。

彼は、井戸のそばで、炎天下の日差しの下倒れたまま、動いていなかった。
マリアは仰天した。そして、やっと教室から出て、祭司たちに注意されない程度に早足で歩いて、井戸のそばを目指した。

井戸の所につくと、マリアは一人の別の人物と遭遇した。それは、ヨセフだった。事情を聴くと、彼も屋根の上での作業を終えて休憩時間に入ろうとした時に、ちょうど倒れている彼を見つけたというのだ。
井戸のそばはやはり非常に暑かったが、いつもにもましてひっそりと静まり返っていて、不気味、というよりも非現実的なほどだった。そこに、確かに一人、ものも言わず倒れていた。照りつける日光を体に受け、日陰に入る気力もないかのように。

マリアとヨセフは、協力して彼を日陰に引きずっていった。冷たい井戸水に浸した手拭いを彼の額に乗せたところで、彼は静かに目を開いた。その両目は、はっきりとマリアとヨセフを見つめていた。

「気が付きましたか?」
「大丈夫か、あんた?」
ヨセフとマリアは声をかけた。男性は目をこすると、深くうなずき、そして言った。
「君たちが助けてくれたのかね?ありがとう」
彼の声は低く、落ち着いていて、穏やかだった。マリアとヨセフは、その声に安心感を与えられるような心持ちだった。
「あんた、なんでこんなところに?」
ヨセフのその問いに、男性は少し目を宙に泳がせてから答える。
「まあ……旅に、と言った感じだな」
「え?じゃあ、外国の方なんですか?」
「まあ、イスラエル人ではない」
男性は笑ってそう言う。その言葉は、マリアとヨセフにとってひどく意外なものだった。というのも、彼は確かに旅人のような丈夫で質素な服を着ていたが、非常に流暢なヘブライ語を話していて、とても外国人の発音には聞こえなかったからだ。
マリアは思わず、彼のヘブライ語を褒めた。彼は笑って、彼女に礼を言い返す。
「そんなに話せるなんて。イスラエルには、よく来られるんですか?」
「ああ、ちょくちょく来るよ」
「で、それで行き倒れたのか?おっさん」
ヨセフは遠慮なしにそう言った。男性は照れ臭そうに「まあ、そうだね」という。
「ちょくちょく来るのに、知り合いとかはいねえのか?」
「……ああ。私の行くところは、ないよ。この国には」
淡々とした返事だった。
行くところも、宿もなく、せめて腰を落ち着かせられるところを探してここに落ち着いたのだろうか、と、マリアはぼんやりと予想した。ただでさえ、エルサレムはいつでも神殿の参拝客でにぎわい、貧しい旅人が宿を取るのは容易な話ではない。
ヨセフも彼に関してこれ以上突っ込みすぎるのも野暮だと思ったのだろう。それに、彼はおそらく、貧しいものとしての苦しみを味わっているのだ。(少なくとも、マリアはそう予想していた)。だからこそ、目の前の男性に対して同情の心が多く沸いたのかもしれない。
マリアとヨセフは、そのまま彼を神殿の境内に居てもいいだろう、と言った。もともと物乞いが多く集まるところではあるのだし、いて悪いことはないはずだ、というのが彼らの判断だった。
男性は「ありがとう」と笑った。非常に穏やかな笑みだった。マリアは、その表情の中に、父ヨアキムの優しさを見出した。



彼の王宮は、悪趣味なほどに煌びやかだった。
イスラエル自体そこまで豊かな国ではないのに、彼は自らの財産を湯水のようにつぎ込み、こんな豪華な宮殿を立てたのだ。
金ぴかの壁に柱、赤いじゅうたん、毛皮の敷物に宝石の飾り。美しい奴隷たち。ヘロデ王は、そのようなものがなくては我慢ができないたちなのだ。
そして、王はなおそれでも苦しみ続ける。彼は知っているからだ。ローマ皇帝は、これ以上に持っている。イスラエルの歴史になおとどめる、栄華を極めたソロモン王の宮殿は、このようなものではなかった。
彼は苦しんでいる。自分が王に相応しくないのではないかということを、極度に恐れている。
彼が自分の妻、マリアムネと、彼女との間に生まれた子供たちを剣にかけて殺したことは、記憶に新しい。マリアムネは、先の王族、ハスモン朝の血を引いていた。
アンティパスの父は、エドム人だった。エドム人。その名は、ユダヤにおいて軽蔑される名前だ。
ユダヤ十二部族のもととなった十二兄弟の父、ヤコブ。その彼の、呪われた兄であるエサウの子孫こそエドム人であると、聖書の物語はユダヤ人に連綿と伝えてきた。
賢く、偉大な弟に常に後れを取っていた愚かで暴力的な兄の末裔が貴様らだ、とエドム人は何度、イスラエルに笑われたことか。ハスモン朝の圧力でユダヤ化はしても、その屈辱をエドム人が忘れることはなかった。そして、正当なイスラエル人からの軽蔑の視線が収まることもなかった。
少なくとも、ヘロデの父にとっては、そうだったのだ。
ヘロデの父は、エドム人であることを強く誇り、それと同時に、強く恥じていた。なればこそ、彼はハスモン家を憎んだ。
彼は軍人だった。表向きはハスモン家に忠誠を誓いながらも、彼はローマと通じた。全ては、エドムの誇りを守るため、自らを傷つける正当なイスラエルを侮辱するため、であったのだろう。
一方で、父はヘロデを溺愛した。恐らくは、長男として、自分亡き後も自分の野望を継いでくれるものを、という意識だったのだろう。ヘロデは、そんな父を信じた。イスラエル人を軽蔑し、ローマに媚び、そして、今の地位を手に入れた。ローマ直々に認められた、イスラエルの王。もう、妻を通じてのハスモン家とのつながりも必要がなかった。
だが、彼は思う。自分は、まだ足りない。自分は、まだ偉大ではないのではないか。
王になるという目標のもと生きてきた若い時代では考えなかった恐れが、いざ王座に就いてから次々と彼の頭の中に湧いてきた。
誰もかれも、自分をあざ笑っているのではないか。ローマも、ハスモンの血も、「正統」なユダヤ人たちも、皆自分を笑っているのだ。市場の見世物小屋に飾られた、王の服を着せられた猿を見るような目で、自分を見ている。ヘロデ王は、そのように感じていた。
彼は都市をいくつも立てた。港湾都市のカイサリア、要塞都市のマサダ。そうそうたるものだった。そして彼は豪華な宮殿を立てた。最後のハスモン王、自分の義弟に、妻、そして、自分の息子たち。ハスモン家の者をことごとく殺した。
それでも足りない気がする。ローマ皇帝は、ソロモン王は、こんなものではない、なかったはずだ。
彼らはきっと嘲笑っている。自分をあざ笑っている。そうに違いない。足元をすくわれるのではないか。自分は、正当なものではないのだから。
ヘロデ王は苦しんでいた。彼の眉間のしわは、恐ろしいほど深いものだった。

彼は、自分に逆らうものを片っ端から殺した。最近では、実際に逆らっておらずとも、ヘロデが逆らいそうだと信じたならば、それだけで殺すことすらも、多くなっていた。彼はそのたびに、落ち込み、苦しむ。自分と、ローマ皇帝との違いを痛感して。

神殿の建築がいつ終わるか。彼の関心事は、それだった。
ソロモン王。壮麗なエルサレム大神殿の建設で、彼の名はイスラエル人の歴史の中で何よりも知られている。もしも自分がソロモンの建てたものよりも大きな神殿を立てれば、きっと自分は楽になれる。ソロモンより偉大だ、と信じることができる。彼はそう思っていた。その気持ちにすがっていた。その気持ちにすがることで、今まで何をしても、結局その劣等感がぬぐえなかったことを忘れようとしていた。今度こそは、と彼は思い続けていた。


細い絹糸のような髪の毛を揺らして、ヘロディアは王宮の目を見張るほどの濃い緑色と、目に痛いほどに光に彩られた王宮の庭を歩いていた。隣には、ヘロデ・フィリッポス王子が一緒だった。
フィリッポスとヘロディアは婚約者同士だ。だが、年は十五歳以上も離れている。ヘロデ王が決めた婚姻だ。だが、フィリッポスはヘロディアを邪険にはしなかった。彼はまだ幼い将来の妻に紳士的に接していた。
彼らは池のほとりについた。柳の木の下にある長椅子に腰かけ、フィリッポスはヘロディアに話しかける。
「やあ、池の睡蓮が綺麗だね、ヘロディア」
彼女は石の人形のような硬く、美しい表情を崩さないまま、無言でうなずく。
「睡蓮は好きかい?」
彼女はもう一度、うなずいた。睡蓮の池に、白鳥が遊んでいる。水面に極めく陽光と光を反射する白鳥の白い羽が混ざり合って、眩しいほどに、池の上は光に満ちていた。フィリッポスはもう一回問いかけた。
「じゃあ、白鳥は好きかな?」ヘロディアはこれに対しても無言でうなずいた。彼女は、フィリッポスのこのような質問には、いつも無言でうなずくだけだった。フィリッポスは笑って言った。
「君は何でも好きなんだね。優しい、いい子だ」
ヘロディアは彼のその答えに関しても何も言わなかった。ただ、うなずいて、彼の言葉を光栄であると言ったように受け止めた。

「兄上」
そこに入ってきた声があった。
光に満ちた池に負けずとも劣らないほどに光り輝く美少年、ヘロデ・アンティパス王子だった。彼はフィリッポスのもとに急いで駆け寄ってきた。
「父上がお呼びです。アルケラオスの兄上とともに、今後の建築事業について話し合いたいと」
「父上が?分かった、すぐに行こう」
フィリッポスは立ち上がると、ヘロディアに「では、またね」と軽くキスをして、その場を急いで立ち去って行った。

後には、アンティパスとヘロディアが残された。夏の日中、特に暑い時間だ。庭に出ているものはほとんどいない。
「ヘロディア」アンティパスは彼女に言った。
「舐めてあげようか」
彼女はそれにうなずくと、周りに誰もいないのを確認しつつ、ゆっくりと自分のドレスの裾を持ち上げた。彼女の幼さを物語るほど柔らかく、きめ細かい肌に包まれた細い二本の脚が露わになった。
アンティパスは頭の飾り輪を外すと、静かに彼女のスカートの間に頭を埋める。ぺろりと、彼の舌が這う感触がわかり、ヘロディアは小さく声を上げた。夏の池と白鳥の羽が、なおも光り輝き続ける中のことだった。
誰も言っていないだけだ。言えば恥をかくから。ヘロデ王がかき集めた美男美女の奴隷を始め、宮廷に居る美しい者の中で、アンティパスと関係を持っていないものなどいない。天使のような美少年、ヘロデ・アンティパス王子の本性を、彼の家族は誰も知らない。
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