クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第十五話

神殿に新しく垂れ幕を作ることが決まった。糸をつむぐのは、勿論少女たちの仕事だ。
金色の糸、水晶のような透明感のある糸、何も色を付けない亜麻の糸、絹糸、ヒヤシンス色の糸、紫の糸、そして緋色の糸。
「誰が色を紡ぐのか、それも神の御決定通りに。これは、神にお捧げする垂れ幕だからな」
祭司たちはそう言って、彼女らにくじを引くように言った。くじは、ユダヤにおいては神の決定を示す重要なものであった。
マリアは一番最初にくじを引いた。彼女の割り当ては、紫と緋色の糸に決まった。
「わあ、ぴったり!」
彼女の後ろから、そう無邪気な声が聞こえる。
「やっぱり、そういう色はマリアお姉さまですね」
周りの少女たちも、笑って同意した。マリアはそれに、はにかみながら「ありがとう、アダヤ」と返す。
紫と緋色はこの七色の中でも特に高貴なもの。昔はツェルヤが紡ぐべき糸だったろう。だが、今となってはマリアがそれを紡ぐのがぴったりとみなされた。

マリアは十六歳になった。
自分と同い年ほどの少女たちは最近皆嫁いで、神殿を出て行ってしまった。マリアはいまだに神殿の中にいる。
自分の所には、なぜか結婚の話がやってこないのだ。そろそろ縁談の話が持ち込まれてもいい年齢……マリアのような育ちのいい少女ならばとくに……であるのに、それを楽しみにしていたのもつかの間、なぜか今や大祭司の職に上り詰めた後見人のヨアザルはそんな話を全く持ってこない。ついに、彼女は取り残されてしまった。
今では完全に彼女は、神殿付きの少女たちの中では一番のベテランになった。しかしやはり彼女はどうにも、違和感が抜けきらない。
自分が慕ったツェルヤ、彼女の年齢に追いついても、自分の少し丸めでずんぐりした体は、スマートで美しかった記憶の中のツェルヤよりも子供っぽく見えた。中身もまたしかりだ。ツェルヤのような大人っぽさには、自分はまだほど遠い気がした。
「(お姉さまなんて柄じゃないのにな)」
彼女は自分より年下の彼女たちにそう言われるたび、いつの間にかそう呼ばれるようになった自分を見つめなおしてはそう思う。慕ってくれる彼女たちの事は大好きだが、それでも彼女は違和感を感じて生きてきた。
この前ツェルヤにあった時、彼女は本当に楽しそうだった。もうすっかり、将来の祭司となるエリートの美しい若妻になっていた。マリアはそんな彼女を見て、やはり彼女は憧れだ、と思った。
結婚にはあこがれる。早く、ヨアザルがそう言う話を持ってくればいいのに。自分もいつか、誰かの妻になって幸せな奥さんに……。
と、彼女が思うとき、彼女の心にはいつも、浮かぶ人物があるのだ。もう最後に見た時から四年になる、自分と仲の良かった少年。彼にあの日、自分がどういう思いを抱いていたか、少しなりとも大人になって、今ようやく分かるのだ。


「色の担当が決まりました。神殿の垂れ幕は、良いものが出来上がりそうですよ」
カイアファは厳かに、大祭司ヨアザルにそう言った。
「見てくださいよ、この完成予想図!ヨアザルさんがうるさいから、デザインに苦労したんですよ」
「王や貴様らに任せれば、ローマ風のものばかり持ってきそうだからな」
ヨアザルは重量感のある大祭司の椅子に座り、前に座る青年を憮然とした態度で睨みつける。だがカイアファはそんな視線もなんのその、「は、申し訳ありません、大祭司様」とひょうひょうと言ってのけた。
ヨアザルはそんな彼の事が、やはり今となっても苦手だった。
自分と、彼の師匠であるアンナスが大祭司の椅子を争った。そして、なんとかヨアザルがその座を勝ち取ったのだ。
これで奴らももう二度と自分を馬鹿にはできまい、奴らの屈辱に満ちた顔を見るのが楽しみだ、そんな奴らをこき使ってやるのが楽しみだ、と思ったのもつかの間。アンナスはともかくカイアファのほうは、相変わらずその、どこか舐めてかかったような態度を崩さないままだった。
「紫と緋色は、貴方が面倒を見ているマリアの担当ですよ。良かったですね。貴方も鼻が高いんじゃないですか」
「マリア……」ヨアザルは、その名前を口の中で反芻する。
「業務連絡は以上です。……あ、そうだ。マリアと言えば」
「どうした?」ヨアザルは若干身を乗り出して話を聞く。カイアファはそれに対してからかうような小さな笑い声を出したのち言った。
「あの子、そろそろ結婚しないんですか?もうそんな時期でしょう。僕の妻が結婚したのも、同じくらいの頃ですが……」
マリアの話と聞いて、彼女に何かあったのかと心配したのが失敗だった、とヨアザルは内心で舌打ちした。
「……結婚は、慎重に行わねば」
「そうですかねえ?結婚生活はいいものですよ。貴方もご存じの通り……ああ失礼!大祭司様は若いころ奥さんと死別されて以来そう言ったご縁はとんとないお方だったそうですね」
「カイアファ!」気にされていることを指摘され、激昂して彼は叫んだ。「片田舎の神学校の教師として、一生を終えたいか!?」
「ご冗談を大祭司様。僕は、若いころの妻に今でも寄り添う愛妻家のあなたを賛美しようとしただけなのに、なぜそんな仕打ちをなさいます。それほど心の狭い男ではないと、信頼しての事ですのに」
そう弁明するカイアファの言葉を聞いて、ヨアザルは声を震わせながら「下がれ!お前には関係のない話だろうが!」と言った。
「それもそうですね、失礼いたしました」
カイアファはそう言って、垂れ幕の完成予想図をヨアザルに渡すとすたすた歩いてどこかに行ってしまった。


歩き去っていくカイアファを、神殿の廊下で呼び止めるものがあった。振り向いてみれば、アンナスだった。
「先生!ご機嫌麗しく」
「カイアファ。見ていたぞ、先ほどの事」
ああそうですか、と彼はアンナスに向かって苦笑いする。
「お前は本当に昔から、なかなか言うやつだ。私も形無しだな」
「なんといいますかね……特に僕は、あいつが嫌いなんです」
カイアファはゆっくり言った。
「イライラするんですよ、あれを見ていると!気持ち悪くなるとでも言いますか……とにかく、気に食いません。まったくヘロデ王もなにがどうしてあれを任命したんでしょう?」
「その嫌悪の理由、私は知っているぞ、カイアファ」アンナスは言った。「つまるところ、私が大祭司になれなかったからだな」
「そうですとも、先生。まったく、早くくたばってくれませんかね!」
アンナスはくすくすと声を抑えて笑う。「控えろ。聞かれたらたまったものではない」
「そうですね、申し訳ありません」
「いずれにせよ……私はまだ、大祭司の座をあきらめておらん」
「それでこそ、僕の先生です」
カイアファは細い指を唇に添えて、思案する。
「(なにか引きずりおろせるネタがあればいいんだけれど……)」
アンナスの天下になれば、彼の一番の弟子で娘婿でもある自分にも膨大な利益がやってくる。そのために、アンナスと仲が悪い、事実アンナスに特に若干の礼遇をしているヨアザルの天下が長く続くのは、カイアファにとって不愉快だった。



大祭司の椅子に座りながら、誰もいない大広間で、ぼんやりとヨアザルは思案する。
大祭司になることは、憧れだった。サドカイ派たちに馬鹿にされてきた屈辱を晴らせると思っていた。
だが、結果は先述の通りだ。さすがにカイアファほどの態度を取るものは彼しかいずとも、大祭司としての生活は、彼が思い浮かべていた理想からは違うものがあった。
誰もかれも自分を敬うと思ったのに、あの嫌な奴らが屈辱にあえぐ様を存分に楽しめると思ったのに。
自分が大祭司になっても、世界など、全く何も変わらないままだった。
それはそうと、と彼はマリアの事を考える。実は表には出しておらねど、マリアに対する縁談の話はそこそこ来ている。だが、何かと理由をつけて、自分は断ってしまうのだ。何の意識もなしに。
マリアが結婚するのが、彼は嫌だった。それはなぜだろうか、彼は葛藤する。「産めよ、栄えよ、地に満ちよ」と、主が最初の人間に告げたことなど百も承知の上で、彼はマリアが結婚し誰かの子供を産むなど許せない、と思っていた。
彼にとってマリアは、癒しの存在だった。大祭司になり多忙になって、しかも思っていたような痛快さは得られないと知ってからは、なおさらの話だった。そんな彼女が結婚するというのは真っ白な絹に泥をつけて汚してしまうような、とてつもなく不快な話であるかのように、彼には感じられていた。


その日の午後、ヨアザルは悩みを聞いてもらおうとザカリアを自分の執務室に呼んだ。もとはと言えば、マリアを自分の所に紹介してきた彼だ。普段なら夜まで待って彼の家で話すが、あいにくと彼の属している祭司の組が今は祈りの当番で、彼もその期間が終わるまでは家に帰れず、神殿に居なくてはならない。
ザカリアを選んだのは、彼と元から仲が良かったというのが勿論一番の理由だが、それだけではなかった。彼ならば、少しは自分の独特な考えにも同意してもらえるかもしれない、と思ったからだ。
ザカリアとその妻、エリザベトにも子供がない。しかし、それでも彼らは神に立派に仕え、尊敬されていた。そんな彼らだからこそ、結婚して子供を作るだけが正しい道ではないのではないかと言う自分の考えにもどこか通じるところがあるのではないか、と思ったのだ。
ザカリアは穏和で優しい男だ。彼はヨアザルが、言葉もまとまりきらないまま話しているのを否定せず聞き続けた。
「私は、マリアが結婚するなど、どうしても許せんのだ」
「それは……なぜかね」
理由を聞かれ、ヨアザルは自分の思いを言語化しようと試みる。彼の頭の中に、ふと、これが理由ではないかと思い浮かぶものがあった。
「マリアは、普通の少女ではないではないか。主なる神にその誕生を告げられた、神にささげられた、特別な少女だ」
「うむ……それで?」
「そんな彼女が人間の男に汚されるなど、ありえてはならぬことではないか!?」
それが本心なのだろうか……考えれば考えるほどヨアザルは自分がマリアに感じている複雑な感情をかみしめたが、間違っているとも思えなかった。
男がマリアを汚すなど、おこがましい。あの、自分にとって救いともいえる乙女を。そう言う気持ちがあるのは、確かだった。
「なるほど神はアダムとイブに『産めよ、栄えよ、地に満ちよ』と言ったとも。だが、所詮は蛇に騙された罪深い女にだ。神に祝福され生まれたマリアとは違う」
「それで……どうすればよいのだろう?」
「どうもせんでよい。マリアに夫などいらん。あの子もそれを望んでいる。あの子はあばずれじみたそこらの娘とは違う清らかな子で、男に体を差し出すなどと言う売春婦のようなまねは心底嫌っているのだから」
「そうだろうか……あ、うん、いやなに、そうだろうね」
ザカリアはその時一瞬、言葉を飲み込んだ。と言うのも、以前話した時、マリアの口から結婚には憧れを持っている、と言う旨を聞いていたからだ。
だが、それをわざわざ言いはしなかった。今言ってもこの場を険悪にさせるだけだ。ヨアザルも時間が立てば、無難な道を選ぶだろう。今は可憐な少女であっても、どうしたっていずれゆかず後家と呼ばれる年なる。そうすれば、いくらなんでも放っておくはずはない。それ以前に気が付いてくれればなおいいのだが、とザカリアは思った。


やがて太陽は落ち、新しい日がやってきた。
暗い中祭司たちは自宅に帰る。ザカリアは、やはり帰る直前にヨアザルの愚痴を聞かされていた。
「全く、あの生意気なカイアファの小僧め……」
彼の愚痴に同意しようとしたが、ちょうど後ろにアンナスとカイアファがいるのに気が付き、ただ同意することもできなくなったザカリアは苦笑していった。
「まあ、彼は不敵すぎる所もあるからね……でもあの不敵さは、出世するタイプだよ。いずれ大物になるかも」
「少なくとも私の目の黒いうちは、金輪際そうさせんぞ!」
ヨアザルは遠慮なしにそう言った。ザカリアはもう一度苦笑すると、「それでは、私はそろそろこれで」と手を振った。彼が家に帰れないのは先に述べたとおりだ。のみならず、くじで祈りの割り当てが決まったのはザカリアだった。
「では、良い務めを」
「ありがとう。それでは、後日」
ザカリアがそう言って聖所に入っていくのをヨアザルは見届けて、寒い夜を、一人しかいない家に向かって帰っていった。

その時は、まさかそんな何気ない言葉を機に、しばらくザカリアの声が聞けなくなるなど思ってもみなかった。
夜が明けて神殿に来てみると、神殿は騒ぎになっていた。ヨアザルは何があったのだろうか、一晩のうちに口がきけなくなっていた。
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