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クリスマス市のグリューワイン

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ニコール・オブリー 第四話

ラン大聖堂に、一人の男が訪れた。オブリー氏だ。彼は昨日同様、若い助祭に「司教殿はいらっしゃるかね」と聞いた。
「今日はあいております。おいでください」
若い助祭は速足で彼を案内する。大聖堂の虹色の薔薇窓の光を受けるデュ・ボー司教の姿が、オブリー氏の目にも映った。司教も、助祭の足音を聞きつけたかと思うと、すぐにオブリー氏の存在に気が付いた。
「やあ、ルイ!」
先に口を開いたのはデュ・ボーのほうだった。彼は司教の赤紫の服の裾をたなびかせ、オブリー氏の方にやってくる。
「やあ、ジャン。すまないな、昨日はあまり話せなかったから、改めてきてしまったよ」
オブリー氏も彼に笑顔で答えた。
彼らは、幼馴染同士だった。デュ・ボー司教がソルボンヌで神学を収める以前からの知り合いだった。だからこそ、オブリー氏はランに訪れるたびに大聖堂を訪れる。
「昨日はまた、たくさんありがとう」
「君と僕の間柄じゃないか、水臭いな」
「今日は時間があるんだ、ゆっくり話そうじゃないか」デュ・ボー司教はオブリー氏を自室のソファに案内した。オブリー氏も素直に彼の案内を受けて、友の隣に座る。
ラン大聖堂の司教、ジャン・デュ・ボー。彼は司教としては比較的若い方だった。非常に出世が早かったのだ。オブリー氏から見る彼の顔には、自分の町の神父であるド・ラ・モットのようなおっとりとしたところはなかった。昔からのんびり屋ではなかったが、やはりこうして司教の座について、輪をかけて彼の顔は険しくなったように思える。
ソルボンヌ大学に居る頃から、彼は手紙でオブリー氏にしばしば目標を語っていた。出世するだけする。聖職者として。その目標を何度も語っていた。彼からの手紙は頻繁に届いたが、みんなそう綴られていた。
彼は大学を出て、のし上がるため様々なことを際限なくやったのだ。やはり苦労も、苦痛もあったろう。それでも彼はやりとげ、35歳の若さで司教になった。今は37歳だ。デュ・ボーは元来美男子なほうで、実際オブリー氏よりずっと若く見えたが、それでもその顔の険しさはオブリー氏など比較にもならなかった。
その彼の顔が少しだけ優しくなる時の一つが、幼馴染の時分に会う時なのだとオブリー氏は分かっていた。彼の微妙な表情の変化なら、すぐに読み取れる。デュ・ボーは自分の部屋の簡素なステンドグラスの光を浴びながら、オブリー氏に言った。
「商売の方は?」
「まあまあ、良くいっているよ」
「そうか。それはよかった。これも神様のお恵みだ」
「君の方は?」
「悪くない。最近、あの胡散臭い連中、ユグノー共がうるさくはあるがね」
ユグノー。その名は、オブリー氏も知っていた。キリスト教の新派だ。
デュ・ボーはれっきとした、根っからのカトリックだ。彼にとってユグノーが面白い存在であるはずはない。
「ランでも、最近ユグノーが?」
「ああ、どんどん増えてきている。全く、聖母も聖人たちも崇敬せず、聖体も認めないだと!?考えられん!」
デュ・ボーは机で拳を打った。彼に怒りっぽいところがあるのは昔からだった。オブリー氏はそれを止めはせず、彼に話させるままにしていた。聞けば、ユグノーの論客たちが聖書に書かれていないものを崇めるなんてばかばかしいのではないか、それはイエスを馬鹿にした形式ばかりのファリサイ人と同じで、偽善ではないのか、とランのカトリックの頂点であるデュ・ボーにしつこく議論を迫ってくるので、彼もうんざりしているのだそうだ。
「信じるべきものだから信じる、それがわからんのか!全くしょうもない奴らめ、悔い改めるべきは、貴様らだ!」
彼はかんしゃくを起こしたと見えて机を何度もガンガンと叩く。変わらないな、とオブリー氏は思いながら「まあまあ、僕は絶対に信仰を捨てるつもりはないよ」と慰めた。
「おお、そうだな……」
「僕と妻の間に子供が生まれたら、君に名付け親になってもらう気でもあるんだから」
オブリー氏は笑って言った。そしてデュ・ボーの肩は背中を撫でる。昔からこうすると、彼はある程度は落ち着く。
デュ・ボーはまだ険しい目つきのまま、「そう言えばお前の妻の事だが」と言った。
「ああ、なんだい?」
「ちゃんと、読書を禁じているのだろうな?」
それを聞かれてオブリー氏はウッと言葉に詰まった。「いやあ、僕は、さすがにそこまで縛り付けることもないんじゃないかと……所詮、本じゃないか」と言った。デュ・ボーは案の定、せっかく落ち着いてきたのにまた逆上した。
「所詮本!?あんな、ランスロットとギネヴィアやら、トリスタンとイゾルデやら、人間の愚かさと淫らさと退廃が凝り固まったふしだらな破廉恥本を所詮本だと!?」
やってしまった、とオブリー氏は後悔した。デュ・ボー司教はまさにニコールが好むような恋愛物語を、キリスト教の精神に反する不道徳な本だとして眼の仇にしているのだ。まして親友の妻がそれを大好きなどと、許せる男ではなかった。
「私が以前直接説教した時も、貴様の妻はこう言ったな?『こんな素敵な話を読んで破廉恥だなんて思うあなたの心こそ、何でもかんでもいやらしく見えちゃうほど破廉恥なんだわ』と……屁理屈をこねおったな!?嘆かわしい!お前の妻はただでさえ出来がよくないらしいのにあんなもの読んでたらいよいよ馬鹿になるぞ!配偶者のあるものが、配偶者ではないものと恋をする、これ以上の破廉恥、卑猥な悪徳がどこにある!その上でどんなことをしようとすまいと、悪徳に大差などないわ!と、言ったって全く聞く耳持たずなのだからな!」
「わ、わかったよ。わかったよ」
せっかく落ち着かせたのに、ユグノー以上の地雷を踏みぬいてしまったことをオブリー氏は心底後悔した。
「とっとと辞めさせないと頭が毒されて、お前まで被害をこうむるぞ!」
「ヴェルヴァンに帰ったらすぐ注意するよ……」
「そうしろ。早く自らの卑俗な趣味を悔い改め、読みたいのなら聖書を読めと言っておけ!」
ひとしきり怒鳴り終えて、やっとデュ・ボーは静かになった。とはいえ、まだ機嫌は非常に悪いままだった。彼はこう言ったことにはとにかく、非常にうるさいうえに頑固だ。そう言うところも、昔から変わってはいない。
「だから私は反対したのだ。お前に、あんな女は釣り合わん。元修道女だったらしいのに、何を学んだというのか……」
「ニコールはいい子だよ」オブリー氏は言う。
「私には到底そうは見えんがな」
デュ・ボーの機嫌はまだ治りそうにないと、オブリー氏は嘆息した。

ニコールは散歩から帰りながら、先ほどの事をぼんやりと考えていた。自分は何を見たのか。何を食べたのか。
非常に美味な焼きキノコの味は、まだ口の中に残っている。ニコールはあの後、ろくにものが言えなかった。こうして街中を歩いて、ようやく現実に居るという実感を持ちなおすことができた。ベルゼブブは当然と言った顔をして、後ろの方に居る。
「ねえ、あなた……」ニコールはついに、恐る恐る言った。
「火を、起こせるの?何もなくても?」
ベルゼブブは彼女の問いに、ただ静かにコクリとうなずく。そして、彼女の眼の前に手を広げて見せた。そして次の瞬間、その手の中にはパッと光が沸き起こり、火が燃え盛った。
ニコールは言葉が言えなくなった。。彼が手を握ると、火はすっと消えていった。
「あなた、何者……?」
やはり、その問いに対する答えはない。ただ彼は夕焼けの中、物憂げな眼でじっとニコールを見つめていた。
その目から目をそらしたい思いに、ニコール計られた。そして同時に、いつまでもこの目を見ていたいような気持にもなった。不思議な目だった。まるで炎以上の熱を持っていて、ニコールの心臓をとかしてしまうかのように、彼女は彼の魅惑的な目に見つめられると、何とも言えない気分になってしまうのだ。
不思議な男だ。しかし、彼女は間違いなく、彼に惹かれはじめていた。彼女はいつの間にか彼の視線に釘付けになる。
彼は、そんな彼女の視線の先に、自らの手を置いた。そして、またその手をじっと見つめる。気が付けば、彼の手の中には大輪の、目を疑いたくなるほど透き通った青色の薔薇が一本握られていた。
彼はすっと、その薔薇をニコールに手渡した。
青い薔薇。ニコールはそんなもの、見たことがない。ヴェルヴァンに住む誰だって、見たことがあるはずがない。
しかし、それはベルゼブブの白い手の中で誇り高く輝いていた。自らの青色を、彼女は何も恥じてはいなかった。
ニコールも、もう言葉が出なかった。言葉のない彼の世界に自分が引きずり込まれていくのを感じた。彼女も無言のままその薔薇を受け取り、そして、静かに彼に微笑んだ。

その時。
「ベルゼブブ様!」
高い声がその場を裂いた。

ベルゼブブはゆっくりと声のした方を振り向く。ニコールも振り向き、そして驚いた。先日の、あの性別もわからない貴族の従者だ。彼はベルゼブブの前にひれ伏すと「このようなところに……このアスタロト、大変探しました!お会いできて何よりです、我が主よ!」と彼の手を握ってキスしながら、恭しい口調で言った。
ニコールはあっけにとられていた。
「……あの?」
「む?先日の貴様か。貴様、ベルゼブブ様とお知り合いだったのか!?そうならばそうと何故言わぬ!」
「いや、だって、あなたが探していたのって赤ちゃんだったんじゃないの……?」
「だからどうした!?」
やっぱりこのアスタロトなる人物は少し頭がおかしいのではないか。ニコールは身構えた。それにしても、ベルゼブブがこの男の主人?ただの物乞いじゃなかったのだろうか?なぜ、物乞いの格好をしていたのだろう?ニコールは不思議に思った。
ベルゼブブは言葉が離せない也に、アスタロトに何やら小さな手振りで話していた。そしてさらにニコールにとって驚くべきことに、アスタロトはそれで彼の言いたいことをすっかり判るらしい。ひとしきりベルゼブブが離し甥得た後、アスタロトはニコールの蒙に向き直った。そして、先ほどとは打って変わって友好的に、こう言ってきた。
「……なるほど。お前がベルゼブブ様を解放してくれたのだな。この私からも礼を言おう。ありがとう」
「あ、いいえ……」
アスタロトはベルゼブブとはまた違う美しさを持った人物だった。そのため、ニコールは少し、彼にも見とれた。
ベルゼブブは、彼女にひらひらと手を振った。そして、くるりと踵を返して歩み出した。
「え、ちょっと!?」ニコールは慌てて言う。アスタロトが続けた。
「心配するな。ニコール・オブリー。ベルゼブブ様はもうお前には十分世話になったから、もうこれ以上は結構だと言い、なおかつお前に心の底から感謝の意を述べておられる」
彼はニコールにそう言うと、自分もベルゼブブの後を追いかけて言った。冗談じゃない。ニコールの方からはまだろくに別れの言葉も言えていない。
「ねえ、ちょっと、待ってよ……」
ニコールがそう言った時だった。ベルゼブブとアスタロトの姿は消えて、夕焼けに染まった石畳だけがニコールの目には映っていた。
彼女はしばらくの間そこに立ち尽くしていた。日がずんずん沈んでいくのにも気が付かなかった。

オブリー氏は後日にもラン大聖堂を訪れた。ヴェルヴァンに帰る前日の事だったので、やはり親友と別れを惜しみたくなったのだ。彼が尋ねると、デュ・ボーは自室で、神妙な顔で書物に目を通していた。
「何を読んでいるんだい?」
「悪魔に関する書物だ」
悪魔に取りつかれた人間を祓うことも、聖職者の仕事のうちだ。なんといってもかのイエス・キリストやパウロが悪霊払いを行っていたのだから。彼が読んで得るのは、過去の悪魔の目撃事例だった。
オブリー氏はそう言ったものに明るくなかったが、脇からそれを読んだ。だがしかしいかんせん全く分からない。
「さっきから読んでいるのは?」
「ああ、悪魔の中でも特別強力な悪魔についてだ。『ベルゼビュート』の名前を聞いたことはないか?」
先ほどから熱心に読んでいたページの先頭に、大きな飾り文字で印字された名前を刺し、デュ・ボー司教は言った。「ああ、そう言えば、聞いたことがあるね」と、オブリー氏も返す。親が、恐ろしい化け物の名前としてその名前を教えてくれた。
「聖書にもその名は現れている。外典の中にもだ。まあ、大物中の大物だな。これに取りつかれれば一筋縄ではいかんと書いてある」
「へえ……」
「ベルゼビュートはフランス語読みだ。聖書の時代には奴はこう呼ばれていた……ほら、ここにあるだろう。『ベルゼブブ』」
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