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クリスマス市のグリューワイン

feat: Mary and Joseph 第二十二話

それから十二日が経過したのちの事であった。
イスラエルでは出産した女性は四十日間、外に出てはならないとされていた。宿屋の女主人も、おめでたいことがあったんだから全く構わないと、家畜小屋をそれまで無償で貸し続けてくれた。
そんなある日の夜の事、ようやく人心地のついた狭い家畜小屋の扉を、何者かがトントンとたたいた。「誰ですか?」まだ眠れていなかったマリアは、飼い葉おけに寝かせた赤ん坊の側に横たわったまま言った。ヨセフも怪訝に思い、扉を開ける。
そこには、黒いターバンと星の模様のローブに身を纏った、見るからに立派な身なりの三人の男性が立っていた。老人と、黒人の中年と、金髪の美青年。
「夜分に住みませぬ」カスパールは戸惑うヨセフとマリアに、深々と頭を下げた。「怪しいものではございません。我らは、東方から来た占星術師のものです」
「は、はあ、いえ、そんな」ヨセフは身なりのいい彼らが頭を下げていることに若干混乱し、応答した。「それで、何の御用で?」
「救い主のもとに参りました」
メルキオールが透き通る蒼い目を通じて、飼い葉おけの中に眠る赤ん坊を見つけた。マリアも、少しばかり戸惑う。
「急にこのように言われ、戸惑うのも無理からぬことでありましょう」バルタザールも、真っ黒なよく輝く目を細めて、飼い葉おけの中の赤ん坊、それにマリアとヨセフを、優しく見つめた。
「我々はざっと十二日前……偉大なものがこの世にあらわれたことを告げる星を見つけたのです。今日の日まで、その方を探し回っておりました。その方の前にひざまずき、礼拝するために」
「そうですか……」
マリアもヨセフも、彼らが怪しいものではないとようやく分かった。
神の力によって身ごもった、神様の子ども。この子供が普通の子ではないと、今一度、認識できた。しかし、もうそれに戸惑い驚くようなことも、彼ら夫婦にはなくなっていた。
「ずいぶん探したんですね。お疲れ様です。どうぞ」ヨセフはそう言って、三人を家畜小屋の中に案内した。三人は飼い葉おけの前にひざまずくと、「おお……」と感嘆の声を出し、すやすやと大人しく寝ている彼の前に伏し拝んだ。
「救世主様……」メルキオールは小さな声で、ポロリと涙を流しながら言った。「ようやく、ようやく、相まみえましたな……」

続いて彼らは一人ずつ、ヨセフとマリアに豪華に飾られた箱に入った贈り物を渡した。
「どうぞ。これをおとりにおなり下さい。救い主の家族様」
メルキオールは黄金、バルタザールは乳香、そしてカスパールは、没薬の箱。
「まあ、こんな高価なものを……」
「いいえ、是非ともお受け取りください」彼らはヨセフとマリアに再度、深々と頭を下げる。何度かそんなやり取りを通じて、ヨセフとマリアはずしりと重たいその箱を受け取った。
「あなた方ユダヤの民は、生後八日たてば割礼を施し、名前を付けると伺っております」カスパールは彼らが贈り物を受け取ったのを見て、心から満たされたような目で、呟いた。
「お名前は、なんと付けられたのですか」
「イエスです」二人は静かに答えた。

東方の三賢人は、やがて帰っていった。そして彼らは、二度とヘロデ王の王宮には帰らず、自分たちの本拠地であるインドへと去っていった。

やがて四十日が経過した。ヨセフとマリアは、世話になった宿屋の女主人に別れを告げた。
「本当にお世話になりました!いろいろ、教えても下さって」
「いいのよ。はじめてお母さん、お父さんになるのは大変だろうけど、頑張ってね」
そう言葉を交わして彼女と別れた後、彼らは真直ぐにエルサレムに帰った。イエスはとてもおとなしい子供で、めったには泣かなかった。
彼らを迎えたヨアキムとアンナは、手紙で知ってはいたが、初めて見るイエスの姿に感激し、彼を優しく抱いた。
彼らの心に浮かんだ幸せは、神の子に出会えた信者のものだったのか、初めて孫を抱いた老夫婦のそれだったのか。ヨアキムとアンナにとっては、どちらも、掛け値なく正解だった。彼らは自らの娘の体を通じて生まれたイエスという赤ん坊を抱いて、ただただ、本当に幸福だった。

ユダヤ社会では、初めての男児が生まれて四十日の清めの期間を終えたならば、主なる神のもとに捧げ聖別すべし、と言う規定があった。それに行くべきか否かで、マリアたちは少しの間協議した。行けば、知り合いに赤ん坊といるところを見られて不信に思われるのではないかと。だが結論として、やはりそれには行こう、と言う話になった。危惧していた出産も、巡り巡って周囲には全くばれない形で済んだのだ。何とかなるはずだ。それに、神に改めて神殿で感謝をささげたいという気持ちも十二分にあった。
そんなわけで彼らは、エルサレム神殿に、イエスを連れてお宮参りに向かった。マリアは、せめてもの保険として青いベールで顔を覆い隠した。
よく見てみれば、アダヤ達が掃除をしていた。マリアは懐かしい彼女たちに声をかけたい気持ちをぐっとこらえ、神殿商人から生贄用の鳩を買ってきたヨセフと一緒に、子供を祭司に預け、聖別してくれるように頼んだ。
マリアは、出てきた祭司の顔を見てホッとするとともに、心底神に感謝した。彼は真面目で立派な祭司ではあったが人の顔を覚えるのが多少不得手なことに定評のある男で、マリア達の顔などいつも覚えてはおらず、そのたび申し訳なさそうに名前を確認してきた祭司だった。案の定、彼は目の前の若い母親がマリアだなどと気づいていないようで、滞りなく生贄はささげられ、イエスは聖別され、無事に奉献の儀式は終わった。
よし、では帰ろう、とマリアとヨセフが踵を返そうと知った時だ。よろりと、彼らのもとに駆けてくるものがあった。
ぶつぶつと何かの言葉を呟きつつ、向かってくる、ぼろをまとった老人。彼には、見覚えがあった。マリアが神殿で仕えていた時、何回も見た、あの名前も知れない、気のふれた物乞い!
彼は面喰うマリアのとヨセフのもとに、震えながらやってきた。神殿は込み合っていて、多くの参拝者は彼のそのような様子を目に求めていなかった。だがしかし、彼がそのように自分の方から人間に向かってくる様子を、長い神殿仕えの生活で一度も見なかったマリアは、心の底から驚いていた。
やがて彼はヨセフとマリアの前で立ち止まる。背中が曲がった彼の目線はマリアよりも低く、濁った眼がしっかりと、彼女に抱かれるイエスにとまった。
「主よ……」
そして彼は、はっきりと、ヘブライ語を話した。
彼が話したことに戸惑うマリアとヨセフに、彼は歯の欠けた口で、ゆっくりと話しかけた。
「私の名は、シメオン……私は、死ねませんでした。主がいつの日か救世主をつかわし、その方がイスラエルに現れるで、死ねなかったのです……」
汚らしい物乞いの老人の姿をしていた。だが同時に不思議と、その彼は何処か神聖な雰囲気も纏っているように、その時はじめて思えた。
だからこそ、彼が震える手を伸ばし、「どうぞ、どうぞその方を腕に抱かせてください」と言った時、マリアもヨセフも、それを全く拒まずにいられた。
シメオンは自分の腕に収まった赤ん坊を抱いて、悲痛なほどに嬉しそうな声でいった。もう叫べないのであろう彼の喉が絞り出すのはごく小さな声で、それでも、心の奥底にしみいるよな声だった。
「主よ……今こそわたしは死ねます。あなたの救いをこの目で見たのですから……おお、万人の救いよ、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れ……」
たどたどしくそう言い、涙を流すシメオンはもう一度強くイエスを抱きしめ、マリアに再び返した。そして言った。
「ありがとうございます……これで、私も安心して死ねます」
「いえ、そのようなことを……」
「しかし、また……言うことがございます」
シメオンは濁りきった、見えているかもわからない目を何とかイエスを抱きしめるマリアたちのもとに寄せ、言った。
「この子は、イスラエルの多くの人を、倒し、また、立ち上がらせるでしょう。この子は、反対を受ける印として、定められるでしょう……貴方自身も、剣で、心を刺し貫かれることと、なりましょう」
「え……」マリアは目を瞬かせた。後ろのヨセフも、驚いた顔でそれを聞いていた。
老人は、すっと濁った目を伏せる。だが、マリアはそんな彼に答えた。
「ありがとうございます。預言を頂いて……分かりました。それでも私たちは、この子を育てますから」
「ありがとうございます」かすれ消えそうな声でシメオンは言った。「ありがとうございます……」
彼は自分の唯一の持ち物である椀を持って、そのまま、人ごみの中に消えていった。それと同時に、彼らの肩を叩くものがあった。
「あなた、マリア?」
その声を聴いて、マリアは老人の不思議な言葉の余韻に浸っていたのもつかの間、背筋が凍りついた。その声は、講師アンナのものだった!
「あ、い、いえ私は、その……」
「ああ、やっぱりマリアね!その声は」
アンナの優しげな笑顔は、まるきり変わっていなかった。こんな状況でなければ、大好きだった恩師との再会を祝えただろうが……。
「い、いえ、こいつはその違って、えっと……」
「大丈夫よ、マリア。私は貴女たちの事を疑ってなどおりません。心配しないで」
その言葉にぽかんとするマリアたちをよそに、アンナは赤ん坊のイエスをじっと見つめた。
「冬至の日にね、星が輝いたのよ。見たこともないほど、綺麗な星が……」アンナは懐かしげな眼で、語る。
「私は占星術など知らないけれど、それでも、立派なお方がお生まれになったことが分かったの。……先ほどの話、聞いたわよ。そうだったの、貴方達だったのね……貴方達の間に、お生まれになった子の星だったのね」
アンナは、マリアの頭をそっと撫でた。
「マリア。此れから、大変なこともあるかもしれないわ。でも、私の言葉を忘れないで。神様をいついかなる時も、信じていらっしゃい」
アンナの言葉は、全く変わらなかった。包み込まれるほど優しくて、暖かくて、それを聞くたびマリアは、安心できた。
「はい……先生」
「ヨセフ君。どうか、マリアをよろしくね。マリアに貴方みたいな、本当に愛し合える伴侶ができて、先生として何よりもうれしく思っているのよ」
「あ……ありがとうございます!」ヨセフも若干照れながらそう答える。アンナはそれに穏やかに笑って、「では、私は講義があるからこの辺で。みんな、お元気でね」と頭を下げ、神殿の中に戻っていった。

神殿からの帰り道、マリアとヨセフには、もう一人出会う人があった。漸く神殿を抜けてひと段落ついた、と言う頃に、彼らはばったりと、パンテラにあったのだ。
「おや、ヨセフ君!……と、隣にいるのはマリアちゃんかな?」
そう声をかけてきたパンテラは次の瞬間赤ん坊を見つけ、一瞬目をぱちりと瞬かせた。そして、気まずそうに「あ……なるほど」と言った。
「なるほど……ヨセフ君。君が言ってたのはそういうことだったのか……だが、何も気にすることはない。君が付き添いたいのなら、マリアちゃんとずっとつき添えばいいだけの事で……」
「いやちょっとパンテラさん、早合点しないでください!」ヨセフは焦って言いかえした。「あ、そのいや、するのも当然かと思いますけど……」
神殿で不思議な二人にあって、神がかりな言葉を聞かされて、少し現実的な感覚から切り離されていたことを、ヨセフは自覚した。しかしパンテラは真剣な顔で「なにがあったんだね?」と聞いた。
長い話になるからと少し道をそれて、マリアとヨセフはパンテラに一部始終を聞かせた。その間、イエスはずっと穏やかに眠っていた。
「なるほど……」
パンテラは驚くほど、真剣に話を聞いてくれた。「では……その子が、神の子と言うわけなんだね」
「はい、そうです」マリアは言った。
「なるほど。先ほどは早合点して悪かったね」
「パンテラさん、信じてくれるんですね!」
「もちろん。私はいつだって、君たちの味方だよ」
そう言われて、マリアもヨセフも安心した。教師のアンナ同様、パンテラならむやみに周囲に話すこともないだろう。
「それにしても救い主か……」パンテラは言う。「私はローマ市民だから、おそらくユダヤの救いには関係できなかろうが……それでも、めでたいことだ。ヨセフ君、マリアちゃん、おめでとう」
彼がそう言って笑った時だった。今までヨセフにおぶられながら寝ていたイエスが、急にぐずりだした。三人は慌てる。
「ちょ、ちょっと、どうしたの?」
「あんまり泣かないやつなんだけどな……」
「ああ、泣きやんでくれないか、頼むから……」
パンテラがそう言ってイエスの目を見た時だった。彼ははっとした。イエスは彼にそう言われた瞬間、泣きやんだ。そして、パンテラをじっと見つめていた。彼はどきりとした。ただの無垢な赤ん坊の目つきであるはずなのに、パンテラには彼を戒めるかのような目つきであるかのように見えた。

そのような一日を過ごし、マリアとヨセフは自宅に帰った。ヨアキム達が夕飯の支度をして待っていた。
「二人とも、一日中イエスを抱えて疲れちゃったでしょう。後は、私に任せなさい」アンナがそう言って、イエスを引き取った。ヨセフとマリアは安心して、夕食の席に着いた。
平和だった。そこにあったのは本当に、ただのごく普通の、赤ん坊に恵まれた家族の顔だった。


ヘロデ大王は、あの当時の日以来、気がいよいよおかしくなり、寝込むようになっていた。
「ユダヤの王は私だ、ユダヤの王は私だ……」
うわ言のようにつぶやく彼を、アンティパスは冷ややかに見ていた。強迫観念に取りつかれるように父の世話をする兄たちは、彼の眼には滑稽なものに映っていた。
父はもう、死期を悟っているに違いない。ヘロディウムを大改装して、自分の墓まで立てたのだから。それなのにこの期に及んで父はなぜまだ、イスラエルの王権などにしがみつくのだろうか。しがみつかざるを得ない、どうしてもそれを手放せないなど、かえって、彼自身のいやしい育ちを強調するようなものなのに。
ヘロデ王は時々激しい悪夢を見た。
「マリアムネ!マリアムネ!助けてくれ、私が悪かった!」
彼は何の夢を見ているのか、王宮中に察しはついた。ヘロデ大王。なんと哀れな王だろうか。ダビデやソロモンの足もとにも及ばぬ、いやしい生まれの王よ。

ある日ヘロデは久しぶりに目が覚めた。隣にはアルケラオスがいた。
「アルケラオス……」彼は息子にすがった。
「お目覚めですか、父上」
「アルケラオス、私はユダヤの王だな!?私は、偉大な王だな?」
「はい、父上は、ダビデよりも偉大な王であらせられます」
「私は偉大だ、私こそが王だ……」彼はぶつぶつと呟くと、すでに狂気に染まった目をぎらりと輝かせ、アルケラオスに大声で命令した。
「いますぐ、神殿の祭司どもを招集しろ!」

ヘロデ王の急な召集を受けて、大祭司ヨアザルとめぼしい者達が一挙に集まった。
「なんの御用でしょうか、王よ」
「お前達」彼は震える声で聴く。「聖書の教えにある救世主は、どこで生まれる存在であるかわかるか?」
祭司たちはなぜこのようなことを聞くのか、と顔を見合わせた。そして、アンナスが進み出てきて言う。
「ミカ書にこうありますな。『しかしベツレヘム・エフラタよ、お前はユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者がお前のうちから我がために出る』……」
「ベツレヘムか!」彼はぞっとするほどの大声で叫んだ。そしてその場に、将軍たちを招集させた。
「今から、私は勅令を出す!ベツレヘムと、その一帯にいる赤ん坊を全員始末しろ!私の王権を脅かすものが、現れたのだ!この計画は極秘事項だ、祭司ども、お前たちのうちもし一人でもこの情報を外部に漏らしたならば、命はないものと思うがよい!」
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