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クリスマス市のグリューワイン

feat: Eve 第十一話

その夜、イヴはなかなか寝付けなかった。アダムは返ってこない。リリスが近くにいると聞いて本格的にパニックを起こしてしまい、ラファエルが離れたところで付き添っているということなのだ。
天使たちは何かあったらすぐ読んで、と言い残して、リリスを探すため飛んで行ってしまった。昼間のうちはそれでも大丈夫だと思っていたが、夜が来ると怖くなった。
でも、今日はどれだけリリスの歌声が聞こえてもここを動かないでいよう、とイヴは固く決心していた。そして、早く寝よう、寝れば、朝が来る。朝が来れば怖くない、とも自分に言い聞かせた。
だがそう考えれば考えるほど寝付けなくなる。静かな夜の中風の音を聞きながら、イヴは寝る事だけを考えていた。
だがそんな彼女の耳に、ついに聞き覚えのある歌声がやって来た。でも、今日はここを動かない、と決心するイヴは、その歌声がいつもと違うことに気が付いた。
いつも、遠く離れた一転、いつも決まった声量で響いているだけのその声が、少しずつ、少しずつ大きくなっている。いや違う。これは、近づいているのだ。
イヴはとっさに起きて、逃げようとした、だが、体が動かなかった。すくんでいるというよりも、その声に拘束され、金縛りにあっているようだった。歌声に交じってフクロウの鳴き声のような音が聞こえる。
音はどんどん大きくなっていった。彼女の瞼さえも金縛りにあい、彼女は目を閉じたまま、近づいてくるリリスの歌声を聴き続けているしかなかった。
歌声が止まった。まぶたの金縛りがとかれた。
イヴは目を開けた。そして、自分の上に立っている存在を見つけた。
「こんばんは、イヴ」
月明かりに不気味に照らされた、リリスの姿だった。

リリスは身動きの取れないイヴの側にゆらゆらと寄ってきた。そして彼女のすぐぞ場に膝を突き、四つん這い人って彼女に覆いかぶさるような体制を取る。空の上にはちょうど月が浮かんでいた。リリスの顔は逆光になり、イヴのすぐそばにあるはずなのに、ほとんど見えなくなった。ただただ、リリスの声だけが響いた。
「話しちゃったんでしょ。あたしの事。嫌な子ね……ちゃんと約束したはずなのに」
「イヴはリリスに覆いかぶさられたまま、口を開こうとした。何とか口だけは開く。そのまま、必死で彼女は言葉を出した。
「なんで、帰って、きたの?」
リリスの両手は見えない。オレンジ色の百合の花の香りがきついほど漂っていた。花畑で感じるような香りではない。その自然な香りを凝縮したような不自然なほどの強さだった。
「アダムのためだと思った?」
リリスはイヴの方手首を、自分の片手できつく握りしめた。こんな細い腕のどこに、ここまでの力があるのだろう。
「あたしがアダムに意地悪するためにわざわざこんなばかげたところにのこのこ戻って来たなんて、思ったの?」
「だって」
「酷いじゃない、イヴ。私だって目的があって帰って来たのに。あんたが口を滑らせたせいで、天使たちがあたしの事、今必死に探ってるわ。もうここにはいられないわ。あたし今すぐ逃げ出さなくちゃならないのよ。あんまりじゃない」
リリスは静かに、だが非常に重々しく言葉を浴びせかける。
「でもいいわ。あたし、当初の目的だけは果たして帰るから」
「なに、それ」
「ねえ、イヴ、どうしてあなたは一人だけなの?」
リリスの顔が見えない。だが、イヴんは若田。リリスがあの恐ろしい微笑を浮かべていることが、目で見る以上にはっきりと分かった。
「アダムは守られているわ。でもあなたは一人だけ……相変わらずのおばかさんたち。あたしの目的を何もわかっちゃいない」
リリスの左手のシルエットが月に照らされた。それは瓢箪の実のようなものを握っている。
リリスはその瓢箪に口お付けて、傾けた。そしてその一連の挙動を見ているイヴの顔面を引き寄せ、無理矢理に口づけした。
怯えて震える事すら、リリスの力は許さない。リリスの口伝いに、正体のわからない液体が流し込まされた。飲み込んではいけないと本能で分かった。それでも、イヴの体は含みいれないほどのその液体が肺に行くよりはましだと、それらを飲み込んでしまった。苦しい。唐アガ拒否反応を示しているのがわかった。助けを呼びたいと思ったが口が仕えない。
リリスの口が離された。イヴは天使たちの名前を叫ぼうと思った。だが、口は開放されているはずなのに、思うようにいかなかった。いや、その思いそのものがだんだん崩れていくような感覚を味わった。
目の前にリリスがいるはずだ。なのに、なぜかリリスではないものがぼんやりと目の前に移ってくる。名前もわからない。ただ、変なもの、恐ろしいものであるとイヴにはわかった。
激しい頭痛がする。訳の分からない音が、耳元で鳴り響いた。その音の中に、フクロウの鳴き声が混ざっているような気がした。
吐き気がする。呼吸もうまくできない。
耳がいた無能な中、まるでその雑音たちをすべて従える女王のようなひときわ不快な音として、リリスの声が響いた。
「ダチュラ、って知ってる?」
リリスに体を押さえつけられていなくては発作的に暴れてしまうのが目に見えていた。正気が飛びそうだ。いや、すでに飛んでいるような気すらしてくる。もう目の前に、エデンの光景は見えない。やたらと色と光の濃い、形を持つものなど何もない世界だけがイヴの目の前に広がっていた。それでもリリスだけは、そこにいた。リリスだけが先ほどまでいた世界と、この世界をつなぐ存在だった。
リリスが自分の体に触れたのがわかった。先日感じたあの感触を感じるのに時間はかからなかった。
自我すらも失ってしまいそうな眩惑の中、恐怖と衝撃がいつまでもいつまでも終わることなく襲い掛かってきた。目も耳も感覚を閉ざされて、ただリリスの与える感触と、リリスの語る声だけがはっきりとした形を持ってやって来た。たとえそれが普通なら受け入れたくない恐ろしいものだったのしても、その世界では、それを受け入れるしかなかったのだ。自我を失っても、リリスの声だけははっきりと聞こえていた。
「あたしは楽しく暮らしていたわ。後悔なんて一切なかったわ。でも、聞いたのよ。アダムの新しい伴侶が作られたって。しかもあたしの時の間違いを繰り返さないように、アダムを愛する存在に創った。ねえ、イヴ?教えてあげるわ。あなたがなぜあんな詰まらな人を好きなんだと思う?それはね、あんた自身の創りだされた意義が、アダムを愛すること、だったから。あんたは理由があろうとなかろうとアダムを愛するしかないのよ。どんなつまらない人でも、愛するために生まれてきたの」
アダム。
その言葉が、消えかかていた自我を少しだけ、ほんの少しだけ、戻してくれた様な気がした。
「あまりにおかしかったわ。愚かだと思った。あたしね、あんたのこと大嫌いよ、イヴ。でも、同時にあんたの事、とっても可哀想だって思ってるの。あたしは昔のあたしが嫌い。あんたは昔のあたしみたい。しかも、成長することも、アダムを愛しないっていうことも許されなかった昔のあたしなのよ」
イヴはすがろうとした。手が何かに触れた感触はない。だが、リリスにすがろうとして、それでもいい続けた。
「でも、アダムを傷つけることは、なかったよね……」
「そんな話はしてないでしょ!?馬鹿!!」
リリスが起こったのがわかった。体中に純粋な痛みが走る。転んで傷ができた時と溺れた時の苦しさが両方襲いかかってしまったような途方もない苦痛だ。リリスは語気を荒めて言った。
「とにかくあたしはあんたが大嫌いで、あんたが可哀想なのよ!ねえイヴ、素晴らしい世界を見せてあげるわ、あんたもあたしの仲間になるの。あんたが壊れても神は新しいのを作る、その子も仲間にしてあげる。それがあたしの復讐なの!あたしは誰よりも賢かったんだって、あの馬鹿どもにわからせるための!」
急に、イヴは感じたことのない感触に襲われた。自分の体全体が、鋭い刃に一突きにされるような感触だった。その衝撃は、今まで受けてきたどんなものよりも大きかった。
一番強い衝撃の後、頭が茫然としてくる。色とりどりの色や光すらも、消え去って、ただの位世界になりそうなのがわかった。それでも、フクロウの鳴き声と、リリスの声だけは聞こえ続けていた。
「ねえ……知ってる?あたしがどうやって、知恵の実を食べたか。あたしの頃は、あの実を食べると罰が来るなんて言われてやしなかった。でも、深いところに隠されていて、見つけることなんてできなかったわ。教えてくれたお方がいるの。誰よりもきれいな、あのお方……」
イヴは、頬に何らかの存在を感じた。それはリリスの掌だと、簡単に分かった。
「……ルシファー様。あんたにも会わせてあげる。きっと、その暗い目がパッチリ開ける事でしょうよ」
もう、視界は真っ暗になりかけていた。だが、真っ暗な中、イヴにはうすぼんやりと、満月の影が見えた。
今ならば戻ってこられるような気がして、彼女は手を伸ばした。しかし無駄だった、満月の影も、どんどん、ただのぼんやりしたクリーム色の光になって見えなくなってしまう。
いや、ほどなくして、ずっとその光は見えなくなった。だがそれはイヴの視界が閉ざされたからではない。何者かに遮られたように光が視界から消えた。
イヴの掌にふわりの軟らかい物が舞い降りた。それは、羽毛によく似ていた。
「(天使……?)」
助けに来てくれたの、ありがとう、と言おうとした。しかし皆まで言えないうちに、イヴは意識を失った。


「なんで、貴方がここに?」
リリスが抱き上げかけていたイヴの体を抱える手から力を抜いた。小柄で軽いそれは草地にずるりと倒れる。月光の光を背中に現れた彼を、リリスは嘲笑うように見つめた。
「……サマエル」
リリスに笑われたサマエルは、静かに羽ばたきながら地面に降りると、イヴを抱きかかえた。
「お前がエデンにいると知った。お前はアダムの新しい伴侶の話を聞いてから、ずっとそいつを引きずり込んでやりたいって言っていただろ」
「あー……分かったわ。ウリエルに撃墜された間抜けな悪魔って、貴方の事ね?」
おかしそうに笑うリリスに対して、サマエルは表情を変えない。
「ルシファー様を慕っているあなたが、なんで人間を庇うのかしら」
「お前も元人間だろ」
「イヴを知らないようじゃないみたいね」
「……撃墜されたところ、この子に、助けられてな」
「恩義を返しに、助けに来たってわけ?貴方も天使に見つかったらおしまいなのに。ルシファー様が聞いたら怒るでしょうね」
「……」
「ま、いいわ。ちょうどよかった。貴方が消えたのはルシファー様から聞いてたの。で、ルシファー様から連絡よ」
「なに?」サマエルは興奮気味に顔を上げた。だが、そんな彼を見下すようににやりと笑って、リリスは言い放つ。
「元から特に役にも立たなかったから、もうあなたはいらないって。天使に殺されてろって」
それをきいて、サマエルは二、三度瞬きをして、再度顔を伏せる。だがその動作は、リリスの想定とは違っていたようだ。
「思っていたより驚かないわね」
「そんな気はしてた」サマエルは淡々と呟いた。「ルシファーさんが助けようと思ったなら、エデンになんてすぐ入ってこられるから」
「貴方は本当に惨めね」リリスは言う。
「昔から、悪い意味で不思議だったわ。あなたは。天使たちの中で、貴方だけ浮いていたもの」
「……俺の事はどうでもいい!」サマエルは強く言った。
「だが、イヴに危害を加えるのはやめろよ」
「なんで、貴方にそう言われる筋合いがあるわけ?」
「……俺がルシファーさんに捨てられたんなら、もうあの方に義理をはらって人間を憎む義務もない訳だろ」
彼はリリスを睨みつけて言う。
「俺は……」
「その子を守りたいの?」
リリスは挑発的に微笑んだ。サマエルの睨みなど何も恐ろしいものではないかのようだった。
そして彼女は、火がついたように笑いだす。だがイヴが恐れたそのけたたましい笑い声は、サマエルを恐れさせるものでもなかったようで、彼も怯えた様子は見せなかった。
「できるわけないじゃない!何かを守るなんて、あたしたち、悪魔にできるわけないじゃない!そんなの、あたしたちの領分じゃないわ!」
「お前はとっとと出て行け!」サマエルは叫ぶ。「どうにせよ、もうエデンにはいられないんだろ!」
「あんたの言うこと聞く義務なんてないわ」
「天使たちを呼ぶぞ」
「あんたも死ぬのに?」
サマエルは何も言わなかった。だがそれに不意をつかれたと言った風ではなく、ただじっとリリスを睨みつけていた。
「……わかったわよ。じゃ、さよなら」
リリスはそう言い残すと、体重を感じさせないようにふわりと夜の闇の中に消えて言った、強烈な百合の花の匂いをその場に残して。
サマエルはぐったりしたイヴの体を静かに、元あった場所に横たえた。遠くから得意げなリリスの笑い声が響いてくる。
「イヴ」意識を失った彼女に、彼はぽつりと語りかけた。
「助けてくれてありがとう。お前が敵かもしれないって思うと怖くて言えなかったけど、ずっと、すごく、嬉しかったんだ」
イヴのふわりとした髪を、彼は撫で上げた。
「俺な、好きだった方に捨てられちゃったんだよ。やっぱり、俺はいらねえんだって。……これで、おれの事いらなくないって言ってくれたのは、受け入れてくれたのはさ、イヴ。お前だけになったな」
イヴの額に湧いた冷や汗をぬぐうように彼女の額を撫でて、サマエルは夜風に消え入りそうなほど、小さな声で、意識のない彼女に呟いた。
「俺もお前の事好きだよ。ルシファーさんより、お前が好きなんだ」

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