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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第十二話

ヨセフがいなくなって、マリアは数日寝込んでしまった。彼がいなくなった直後に、熱を出してしまったのだ。
結局ほどなくして、やはりヨアザル自身の口から事の顛末をすべて聞かされた。「お前を心配しているからだ」「お前のためだ」と言う言葉とともにそう言われて、マリアに何も言い返す権利などなかった。
結局、それだけの関係なのだ。自分とヨアザルは。若輩者と年長者、女と男、未成年と後見人。従わなくてはならない立場のマリアには何も言う権利がない。
ヨアザルには感謝している。家族のようにも思っている。でも、彼との関係におけるこういうところは嫌いだと、彼女ははっきり思っていた。ヨアザルは時として、とても怖い。
なぜ、これほどにも体中から力が抜けるのだろうと自分自身で考えてみても、考えてみればみるほどヨセフを失った喪失感が襲ってきて、熱の苦しさと相まって一層辛くなった。おまけに頭痛までしてきた。
窓の外から金槌の音が聞こえる。昨日までとその音色は同じはずなのに、もっと冷たく、もっと空虚なものとしてそれは鳴り響いていた。
「盗人の家系の子供、神から呪われているろくでなし」と、ヨアザルはヨセフの事を言っていた。何を根拠に彼はそんなことを言うのか、あの指輪の正体を結局知らされなかったマリアにそこまでは分からない。でも、少なくとも彼女には、ヨセフ自身が神に呪われているとは到底思えなかった。あの彼が呪われるのならば、このイスラエルなどとっくに神に憎まれ滅ぼされているのではないかとすら、彼女にはぼんやり思えていた。
それでも、何も言えなかった。神に直接仕えるヨアザルが言うならそうかもしれない、と思ってもしまう。そんな自分を、マリアは、生まれて初めてと言ってもいいほど激しく嫌った。
倒れてしまった自分を優しく受け入れて、仕事や勉学をせかしはしない周囲の少女たちの存在が、彼女にとって大きな救いだった。

パンテラは数日間の間、神殿に通い続けた。ただマリアは倒れてしまっているし、まさか彼が少女たちの寮には入れるはずもなく、たいていはその場ですぐ引き返していた。
ただ三日目の日に、ツェルヤが「お送りしますわ」と言って、そのまま付き添ってくれた。「聞きたいお話もあるんではございませんの?」と淡々と告げて来る彼女の存在を、パンテラは非常にありがたく思った。
「マリアちゃんは、どうなんだい?」
「そろそろ熱も下がって来ていますわ。もうじき、治るでしょう」彼女は言う。
「よかった……」
パンテラは、なんといっていいか分からなかった。マリアが倒れたのは熱のせいだろうかと確証が持てなかったのだ。ただ、ツェルヤの方からその話を始めた。
「残念なことですわ。あの子たちは、こんな形で離れていい関係じゃなかった。まだお互いの気持ちもはっきりわからない年なのに」
パンテラはその言葉にハッとする。「……そうだね」と、彼は返した。
「……ヨアザルどのは」
「はい」
「なんで、ああもヨセフ君を嫌ったんだね」
ツェルヤはしばらくの間無言でいたが、「……殿方のわがまま、と言ったところなのでしょうか。もっとも、私に男心は分かりませんわ」と告げる。
「自分の娘を手放す殿方の心情とは、どのようなものでしょう?私の父は、あんな態度はとりませんでしたわ。それは父とカイアファが仲が良かったから、ただそれだけなのでしょうか……」
「分からないね。私にも、妻もいないし子供もいないから……」パンテラは目を伏せがちに言う。
「パンテラさん。私、もうじき神殿から去りますの」
「え?」
「カイアファと夫婦になるんです。少女の時間は終わり。もう夫人になる必要があるんですわ」
まったく自然に、彼女はそう言った。パンテラは少しの沈黙の後、「おめでとう、ツェルヤさん」と微笑んで言った。
「ありがとうございますわ」彼女は上品に笑う。
「ツェルヤさん、貴女は……」パンテラは、先日のカイアファの事を思い出していった。「彼の事を、愛しているのかい?」
「ええ」迷わず返す彼女。「……パンテラさんの意図もわかりますわ。でも、彼はあれで、可愛いところもありますの。昔からずっと愛していますわ。心の底から」
「そうか……それは良かった」
空気が少し涼しい。もうじき冬だ、とパンテラには分かった。
「いつかは結婚して、いつかは子供を産んで……少女はいつかそうなるものですわね。少なくとも、この時代、このイスラエルでは……」
ツェルヤはそう、ぼそりと呟いた。
「そうだろうか」パンテラは言う。「それだけが人生かね……」
「だから、この時代と申しましたわ。これ絶対不変な真理かどうかなんて、私ごときにはわかりかねます。いいえ、それどころかむしろ私たちの本心はそんなものだけではないと、少女たちだけで暮らしていれば分かるものもございますもの……でも、結婚するまいと子供を産むまいと、おそらく不変の事もございますわ」
「どんな?」
「子供は遅かれ早かれいつか、一人前に成長します。それは、絶対に変わらない真理ですわ」


マリアは自分の額を触る。熱がだいぶ引いていた、ただ、体は相変わらず、だるい。体中が重くなってしまったようだ。頭痛はむしろひどくなっている。
「……ヨセフ……」
彼女は呟く。その時、扉が動いた。ヨアザルか、仲間の少女たちか、と思ったが、現れたのはどちらでもない人物だった。
「アンナ先生……」
「マリア。熱が下がったって聞いたわ。楽になった?」
アンナはしわくちゃの顔でそう笑う。彼女の柔らかい笑顔は、マリアを少し癒してくれるような気がした。
「ええ、少し……」
「よかったわ。ゆっくり、おやすみなさい」
彼女はまだ少しだけ熱の残るマリアの頬にゆっくりと触れる。アンナの普段は暖かい手が、今はとても冷たく感じる。
「マリア、神様をお信じなさい」
彼女は年の割に綺麗に歯の残る口で、そう言った。
マリアは彼女にもたれかかる。しばらく、両親にも会っていない。彼女はどうしようもなく、さびしかった。自分の母親と同じ名前をしたこの教師に、彼女は精一杯甘えた。彼女はそれをはねのけなかった。
「ヨアキムさんたちに、連絡を取る?きっと、来てくれるわよ」
マリアはその言葉に、うなずいた。
彼女のもとから去ろうとするとき、アンナは立ち止り、首をかしげて告げたした。
「マリア、まだ、隠していることがあるのではないの」
マリアはその言葉に、恥ずかしそうにうなずいた。そして、血で真っ赤に汚れた下着を、アンナの顔もろくに見れずに、差し出した。
アンナは怒らなかった。それを受け取って柔和な表情を浮かべ、「あなたも大きくなったのね」と、慈母のように笑った。


何日経過しても、本当に、ヨセフは帰ってこなかった。神殿の工事をただひたすらに続ける大工たちは、あの少年がいたことなどとうの昔に忘れているようだった。
マリアの生活も変わらなかった。休みのたびに井戸端に行くことが、あまりなくなった程度だった。パンテラとは、井戸端でなくとも顔を合わせて世間話程度はした。
ツェルヤは事実ほどなくしてカイアファに嫁ぎ、神殿から消えてしまった。少女たちは皆涙を流して彼女との別れを惜しんだ。しかし、ツェルヤがいない生活にも、マリアはいつの間にか慣れた。
ヨセフがいなくなっても、ツェルヤがいなくなっても、マリアだけはただ、神殿に留まり続けた。




その日、パンテラはヘロデ王の宮廷に招待されていた。占星術師たちも数か月ぶりに訪れているようだった。曰く、月食の観測される日だという話しだ。
しかしメルキオールの姿は見えなかった。彼は、それに若干の安心を覚えた。

彼はいつもの通り、ヘロデの宮廷から感じる不気味な雰囲気を受け入れつつ、ヘロデ王と上の王子たち、アルケラオスとフィリッポスとともに話していた。
「恐れる必要はありません、陛下」彼は恭しく言う。「皇帝アウグストゥスにとって、貴方様はいつまでも友であり味方であると、皇帝陛下直々におっしゃっておりますとも」
「本当か」そう言ってくるヘロデの声は震えている。「本当なのだろうな」
「はい」
二人の王子たちも、父を必死に励ましている。やがてようやく落ち着いたと見えて、彼は「……よろしい。私も安心した」と言った。
「私も長くはない……」
「父上、何を言われますか」
そんなことをおっしゃらず、とパンテラが言うより前に、間髪をいれずアルケラオスが言う。「父上は偉大であらせられます。ダビデよりも、ソロモンよりも。ですから、どうか長く生きてくださいませ」
「……よろしい」
ヘロデは震える声で「晩餐としよう。用意をさせる。パンテラ。貴方も、呼ばれるがよい。今宵は不思議な夜だそうから」と告げた。
「は、お言葉に甘えまして」パンテラは礼をした。


晩餐の準備の間、パンテラは宮殿を散歩していた。嫌なほど金に輝いている宮殿を。
見れば見るほど、宮殿は完璧と言っていいほど美しく見える。しかし何かが欠落しているのだ。何かが……。
月食は始まっていた。もっともあまりこういうことに明るくないパンテラには、言われてみなければわからない。
そう考えていると、パンテラの耳にふと、うめき声が聞こえた。
「(!?)」
彼は驚いて、うめき声がどこなのか、探す。四方には、何もない。頭の上では、欠け始めた、赤く染まり始めた月があるだけだ。
「(下……?)」
彼は急いで、地面に耳をつける。確かに、うめき声、いや、今となっては叫び声はそこから聞こえていた。彼はひやりとした。
地下に居る彼の声は、確かに叫んでいた。だがそれは厚い地面に覆い隠され、気をつけなくては聴けもしない小さな声になっていた。

ふと、パンテラの視界に絹でできたドレスの裾が目に入る。目の前の彼女はずっとその場に屈みこんだ。パンテラが目を開けると、自分をじっと見下ろす、幼い美貌がそこにはあった。
「ヘロディア殿下」彼はフィリッポス王子の婚約者である少女に自らの非礼をわびる。ヘロディアは何も言わなかった。ただじっと、ローマにある女神像のように整った、全く動かない表情のまま、パンテラが耳を当てていた場所の下を指さした。
「……殿下」彼は震える声で言う。「な、何が、あるのですか?この、真下に……」
ヘロディアはやはり、答えなかった。まぶたをピクリとも動かしもせず、うつむきもせず、パンテラを見つめていた。彼女は本当は言葉の通じない異国人なのではないかとパンテラが疑問に思うほどだった。
彼女は徐々に赤くなる月の光を浴びて、こつこつとうめき声を吐き出す地べたをつついていた。じっと、動きもしない宝石の目でその下を見つめるように……。
やがて力尽きたのか、声が聞こえなくなったころ、ヘロディアは無言のまますっと立ち上がった。そして、パンテラの裾を掴む。
着いて来いと言うことなのだろうか?とパンテラは怪訝に思う。問いかけると、ヘロディアはこくりと縦に振った。
皆晩餐の準備でてんてこまいなのだろうか。中庭は非常に静まり返っていた。物言わぬ美少女はしずしずとパンテラを、ギリシャ風の柱で飾られた東屋に案内した。
「おや?パンテラ将軍。ヘロディアも……」
そこには、アンティパスが一人、金と紫の布に包まれた長椅子の上にちょこんとその細い体を横たえていた。彼の薄い衣装ははだけ、柔らかい肌が露わになっていた。周囲には、異常な芳香を放つ液体の溜まったガラスの瓶と、グラスがあった。
「嬉しいね、また会えたとは」
「殿下……?なんですか、それは」
「ハオマ酒だよ。メルキオールからもらったんだ。拝火教の酒さ。普通の酒より、ずっといい気持ちになれる……」
体を起こして椅子に座りながら、舐めるように自分を見てくるアンティパスの視線をやりすごしつつ、パンテラは疑問を呈した。
「殿下、あなたのようなお年で酒を飲むものではございません。……この中庭の真下には、何かがおありですか?」
「聞こえたの?」
彼は笑う。「はい」パンテラが答えると、アンティパスはヘロディアのか弱い肩を抱いて隣に座らせ、「牢獄だよ」と言った。
「誰が閉じ込められていると思う」
「……どなたですか?」
「ヘロデ・アンティパトロス……なんて、言えばいい人なんだろう。複雑だからね」
彼は子供にしては低い声でそうつぶやく。
「僕や兄上たちの兄……父上にとって初めての長子……」
「え……?」
「つい数年前、父が自分の王位を奪おうとしていたという容疑で処刑した、アレクサンドロスとアリストブロスの兄上の処刑に全面的に協力していた、あれ以来父上が一番大切にしていた息子……そして、つい数か月前に、自分も父を怒らせて逮捕されてしまった人……」
ヘロデは指折り、アンティパトロスという王子に関しての情報を言っていく。一つ一つ彼が言葉を重ねるたび、月が赤い光を増すようだった。
「だから……アリストブロスの兄上の娘である、このヘロディアの仇でもある人……」
「殿下……?申し訳ございませんが……」
パンテラは、言葉が進むたび頭がくらくらと混乱するようだった。
「それで……僕の目がこうなった、間接的な原因でもある」
彼はゆっくりそう言って、左目を隠す前髪を掻きあげる。
パンテラは、絶句した。
アンティパスの左目にはまっているのは眼球ではなかった。非常に見事な猫目石の球だった。それはずんずん赤く染まる月の光を受けて、怪しげに輝いていた。
「いったい、貴方の家に何が……?」
「聞かせたら、僕の寝床にいっしょに行ってくれるかい?」
けろりとそう言葉を吐くアンティパスにパンテラが言葉を詰まらせていると、ふわりと彼は唇を動かす。
「冗談さ、座りなよ」
彼はヘロディアの反対側をポンと小さな手でたたく。
「何から話せばいいのやら……」
言われるままに結局その場にふらふらと座り込んだパンテラに、アンティパスは語り始めた。
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