クリスマス市のグリューワイン

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feat: Mary and Joseph 第二十話

「違うの……」マリアは震えながら言う。
「違うの、違うの、信じて、ヨセフ……」
マリアは必死で弁解した。ヨセフに、自分の留守中に他の男の子供を宿したと思われることが、何より恐ろしかった。
「私、何もしてないんだよ……これ、これは……」
声の震える彼女に代わって、ヨアキムは「ヨセフくん、私から先ほど言ったとおりだ。マリアはね、神様から子供を授かった、と言っているよ」と、言い含めるように言った。それでもヨセフは、何も言わなかった。
彼は工具の入った荷物だけようやく下に下ろすと「えっと、俺は……」と口を開きかける。だが、それでも言葉に迷っているのだろう。やはり、すぐに押し黙ってしまった。
「ヨセフ、お願い……」
彼が何も言わないことが、マリアにとっては死ぬほどの苦痛だった。今、彼は何を思っているのだろう。やはり、裏切られたと思っただろうか。
「私、ヨセフしか好きになったこと、ないよ……」
「……お義父さん、すみません。俺、ちょっと外にいってきていいですか?なんというか、混乱して、その……」
ヨアキムも浮かない顔で、「ああ、まあ……」と返す。マリアはたまらなくなった。彼に拒絶されたような気分だった。
「ヨセフ、お願い!」
その時、ヨセフは振り返って、彼女の目をじっと見据えて言った。
「マリア……大丈夫だよ。俺は信じてる。……信じてなきゃ、すぐに、もっと悲しんでるよ。信じてなかったらもっとマリアに、いろいろ聞いてるよ。……マリアが俺を裏切りなんてしないって信じてるから、飲み込めないんだ。ちょっとさすがに……大きな事過ぎて」
彼はそう言って、とぼとぼと外に行ってしまった。追いかける気にはなれなかった。
がっくりうなだれるマリアを見て、ヨアキムは後悔した。小さいころから惹かれあった少女、自分の妻となる少女が、いくら神のお告げを受けたとはいえ自分の知らない間に身ごもるなど、一人の少年にはあまりにも衝撃が大きかったのだろう。彼が何も聞いていないのに驚き、慌ててしまったのは失敗だった。いくつか先例を見ているし、第一マリアの結婚相手である彼自身でもない自分達の感覚を急に押しつけるべきではなかった、と彼は思った。
それでも、彼は娘を慰めた。「マリア、大丈夫だよ」彼は言った。
「彼の言う通りさ。信じない男だったら、何も聞かずに誰の子だ!と怒って怒鳴っているさ。彼は信じているし、お前の事を好きだよ。だから、あんなに悩むんだ」
「ごめんなさい」マリアは泣いた。「私があのこと、隠してたから……」
「もう済んだことだ」ヨアキムは怒らなかった。


街を一人きり歩きながら、ヨセフはめまいがしそうな思いに駆られた。
マリアの事は信じている。彼女が他の男と浮気して挙句の果てに子供を宿したなんて、考えられるはずもない。誰かが彼女に乱暴をして妊娠させたのだろうか、という考えにしても、そうにしてもマリアはそうだとすれば絶対に、自分にそのことを包み隠さず話してくれるはずだと思っていた。
彼の心を今えぐるのは、違うものだった。小さいころ、幾度となく受けた叱責だった。
子供の頃の彼にとって、大人は、世間は怖いものだった。いつも自分たち家族を、小さな指輪を一つ持っているという理由だけで攻め立てて……父を殺し、母を廃人にしたあげく、やはり殺してしまった。
辛かった。苦しかった。今ようやく攻め立てられる謂れのない存在になって初めて、自分はよく気が狂わなかったものだと感心できるほど、つらい思い出だった。
マリアが神から子を授かったとして……その先に何が待っているだろう?めでたい祝福ばかりではない。断じてない。恐らく、昔自分が受けたようなことだと、暴力の被害者であり続けたヨセフにははっきり思えた。
今はまだ隠れられているからいいが、表ざたになってみれば、「神の奇跡によって処女が子を授かった」と言って、誰もが納得するはずはない。世の中、そんな物わかりのいい人間ばかりではない。
姦淫の苦し紛れの言い訳、その程度にしかとられまい。マリアが姦淫をしたと言われて、自分たちが皆責め苦を受け、マリアに至っては実刑を受けるのは確実なことだ。それが何より、彼の心を痛めた。
なぜ、なぜこうなったのだろう?ようやく、幸せになれたのに。なぜまた、責め苦の中に入っていかねばならないのだろう?ヨセフは、それが怖かった。神に従うが美徳、などと言う聖職者の言葉が、宗教家嫌いだった彼の頭によぎるはずもない。自分とマリアを結び付けてくれたのには感謝している。しかし、あの苦悩の中にまた入るのは、どうしても怖かった。まして、そのような苦労を今まで受けたこともないであろうマリアやヨアキム、アンナたちまでどうして道連れにできるだろう……。
今、自分には何ができるだろうか。とりあえず、このことを公にしないことには協力しなくては。マリアをさらしあげる気など毛頭ない。だが彼は……彼女と別れようか、と言う想いすら、わずかながらも湧いていた。恐ろしかった。とにかく。また責められ、また住む場所を亡くし、また人ではないような扱いを受けるのが……。そして、そうなるマリアを身近で見ることが……。
既にすべてを信じ、運命を受け入れていたヨアキム達の事を思えば恥ずかしい思いもあるにはあったが、それでもやはり、彼は恐ろしかった。じわりと涙が出てきた。マリアの事は信じている。しかし、神を信じきるにはあまりに、彼の心の傷は深かった。

どれほど歩いただろう。市場を抜け、街を抜け、郊外に出てきたようだ。
「(ここ、どこだろ……)」
当たりを見渡してみたが、さっぱり分からない。どこかに迷い込んでしまったようだ。日が暮れようとしている。暗くなったら帰り道も分からないかもしれない。
まあいいだろう。それなら野宿するまでだ。どうにせよこんな頭のままでは、ヨアキムの家に帰ることもできない。
今は麦が育てられていない、雑草だらけの畑があった。彼はその中ににょっきり生えている名前の良く分からない大樹の根元に腰かけて、ぼんやりと沈む夕日を見送ろうとした。
すると、バラ色と紫に染まった西空の方から、人がひとり歩いてくるのが見えた。

背の高い、若い、美しい女性だった。良い身なりをしていたが、なぜか伴の一人もつけておらず、そんな状態で一人旅、しかも日も沈むのにこんな人気のないところを通るとは不用心だな、と彼はぼんやり考えた。考えていると、その彼女はまっすぐ、ヨセフの方に寄ってきた。
「申し訳ないけど、道をお聞きできるかしら?」
彼女は上品な声でそう言った。「いや、悪いけど、俺も道に迷ったんです。ごめんなさい」ヨセフはぶっきらぼうに言い返す。不本意ながらも人に親切にする余裕は今の彼にはなかった。
だが、彼女はそれで話を終えるどころか、ヨセフの隣に腰かけてきた。彼が面食らうと、「もうすぐ日が暮れますから」と、彼女は言う。
「殿方と一緒にいたほうが良いわ」
「そんなもんですかね……」
ヨセフはとにかく、彼女とあまり話はしたくないと思っていた。だが、不思議なもので、隣から漂う彼女の香りに、なにかとても懐かしいものを感じた。とてもやわらかくて心安らぐ香り。香の匂いとはどこか、違うように感じた。そしてその香りに包まれていると、先ほどまでの混乱した心がすこし落ち着いてきた。
日が沈む前に、彼女は手持ちのランプに火を入れた。
「なにかあって、ここに来たの?」
彼女の玉を転がすような声が、ヨセフの耳に聞こえた。ヨセフは彼女の方は見なかったが、ただなぜか素直に「はい」と答えてしまった。
「まあ……一体何があって、こんなところまで?」
「あなたに話すことじゃないと思いますよ、お姉さん」
だが、彼女はヨセフの言葉を軽くいなす。
「通りすがりの相手だからこそ、話せることもあるものよ」
その声にも、ヨセフはどことなく、安らぎを覚えた。なんだろう。この感覚は味わったことがある。
マリアと一緒に居て、明るくなる心持ちとは違う。遠い昔、健在だった両親から感じたものに非常によく似ていたが、少し違う。もっと近く、自分はこれを、どこかで……。
彼は首を横に回し、彼女の姿を見た。目の前の彼女は百合の花の模様が描かれたベールで頭を覆い隠し、ランプと夕日の光に照らされながら優しく微笑んででいた。
「ちょっと、複雑になるんですが……」
「かまわないわよ」
ヨセフはいつの間にか彼女に言われるままに、洗いざらいを語った。自分の婚約者、マリアの身に何があったのかも、そしてそれを受けて自分が何を恐れているのかも、全て目の前の女性に語った。
話しながら、彼は泣いていた。恐ろしさがよみがえるようで。そして頭の混乱を冷やしたいかのように自然に涙が出ていた。目の前の彼女はそれを蔑みもせずに、かえって柔らかい、輝くほど純白の布で、まるで子供にするようにヨセフの涙を拭いてくれた。不思議なもので、ヨセフはそれにちっとも恥ずかしさを覚えなかった。
「そう……なるほど、良く分かったわ」
彼の涙をふき終わり、そのまま布きれをヨセフに渡す。彼はまだ止まらない涙をそれで抑えながら、言った。
「お姉さん。俺……どうすればいいんだろ。何もわからない……」
その時、彼女の手がポンとヨセフの肩の上に置かれた。
「何も恐れることはないわ。あなたが彼女を信じているなら、彼女と結婚すればいいのよ」
「そんなこと、言ったって……」
「あなたは本当に、その子の事が好きなのね。偉いわよ。……誰にでもできることと言うわけではないわ。どうしたって、自分を裏切って他の男と通じたに違いない、そんな考えを持ってしまうものよ。男心としては……」
「マリアは、そんなことしないから……」
「だから、そう思えるのが偉いのよ。そこまで信じ合っている相手と別れまで考えるなんて、もったいないじゃない」彼女は笑う。
「そんな貴方達だからこそ、あの方も、貴方達のもとにもう一度着ていいかと問いかけたの」
「え……?」
ヨセフははっきり思い出した。この感覚がだれのものか、思い出した。
昔、自分たちがまだずっと小さかった頃、井戸端であった、あの、名もない旅人!
その瞬間だった。ランプの炎が真っ白に燃え上がり、彼女の背中にまとわりついた。そしてそれは光を放つ白い翼になった。百合の花の模様にベールも舞い上がり、本物の白百合になる。そしてベールから放たれた彼女の輝く金髪が風に舞った。
圧倒されるヨセフに彼女は言い放った。
「私は天使ガブリエル。何も恐れないで、ヨセフ。マリアを貴方の妻に迎え入れなさい。彼女の胎内にいるのは、聖霊の力によって宿った子。このイスラエルの民を、罪から救い上げるお方……大丈夫よ、安心して。貴方が自分を責める人々を恐れているのは分かっているわ。つらいことがあったのね。でも、神様は人間がどうであるかなど、誰よりもご存じよ。まして自分のひとり子を送り出すのに、神様がそんな無計画なはずはない……だから安心して。貴方達は主に選ばれた二人なのだから」
そう言って、彼女は勢いよく飛び去っていった。ヨセフはそのまま気を失った。

「ヨセフ君!?そこにいるのは、ヨセフ君かい!?」
聞き覚えのある声がして、ヨセフは目を覚ました。目の前には、パンテラの顔があった。
「パンテラさん!……何で、ここに?」
「それはこちらの台詞だ。私達は演習の帰りだが……なんでこんなところで寝ているんだ」
「こんなところ?」
見渡してしてみれば、ヨセフが寝てたのは彼も知っているただのエルサレムに抜ける通りだった。麦畑の中に、いつの間にか自分は倒れていたのだと知った。
だんだんと頭が冷めてきて、ヨセフは驚いた。あの彼女と話していた時よりも、日の位置が高くなっている。時間が戻ったのだろうか、それとも丸一日寝ていたのだろうか?パンテラに慌てて日付を聞いた結果、前者だということがわかった。
「なにがあったんだい?」
「あ、えっとですね……」
その時、彼は自分の右手が何かをにぎり閉めているのを知った。見てみると、ヨセフも、パンテラも、パンテラの部下たちも驚いた。麦畑の中に一輪だけ、見事な純白の百合が咲いていた。
「こんな秋の日に、百合とは……」パンテラは驚く。だが、ヨセフは分かった。この白色は、あの夢の中の彼女が渡してくれた布の色そのものだった。
「パンテラさん、俺、大切なことを聞いたんです」ヨセフは至って真剣な顔で言った。「マリアたちも話さなくちゃ……」
それを聞き、パンテラもふっと顔をほころばせた。「送ろうか?」彼は自分の馬を指さした。

パンテラの馬の背に揺られながら、ヨセフは話した。
「パンテラさん、聞きたいんですけど」
「なんだい?」
「俺、どんなことがあっても、マリアと一緒にいたいって思うんです。世間の奴らに責められるようなことが起こっても。それって、正しい事でしょうか」
「もちろんさ」パンテラは即答した。
「非常に難しいことだ。でも断じて……間違っていることではないはずだ!ヨセフ君、何があっても、私は君とマリアちゃんの味方だよ。覚えておいてくれ」

ヨアキムの家についたとき、日はとっぷりと暮れていた。「マリア!」ヨセフはパンテラに別れを告げるなり大声でそう言いながら門をくぐり、家の中に入った。
マリアは生きた心地がしなかった。だが、彼女は彼の、悩みが消えたような顔と、彼の手に握られている百合の花を見て、はっとした。
「ヨセフ、それ……」
「これか?不思議な人がくれたんだ」
「そ、それ、ね……」彼女は震えた。「半年前、私に、私が妊娠したって告げた天使様からも、貰ったの」
「そうか……じゃあ、やっぱりあれは、本物だったんだな」
ヨセフはにかりと笑う。そこには、普段通りの明るい彼が戻っていた。
「マリア。これから何があるか、わからねえ。多分大変なことになると思うし、怪しまれるから結婚式だってあげられないと思う。……でも、俺は、マリアと一緒に行くって決めた。マリアのお腹の中の、神様の子供も守るって決めた。なるようになるさ!神様はきっと、人間がどういう目を持っているかなんて、知らないわけないからな!」
その言葉を聞き、マリアの目が潤んだ。だが、先ほどまで散々流していた涙ではなかった。
「ヨセフ!」彼女は抱きついた。ヨセフも、そっと彼女を抱き返す。
「ありがとう、ありがとう……ずっと、一緒に居ようね」
「うん、こっちも。……それとマリア、さっき、言い返せなくてごめんな。俺も、マリアだけが一番大好きだよ」
彼らはしばし、抱き合っていた。ヨアキムとアンナもそれを見て、微笑ましそうに笑っていた。
ヨセフは、マリアの膨らんだお腹に手をあてた。そこには、確かに何者かがいた。
「(……久しぶり)」
彼は心の中で、そう思った。

「なあマリア、覚えてるか?昔あった、旅人のおっさんのこと」
「うん。もちろん覚えてるよ」


大祭司の機嫌が悪い。最近の神殿で、周知の事実だった。いや、機嫌が悪いなんてものではない、情緒不安定と言ってもよかった。
それに祭司たちはうんざりしていたが、理由などとくには聞かなかった。聞いてもただ怒鳴り散らすだけなので、聞くだけ無駄と誰もが認識したのだ。
ヨアザルの心は荒れていた。まるでこの世が闇に閉ざされてしまったかのように。全ては、ヨアキムからあの言葉を聞かされた時だ。
「マリアが身ごもった」
彼の脳はそれ以来、混乱したままだ。彼は我を忘れてヨアキムに詰め寄った。それ見たことか、あの盗人などと一緒にするから……と。
ヨアキムは声を荒げて「私の話を聞いてください!これは、神のお力によってなされたことなのです!」と言ったが、彼の耳にはそんな言葉をは届かなかった。
あのヨセフが、いや、ヨセフではないかもしれない。他の男がやったのかもしれない。だが、そんなことは知ったことではない。
マリアが、子供を身ごもった。そのことが彼にとって、世界の終りにも等しい事だった。あの自分を癒してくれた穢れなき少女。彼女は一生涯乙女でなくてはならなかったのに、そうあるべきだったのに、処女を失った。母親になった。有象無象の汚れた女と同じように。彼は、そうとしか考えられなかった。彼の目の前にはただただひどく深い絶望があった。
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