クリスマス市のグリューワイン

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feat: Deborah 第一話

エフライム山地の農村に下っていく途中、蜂同士の戦に出くわして、バラクは慌ててわき道にそれた。金色の兵隊蜂たちはわんわんと争い、バラクのことなどそ知らぬ様子だ。なんだか未来の自分たちを見ている気になって、バラクはどうともいえない切ない気持ちになる。
イスラエル人は、近年カナン人に支配されていた。

カナンが力をつけだしたのは数十年前にさかのぼること。かく言うイスラエルも悔しいことに、カナンに支配を受けて二十年になる。若いバラクは、幼いころのかすれ消える記憶でしか、自由だったころのイスラエルを知らなかった。
だがそれにつけても、近年のカナン王ヤビンの力の付け方は目覚ましい。彼が強い理由、それは二つあった。一つは、カナンの圧倒的な装備。
先方には鍛冶技術もあるし、九百両に及ぶ鉄製の戦車隊もある。鍛冶の技術すらない、武器や戦車はせいぜい外国から奪った青銅製のもの、鉄などお目にかかれないもイスラエルとはくらべものにもならない。
だが、それ以上に彼らの心を悩ますのが、ヤビンに仕える将軍、シセラの事だった。
シセラの武勇は広く知れ渡っていた。とにかく彼が出る戦は負け知らず。彼にかなうものなどいないとカナン人が、ヤビン王が自慢する声を、イスラエルはじめ諸国のだれも否定できないのだ。
自分達を支配する国の将軍がそう称賛されている、それがどれほどイスラエル人にとっては屈辱か、絶望か、計り知れないほどだ。
だがそれで黙っていないのが、イスラエル人と言う民族だった。

偉大なるモーセにエジプトから連れ出され、もうどれほど時間が立つのだろう。イスラエルの神、モーセの視た神は、確かにこの地をイスラエル人の安住の地と定めたという。
自分達は奴隷ではない。自分たちは、偉大なる始祖アブラハムの愛したこの土地に生きる権利があるのだ。それが、イスラエル人を、バラクたちを突き動かす誇りだった。
降伏などしてなるものか。奴隷として生き残ることに、また再び甘んじてなるものか。自分たちは、胸を張ってこの地に住みたいのだ。

バラクはその思いを胸に、乗っている立派な栗毛の雌ろばにもっと早く進むよう鞭を入れた。わんわんとうるさい蜂同士の戦の音が、遠くに遠ざかっていった。


ろばを進めていくと、やがてある程度開けたところに出た。とはいえ山間にやっとつくられた集落、と言った風体だが、それでも家々が集まっている。
やがてその粗末な家々から人が集まってきて、物珍しそうにじろじろとバラクを見だした。バラクもいささか気まずさを覚える。良く晴れた日の光に輝く青銅の鎧に身を包んだ軍人など、彼らは見たことがないのだろう。しかしバラクはその気恥ずかしさをぐっとこらえ、ろばの上から通る声で言った。
「訪ね人があって来たのだが……デボラと言うお方の家は、どこにある?」
その言葉を聞いて、ぴょこりと一つ上がる手があった。よく見てみると、そこには若者が立っていた。曲がりなりにもそれなりの街に住み軍人として活躍するバラクに比べると、ずっとあか抜けない姿だったが、だがなかなかどうして、ぴかぴか光る生命力にあふれた目と、人好きのする顔だちをしている少年だった。そして、バラクはその顔に見覚えがあった。
「おお、来てくれたんだな、バラクさん!」
バラクがこんな山奥の村に来る羽目になったのは、もとはと言えば彼が呼んだからだった。そうだ。バラクの住むケデシュにやってきて、彼をここに来るよう依頼し、帰ってしまったのだ。
「君は……」
「デボラは、おれのおふくろだ。来てくれてうれしいぜ!」
そう言って彼はついと指を指す。
「こっちだよ、来いよ。もっと道を進むとな、大きななつめやしが生えてるんだ。そのすぐそばにある松明屋そこがおれ達の家だ」
「松明屋?」
「おお、おれたちは松明職人だよ」
彼はそう言って、バラクの手から手綱を取ると悠々とろばを引いて歩きだした。ろばの背に揺られながらあたりを見渡すバラクの目に、やがて言葉通り、大きななつめやしの木が見えてきた。がやがやと音がするのは、なつめやしの木の下に何人もの人が集まっているからだ。
その下にあつらえられた椅子があった。松明に使えないような歪んだ木で、なんとかこしらえたような粗末な椅子が。その上にデボラと言う女性、バラクをこの村に呼び出した張本人が座っていた。


デボラの噂は、もともとケデシュにも届いていた。いや、イスラエル人が住む全土で、彼女の事は評判になっていた、ラマとベテルに間にある、名もない山村。そこに不思議な女性がいると。
彼女は、神の言葉を聞くことのできる力を持っているらしい。まるで歴史に語られるヘブライの英雄たちが神の言葉を聞いたように。ラマやベテルの住民は、そんな彼女のことを今やすっかり頼って、彼らの長老以上にその女性を重宝し、彼らの間でもめ事が起これば裁判官を頼んでいるとのことだ。彼女もその力が有ることに加え、聡明で心優しい、頼りがいのある人物で、その役職を喜んで引き受けている。今ではラマやベテル以外からも裁判を頼む人々が来るほどだ、と言う。
そんなもので、名もない山村の、松明職人の妻と言う名を上げるはずもない存在が、ちょっとした噂になっていたのだ。

「悪い!おふくろ、裁判の途中みたいなんだ。待っててくれる?家に入れるからさ。あッ!親父を紹介するよ」
がやがやと話し合いになっているなつめやしの木の下を見て、ろばの手綱を引く彼はろばを止め、自分たちの小さな家畜小屋につないだ。そしてバラクを降りるように手招きする。バラクは素直にろばから降りる。裏口から入ったデボラの家とやらは、作りかけの松明がいくつも立てかけられていた。

バラクはデボラの噂を聞き、感心こそしていたが、自分に関係があるだろうとは思ってもみなかった。ある日、この目の前の少年、ネルと名乗る彼がやってきて、この言葉を受け取るまでは。
「神はこう言われる。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万人を動員し、タボル山に集結させよ。私はヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。私は彼をお前たち、イスラエルの手に渡す』……裁き司のデボラを通じて、神様から、あんたへのメッセージだそうだ」
そしてついでネルは、自分たちの村の場所を教え、「いつでもいい。決心できたら来いよ」と言い残し、茫然とするバラク一人をおいて帰っていってしまったのだ。

言い訳をするわけではないが、神の言葉など信じられるか、と言う理由で茫然としていたわけではない。バラクは人並みにはイスラエルの神を信じていたし、神の言葉を聞ける、と言うのは掛け値無く素晴らしい力だと思っていた。それに国を愛するイスラエル人として、その神の言葉通りイスラエルの軍隊を率いる立場にある司令官としていつかカナンを、ヤビン王を、シセラ将軍を打ち取れればと言う思いも勿論あった。
だがしかし、理想と現実の違いと言うものがある。バラクは慎重派だった。いかに自分たちが望んでいても、実際の戦力の差はいかんともしがたい。物理的な力の差を民族の誇りだけで押し切れれば世話はないのだ。
しかし、一方で彼は一笑に付すこともできなかった。カナンの強さはイスラエル人にも悔しいことだが知れ渡っている。あまりの現実離れした国粋主義者でもなければこんなことまず言ってはこない。しかし噂から聞こえる預言者デボラと言う女性がそのような血の気の多い向こう見ずな人間だとは、どうも思えないのだ。
神の言葉を聞けると評判の彼女が直々にこう言っているのだ、言ったところで損もないだろう……彼は、そう理由づけをしてネルに案内された山村に向かった。だが、本心では理由などないに等しかった。彼はつまるところ、自分でもよく分からず、ただその言葉に惹かれるようにデボラの山村に向かっていたのだ。


家の奥の作業台に、しょぼくれた、少し老けた男が一人いた。ネルが「親父!」と言ったことから、デボラの夫であることは想像できた。くるりと振り向いた彼はさえない顔立ちではあったが、一方で穏やかそうで、見ていて安心するような顔立ちともいえた。
「お初に目にかかります、ラピドトと申します」彼はそう挨拶し、バラクも挨拶を返す。
「このようなところにご足労頂き、誠に感謝します」
「いえいえ……」バラクは返事する。ネルはドタドタとパン菓子や飲み物の準備をした。外ではまだ、がやがやと言う話し声が聞こえてくる。
「お噂通り、奥様は多くの方々に慕われておいでですね」バラクはニコリと笑って言った。重い青銅の鎧も、既に脱いだ。
「ええ。嬉しい限りですよ。あれは本当に、昔から世話好きで」
そうニコリと笑う彼の顔に、バラクは不思議なものを感じる。バラクの生きてきた価値観の中では、華やかな立場とは男性が担うもので、女性は内助の功をし男性を支えるものだった。
本来ならば、ラピドトが評判になりデボラがそんな彼を支えるべきではないのだろうか?だが見ての通り現状は逆、それまではまだいい。当人同士の資質と言うものがあろう。問題は、このラピドトと言う男がまったく自然に妻が目立ち自分は地味に家を支えていることを不満にもなんとも思っていなさそうなところだった。確かに気の弱そうな男ではあるが……。
「しかしラピドト殿、奥方様ばかりがあそこまでもてはやされる状況は、貴方様としても面白くはないのでは……?」
会話に窮したこともあり、バラクはあえて失礼を承知で直接的にそう言った。もしこの男性がそれに人知れず不満を抱えていたのならば、人間関係の手狭そうなこの田舎の仲間ではなく、今日来たばかりのよそ者である自分の方が話しやすいのではないかと。
しかしその気遣いのようなものは、全く杞憂かつ無礼でしかないことを彼は知った。ラピドトはにこやかに「おや、なぜそのようなことを!」と言ってきた。
「愛する妻が慕われれば、夫の私も嬉しいですよ。私も、彼女のああいった、頼りがいのあるところに惚れたのです」
「はあ……」バラクは頭を掻く。
「最近では、デボラ殿が全イスラエルの士師となるのでは、噂されてますが……」
士師とは、イスラエルの実質的なリーダーだった。
イスラエルに王はない。イスラエルを治める主はイスラエルの神ただ一人だけだからだ。そのため人々を裁く士師と呼ばれる存在が、王の代わりにリーダーとなる伝統があった。しかしカナンに力で追い越され二十年、イスラエルに士師は立たなかったのだ。
「もし、そうなれば」しかしその言葉に、ラピドトはにこりと笑った。心底、楽しいことを考えるように。「どんなにいいでしょうねえ……!彼女は、そう言った仕事が向いているんですよ。きっとなれたら幸せでしょう。それに彼女が幸せであることほど、私を幸せにすることもありませんからねぇ……」
その言葉を聞き、バラクはなんだか自分が恥ずかしくなった。この妻を愛する心優しい男性の前で、夫として、男としてのプライドのことなどと問いただそうと思っていた自分が却って小さいもののように見えていた。目の前にいるのはかかあ天下に押しつぶされるさえない亭主ではなく、ただただ妻を愛している夫なのだ。
「ぶしつけな質問を、失礼いたしました」バラクは少々赤くなり、言った。ラピドトはそんな彼の事も、にこにこと笑って受け止めてくれる。その頃になって、ちょうど外が静かになった。人がぞろぞろとはけていく音が聞こえる。その気配を嗅ぎつけて、たったとネルが外に出て行った。
そして間もなく、急いで走ってくる姿があった。バラクの前に現れたのは、先ほどまでなつめやしの木の下に座っていた女性だった。

デボラは恰幅のいい、どっしりとした貫録のある中年女性だった。頼りなさそうな夫よりも太っていて、山村のおかみさん、と言う表現がまさにぴったりだった。血色がよく、はつらつとした顔立ちが実に印象的な婦人だ、とバラクは自分を見つめる彼女を見て感じた。
「あらあら……あんたがバラクさん!まあまあ、こんな田舎までご苦労さんです。あたしですよ、あんたを呼んだデボラは!」
彼女はにこやかに笑いながら、バラクの向かい側に座る。バラクは「初めまして、デボラ殿……」とあいさつを交わした。あまりに普通の田舎の婦人にしか見えない彼女に戸惑いながら。
彼女はそんなバラクの事もなんのその、太い腰をどっかりと椅子におき、遠慮なしに手酌で葡萄酒を注いだ。
「あのう……先日、貴女様にお伺いした件なのですが」
「あらあら。あれは、あの言葉で全部ですのよ!」デボラは面白そうに笑った。
「……しかし、デボラ殿!あなたも分かられていることなら恐縮ですが……カナンと我々の間に、どれほどの戦力差があるか!……それがわからないのに、出陣しろと言われましても!」
「残念ですけど、あたしにそこまではわからないんです」デボラは鷹揚に言い返した。「あたしは戦争の経験なんて微塵もないし、どう戦局をひっくり返すかなんて思いつきやしない……けれど、神様があたしにお与えになったままをお伝えした、それだけなんですよ!」
そう言われてバラクは閉口した。だがこの目の前の婦人をそんな無責任だ、と怒鳴らないようとどめているものは何も彼の理性や良識だけではないことも、自覚できていた。
上手くは言えないのだが彼女の言葉には、説得力があるように思えた。彼女はひたすらに自信満々だった。この夫人の、戦を促すにはあまりに無責任な言葉に、身をゆだねることができるような思いに、バラクは早くも捕らわれた。
「それにねェ、バラクさん?」デボラは太い首を傾ける。「こう考えてみてはどうでしょう。人間の言う戦力差なんて、神様の決めた定めと、神様のお力の前で何とかなるもんでしょうかね?」
「……と、申しますと」
「人間の力であなた、海を割ることができます?」デボラは言った。
「きっと、モーセの時代のユダヤ人もね、バラクさん、あんたと同じことを言っていたとあたし思うんですのよ。『自分たちとエジプト人の間には圧倒的な力の差がある。エジプトから逃れることはできない』ってな感じにね!でも、実際、あたしたちはエジプトを抜けて今日のようにカナンの地に居るじゃありませんか!」
「は、はぁ……」
バラクは乾いた口を潤したくて葡萄酒を喉に押し込む。意外と美味だ。彼は口の周りを袖でぬぐい、気を取り直して言う。
「私は神の前に、慎重すぎると思われますか」
「まぁそうですねェ……時には思いきりも必要なんじゃないかとはね、思いますよ」
デボラはからからと笑いながら告げた。
「もちろん人間死ぬのはいやですからね。バラクさんのようになるのも人情でありますよ。でも、それでもあたしは神様の言葉を伝えないわけにはいかないんです」
「神の言葉……」バラクは一人ごちた。一つ、彼の頭に考えが浮かぶ。
「では……デボラ殿。そこまで言われるのならこのバラクも腹をくくりたいとは思いますが」
「そうですか!?」彼女は少女のように喜んだ。
「ええ……しかし、頼みが。……神の言葉を士気のもとにして戦うのならば、その発信源である貴方がそばにいたほうがいい……我々と一緒に戦場について来ていただけますか?」
なぜ自分がそう言ったのか、バラク自身にも今一つはっきりしなかった。あるいは彼女に頼りたいような弱虫な思いが出たのかもしれない。あるいは、そんな無責任な事を言うのなら自分たちと一緒に命をかけてくれ、と半ば当たり散らすような気持ちも。
しかし、そのような複雑な心情は、間髪をいれずに発せられたデボラの声と、それに伴う満面の笑顔の前にかき消された。
「ええ、勿論よろこんで!足手まといにならないよう頑張りますよ」
彼女には、全く恐れは見えなかった。
それは百戦錬磨の軍人の経験に裏打ちされた恐れの無さとも、あるいはまるきり怖いものを知らない子供の無邪気な恐れの無さとも違うようで……バラクにはただそれを、どことはなしに頼もしいと思うことしかできなかった。
「だったらおれも行く!」ネルが手を挙げた。「いいだろ!?俺も兵隊になるんだ」
「まあ、戦力は多いに越したことはない……」バラクは苦笑いした。デボラはにっこりと笑い。「で、出陣はいつです?」としれっと言う。
バラクはなんだか、彼女に対して少しでも疑いの気持ちを持っていたことが恥ずかしくなった。なんという肝っ玉だろう。この女性をここまで恐れなくさせているものは何か?やはり、神の声なのだろうか。
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