クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第十八話

ヨセフには、まだ帰る家はなかった。彼はもう大工として独立していたが、財産はほとんど持たず、野宿同然の事をして食べている身だと、素直にマリアに明かした。マリアはそれを聞いたとき、「じゃあ、私の家に来ればいいじゃない」と言った。マリアも、もう神殿を去ることになる。今日はヨセフと一緒に、両親の待つ家に帰る気でいた。
「いいのか?」ヨセフは多少慌てて言った。
彼らがしたのは、正式には婚約だ。これから様々な婚約の儀式をし、婚約期間を満了して、そしていよいよ結婚になる。まだ、二人は体を合わせる時期どころか、正確に言えば二人きりで会っていい期間ですらない。何をするにも、この段階ではまだ、付添い人が必要だった。
しかし、マリアは言った。「でも、帰るところ、ないんでしょう?」
「ああ、まあ……」
「なら、来なよ。お父さんもお母さんも、きっと歓迎してくれると思う」
彼女のその笑顔を見ると、ヨセフも安心できた。「じゃあ、もし大丈夫なら」彼も笑って、二人はヨアキムの家に向かって歩みを進めた。
二人で歩く間、彼らはいろいろな話をした。お互いの身にこの数年間何があったか、語っても語っても語りつくせなかった。

ヨセフは大工として、大分腕を上げたらしい。
「もう、俺に文句を言うような奴も誰もいねえよ」彼は得意げに笑った。それがマリアにとっては本当にうれしかった。あの日の、周りに蹂躙され続けても必死で生きる少年の姿が今はもうないことが。そして、ヨセフが好きだと言っていた大工の仕事を諦めずにいられたことが。
「大工になれて幸せ?ヨセフ」
「ああ、勿論」彼は言う。
「私も、貴方に会えたのが幸せだけどね!」
「あっ、ちょっと……それは俺の台詞だぞ!」
彼らがそうふざけ合って帰った時、ヨアキムはマリアの思い通り、笑って花婿を歓迎してくれた。そして家に帰ってきたマリアの事も、心の底から暖かく迎え入れた。
「彼、家がないんだって」マリアは言う。「ねえ、うちにあいてる部屋無い?」
「もちろん、有るよ」ヨアキムは笑って、ヨセフの方に目を向けた。「ヨセフくん、だったかな?マリアから、話は聞いているよ」
「あ、どうも……」初めて会う立派な身なりの老人を前にして、ヨセフは少しだけ戸惑っていた。しかしそれが少しだけで済んだのは、ヨアキムとアンナの笑みが、心から自分を歓迎しているものだと思えるようなものだったからだ。
マリアは笑い顔が素敵な少女だ。それは両親譲りだったのか、と、ヨセフは初めて知った。
「立派だねえ……。こんな立派な子が、私のマリアの夫か」
ヨアキムはすっかり年老いて、背も縮んでいた。彼は自分より高いヨセフの頭に手を添えようと、手を伸ばす。そして、彼の頭をそっと撫でた。自分の娘にするように。
「はじめまして。ヨセフくん。マリアの父、ヨアキムだ。よろしく。……これから、君と私たちは、家族だよ」
アンナも「母のアンナよ。よろしくね」と彼に微笑んだ。その時、ヨセフの目からポロリと涙がこぼれた。
「ナザレのヨセフ……です」彼は涙を隠そうともせず、言った。
「よろしく。お義父さん……お義母さん」
その涙のわけがなんであるのか、マリアは詮索などしなかった。彼女の口からヨセフの事を聞いていたヨアキムとアンナも下手に首は突っ込まず、ただ柔らかく笑って、家族となったその少年を受け入れていた。
ヨセフが家族を失って、何年たつのだろう。今こうして改めて、家族を得ることができた。そのことに涙を流さないような男では、ヨセフは断じてなかった。

ヨセフにはヨアキムの邸宅の空き部屋が与えられた。婚約の儀式が行われた日、ヨアザルはそれを聞き多いに驚いた。
「なんと!正気ですか、ヨアキムさん!若い二人を一つ屋根の下に入れるなど!何が起こるか分かったものでは」
「だって、彼には家がないんですよ。それに、常に付き添いをおいておけると考えれば、利にかなっていなくもないでしょう」
なんとしても異例の事だ。この婚約の儀式だってそうだ。普通は商人として花嫁・花婿両方の友人が呼ばれる。だがヨセフはまるっきり天涯孤独とあって、そのようなものに呼べる人間はいないと言ってきたので、無い袖は触れず、マリア側の人間しか呼ばれていなかった。
ヨアキムは厳格に律法を守る人であったではないか、それがなぜこのようなことを、とヨアザルは年老いた彼に詰め寄った。
「絶対に、ありえませんぞ!」
「そうはいっても……私の大切な花婿を、野に放りだしておけと言うのですか」
「宿でも取らせれば……」
「彼にはそこまで金がないのに?一応先日、それについても話し合いましたが、私から金を借りるのは悪いと彼は言ってくれましたよ。それに力持ちですし良く働いてくれますから、本当に助かっていますが……」
「あなたの財布の心配ではなく、下心あってのことだと何故気づかないのです!」ヨアザルは声を荒げて詰め寄る。ヨセフが後ろから自分を睨んでいることになどヨアザルは気が付かない。
だが、ヨアザルは面喰うことになった。普段は愛想のいいヨアキムの顔が、少しだけ、険しいものになったからだ。
「ヨアザルどの!あんまりといえばあんまりだ。あなたの決めた方法で迎え入れた、我々の花婿に!それも、このようなめでたい祝いの席で」
「いや、しかし……」
「私とて別段、積極的に革新をしたいわけではないのですよ。可愛い娘と婿の事を考えたうえでなるようになったら、結果として通常の枠には収まらなかった。それだけの話なのです。あまりお責め下さいますな。あなたが育てたマリアでもあるのですよ。なぜ、祝福して下さらんのですか」
「律法と伝統は、大事ですからな……」
「しかし、この二人の結婚が、全く伝統にのっとって行われたものでしたか!?」」
ヨアキムがあんまりにヨセフをかばうので、ヨアザルもいささか気まずくなった。ヨアキムは頭を抱えると、「いや……申し訳ありません、大祭司殿。取り乱してしまいました」と言う。
「少々、こちらへ。お話になりたいことが……」
ヨアキムはそう言って、二人だけでいられる部屋にヨアザルを案内した。何を言うつもりなのか、と思ったヨアザルに、ヨアキムは厳かに告げる。
「はっきり申します……ヨアキム様。私はユダヤの神を信ずるものとしてあなたを尊敬しておりますし、私たちの娘がああも立派に育つように面倒を見てくれたことにも、掛け値のない感謝をしております。ただ、一つだけ……貴方を信頼できないことがあるのです」
「なんですと……?」
その言葉を聞いて、すぐにはヨアザルの心に屈辱や怒りはわいてこなかった。それはあとあとになってじわじわと込み上げてくるものだったからだ。彼はただ無機質に言葉を言い返した。
「はっきり申しますが……私は、あのヨセフという子があなたの言うような盗人だとは、どうしても思えないのです」
「盗人はそうして、気のいい顔で善良な人をだますものです!」ヨアザルは焦って怒鳴った。だが、ヨアキムも負けなかった。
「あなたは立派です。しかし、私とてだてに長生きはしておりませぬ!この目は節穴ではない!」
「私が見たのは、確かにダビデ王家の指輪だった!あんな奴が持っているはずはないものだった!」ヨアザルは食い下がる。しかし、ヨアキムはそれに、ゆっくりと返した。
「私はここ数日考えていたのです。単純な話です。では、彼はダビデの子孫なのでしょう」
「な……」ヨアザルは目を白黒させて言った。
「ダビデ王家が滅んで何百年もたつ。ダビデの家に連ならぬ王朝もたちました。ダビデの直系の子孫たちが、まだその身分にふさわしい育ちをしているという保証など、どこにもないではありませんか」
「そんな、そんなはずは……」
「ヨアザル様」ヨアキムは彼の肩を優しくたたいて言った。「あなたは、大祭司の職、マリアの保護者としての役割を果たさねばと、肩ひじを張りすぎているところがおありです。どうぞ、もっと、肩を柔らかくしてください。長生きする秘訣とは、そうあることですよ」

めでたい婚約の儀式の場をヨアザルが早足で去っていってしまったことに、マリアは違和感を覚えた。なぜ彼はあんなに不機嫌なのだろう。いくら嫌いだったヨセフと言っても、彼の言ったとおり、神が自分に示してくれた相手なのに。
「神が決めてくれた相手……それにしても、何度口に出しても素敵な響き!」
彼女が勝手に照れていると、まだ口のきけないザカリアも一緒になってうんうんと喜んでくれた。

宴会場の騒ぎの中、マリアの親戚たちと意気投合して楽しく酒を飲んでいるヨセフのもとに、ヨアキムは近寄った。そして、後ろから優しく彼を抱いた。赤ん坊のマリアを抱いたときの事を思い出しながら。
「な、なんだよ……あいや、なんですか、お義父さん?」
彼がマリアから聞かされたのは、彼が心無い人たちに理不尽に迫害されて生きてきたらしいということ。ヨアザルから聞かされたのは、彼がダビデ王家の直系の子孫が持っているはずの指輪を手にしていたということ。その二つと、ヨアザルの態度を見て、彼は自分の婿がなぜそのような思いをしてきたか、彼には、わかった。彼の眼は確かに、節穴ではなかった。
「いや……つくづく、立派な婿だと思ってね」
ヨアザルは優しく笑った。それを受けて照れるヨセフの表情を見て、自分はこの笑顔も守らねばと、はっきり思った。離れたところで、ツェルヤやアダヤ達と一緒に女同士話し合っているマリアの笑顔、あの笑顔とともに、と。

婚約の式場にはまた、特例的な客も来た。「やあ、お二人さん!」と、ひょこりとパンテラが顔を出したのだ。
「パンテラさん!久しぶり!」
「本当に久しぶりだ。ヨセフ君。……大きくなったなあ!」
「パンテラさんは変わってねえなあ……昔と全然同じように綺麗だ」
そう感心して言うパンテラは祝儀だと言って金貨や高価な着物を彼らに与えた。
「ねえ、パンテラさん……あの、結局パンテラさんの言うとおりになったね」
「そうだねマリアちゃん……いや、めでたい!やっぱり、君たちはよくお似合いだよ。幸せな夫婦になってくれたまえよ、どうか……」
「結婚式にも来てくださいね!」
「もちろん!ローマに送還されていたって、駆け付けるとも」
異国人が加わるなど、やはり特異なことではあったが、もうそんなことに一々口をはさむ空気でもなかった。パンテラの人柄の良さも幸いしたのだろう。
パンテラを加えて、積もる話はさらに増えた。ヨアザルの一件はあったが、婚約の儀式とその宴会は、実に愉快なものとして幕を閉じた。


婚約の儀式も終わり、夕方になった時の事だった。後片付けをしている彼らの耳に、ふと、馬のひづめの音が聞こえた。何事かと思ってヨアキムが外に出ると彼は仰天し、あわてて転ぶようにその場にひれ伏し、深々と頭を下げた。
馬の上から、ヘロデ・アルケラオス王子が、彼に問いかけた。
「お前が家の主人か?お前の娘の婿になったという、ナザレのヨセフを探している。知らないか」
「は」彼は正直に言った。「今、私の家に……」
「家に?……もうか?まあいい。そいつを至急、呼べ。ヘロデ大王からのお達しだ」


アルケラオス王子が来たとあって、さすがにヨセフも何事かと非常に驚いた。「王宮に責められることは一切していませんよ?」彼は使用人に呼ばれてどたばたと門に出るなり、お辞儀も忘れて焦ってそう言った。
「早合点するな。腕のいい流浪の大工の噂を聞いて、巡り巡ってここに来たまでだ」アルケラオスは相変わらず馬上に座ったまま、告げる。
「ナザレのヨセフ。我らが王、ヘロデ大王は、かつてお造りになった計画都市ヘロディウムに新しい建築物を建てることを計画している。おそらく、父上の建築の中で……もっとも、父上にとって大切なもの。腕のいい職人を、父は探しておられる。お前にも白羽の矢が立った。今すぐ、我々とともに来るのだ」

その言葉を聞いて、ヨセフはしばらく固まっていた。
「新しい建築事業?」
「二度も言わせるな。そうだ」
マリアもあわてて母と一緒に門に出てきて、そのことを聞いた。彼女はその言葉を聞いた瞬間、まず最初にそんなことは嫌だ!と思った。せっかく会えたのに、また離れ離れになってしまうなんて……。
「王子殿下。実は彼と私の娘は……」
「婚約者だろう、知っておるわ!婚約期間中離れ離れになることに何の不思議がある!それとも何か、王室に逆らうつもりか?」
ヨアキムが言いたかったのも、実は彼らには複雑な事情があって離れ離れだったのが、と言う言葉だった。だが、アルケラオスの表情は、どこか恐怖に固まっているように見えた。
「ヘロデ大王に逆らうつもりか?」
その言葉はヘロデの威厳を笠に着る王子の言葉でも、ヘロデの声をただ代弁する者の言葉でも、確かになかった。アルケラオスの額には、薄く汗が浮かんでいた。
ヨアキムが言いよどんでいると、ヨセフが割り込んできた。
「あの、建築事業って、ヘロデ大王のか?」
「そうだ!何度言わせたら気が済む!」
「ヨセフ君、話せばわかって……」
ヨアキムが口を挟もうとした時だった。彼は、婿の表情が思っていたものとは全く違うことを知った。彼の顔はむしろ、輝いていた。
マリアもそれを見た。彼は悲しんでくれないの!?と思ったのもつかの間、彼がそんな顔をするのも当然と言えば当然だとも思った。
暴君と名高いヘロデだが、同時に、イスラエル史上ソロモンとも並ぶかと言うほどの偉大な建築家でもある。そんな彼の新しい事業に携われるなら、確かに職人としては誉れに違いない……。
「ヨセフ、いってきなよ!」マリアは、興奮気味の彼がアルケラオスに言う前に口を開いた。「凄いじゃない、そんなに名前が売れてたんだ、本当に凄いよ!」
「い、いいのか?」ヨセフもあせって言う。マリアは満面の笑みで言った。
「もちろん!ヨセフが認められているのが、悲しいわけないじゃない!」
ヨセフもをそれを受けて、勢いよく頭を下げながら言う。「もちろん、お受けします!アルケラオス王子様!」
その時、王子の顔がどこかほっとしたことには誰も気が付かなかった。「物わかりのいい若者たちだな。感心なことだ」と、ごく少しだけ声を柔らかくして彼は言う。
「ひとまず、半年勤めろ。有事の時にも、お前の働き次第で口利きをしてやらんこともない……」
「本当ですか!ありがとうございます、王子様!」
「良い。早く支度をしてまいれ!」
その言葉とともにヨセフは跳ね返るように少ない荷物をまとめに、自分の部屋につっこんでいった。マリアは不思議と、さびしくはなかった。むしろ、彼と嬉しさを共有できているような感覚だった。
早々と荷物をまとめ終ったヨセフは、アルケラオス王子の馬の後ろに乗せられた。
「じゃあな、マリア。しばらく行ってくるよ!」
「行ってらっしゃい、元気でね!」
若い婚約者同志はそうやって、意気揚々と別れた。夕日が沈む前に彼らは動きたかったらしく、アルケラオス王子は彼らの言葉が終わった直後に「それでは、出発する!」と部下たちに号令をかけ、馬に鞭を入れた。去っていくヨセフは、マリアとヨアキム、アンナに手を振り続けていた。


「ところで、王子殿下」
日の暮れかかる道を行きながら、ヨセフは話しかけた。
「建築って、何を建てるんです」
「貴様は言われたものだけ建てていればよい」
「お言葉ですけどね、作る者には知る権利があるでしょうよ」
噂通り、少し礼儀はない男らしい。アルケラオス王子は閉口して、小さく言った。
「墓さ」
「え?」
「墓だよ」
彼はそう言ったきり、口をつぐんでしまった。ヨセフも何とはなしに、それ以上聞けなかった。


それは、暖かい春分の日だった。非常に気持ちのいい日で、マリアはヘロディウムはどれほど遠いんだろう、ヨセフはそろそろついたかな、と考えを巡らせながら、神殿の垂れ幕用の紫の糸をつむいでいた。そればかりは神殿を出ても、仕上げて持っていかなくてはならない。それでもコツコツやったおかげで、大量に必要だったそれもそろそろ仕上がりだ。
紡ぎ続けて指が疲れ、彼女はいったん中断した。なにか暇をつぶせるものはないか、と思った時、彼女の眼には一冊の書物が目に入った。神殿を出るとき、記念に、とアンナ先生からもらった書物だった。イザヤ書だ。
神殿を出たのはつい数日前なのに、ヨセフと、家族と一緒にいる時間が楽しくて、もうすでにこの書を読むことにも懐かしさを覚えてしまう。そう彼女がおもいながら書をめくった。そして、まるで彼女に目には導かれるかのように、有る一節が見えた。
『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その子はインマヌエルと呼ばれる』

その時だ。
風が勢いよく、窓から吹き付けてきた。あまりに強いその風に、マリアはおののいた。だが、強いだけではなく、それは確かに、暖かい春風でもあった。
瞬時に、強い光が眼前に降り注いだ。目を開けていられず、マリアは目をふさぐ。春風はやがて、おさまったかのように思えた。

「おめでとう、恵まれた方」
知らない声が聞こえた。
恐ろしい声であるようにも、優しい声であるようにも聞こえた。透き通るほど、美しい声音だった。まるで彼女の耳ではなく、心に直接響くような声音だった。音楽を聴いているような気分にもなった。
マリアは恐る恐る目を開けた。彼女の前にはいつの間にか、白百合を携えた、この世のものとも思えない清らかな美女が跪いていた。
まぶしく輝く金髪、光輝く滑らかなドレス。そして、彼女の背中には、眩しく、マリアが見たこともないほど純粋な白色をした大きな翼が生えていた。
目の前の美しい、不思議な存在に息をのむマリアに、目の前の彼女は厳かに告げた。
「主が、貴女とともにおられます」
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