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クリスマス市のグリューワイン

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ニコール・オブリー 第八話

ニコールは、気が付くと自宅のベッドに戻っていた。ベルゼブブは、ベルゼブブはどこに居るのだろう。
彼と会いたい、会いたい、どうしても会いたい。彼女の心がざわめきたった。あれこそ、あれこそ、私の運命の相手なんだ。私達は離れ離れでは生きてはいけない。
彼女は思っていた。苦しみに、恋い焦がれに、目の前が真っ暗になるような思いだった。庭の林檎の木から、葉っぱがごっそりと落ちていた。

遠くから、悲鳴が聞こえた。ニコールにはわからない。ピエール・ド・ラ・モット神父の悲鳴だった。
ド・ラ・モット神父は、その日もキノコ狩りに出ていたのだ。そして、見つけてしまった。野兎の一家が穴の中で、何者かに無残に生きたまま食い散らかされたのだろう。見るも無残なグシャグシャの血まみれの骨の塊が、穴の中にあった。本当に、恐ろしい光景だった。

その日の夕方、オブリー氏はヴェルヴァンに帰った。ニコールの出迎えがないのを不審に思った彼は、「ニコールは病気かい?」と召使に言った。そうでもないと言うので、彼は自ら妻の矢に出向いた。
ノックすると、妻がものすごい勢いで出てきたのにオブリー氏は面喰った。ニコールがその次に、あからさまな舌打ちをしたことにも、彼は皿に面食らった。
「ニ、ニコール……どうかしたのかい」
「何よ、帰って来なきゃよかったのに。あんたなんて」
彼は不審に思った。ニコールは少し、顔色が悪くなっているようにも思えた。
「調子が悪いのかい?」
「あんたが帰ったから、悪くなったかしら」ニコールは少し熊のできた目で笑いながら言った。
「あんた、汚らわしいのよ。その欲にまみれた体で、私に近づかないで。分不相応なのよ」
「ニコール……」
どうも調子のわからない妻に戸惑いながら、それでもオブリー氏は話そうとする。すると、ニコールは振り返っていった。
「うるさいわねえ!私にはね、あんたみたいな汚れた男よりも何倍も素敵な、運命の騎士様がいるのよ!ほほほ、嫉妬する!?するわよね!あんた、人間の屑だもん!私たちの純粋な愛が憎くて憎くてしょうがないのよね!私たち、あんたごときに引き離されなんかしないわよ!あんたが賄賂渡してうまい汁吸わせてもらってる、生臭司教様でも何でも出てきなさい!私達の愛の絆は何者より強いのよ。神様にだって引き裂かれやしないんだから!」
彼女は異常なほどまくしたてた。何か精神的な疾患を起こしているのじゃないか、とオブリー氏はいよいよ慌てる。
「ニコール。落ち着いてくれ。僕はそんなこと考えてもいないよ……」
「せっかくだからね、憎い男の名前を教えてあげるわよ、この色魔!」ニコールは、その丸い目を以上にぎらつかせて叫んだ。
「ベルゼブブっていうのよ!あんたなんかとは比べものにならないくらい、素晴らしい人!」
そう言い捨てて、ニコールはバンと扉を閉めてしまった。オブリー氏は茫然と扉の前に立ち尽くしていた。使用人たちも、大声を聞いて集まってきた。
「……とにかく、今、彼女を刺激するのは良くない。お前たち、とりあえずは放っておきなさい。誰か、話ができる人を連れてきた方がいいかな……ああ、そうだ。お前、すまないが今すぐモントルイユ・レ・ダム修道院に言って、テレーズ修道院長に連絡を取ってくれ。ニコールも、彼女相手になら少しは話もするかもしれない」
彼が指示を出し、使用人の女性の一人がすぐに馬車を出した。とにかく今は妻を落ち着かせよう、とオブリー氏は判断したのだ。
「一応、彼女の分の食事を別に用意しておきなさい。彼女が好きなものにしておくように」
「はい、ご主人様」
そのようなやり取りをして、オブリー氏はまず自分も落ち着かなくては、と居間で一息ついた。先ほどのニコールの発言、発言自体は荒唐無稽だが、何か引っかかるものがあると彼は思った。
「(ベルゼブブ……ベルゼブブ?その名前、どこかで……)」
彼ははっと思い出した。間違いなく、デュ・ボーの本の中に出てきた悪魔だ。
「(ニ、ニコール……君は、一体!?)」


やがて、テレーズ修道院長がやってきた。オブリー氏は走って彼女を出迎えた。
「オブリーさん、ニコールに一体何が……」
「……とにかく、まず話を聞いてください。修道院長。……もしかしたら、僕の妻は大変なことになっているかもしれないのです」

オブリー氏は事情を離した、ニコールがわめいた、「運命の騎士様」の存在。そして、その名がベルゼブブだということを。
テレーズ修道院長も、聖職者だ。ベルゼブブの名前は分からないはずがなかった。
「もしかして……オブリーさん。ニ、ニコールは……」
「……とにかく、僕が相手ではニコールは話をしないでしょう。修道院長、お願いできますでしょうか」
テレーズはうなずいてそれを受けた。


扉の中から出てきた教え子の様子を見て、テレーズも驚いた。顔色が明らかに悪い。テレーズにもオブリー氏にも分かることではないが、オブリー氏が先ほど除いた時よりも彼女の顔は輪をかけて真っ青になっていた。
ニコールは、テレーズ相手だとさすがに少し話す姿勢を見せた。「ニコール。落ち着いて」彼女は言った。
「オブリーさんの留守中、貴女に何があったのか、話してちょうだい。話さないと、何もわからないわよ」
「は、嫉妬に駆られて行動に出てきたってわけね、あの惨めな寝取られ男め」ニコールはまたいわれのないことを言うと、「いいわ、教えてあげる。先生。あたしが出会った、運命の愛について」と、鬼気迫るような口調で言った。
ニコールはテレーズ修道院長に、一方的に語り続けた。不思議な力を持った物言わぬ美青年と自分が、どれほどまで純粋な美しい愛を築いてきたか。そして彼との愛を通じて、どれほど自分の周りが偽善に満ちた汚らしい世界であると悟れたか。
「先生、どうせあなたも、神だのキリストだのの名前を使ってさ、私を責めるんでしょ!?私には愛をすることも許されないの?あんな地獄みたいな結婚を強いられて、そのままでいることが私の運命だったの?運命はこっちよ!でも、ここの世界のあんたたちがみんな口そろえて言うのよね、旦那に従えって!先生、私ねえ、分かったんだ。私、この世界に生きるべきじゃないの。こんな汚い世界に、私の生きるべき運命はないの。色欲まみれのあの人や、偽善に満ちた貴方方に味方する、悪い、悪い、誰よりも悪い神様が、私を苦しめるためにここに送っちゃっただけなのよ」
「ニコール……」
「なあに?」
「貴女の考えに今どうこう言うつもりはありません。けど……ひとつ言わせてちょうだい。ベルゼブブっていうのはね、フランス語のベルゼビュート、悪魔の名前なのよ」
それを聞いて、一瞬、ニコールも目の色が変わった。
「貴女は」
テレーズ修道院長は思い切って言った。
「貴女は、悪魔に誘惑されたのかも……知れないのよ」

ニコールは目を瞬かせた。彼女の顔が、テレーズ修道院長には恐ろしく思えた。干からびたように生気を失った、青白い顔。まさに、悪魔に憑かれた人間の顔だったからだ。
「いいわよ。それでも私は、この愛に生きる」
ニコールは言った。
「別にいいわよ。大体何?『悪魔』って。そんなもの、貴方達が勝手につけただけじゃん」
彼女はゆらりと立ち上がって、軽く修道院長の胸ぐらをつかんだ。
「愛してるのよ。心の底から。あの人の事。貴方達は悪魔っていう言葉に惑わされて、何がいいか、何が悪いのかもわからなくなっちゃってる。私は分かるわ。あの人の優しさが、暖かさがわかる。貴方達とは違うのよ。真実の愛を何も知らない、貴方達とは」
彼女はテレーズ修道院長の胸元の、十字架のネックレスを力を込めて引っ張った。修道院長は悲鳴を上げた。やがて細い鎖が外れ、十字架が引きちぎられた。ニコールはそれを床に投げして、思いっきり踏みつけたのだ。
テレーズ修道院長は彼女を責めなかった。ただ、悲しそうに、床に落ちた十字架を拾い上げた。
「ニコール」彼女は言った。「また来るわ」
「二度と来なくていいわよ」
ニコールがそう吐き捨てるのを、心を引き裂かれるような思いで聞きながら、テレーズ修道院長は教え子と別れた。

「どうでしたか?」と聞くオブリー氏に向かって、テレーズは力なく首を横に振った。


暫く、ニコールの部屋の扉を叩くものはいなかった、ニコールはそれがいい気味だ、と思った。自分の部屋の扉を叩く人は、一人だけでいい。
彼女は庭を眺めていた。そして、くすっと笑った。
「あはは……なにあれ?林檎の木の枝が、ぽろぽろ落ちてる」
と、その瞬間だ。ノックの音と同時に、彼女が待ち望んだ声がした。
「開けろ。ニコール・オブリー。私だ。アスタロトだ」
その声を、待っていた。
彼かと思ってあの汚らしい夫が出てきたとき、本当に、気が狂うかと思ったのだ。
「アスタロト!」彼女は走って、扉を開けた。向こうには、いつも通りの彼が立っていた。しかし、いつもと違うものが一つ、あった。彼は、ここに来ることはろくになかった。
「ベルゼ……ブブ?」
ベルゼブブが、直接自分の部屋に来たのだ。

ニコールは部屋の扉を閉めて、二人を部屋に案内した。ベルゼブブはソファに腰かけた。アスタロトは立ったままだ。
ベルゼブブはじっと彼女を見つめていた。アスタロトが、口を開いた。
「分かってしまったらしいな。ベルゼブブ様と、私の正体が」
「ええ」
彼女は言い返した。
「お察しの通り、我々は悪魔さ」
悪魔。全てに、納得がいった。あの不思議な力を仕えたのは、悪魔だったからこそなのだ。
ベルゼブブは、切なげな眼でじっとニコールを見ていた。彼女の後ろに飾られた青色の薔薇を指した花瓶も。そしてニコールは、そんな彼を見ていた。
「ベルゼブブ様はこうおっしゃっておられる。……どうする。ニコール。我々は、お前たちキリスト教徒が何より憎む、悪魔さ。お前達と愛を育むことは、許されない存在だ、と。」
そう言われることが、彼女にも何となくわかっていた。しかし、彼女の中で、答えなどとっくに出ていた。先ほど、修道院長に言ったばかりなのだから。
ニコールはベルゼブブの手を握った。そして、自分の方から彼にキスをした。先ほどまで怒りに満たされていた心が、みるみるうちに暖かい充足感に包まれていった。これが、幸福だ。彼女はそう実感した。
「それでも、あなたが好き」
ニコールは、ベルゼブブを抱き寄せて、彼に騙りかけた。
「悪魔だからって愛が許されないなんて、そんなのおかしいわよ。悪魔の何が悪いの?勝手に、神様なんかを信じている人たちが貴方達を、自らの掲げるモラルに都合が悪いから悪魔に貶めちゃった、それだけでしょ?あいつら、偽善者だもん。私、知ってるわ。貴方がどんなに清らかなのか。貴方が、どんなに優しいのか。貴方が、どんなに愛情深いのか」
ニコールは彼の手に頬ずりをした。ベルゼブブはそんな彼女を戸惑うように見つめていた。
「びっくりしてるの?こう言ってくれた人、いなかった?可哀想に……」
ニコールは彼に優しく、母親のような慈愛を込めて発言した。
「大丈夫。私、全部わかるから。貴方の寂しさも、孤独も、全部受け止める。あなたといれば私は幸せ。何も怖くないの。神様も、何も怖くない。私、あなたを愛してるから」
暫くの間、沈黙が流れた、ニコールはその沈黙を、たまらなく心地よく思った。
「それが、お前の答えか」アスタロトが言う。
「ベルゼブブ様は、お前の口からその言葉が聞けて、大変喜んでおられる」
アスタロトの発言に合わせて、ベルゼブブも、ニコールを抱き返した。彼の目から流れるものがあるのが、ニコールには分かった。暖かい滴が、彼女の頬にたれてきたのだ。ニコールは細長い指でそれをぬぐった。
「ニコール・オブリー。私も侍従として礼を言わせてもらおう。……私はしばらく席を外す。私がいては無粋だろうからな」
アスタロトはそう言い残して、ふっと姿をくらましてしまった。後には、ベルゼブブとニコールだけが残された。
ニコールは照れ臭そうに笑って、もう一回彼のキスをする。外では、夕日がいよいよ沈みそうだった。夕霧が強く立ち込めていた。
長い、長いキスだった。彼はゆっくりとニコールを抱きしめ、そしてベッドに連れて行った。ニコールも、抵抗しなかった。それどころか彼女は、彼女が今まで感じたことのないような女の悦びに体が疼くのを感じた。
スカートの中にある彼女の若々しい腿に、手が這わされた。ニコールは小さく声を上げる。それを聞いてベルゼブブはもう一方の手でニコールの唇や耳を愛撫した。
彼は、上着を脱いだ。彼の逞しい体があらわになった。ニコールは彼になされるがまま、服を脱がされ、裸になった。桃色に染まった体で、彼女はベルゼブブに抱きついた。
彼女は、ベルゼブブに抱かれた。五臓六腑が満たされていくのが彼女には実感できた。体中が幸福だ。生まれて初めての経験だった。彼に抱かれている。永遠の愛を誓った相手に。
ベルゼブブの体が一気にうごめいた。彼女自身の体も、悦びに一層強く打ち震えた。猛すぐだ。もうすぐ、自分が何より望んだ瞬間が来るとニコールには理解できた。
ニコールは気が付かなかった。その時、庭で林檎の木が幹から折れて地面に倒れた。ズシンと言う音は、彼女の耳にわずかだが入ってきた。
そして、その直後だったのだ。ニコールの体が悦楽に蝕まれたたと同時に、彼女の視界は真っ暗になった。


真っ暗な視界のなか、ニコールは何かを見た。自分を強姦しようとした三人組だ。彼女は嫌悪感を持ち、彼らから距離を取ろうとした。
すると、彼らは三人寄り集まり、三つの頭を持った黒い犬へとその姿を変えた。彼はうなりながら、ニコールの方を見ていた。
良く見てみると、その犬を何者かがならしていた。「アスタロト?」彼女は問いかけた。その人物は確かにアスタロトそっくりだった。
だが、自分の方に向けられた視線を見て、彼女は驚いた。その人物は、人間にはあり得ない、大理石のような白い肌をして、眼孔の中に輝く瞳まで、抜けるように真っ白だった。
「なに……?ここ、どこ……?」
ニコールはそう問いかけた。
「お前は」アスタロトが言う。
「お前は本当に、我々にとってありがたい女だよ。ニコール。……私たちはお前のようなものが、一番獲物にしやすいのだ。お前のように、与えられた幸せを幸せとも思わず、勝手に不幸になっているような奴らがね」
ニコールはどういう意味かと、問いかけようとした。だがその時、アスタロトの真っ白な手がニコールの顔を掴んだ。彼女の視界は黒ですらない、無になった。そして視界を奪われた彼女は、体中が一気に何者かに浸食されていく感覚を、ただの一瞬味わった。ただの一瞬で十分だったのだ。彼女の理性、彼女の意識はそこで途絶えた。

ヴェルヴァンはすっかり夜になっていたが、そこに帰ってくるものがあった。巡礼に出ていたニコールの両親だ。
彼らは馬車の中で、彼らが旅でしたことについて各々話し合っていた。そしてやはりその中で最も話のタネになるものは、道中行き倒れた少女を助けてやったことだ。
自分達と同じように巡礼の旅に出たが、暴漢に襲われてしまった少女と、彼らは帰り道でであった。そしてすぐさま、彼女を助けようということになったのだ。
女に必要なものがよく分かるニコールの母の方が、彼女に必要なものを急いで買いに走って、彼女がいつ気を失ってしまっても大丈夫なように力のある父のほうが宿屋を見つけて彼女をそこに運び、そしてあるだけ金を渡した。やがて母も合流し、彼らは宿屋の中で歓談した。
「なんで助けてくれたんですか?」と、目を潤ませながら言う少女に、父も母も言った。
「当たり前のことをしただけですよ」
まるで、良きサマリア人の例えだ。彼らは我ながらそう思っていた。困った時はお互い様だ。助け合うべきだ。ニコールの父も母も、そう思っていた。
ニコールの祖父は、確かにろくでもない男だった。だがそれでも、彼も一人の人間だったのだ。煉獄に行き、自らの罪を後悔しているのであれば、自分たちは彼のために祈る。彼を許す。それが神の望んだ道、人の歩むべき道だと、彼らは確信していたのだ。
「ニコールはどうしてるかな?」父が言った。そして、彼らはまず娘の家を訪ねることにした。
そして、愕然とした。オブリー氏の家は、てんやわんやだった。ニコール・オブリーは発狂したのだ。

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