クリスマス市のグリューワイン

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ニコール・オブリー 第三話

夜が明けて、ニコールは非現実的な思いにさらされた。昨日自分が招き入れたあの美青年ベルゼブブは、本当に現実の存在だったのだろうか。自分が今の今まで見ていた夢なのではないか。そう思うほど、記憶の中にある彼はきれいな姿をしていた。
だが、そんな懸念はニコールが窓の外を見た瞬間消えた。彼は庭に立っていて、林檎の木をじっと眺めていた。
「おはよう、お客さん!」ニコールは窓の中から叫ぶ。彼は気が付いたようだった。彼も手のひらをニコールの方に向け、ひらひらと振った。

ニコールは慌てて寝間着から着替えると、庭に出た。ベルゼブブはまだその場に居た。一晩ちゃんとしたところで寝て、より小ざっぱりとした彼は、朝日の光を受けて昨日にもまして美しい男性に見えた。ニコールはそれを見て、胸の鼓動が高まるような思いだった。
「朝ご飯を食べる?」
彼はコクリとうなずいた。また給仕たちが嫌な顔をするだろうということは予想できたが、構わない。そもそも自分が招き入れた客なのだから、もてなすだけもてなすのは当然だ。彼女はそう自分に言い聞かせた。

午前中、ニコールは散歩に出ることにした。すると、どうやらベルゼブブもついていきたそうなそぶりを見せた。ニコールは外に出ようとすると、彼もついてきたのだ。
念のためニコールは、彼についてくる意志があるかどうかを口頭で聞いた。すると彼はやはり無言のままうなずいたのだ。
見知らない若い男を連れて歩いて、変な目で見られないかと一瞬思いはした。しかし、ニコールはそんなことを心配する必要はない、と結論付けた。だって誰が下種の勘繰りをしようと、自分は飢えた物乞いを拾って保護して彼と知り合っただけの事で、神の道にそむくどころか従う行為をしているにすぎないのだ。彼と何があったわけでもなし、堂々としていればいい。彼女はそう思って、ベルゼブブと一緒に散歩に出ることにしたのだ。幸いそう人目を引くことはなく、ニコールの心配はほぼ杞憂に終わった。
秋が深まり、紅葉が美しく散っていた。ニコールは紅葉の森の中を歩いた。ベルゼブブは色とりどりの落ち葉をじっと見ていた。
彼はずいぶん情緒を愛する心もある人物なのだとニコールは思った。ニコールも、このような美しい景色の中身をおいてその情緒に浸るのが大好きだ。オブリー氏はあまりそう言ったセンスのない人だった。だからこそ、この目の前の美青年が物乞いと言う身分でありながら、裕福な商人である夫よりも情緒を介する心の持ち主だということをニコールは思い、彼により好感を持った。
ガサリと揺れるものがあった。ニコールはそれに驚き、振り向く。彼女の目には何も映らなかった。
「なんなのかしら……」
彼女は呟く。だがその時、ベルゼブブが彼女の袖を引っ張った。ニコールが再度慌てて振り向くと、彼は腕の中に一羽の可愛らしいの兎を抱いていた。
「あら……!もしかして、これがさっきの?」
ベルゼブブはうなずく。ニコールは野兎のふわふわした体毛に指をうずめた。野兎は人間に捕まったにもかかわらず非常にリラックスした状態で、全く暴れることもなくニコールの愛撫を受け入れてた。
「可愛い……」
ニコールがひとしきり野兎を可愛がって満足したのを見届けると、ベルゼブブはそっと腰を下ろして野兎を解放した。野兎は急いではねて行き、近くにある穴の中に納まった。すぐ近くに、野兎の巣があったわけだ。
「あなた、野兎を捕まえるのが上手いのね」
服の上に落ちてきた落ち葉を手でパンパンとはらう彼に、ニコールはそう言った。ベルゼブブは首をかしげる。
「うまいわよ。私は、ああは行かないわ」
ベルゼブブはその言葉にも特に反応は示さず、代わりにニコールの頭もパンパンとはたいた。秋らしく落ち着いた色合いの黄色、橙色の落ち葉がニコールの頭からもこぼれた。彼女はそれを見て、なんだかおかしくなって笑い出してしまった。ベルゼブブも、薄い唇を少しだけ歪ませ、彼らしく静かな笑いを浮かべた。

二人は紅葉の森を散歩し続けた。深く深く森に入っていくと、ニコールは一人の人影を見つけ、彼に挨拶した。彼は、良く知る人物だった。
「こんにちは、神父様」
ヴェルヴァンの教会の司祭、ピエール・ド・ラ・モット神父だった。見ると、彼は籠を持って、その中にはキノコを何本か入れていた。どうやらキノコ狩りに来たらしかった。
「やあ、ニコール。こんにちは。元気そうで何よりだね」
ド・ラ・モット神父はテレーズ修道院長と似たような清廉で穏やかな雰囲気があり、ニコールはどちらかと言えば彼の事は好きだった。第一、彼はニコールの名付け親でもあるのだ。
神父はすぐに、ニコールの後ろについている見慣れない青年に気が付いた。「やあ、こんにちは。初めまして。わたくし、ヴェルヴァンのs町の司祭のド・ラ・モットと申しますが、貴方は……?」とあいさつした。当然、ベルゼブブは何も答えない。ただ一つお辞儀をしただけだ。
「神父様、彼は口がきけないらしいの」ニコールが横から慌てて付け足す。ド・ラ・モット神父は優しい人だ。無言の非礼を責めるどころか、むしろベルゼブブに申し訳なさそうにした。ベルゼブブは首を振って、そんな態度を取ることはないと彼に示した。
「これはこれは……オブリー氏のお知り合いかね?」
「いいえ、私たちの家の前に居た物乞いなの。気の毒に思ったから、お客として迎え入れることにしたのよ」
「そうか、なるほど!」ド・ラ・モット神父も、ニコールが散歩に出る前に懸念していたような下種の勘繰りは起こさなかった。彼は素直に、弱きものを助けよという神の教えを忠実に守っていると、聖職者らしい視点からニコールの事を称賛した。
「我々共も、貴方達のような方々を救うのが務め。是非、教会にもお越しください」彼は丁寧にベルゼブブに言う。ベルゼブブはそれに対しても、コクリとうなずいた。
「キノコはとれた?」
「まあ、ぼちぼちだよ。……ああ、ニコール。お父様たちが巡礼に旅だったそうだね。オブリー氏も商売で、ランだろう。みんな大変だね。私もお父様やオブリー氏たちの旅の無事を心から祈っているよ」
「え、ええ、ありがとう……」
ド・ラ・モットが優しい人なのは知っている。しかし、彼はあまりに純朴で善良過ぎた。「(この人の目には、所詮あの人も、お父様たちも、普通の善良な人としかうつってないんだわ)」と、ニコールは思っていた。「(そりゃあ、あの人は表向きは普通の裕福な商人だものね。それに、誰だって、男の気持ちは考えても無理矢理嫁がされる女の子の気持ちなんて考えてくれやしない……)」
ニコールはそう思い悩んでいた。自分がいくら、歳の離れた夫に不快感を感じようとも、表向きは自分たちは幸せな商人夫婦としか映っていない。苦しみを、苦しみとして見てもらえない。そりゃあ派手な悲劇ではないかもしれないが、これこれで彼女にとって、じわじわと真綿で首を絞めつけられるような苦しみだった。
誰も、自分とオブリー氏が結婚するときに同情してくれなかった。言ってしまえば、ニコールには近所に気になっていた、淡い恋心を持っていたともいえるハンサムな若い男性が居たのだ。それなのに、そちらの方がいいと発言する事すらニコールは許してもらえなかった。その彼は皆今はとっくに妻をもらい、パリに出て行ってしまった。
なぜ、誰も女の子の気持ちをわかってくれないのだろう。男が若い女と結婚したがるのは当然の事だと思うくせに、女が若い男と結婚したがるのは当然のことだと思ってくれないのだろう。ニコールはかねがねそう思っていた。神父は、そんな彼女の気持ちに気が付かない。
ベルゼブブはそんな二人の会話を黙って後ろで聞いていた。聞いていたというよりも、彼の眼はド・ラ・モット神父の持っている籠に入っていた、何本もの良く肥えたキノコに注がれていた。
やがて神父は帰っていき、森の中には再びニコールとベルゼブブだけが残った。ニコールは神父が帰ったことで、やっと悶悶とした気持ちから解放された。
「いや、でも美味しそうだったわね。あのキノコ」
ニコールはとっとと話題を変えようとした。ベルゼブブはそれに無言でうなずく。不自然な話題かもしれないとは思ったが、ニコールは自分転換したかったのだ。この青年の前で、少しでも不快感を顔に出したくないという気持ちが自分の中にあると、彼女は分かった。その自分自身の心境に、なぜか疼くものがあった。
ニコールはそれに対しての照れ隠しも兼ねて、「私も食べたいんだけど、なかなか見つからないのよ。私、気のがりは下手で……昔、毒キノコを持って帰って修道院長に怒られちゃったこともあるし……」と言った。
ベルゼブブ阿蘇の言葉を聞いてしばらくの間眼をぱちぱちさせていた。ニコールは修道院時代の時分の間抜け話で笑ってお貰おうかと思ったのだが、滑ったかと思い、決まりが悪くなった。

だが、彼の真意は違うらしかった。彼は一本の、ニコールは名前を知らない大木の前に片膝を立てて座った。そして、根元にそのほっそりとした手を添えた。
ニコールは何事かと思って黙ってみていた。すると、目を疑うようなことが起きた。

彼がじっと、睨みつけるようにその手を置いたところを凝視する。すると、彼の手の下からむくむくと起き上ってくるものがあったのだ。それはベルゼブブの手を押しのけ、姿をあらわにした。間違いなく、ド・ラ・モット神父の籠に入っていたキノコだった。しかもあれ以上によく太っていて、いかにも美味そうだった。
ベルゼブブはそれを無言で千切り、ニコールの方に突き出した。ニコールはまだ戸惑い、それを受け取れなかった。
目の前の彼は一体、何をしたのだろう?確かに彼が念じる前、キノコなど生えていなかったはずだ。彼が手をかざした瞬間、生えた。ものすごいスピードで。
ニコールは頭が混乱していた。彼は彼女をじっと見ながら、別の事をしていた。ニコールがとろうとしないのを見ると、数本のキノコを落ちていた枝の比較的きれいなものに刺したのだ。そして、足で蹴って足もとに小枝や落ち葉の山を作る。そうしてから、指をパチンと鳴らした。
ニコールはまたしても、失神しそうなほど驚いた。一瞬で落ち葉の山が燃え上がったのだ。彼は全く落ち着き払って、その落ち葉の山の脇にキノコの櫛を指してあぶり始めた。
「あ……あなた」
ニコールはキノコを焼くベルゼブブに震える声で言った。
「あなた、何者なの?ベルゼブブ……」

ただの人間であるはずがない。ただの物乞いであるはずがない。目の前の彼の異常性を、ニコールは感じた。これは夢だろうか。現実で、このようなことが起こるのだろうか。
ベルゼブブは何も言わないままだった。ただ、ゆらゆらと揺れるの炎にその優雅な顔を赤く照らして、じっと深い色に輝く双眸でニコールの事を見つめていた。その目も、炎の色を照らしていた。その光景は、不気味ながらも非常に幻想的で、美しくもあるとニコールは酔いにも似た不思議な感覚を味わった。
ベルゼブブは串を一本引っこ抜き、再度ニコールの方に突き出した。脂れたキノコがじゅうじゅうと汁を滴らせている。生だと食べてくれないと彼は思ったのだろうか、とニコールは思いを巡らせた。
ニコールはしばらく硬直したままだった。しかし、炎の熱と、彼の瞳の光が、ニコールを吸い寄せた。彼女はまるで、自分がランプに止まる蛾になったような気持ちだった。見れば見るほど、彼は美しかった。
彼女は細腕を伸ばして、串を受け取った。そして、それを食べた。非常に甘美な味がした。

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