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クリスマス市のグリューワイン

feat: Mary and Joseph 第八話

有る秋の日のことだった。エルサレムに、ローマから新たな軍人が赴任してきた。ローマ人たちが異邦人に対してもつ感情はさまざまだが、彼はかなりユダヤ人たちには友好的に接したいという思いの持ち主であるらしく、赴任して真っ先に挨拶に来た先が、ヘロデ王の城と、エルサレム神殿であった。
そしてその彼がエルサレム神殿に現れた時、その彼をこっそり窓から見ていたマリアたちは皆色めきたった。
「お初にお目にかかります。ローマ弓兵第一コホルス隊長、ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラと申します。以後、お見知りおきを。大祭司様」
そう、軽やかなラテン語で告げる彼は、非常な美男子だった。

流れるように滑らかな髪はツヤツヤと輝いていた。背はすらりと高かったがどちらかと言えば細身な体形をしていて、野蛮な軍人という雰囲気はまるでなく、洗練された都会的な魅力があった。しかしまったくひ弱そうでもなく、赤と金色の軍服という男性的な服装が実によく似合っていて、一見華奢ではあってもよく鍛えられている体をしているのだと分かった。
彫りが深く、とても長いまつげをしていた。中性的な美貌を持った煌びやかな美青年だった。
イスラエルで暮らす彼女達からすれば、大都会ローマからやって来た男性だ。のみならず、大変な美青年。彼女たちがはしゃがないはずがなかった。
彼が祭司たちに挨拶をしている頃、彼女たちは機織り仕事をしながら黄色い声で話し合っていた。

「もうすっごく最高!」
「初めて見るくらい素敵!」
「あー、お話しできないかな……」
一番年長のツェルヤだけが、微笑みながら静かに、はしゃぐ彼女たちの声を聞きながら七色の色を使った難しい機を織っていた。「お姉さまはどうなんです?」とマリアが問いかけると、彼女は「素敵な人よね。お近づきになれたらうれしいわね」と上品に笑った。
「でも、ローマから来たんだよねー」
「ローマに奥さんとか婚約者とかいたりするんだろうなー……」
「ねえ、やっぱローマの女の子っておしゃれで綺麗なのかな?」
「せめてツェルヤお姉さまくらい美人でおしゃれでお上品だったらなー……」
「あ、確かに!思う思う!」
「フフ、ありがと。そう言ってくれてうれしいわよ」
彼らはそうはしゃぎ合った。マリアもそれに嬉々として混ざっていた。本当に、あれほどの美青年を彼女は初めて見る。掃除中にみんなで集まって、格子窓の向こうから眺めた彼の横顔。思い出すたび、彼女はにんまりと笑った。


「……でね、ほんと綺麗でイケメンなの!その人!」
その日ヨセフと会った時も、マリアは興奮気味にそのパンテラ隊長について興奮気味にヨセフに語った。綺麗なものを見たのだから、彼とは一番にその感覚を共有したかった。
だが、マリアにとって意外なのは、彼がそれを聞いてあんまり面白くなさそうなことだった。
「もうイスラエルには絶対いない!って感じ!?ローマから来た都会の人っていうか、とにかく本当かっこよかったんだから!」
「ふーん……」
「何、ヨセフ?機嫌悪いの?」
「別に」
「また先輩と喧嘩した?」
「今日はしてねえ」
ぶっきらぼうにそう告げる彼を見て、マリアは少々気まずかった。
「あの……なんか、悪いこと言っちゃった?」
「別に?その人がかっこよかったんだろ?」
ヨセフは最近、ようやく簡単な文章なら、マリアがそばにいれば読めるようになって来た。今は創世記を読んでいる。さすがの彼も、創世記に語られる昔話のあらすじなら知っているので、いくらか読みやすいのだろう。彼はぶすっとしていた。マリアと話すとき彼はたいてい楽しそうだったので、彼女にとってもあまり気持ちのいい時間ではなかった。
やがて休み時間が終わり、ヨセフは「じゃ、また明日」と、結局その微妙な空気を引きずったままスタスタと帰っていった。

マリアは彼に悪いことをしたという予感はぼんやりと持っていた。だからこそ彼女は、台所に柘榴の実を運ぶ途中も、ヨセフの事を考えていた。なにか、確実に機嫌を損ねてしまった気はするのだが……。
そんなことを考えていたら、バランスを崩して、山盛りの柘榴の実が両手に持った籠の中で崩れてしまった。そしてそれらは、地面に次々にこぼれはじめる。
マリアがあわてて拾おうとすると余計に崩れ、柘榴はますます当たりに散乱する。とうとう彼女は半分以上のそれを急いで拾い集めるはめになった。その時だ。
彼女の目の前に、柘榴を持った手が見えた。少し節の入ったそれは、マリアの知っている少女の手ではなかった。
「大丈夫かい?お嬢さん」
ヘブライ語で話してきた。聞いたことのない声だった。「大丈夫です、ありがとうございます」と彼女が言いかけて視線を上げると、彼女は驚いた。親切そうに笑って柘榴を彼女の方に差し出しているのは、まさに午前中見かけ、今や仲間たちの間でもちきりになっている張本人、ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ隊長だった。
マリアは丸目をぱっちり見開いて「あ、はい……大、じょうぶ、です!」と、まさかこんな形で話すとは思っていなかった相手に向かってしろどもどろに言った。彼はもう別の柘榴を拾い集めていた。マリアはようやく理解した。この若い将軍は、親切にも自分を手伝ってくれているのだ!
マリアは彼に働かせすぎる訳にはいかないと急に羞恥心がわき、急いで自分も柘榴を拾い集めた。あらかた終わると、彼はにこやかに「これで全部かい?」と言った。
「は、はい」
「良かったね」
彼の笑顔がまぶしい。やはり、さすがの美青年だ。
「あの……本当に、ありがとうございます」
「いや、遠慮はいらないよ。私も、忘れ物を取りに帰っただけだ」
彼は気軽にそう言う。
「あの……へ、ヘブライ語、お上手ですね。ロ、ローマの方ですよね?」
パンテラ隊長が、自分を物陰から見てはしゃぐ視線に気づいていたかは知らないが、ローマ軍の軍服を颯爽と身にまとうその姿を見て、ローマ人だと思わない者がいるはずがなかった。
「ああ。こう見えても生粋のローマ人じゃない。シドン出身なんだ。イスラエルにも何年かいたことがあってね、その時におぼえた」
彼はそう言いかえす。そして少しの沈黙のちに「お嬢さん、名前は?」と言った。マリアはその言葉にびっくりし、「ヨアキムの、娘マリアと申します!」と少し声が上ずってしまった。
「そうか、私はティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ。まあ長いからね。ティベリウスか、パンテラで構わないよ」
知っています、という言葉をマリアは焦って飲み込んだ。
「君はこの神殿の女官かい?」
「え、えっと、女官というより、行儀見習いみたいなもので……」
「そうか。じゃあ身分のいいお嬢さんなんだね、これは失礼した!」
彼は柘榴を丁寧に山積みにしながらそう言う。
「私は最近イスラエルに赴任したんだ。まあ、ヘブライ語が上手くできるからってくらいの理由でだがね……ちょくちょくこの神殿にも来るつもりだ」
「は、はぁ……」
「こうして出会ったのも何かの縁だ」パンテラはきれいに積みあがった柘榴の籠を持ち上げて言った。「また会うことでもあれば、仲良くしてくれるかい。マリアちゃん」
「は……はい!それはもちろん!あっ、も、もう持たなくていいです!それ、私がやりますから!」
彼女はパンテラの手から慌てて籠をひったくった。そして、彼に一礼すると台所に走っていった。

「ちょっと皆、聞いて、聞いて!!大ニュース!」
マリアは台所に柘榴を運び終えると、読書の時間に入らされていた仲間の少女たちのもとに駆けこんだ。
「なあに、マリア?それより遅刻よ」
「遅刻する理由があったんです、お姉さま!」マリアはツェルヤに食い気味に言う。
「何があったの?」
「みんな、私、あのパンテラさんとお話しちゃった!」
それを聞いて、一瞬その場は静まりかえった。しかし、次の瞬間。
「うっそー!ほんと!?」
「ねえねえ、やっぱ近くで見たら素敵な人だった!?」と声が湧き上がったのは言うまでもない。
「もうすっごく素敵!私緊張しちゃったもん!」
「なんで話すことになったの―!?」
「私が果物をぶちまけちゃったら、拾ってくれて……」
「うそー、羨ましいー!で、どんなこと話したの!」
「えへへ……それがね」
「それが?」
「こうしてあったのも何かの縁だから、これから会うことがあったら仲良くしてくれって……」
「ええーー!!いいなー、マリア!」周りは大はしゃぎだ。
「ヨセフ君と言い今度と言い、マリアってほんとにもてるよねー!いいなー!」
「そんな、ハダーサだってこの目初めて入ってきた神学生の可愛い男の子とか、かっこいい神殿商人の見習いさんといい感じになってたじゃん!私だって羨ましいんだからね!」
「パンテラさんは格が違うのー!」
そんなじゃれ合いが最高潮になってきたあたりで、ツェルヤが満を持して口に指を当て「シーッ」と言った。とたんに彼女達は静まり返る。
入ってきたのはアンナだった。
「皆さん、ちゃんと読書していましたか?」
「はい」とツェルヤ。アンナはにっこりと笑い、「良い事です」と言ってそのまま部屋を出て行った。
アンナの足音が消えたころ、ツェルヤが言う。
「気持ちは分かるけど、はしゃぎすぎよ」少し咎めるような声だった。
「外に聞こえていたかも。アンナ先生だから、見逃してくれたのかもしれないわよ。お気をつけなさい」
「はい、お姉さま……」その鶴の一声で、彼女たちは黙った。


その日の夜だった。マリアはなかなか寝付けなかった。
皆の憧れのパンテラ隊長と会ったことで忘れかけていたが、ヨセフと気まずい空気になったままだった。こうして熱が冷めてみると、今度はそちらの方がどうしても気になって、不安になってしまったのだ。
彼女達がいるのは、神殿に併設している、マリアたちのような神殿に仕える少女たちが使う寮だ。彼女はベランダに出た。鉢植えに咲いているシクラメンの花が、銀色の月の光を避けるようにうつむいている。その月の光は、神殿が工事中であることを物語る足場のシルエットをくっきりと浮かびださせていた。
それを見ながら、マリアはため息をついた。「マリア、寝れないの?」と後ろから声が届いた。それは、ツェルヤだった。
「お姉さま」
「貴女、不安そうだったものね」
そう言われたことにマリアは驚いた。どちらかというと自分ははしゃいでいたはずだが、しかし、こういうことも、彼女には分かってしまうのかもしれない。
「何かあった?大好きな彼と、とか?」
「お姉さま……」
「話して御覧なさい」
彼女に言われるがままに、マリアはポツリポツリと今日会ったことを語った。すると、途端にツェルヤは笑った。
「なんですか、お姉さま?」
「マリア……悪いけど、そりゃヨセフくんも機嫌が悪くなって当り前よ!あなた、もうちょっと男の子の心を理解する必要があるわね」
「え……」
その言葉を聞いて、マリアは一瞬で恥ずかしい気持ちになった。
「あの、お姉さま。ヨセフと私はそんなんじゃ……」
「あら、数日前に、ヨセフくんが『ハンナとアミールのお菓子が美味しいって言ってた』からって、こっそり拗ねていた子がいえる口?」
彼女にそう言われてしまっては、ばつが悪かった。ツェルヤは少し表情を真摯になものに戻して、「いずれにしても、あまり面白い思いじゃなかったのよ。でも、仲直りはすぐできるはずよ。あなた達、本当に仲良しなんだから」と言って、マリアの頭をポンポンと叩いた。
「お姉さま、やっぱりそう言うの得意ですね……」
「まあね、恋人がいるもの」
ツェルヤに恋人がいることは、周知の事実だった。その彼女が言うから、説得力も増すのだ。
「明日、ヨセフの事も褒めてみます」
「うん……まあ、いいんじゃない?」
彼女達はそれで話を切り上げ、床に就いた。


その翌日の事だった。ヨセフは、やはりいつも通り井戸のそばに来てマリアを待っていた。彼女は、昨日の気まずい空気がまだ続いていると感じた。
「こんにちは」
「こんにちは。あの……ヨセフ」
「え、何?」
「あ、あの!」マリアは言った。「あの、私、ヨセフの事もすっごくかっこいいと思うよ!?」
言い終わって、マリアは我ながら変なことを変なタイミングで言ってしまった、と思った、事実、その言葉ははっきり成功したとは言いにくかった。ヨセフは怪訝そうな面食らった目でマリアの方を見ていたからだ。
「あ……えっと。ありがとう。俺も、マリアのこと可愛いと思うよ……?」
結局彼はしどろもどろに言い返した。気まずい空気が全然治ってない、とマリアがどうしようかと考えたその時、意外な客がやって来た。

「おや、昨日のマリアちゃんじゃないか!こんにちは」
パンテラ隊長が来たのだ。

「パンテラさん!?なぜ……」
「水を飲みたくて井戸の場所を聞いたらここだったんだよ」彼は勝手に釣瓶を落として、井戸水を気持ちよさそうに飲んだ。
その様子を、ヨセフはじっと見ていた。様子というよりも、水を飲み込むパンテラの横顔を。
ひとしきり満足したのだろうか、彼はつるべを先におくと袖で口元をぬぐった。そして、その目はヨセフを捕えた。
「おや、君は?この神殿の商人かな?それとも神学生?」
「……いや、大工」
「そうか。あ、申し遅れたね。私はローマ弓兵隊第一コホルス隊長、ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラというんだ!」
昨日のように、彼はヨセフのそばによって、その綺麗な顔を光らせるようにしてあいさつした。
「君は?」
「……ナザレのヨセフ」
「そうか。ヨセフ君!」彼は明るく続ける。
「君も、この神殿で働いているんだね。私はこの神殿によく来る気なんだ。よかったら、これから仲良くしてくれるかな?」

先日自分に言ったのと全く同じことを言うパンテラの姿を見て、マリアは何処か安心したような思いだった。先日の照れくささをむしろ中和できたような。
ヨセフは彼をしばらく凝視していた。だが、やがて自分の手をさし出して「……よろしく。お兄さん」と言った。

その日、先に帰ったのはパンテラのほうだった。彼にはこの後もまだ用事があるらしく、かなりすぐに帰った。
マリアは再びヨセフと二人きりになり、何を話そうかと焦っただが、その時だ。
「……なあ、マリア」
「な、なに?」
「あのパンテラってお兄さんさぁ……」
ヨセフは勢いよく言った。
「すげえ、かっこいい人だな!?」
彼の目はきらきら輝いていた。

「めっちゃさわやかな感じでさ!?俺の先輩とかにあんなのいねえよ!全然むさっ苦しくなくて!でも、手を握る力、すごく強くて!」
「そうそう、そうよね!」たちまちマリアも乗り気になった。
「あの線が細いところがいいんだよねー!ちょっと女性的な感じで、綺麗って言うか……」
「うんうん!男なのに綺麗で、でもなよなよしてなくて、な!?」
彼らは休憩時間が終わるまで結局盛り上がった。
まさかこんな形で仲直りできるとは思っていなかった。マリアはパンテラに感謝した。
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