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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Deborah 第三話

ヤエルと言う女性も、もともとこんな女だったわけではない。彼女は元はと言えばイスラエル人だった。優しい両親がいて、友達もたくさんいて、愛する婚約者もいて、ただただ普通の恵まれた女性だった。元から少々気弱なところはあったが、それでも優しい人間たちに囲まれていて、卑屈でもなかったし、明るく笑っていた。
だがある日、彼女の住んでいた町が戦争に巻き込まれて、ケニ人の軍人ヘベルが彼女を無理やり連れて行ったのが運のつきだった。
ヘベルは彼女を手ひどく凌辱した。結婚と言う名目のもと。ヘベルがなぜ、彼女を選んだかはよく分からない。ただ目の前に現れた気の弱そうな女性が、彼の生来の暴力に対する欲を満たしたのかもしれない。ただ明らかなことは、ヘベルは彼女に惚れたわけではなかった。
ヘベルは彼女のやることなすこと、いつでも叱りつけた。何がなっていないかにがなっていない、だからお前はだめだ、反省しろ、お前はできそこないだ。自分で妻の幸せを奪っておいて、お前のような妻を持ったおれは不幸だ、とまで言った。
最初のうちはそんな夫にヤエルも抗議したくなった。だがそう言えば、ヘベルは遠慮なく彼女を肉体的に折檻した。ヤエルの体には、いくつもの鞭の跡ややけどの跡が残っている。みんな、ヘベルに傷つけられた。
「お前ができない奴だから悪い、できるようになればこんなことはされないんだ、それすらやろうとしない怠け者のお前が悪い」
そう言われていくうちに、ヤエルと言う人間の心から誇りはなくなっていった。ただただ罵られても受け入れるだけの人生。それが自分にはふさわしいのだ。だって自分は他の普通の人間とは違う。何段も劣ったできそこないなのだから、優しくされると思うのが筋違いだ。そう思うようになってきた。


夜が明けてイスラエル軍は歩を進め、ようやくタボル山に到着した。バラクは援軍のリーダーたちとあいさつを交わす。
「紹介しよう、デボラ殿だ!」
彼はデボラを前にやり、彼らに紹介した。戦場に連れてこられても堂々としていて、余裕と自信に満ちた彼女の貫録は、彼らの士気にいい影響を与えたと見えた。
「だが、喜んでばかりもいられないぞ、バラク。カナン軍も我々の事を聞きつけた。例のシセラ将軍も来るらしいぞ」
「あら、すごい」デボラは口をあんぐり開けて素直に感心する。
「デボラ殿。もしもお聞きしていいのならばお聞かせください……シセラ将軍を我々が倒せるのでしょうか?」
「その人を倒さなかったら、戦争に勝てないの?なら、倒せるでしょうよ。神様はあたしたちが勝つとおっしゃったんですから」
「はぁ……」
「でもそうですね……ちょっと、試してみましょ。言っとくけど必ず何でも分かるわけじゃありませんからね、そこのところは分かっといて」
デボラはそう言って、静かに目を閉じた。目を閉じ、ぼうっと気持ちを手放すようにする。こうすると、いつも行けるのだ。ある部屋に。

真っ白な何もない部屋の中に、気づくとデボラはたどり着いている。時たま、自分に声を投げかけてくれる特別の空間。
そこに来て、デボラは狙い通り声を聴いた。
カナンの将軍シセラ……。その言葉が確かに、彼女の鼓膜に響く。どうやら当たりらしい。そのシセラとやらが、どうなるって?デボラは当てが当たったのが嬉しくて、心の中で声に催促した。
……殺される……。シセラは、死ぬ……この戦で……。私は、シセラの命を売り渡す……。
デボラはその、先日知ったばかりのシセラと言う男の死に関する預言にじっと耳を傾けた。
……お……。
その単語が聞こえた時だった。デボラはふと、異質なものを感じた。
目の前に、人が立っている。
この空間には生まれた時から、自分以外のものは来なかったはずなのに。そして目の前にいる彼も、またひどく驚いたような顔をしていた。
少年だろうか、青年だろうか、全く見分けがつかない。自分よりも低い背丈、似ても似つかぬその人物を前にして、まるでデボラは鏡を見ている気分に襲われた。
……なが、殺す……。
「あんた、だぁれ?」
デボラがそう問い詰めた時、彼は逃げ出すように、そこから消えた。

「デボラ殿……おいかがですか?」
彼女が目を開けたのを見計らって、イスラエル軍のリーダーたちがそう問いかける。
「聞きましたよ。お言葉を」
「本当ですか……!」バラクたちの言葉は心配からうって変わって、希望の色を帯び始める。
「殺される、ですって。その人。この戦で……」
何の手によって?そこが、抜けていた。その言葉の時に、自分は彼に出会ったのだから。
目の前の彼らは、シセラが死ぬ、と言う言葉を確かにデボラが受け取ったのに十分喜んでいる様子だった。

その日タボル山の頂上に、イスラエル軍は陣を敷いて野営した。
バラクがデボラの様子を見に行くと、彼女は松明の点検をしている所だった。せっかくだからと言うことで、ラピドトの店から大量に松明を買ったのだ。さすが松明屋の婦人、慣れたものだった。
「デボラ殿、夕飯の支度ができましたよ」
頃合を見計らって、バラクは言う。「ネルが手伝ってくれましたよ」
デボラは振り返って「あら、もうそんな時間なの!?」と言った。
「最初のうちは自分でご飯を作らなくていい状況で調子が狂っちゃったけど、慣れてくるもんですねェ!それにネルが、ねぇ……」
「意外と器用なものでしたよ」バラクは笑って言う。指さす先の焚火では、ネルが手を振っていた。
ぐつぐつとレンズ豆の赤いシチューが煮えている。「あら、いいお味じゃないの」デボラは椀に注いだそれを飲んで、息子を褒めた。ネルも分かりやすく照れて見せる。
デボラはパンに蜂蜜を塗った。その様子を眺めながら、バラクは少々不思議に思う。ふくよかな顔は少し、考え事をしているかのようだった。
「何かおありですか?デボラ殿」バラクは首をかしげて言った。
「ありますよ。昼間、何を神様に言われたか、一か所だけ抜けていまして……」甘くなったパンをかじりながら、彼女は言った。「そのシセラさんが誰に殺されるか、それを言っていたような気がするんですけど……」
「なんですって?」
「あれは……そうね……」
ふと、デボラの頭の中に単語が思い浮かんだ。
「『女』……?」
彼女はぼそりと、そうつぶやいた。

「なに?女に殺されるですって?」
バラクの耳は彼女のつぶやきを聞き逃さず、聞き返す。そして笑った。とても気軽な笑い方で。
「主の預言です。明日、皆の前で発表しましょう」
「あら、いいんですの?」
「ええ。おそらくもっと良い影響を与えますよ」
バラクは思っていた。デボラはこの度の戦で、イスラエル軍の士気の源。そんな彼女の手でシセラ将軍が倒されるという栄光が用意されているという事であれば、むしろよりまとまりも出るだろう。
それに、不思議と自分が栄誉を掴めない、この女性にとられることを受け入れることのできる気分になっていることをバラクは自覚したのだ。自分は確かに彼女を信頼し、慕いつつある。
「見ろよ、おふくろ、バラクさん!」ネルが元気な声を上げた。
「綺麗な星空だ」
「あら、ほんと!」デボラはにっこりと笑う。非常に晴れた夜だった。
戦場にいるのに、何ら怖がる様子のないその母子の表情を見て、バラクはなんだか、たまらない安心感に満たされた。


夕飯も食べ終わり、めいめい見張り以外は寝にかかった。
真っ白な部屋に、デボラは気がついたら来ていた。神の言葉を聞くためと言うよりも、昼間の彼の事が気になって。
昼間の彼は案の定、そこにいた。彼は目を怪訝そうに瞬かせた。
「だれだ、貴様は……」昼間デボラが問いかけた問いを、今度は彼が発した。昼間と違うのは、デボラが戸惑いのあまり逃げなかったことくらいだ。
「ここは、私しか来ない部屋のはずだ……」
「あたしだって、昔っから来てるわよ」デボラは告げる。
「あんたもこの部屋に?じゃあ、意外とお仲間がいるってことね」
「……そう、だな」
彼は戸惑ったように言う。デボラの方は少し落ち着いてきて、にっこりと笑った。彼も少し落ち着いたのだろうか。少しだけ、表情を柔らかくした。
「はじめまして」
「はじめまして……ご婦人」


夜が明けたら、報告が入っていた。カナン軍はすでにタボル山のふもと、キション川の畔まで到着していた。
山の上からシセラの軍を見下ろせる分にはいいが、シセラの抑えたところは守りに適したところで、地の利は五分五分と言ったところだった。そして戦力差となると、段違いの差がある。しかし自分達の十数倍はありそうなその軍を見ていささか戸惑うイスラエル連合軍に、バラクは「恐れるな!」と言う。
「(だが真っ向勝負では勝ち目がなさそうなのも事実……やはり、奇襲になるか?)」
生憎とデボラからそのあたりの事は聞かされていない。あまりなんでもかんでも聞くわけにもいかなかろう。彼女も、聞きたいことをいついかなる時も聞けるわけではないと言っていた。

「あれか!」ヘベルは山の上にたむろする軍隊を見つつ言った。鉄の戦車の中でもひときわ立派なものに座るシセラは憮然として、鋭い目で睨みつけている。
「物の数でもないじゃねえか……信仰心しかないやつらはその分勝てねえ戦に無鉄砲に突っ込んでくるからな、全く面倒だよ。シセラ、聞いてるか?奴ら、今度の戦でついに女の力に頼りだしたらしいぜ」
「女?」シセラはじろりと視線だけヘベルの方によこす。「このシセラも舐められたものだ」
女に戦で何が出来よう?それはどんな女なのだ?彼らの崇める戦女神アナトのような、美しくも逞しい男勝りの女戦士?それとも男を骨抜きにし、戦を終わらせる傾国の美女?
「デボラ」と言う名前だけが入ってきたその情報について、彼らは考え込んだ。だがどんなパターンが考えられるにしても、負けはすまい。
「シセラ。やれよ」ヘベルは言う。シセラは短くああ、とだけ言うと、目をすっと閉じた。
じっと、数分間彼は戦車の上で目を閉じたまま、硬直している。彼には、不思議な力があった。生まれた時から、不思議な力が。
やがて彼は切れ長の目を二つ開くと、にやりと笑った。
「……夜に注意しろ。暗い中だった。暗い中、奴らが来ていた」

シセラと言う男、彼に与えられたものは卓越した戦闘能力だけではなかった。ほんの少しだけだが、未来の事が見えるのだ。「とある部屋」に入って、それを聞くことができるらしいのだ。
戦場で何が起こるかをその都度読み、その情報をもとに戦ってきた。だから彼は、カナン最強の将軍だった。


その日の昼間、デボラはバラクに言った。
「星ですよ」
「なんですって?」
「星が、あたしたちの味方をしてくれるそうなんです。あの部屋で聞いたんですよ」デボラはそう告げた。
「流れ星でも流れてくるんでしょうか?」バラクは冗談めかして笑う。「さぁねぇ」と、デボラも笑った。
「とにかく、皆さんに伝えといてくださいな。星ですよ」デボラはそうあっけらかんと明るく告げた。


「……あなたは、どこに住む、なんて方?」
「それを聞く意味はなかろう、ご婦人。私も問いただしはしない。ここにいるのは私と貴方だけなのだからな」
デボラがその日部屋に来ると、また例の彼がいた。神の声は、その時は聞こえなかった。
「驚いた。私と同じような人間がいるとは」
「あたしだって驚いたわよ……おまけにあんたみたいな若い人がねえ?」
「私がそこまで、驚くほど若く見えるのか?」彼は自嘲気味に言う。「あなただって、生まれた時からここにはこれたのだろう」
「ええ。今では見ての通りのおばちゃんだけどね」
「良いではないか。人間だれしも年を取るもの。……私の母よりはおそらく、貴女の方が年下だ」
彼は低い背に似合わず、非常に威風堂々としていた。デボラはそんな彼の事を好ましく思った。そして彼も、どっしりとしたデボラの風格あるたたずまいを憎からず思っていた。
「……ここにいると、何かが見えるだろう?」
「見える?あたしの場合は聞こえるんだけれど」
「……?そうなのか。まあ、人それぞれなのだろうな……」
彼らはただ、話をしあった。お互いに生まれてから自分だけしかいないと思っていた空間で初めて人に出会ったのが、彼らにとっては何とも言えず楽しかった。何かを感じるその場所が全く同じ場所、と言うあたり、そもそも彼らは本質的に似通っていたのかもしれない。
その場には、女が一人、男が一人。女の名前はデボラ、男の名前はシセラと言った。


日が暮れて、夜になった。星空が昨日と同じように光っている。
夜襲をかけるぞ、とバラクは軍隊全体に合図した。心配してほしくないから、デボラには眠ってもらっている。朝になったら吉報を届けられるはずだ。
斥候が帰ってきた。カナン軍たちは見張り数人を残して眠っている。絶好のチャンスだ。彼らに気づかれないように、静かに山を降りた。
少し、視界が悪くなる。見上げてみると空が曇っていた。星空が雲に隠れている。
「(星が味方をしてくれる……)」
バラクは少し、嫌な予感がした。このまま勝てるのだろうか?なんだかデボラの預言と食い違うような……。
だがその頃にはもうだいぶ山を下ってしまっていて、今さら引き返すと見えなかった。それにカナン軍はゆっくり寝ていると聞いた……。
「大丈夫か?」声を潜めて、隣を並走するネルが心配するように声をかける。「安心しろ」バラクは短く言った。戦争のときはいつも緊張する。いつも……。
その時だ。
バッと周りに明るく火が付いた。何ごとだと思った瞬間、バラクは状況を理解した。
「囲い込め!」
太い声が響いた。ケニ人の将軍、カナンの盟友ヘベルの声。
しまった!気が付かれていた、罠だ!
そう思った時にはもう遅かった。曇って星が隠れてしまった空の元、わあっと声が巻き起こるとともに、カナンの大群がイスラエル兵に向かって突撃してきた。
イスラエル人たちは慌てて、鉄の剣の斬撃を盾で受け止めようと試みる。だが所詮は青銅と鉄の争いだった。
ギンギンと金属音が鳴り……間もなくの事だった。ついに、悲鳴が響いた。そしてその悲鳴はイスラエル人のものだった。
それを機に、バタバタとイスラエル人が倒されていく声が、暗い中によく響いた。夜襲が始まってからまだいくらもしないうちから!
はっはっは、と言う笑い声は、先ほど響いた声と同じ。ヘベルの声だ。彼は縦横無尽に戦場を戦車で走り回り、イスラエル人をなぎ倒している。
バラクは慌てて叫ぶ。
「撤退、撤退!」
だが、その時だ。
「そこか」
ずっと、後ろから小柄な姿が飛び上がってきた。全く気配を感じず、バラクは完全に不意をつかれた。ガラガラガラ、と主を失った戦車が遠ざかっていく音が聞こえる。赤い光のもと浮かび上がったその目のあまりの鋭さに、彼は肝を抜かれた。
そして次の瞬間だった。ドサリ、と声も立てずに隣にいたネルと、その乗っていたろばが倒れた。
「ネル……!?」
そしてその次に、ギンと金属音が一回響いた。それだけで十分だった。気が付いたら彼の青銅の剣は根元から折られていた。
ようやく風が吹いてきて、星空を隠す雲が散った。トン、とその人物も地に足をつける。カナン人の松明の光と、星の光に浮かんだその姿は、血にまみれた鉄の剣を携えたカナンの将軍、シセラだった。

「……無様なものだな。この小僧も、貴様も……」
気が付けば先ほどまで隣にいた少年が切られ、自分の剣が折られていて目を白黒させるバラクに、シセラは冷たく言い放った。何も言わず切り捨てないのは司令官である彼にせめてもの敬意を払っての事だろうか。それとも、楽に死なせない非情さか。
シセラは冷たく笑う。彼の戦車を引く馬も彼に合流した。
「……シセラに、この私に勝てると、本気で思っていたのか。貴様らは……」
「シセラ!何があった?」先ほどの低い声も響いた。ヘベルのものだ。ガラガラと言う車輪の音、戦車に乗って彼は真っ先にバラクの方向に向かってくる。
「アビアノムの子バラクだ、イスラエル軍司令官だ!」
「なに!?」ヘベルが言う。「とっとと殺せよ!」
「無論」
シセラは小柄な上、地面に立っている。それだというのにろばに乗ったバラクは、彼を位置としては見下ろしながらも、完全に彼に威圧されていた。
ゆらりと彼は鉄の戦車の上に昇り、切っ先をバラクに向けた。バラクが死を覚悟した、その時だ。
シセラの戦車につながれている馬が、荒まじい叫び声をあげて暴れ出した。ぐらりと戦車が傾き、それに乗っているシセラもバランスを崩す。
「なにっ!?」シセラは叫んだ。
バラクは目をぱちくりさせた。すると、地面に転がっていたネルが起き上がった。気が付けば手には、先ほど切られて地面に落ちたバラクの剣の刃を握っていた。
彼は刃でこっそりと、シセラの馬の脚を斬りつけたのだ。
「バラクさん……!」彼は必死にバラクのろばに昇ろうとした。バラクもあせって彼を引き上げ、ろばに鞭を入れる。
シセラが馬と戦車を見捨てて走ってくるより前に、なんとかろばは走り出した。「撤退、撤退!」バラクは焦ってそう叫びながら、血まみれのネルを庇ってタボル山の頂上に引き返した。
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