クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第十話

「うちのものが何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
晩餐会が終わり、パンテラが帰るころに一人の老人と、黒人の中年男性がそう問いかけてきた。メルキオールと同じターバン、同じローブを着た彼らは同じく東方から来た占星術師で、名前を老人の方は占星術師の長カスパール、黒人の方はバルタザールと言った。
パンテラがいい淀んでいるにもかかわらず、カスパールは落ち着いた声で話しかけ続けてきた。彼らにも、何があったかはお見通しであるかのようだった。
「奴は筋はいいのですが、いかんせん美しい者となれば目がないところがありまして……」
「……分からないでもありません」
パンテラは憮然として言い返す。「ですが、ご心配なく。何かと言われるほど大したことも、されておりません」
「それならば何よりですが」
パンテラはこの際だから、と二人にメルキオールについて聞いた。説明してくれたのはバルタザールの方だった。聞けば彼はペルシャ出身で、元は拝火教の神官だったそうだ。若いくせに彼の占いは非常によく当たると評判だったが、素行不良で結局拝火教の寺院を追われたらしい。なるほど、とパンテラが思ったのもつかの間、バルタザールは厳かに付け足した。
「当時から奴の性生活は放埓だったそうですが、それは原因ではありませんでした。嫌がるものに無理に手を出すことはありませんでしたし、あの美貌ですので寧ろ喜ばれてすらいたと」
「では、なんで?」
「ある日突発的に、拝火教の聖火に水をかけて消そうとしたらしいのです。『私たちを救うのは、これではない』と叫びながら」
その言葉を聞きながら、カスパールは夜空を見上げていた。占星術師の目には、エルサレムの星空はきっと、全く違う意味を持って映っているのだろう。


同じ夜、同じ星明りの差し込む中、ヨアザルは自宅に帰り、一人火をともした。真っ暗な、さびしい家が少しだけ明るくなった。彼は長らく一人だった。
十五の頃、彼は婚約者だった親戚の少女と結婚した。なぜか親戚たちは彼に彼女との結婚を急いた。ヨアザルにとっては好きでも何でもない少女だったし、彼女にとっても、彼は好きでも何でもない少年だった。今ではヨアザルは、彼女の顔すらも覚えていない。
親戚たちが結婚を急いた理由はほどなくして分かった。彼女は病に侵され、今にも死なんとしていたのだ。せめて一生に一度は花嫁姿を、とのことだったのだろう。だが、いざ結婚式を終え初夜を迎えるその時に彼女は発作を起こしてあっけなく死んでしまった。彼の人生にあった女との思い出は、ただそれに尽きた。
以後、彼は全く女性と名のつくものと縁がなかった。祭司になりいい収入も得たつもりだが、縁談の話は彼のもとには全くやってこなかった。

彼は女性が嫌いだった。
若くして死んだ自分の妻にすら、郷愁のような感情を覚えたことは、妻には悪いが一度もない。むしろ、ヨアザルの事を好きでもないくせに、一生に一度結婚したいという自分の望みのためだけにヨアザルをだしにつかったその少女は嫌いだった。彼女の花嫁姿での微笑んだ瞳は、自分ではなく彼女自身を映していたのだ、だから嫌いだ、とヨアザルはいつも思う。
結婚している者達、妻のいる者達が彼にとっては羨ましい一方、また彼はそのようなものをばかばかしいものだとも思っていた。とにかく、そう思わなくてはやっていけない。
初夜の前に彼女は死んだのだから、彼は女の体を知ることすらない。若いうちは若い新しい妻とまだ再婚できる、と考えていた。彼は売春婦なるものをひどく嫌っていたので、新しい妻の事を考えれば売春婦で身を汚すなどとんでもないことだ、と思い、売春宿になど行ったこともなかった。
若いうちのみならず、中年と呼ばれる年になってからも彼の意識は変わらなかった。いつかいい縁談が来るはずだ、自分に相応しいお嬢さんが来るはずだ、前の結婚とは違い、こちらも心から愛せる相手が現れるはずだ。それまで売春婦などでこの身を汚してなるものか、とヨアザルは思い、ただ祭司の仕事をすることに務めた。だが、ヨアザルのもとに縁談など一つもやっては来なかった。自分が男やもめだから周りも遠慮しているというのか、と彼は嘆いた。死んだ妻を思ったことなど、一度としてなかったのになんと皮肉な話だろうか。
彼は初老と言う年に差し掛かった。漸く縁談、と言う話が頭の中から消えたのを自覚し、彼は恐怖した。だが、それでも、売春婦を抱くことは彼のプライドが許さなかった。彼は誰にも言えず、男性としての鬱屈したコンプレックスを抱えたまま、自らの老いた体はもう取り返しがつかないのだという恐怖に震えた。
幸いまじめに仕事をしてきたことで増えた人間関係は、彼を癒してくれた。中でも、ザカリアたちは優しく、友好的で、宗派の違う自分にも掛け値なく親しくしてくれた。出世欲もなく、素朴で、ただただ神に仕える彼の事を、サドカイ派であるという点を差し引いてもヨアザルは素直に好いていた。
そんな彼の紹介だからこそ、ヨアザルはザカリアの親戚の娘、と言う少女が神殿にあがるにあたって、後見人を引き受けたのだ。現れた少女を初めて見た時、ヨアザルの心に格段どうと言った感情もわかなかった。何も言うことのない、平凡な少女だと思った。
だが少しずつ彼女が育つにつれ、ヨアザルは彼女に価値を見出してきた。妻も、子供も、庇護する対象をほとんど持つことのない彼にとって、ファリサイ派だ、サドカイ派だ、エリートだ、成り上がりだということを捨ててただただ分け隔てなく彼を頼ってくれるマリアの存在は、いつの間にか掛け替えのないものになっていた。
彼にとって、マリアはただの少女ではなかった。ただの少女、そんな言葉を使うのがおこがましいほど、特別な存在だった。マリアは彼にとって、ようやく現れた救いだった。
清らかなるもの、無邪気なるもの。女と触れ合わず数十年間鬱屈し心にため込んできたヨアザルの考える女性の美徳なるものを、マリアはまるで、全て持っているかのように彼には見えていた。


マリアがいつものように井戸端についたとき、彼女は何よりも驚いた。そこにいるヨセフは、マリアの力がなくとも、苦しそうにではあるが、広げた文書、自分が以前貸した詩編の書を読んでいた。マリアが来たことにすら、気が付いていないようであった。
「ヨセフ?」
マリアが問いかけると、彼は慌てて彼女の方を見た。
「マリア!」
「あなた、一人で読めるようになったの?」マリアは感動して問いかける。今までは自分が時々手助けを入れて、それで何とか読めていたヨセフが完全に自分一人の力で書物を読むのは全く初めての事だった。照れくさそうに笑うヨセフに、マリアは明るく笑って言った。
「凄い。本当に、偉いよ」
自分が彼に教え続けたことがついに実を結んだという実感と嬉しさもあった。だが彼女はそれ以上に、この無学文盲だった少年の成長を、心から賛美したいと思った。
彼女はヨセフの手を握って、褒め続けた。彼は言会変わらず照れくさそうに笑っていたが、それでも屈託のない笑顔で「ありがとう」と、真直ぐに彼女の丸い目を見つめて言った。
「マリアのおかげだよ」
ヨセフの方も、マリアの手を握り返してきた。彼の力は、同い年とは思えないほど強かった。彼のその手をじっくりとかみしめ味わうマリアに、彼はまた話しかけた。
「俺が字を書けるようになったのも、読めるようになったのも、歴史がわかるようになったのも、マリアのおかげだよ」
マリアはそれを聞いて、頬が熱くなるのを感じた。彼女も「ありがとう」と返した後、こう言った。
「でも、ヨセフのおかげでもあるよ。ヨセフが諦めずにずっと頑張ったからでもあるんだよ」
「俺たち、どっちも偉いんだな」
ヨセフは面白そうに告げる。マリアはそれに「もちろん」と返した。

彼らはしばらく、手を握り続けていた。離したくないと思っていた。
マリアは彼の手の感触を、いつまでも感じていたかった。彼とともにいると、何物にも代えがたい安らぎを得られるような気がした。
「ねえ、ヨセフ」マリアは言った。
「ありがとう」
「なにが?」
「なんでも。でも、私もあなたにありがとうって言いたいんだ」
マリアはそっと彼の瞳を見る。その目に自分が映っているのが、はっきり見えた。ヨセフの健康的な色の頬にはうっすらと赤みがさしていた。
「俺も」
彼は照れながら、しかしはっきりと言い返した。そう言うと思った、とマリアは、彼女自身にも理由は分からないまま感じていた。


一晩開けても、パンテラの頭からは何となく、晩餐会の夜が忘れられなかった。
あの激しく、そして虚ろな美しさの中で、ローマ皇帝の冠を飾る宝石のように純粋に光り輝いていた少年と青年。アンティパスとメルキオールの顔が、パンテラの頭からは離れなかった。
だがそれと同時に、彼はその虚ろな宮殿の美しさそのものに対する恐怖心も覚えている自分が自覚できた。黄金と宝石で飾られたあの空間が、一体なぜ恐ろしいのだろう。彼にはそれが理解できなかった。
確かにユダヤ王家はそう名門ではない、成り上がりの家と聞いている。王家に相応しからぬ血を持つ人々がどんなに着飾れど、所詮は……と言ったところなのだろうか?
それはおそらく、違う。よしんばそうであったとしてもパンテラはそう言う考えを肯定したい主義ではなかったし、それに彼が感じた異常は身の程知らずのものを見て感じるこっけいさよりも、むしろ恐怖に近かったのは明白なのだから。
彼は市場を歩いていた。素朴な市場の空気は、彼の心を癒してくれる。ここは、あの宮殿の異常性とは無縁のように感じる。
ヘロデ大王は建築事業に非常に力を入れたと聞く。おかげで町並みは大分ローマ的で、そう異国に来たという違和感も感じなかった。ちらちらと自分によこされる視線……ローマに対する敵意あるものも無論のことそれには混ざっていたが……をやり過ごし、魚を物色していたパンテラの下から肩を叩くものがあった。
「パンテラさん!」と勢いよく声をかけてきたのはヨセフだった。
パンテラはマリアと一緒に彼にあって以来、彼と話していたことも何度かあった。今では立派に顔見知りだ。
「おや、どうしたんだい」
「俺も買い物です。押しつけられて」
彼の体には赤みのかかった痣ができいていた。「それは?」とパンテラが心配して聞いたが、彼は「先輩たちにやられただけっす、心配しないでください」と返してくる。
「そんな……ヨセフくん。それはよくない。心配するなだって?するさ。今から私が一緒に行って、抗議して来よう」
「別にいらないですよ」ヨセフは当たり前のように言う。「そう言うの聞き分けるくらい、頭のいい先輩たちでもないし」
「何を言う!」パンテラは声を少しだけ荒げて抗議した。「君のような子供がそう言う目にあって黙っているのが正しい道なものか!」
「……パンテラさん、気持ちはすごく嬉しいんだけど」ヨセフは少し、その快活そうな顔を曇らせて言った。
「いや、本当にうれしいんです……そう言ってくれる人あんまりいないし、俺、本当にうれしいんです。でも、そう言うこと言われてパンテラさんが注意したとして、結局全部鬱憤は俺の方に回ってくるんですよ」
その言葉を聞いて、パンテラははっとして怯んだ。確かにそうだろう、と思わせてくる説得力が、その言葉の中にはあった。
「それでも……」
「いいんです。俺はパンテラさんがそう言ってくれたら。パンテラさん、かっこよくて優しくて、俺は大好きですし」
「何を言うんだ。それじゃあ君は、殴られるだけじゃないか」
「そうでもないっすよ。俺は、すごくうれしいんだから」すでに買い物の詰まったもの入れを背負いなおしてヨセフは言った。彼らの脚は、すでに神殿の方に向かっていた。パンテラもヨセフが心配で、別れる気になれなかったのだ。
丸っきりローマ的な円形劇場が視界の端に見える。自分の先をぴょんぴょんと早足で歩いていく十二歳の少年を見て、パンテラは自分の若い頃を思い出していた。
「ヨセフ君」パンテラは先ほどの話を蒸し返せなかった。代わりに彼は温和な声で「転ぶよ」とヨセフに言った。

自身の白亜の体と長い黄金の髪の毛に包み込まれながら、抑え込んだ甘い声を気持ちよさそうに発する優美な少年の体を優しく愛撫しながら、メルキオールは言った。
「ずいぶんうまくなったね、しばらく会わないうちに……」
「あなたの教え方がいいのさ、メルキオール」
アンティパスは柔らかい肌を紅潮させ、不敵な笑みを崩すことなく目の前の美青年に言う。「ペルシャに居た時も、インドにわたってからも、君ほどの少年は見たことがなかった。美しさにおいても、この悦びようにおいても……」
彼はぺろりとアンティパスの首筋を舐め、快感に浮かされたように、独り言のようにつぶやいた。アンティパスはをそれをろくに聞かなかった。彼は若干おかしいところがある。いつも、このようなことを呟くのだ。
「救いとは何か?私は、拝火教を捨てたわけではない。宗教の名前に何の意味があろう?私は結局、人間が救われればなんでもいいのだ。でも、あの火は、私たちを救うものではない。私は、なにも見なかったのだから……」
彼は狂人じみている、とも言えふかもしれない。それでもアンティパスは彼が好きだった。宮殿に居るどんな大人より、彼が好きだった。
メルキオールはアンティパスの、片目を隠す前髪を優しく掻きあげた。
「うん、此れもちゃんとよく似合っている。大切にしてくれているようだね……」
彼はこつんと、眼孔にはまったものを軽くたたいた。そこにはやわらかい眼球の代わりに、眼球ほどの大きさの、燦然と輝く猫目石がはまっていた。
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