クリスマス市のグリューワイン

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feat: Deborah 第七話

イスラエル軍が一気に山を下っていることを、ほどなくしてカナン軍も聞きつける。「敵襲だ!」と言う声が夜の闇に包まれたカナン軍の陣地に行きわたった。
「なんだと?奴らも?」
イスラエルがこんなにすぐ動き出すとは思っていなかった。だが予想外の事に戸惑うヘベルとは対照的に、シセラは落ち着いたものだった。彼は焦るヘベルや部下たちを横目で睨みながらしれっとした顔で鎧を身に纏う。
「うろたえるな。どちらから先に仕掛けようとどうせ戦うのは同じこと。我らが勝つこともまたしかりだ」
「お、おう……」
大将の冷静さは、カナン軍にも良い影響を与えたようだった。だいたい元からこちらの方も、この夜に戦を仕掛ける気でいたのだ。
カナン軍はすぐさま彼らを迎え撃つ準備を固めた。イスラエルに気づかれることの無いようにしかけておいた戦の準備の、最後の仕上げにかかった。九百両の戦車にはすぐにずらりと軍馬が繋がれ、高位の軍人達がそれに飛び乗る。先頭には、シセラとヘベル。カナン軍の準備に、それほど時間はかからなかった。

イスラエル軍がやがて下りキション川に差し掛かったころ、彼らははっとした。カナン軍が起きている!しかも完全に臨戦態勢で、イスラエルを迎え撃つ陣形に入っている!
しまった、まだ先を読まれたか!バラクや、イスラエル軍の面々はそう思った。だが、彼らはもう怯まない。焦らない。この期に及んで怖気づいたりなどしない。デボラは、あの女性は確かに、今この時だと言ったのだ。神の言葉を伝えたのだ。
戦車も持たない、兵力も持たない自分達は、神の言葉を信じてやってきたのだ。
「怯むな、先に進め!我々には主のご加護がある!」
バラクは叫んだ。その言葉を疑う者も、一人たりともイスラエル兵の中にはいなかった。

突撃の手を緩める様子のないイスラエル軍、タボル山を下ってくる光の一群を見て、シセラは自分の戦車に乗りながらにやりと笑う。
「なんだあいつら、俺らが見えていないのか……?」とあきれたようにヘベル。
「さあな。我々に怖気づいていない事だけは確か」
だが、その勇気など恐れるに足らない。勇気があろうと、鉄の武器があろうと、あんな小さな軍隊が自分たちに何ができる。今のイスラエル軍は飛んで火に居る夏の虫も同然。また、無様に返り討ちにしてやる。シセラは負ける気などしていなかった。絶対的な余裕があった。キション川の畔で、二つの軍が今にもまみえんとする時。

不思議なことが起こった。

明るすぎるほどに晴れていた星空が、一瞬で曇り、あたりは真っ暗になった。そして、バラク、シセラ、ヘベル、その場に居る面々の肌に何か当たるものがあった。冷たい粒。それがなんであるのか理解するのには数秒の時間を要した……雨粒だった。
一粒。もう一粒。三粒、十粒。次々と水滴が落ちてくる。そして、その数は膨れ上がった。そう、一瞬にして、タボル山のふもとは厚い雨雲に覆われ、大豪雨が降り注いだのだ。

両軍ともに、この不測の事態には驚いた。
ジュウジュウと音を立てて、カナン軍の持つ松明が消えていった。星明りも黒雲に閉ざされ、彼らは闇に包まれた。
だが、イスラエル軍はほどなくして、冷静さを取り戻した。なんということだろうか!彼らは目を疑った。ラピドトの作った松明は、雨の中でも燃えている!
特殊な薬品を混ぜると、水につけても火が消えない松明ができることをラピドトは知っていた。松明職人というさえない職業ではあったが、それでも彼は自分の仕事に手抜かりはなかったのだ。バラクは大雨の中光る松明を見ながら、あの人のよさそうなラピドトに感謝した。一方的に視界を確保した彼らの勢いは止まらない。ようやく彼らは地上に降りた。
「騎兵は全員馬やろばを降りろ!」
バラクはそう叫び、自ら愛用のろばを降りた。地面はすでに雨水を吸い込み、ぬかるみ始めている。

「馬鹿な……?」シセラは目を白黒させた。そんなはずはない、自分の視た光景は何だったのだ?
「あの明かりを目印に向かえ!」シセラは負けじと声を張り上げた。「突撃、突撃だ!」
だが、その叫びも無駄になることを彼は知った。彼の戦車が、動かない。泥濘の中に車輪も、馬の足もとられてしまったのだ!
自慢の鉄の戦車隊も、ぬかるんだ土地では何の役にも立たない、歩兵隊以下の存在だ。おまけに光もない、手探りの状態で一体何ができるだろう。
音が、光が、すぐそばに迫って来ていた。イスラエル軍はまっすぐに切り込んでくる!
暗闇に響く金属音と悲鳴。だが、先日の夜襲と違うのは、最初に響いたそれが、カナンの兵のものであるということだ。

戦いの行く末は目に見えていた。早々に騎馬や戦車をあきらめ、さらに暗闇と雨の中でも光を持ち視界の定まったイスラエル軍が一方的に有利であるに決まっている。
鉄の戦車の力を過信し、なんとかそれらを走らせようと手探りでもがいていた上級の騎兵たちが真っ先に犠牲になった。彼らはろくな抵抗もできずに身軽なイスラエルの歩兵たちに切り捨てられ、戦車から落ちた。
あっという間に、カナン自慢の戦車隊は総崩れだ。それを高らかに告げるイスラエル軍の声が戦場にこだまする。
カナン軍はそれで、輪をかけて恐怖に襲われた。真っ暗で方向も分からない中、どしゃ降り雨に打たれて右も左も、大混乱だ。
「何をしている、逃げるな、持ち場を守れ!」
シセラは大声で言ったが、効果はなかった。視界が悪くとも、彼には敗走する兵の声がすでに聞こえていた。この状況になってしまっては、さすがに不敗のシセラ将軍の声と言えども、恐怖の方が打ち勝ってしまう。
おまけにイスラエル人の武器の強度は、今やカナン人と全く互角だ。柔らかい青銅の剣を捨てた彼らはカナン人相手に激しく切り結んだ。自分たちに優勢な状況になった、と悟ったイスラエル軍は、彼らは自分たちの何倍もいることを忘れた。その健忘は、ひとたびシセラの事を思えば恐怖に震えあがってしまっていた彼らにとっては間違いなくいいものだった。事実、暗闇と大雨の恐怖で一転、腰抜けになってしまったカナン兵の恐ろしさなど、彼らにとっては今やとるにたらない。
バラクは先陣を切って、雨の中で相変わらず燃え続ける松明で戦場を照らしながら、片手に持った鉄の剣で次々とカナン兵を切り倒していった。
「カナンの司令官は、シセラはどこだ!」彼は大声で怒鳴った。

「腰抜けどもめ!」シセラは舌打ちする。彼はおそらく隣に居るのであろうヘベルに言った。
「戦車を捨てるぞ!」
「歩兵に成れって言うのか、俺達が?」
「やむをえん、緊急事態だ」
シセラはそう言って戦車を降りる。ヘベルも仕方なく追従した。
シセラは暗闇の中、目をギラリと光らせて真直ぐに進んでいった。ふいに、悲鳴が上がる。
「シセラ将軍だ!」イスラエル軍の悲鳴が上がった。彼は、戦車など、騎馬などなくても、そして同じ鉄の剣を握られていようとも、圧倒的な剣術の腕がある。彼は松明の明かりを目印に、この期に及んでもバッタバッタとイスラエル兵をなぎ倒しにかかる。
それを見たヘベルは、あわてて自分の部下にも言う。シセラ一人を戦わせるわけにもいくまい。
「戦車と騎馬を捨てろ!イスラエル人は光の方向に居る、それに向かえ!」
流石に残っているカナン人は度胸のあるものぞろいだ。彼らは上官に言われるまま歩兵となり、イスラエル軍に向かって言った。だが、彼らがキション川のすぐそばに沿ってイスラエル兵を追いかけたのが運のつきだった。

ゴー、低いと言う音が聞こえた。何事かと戦場はどよめく。いち早く気が付いたのは、バラクだった。
「危ない!者ども、高いところに逃げろ!」
バラクの一声に、イスラエル軍は慌てて走り出す。カナン軍がそれに戸惑っている時だった。枯れ川だったキション側が急激に水位を増した。突然の豪雨で鉄砲水が起こったのだ!
気が付いたときにはもう遅かった。彼らが逃げる間もなく川は水嵩を増し、両軍の勢いを合わせてもかなわないのではないかと言うその荒れ狂う水流はヘベルの指揮下にあるカナン兵を一気に押し流した。
鎧も、皆丈夫な鉄製のものをつけているのだ。溺れてしまっては助かるはずがない。圧倒的な装備の差が、かえって仇になるとは。
バラクの言葉のおかげで、イスラエル軍は住んでのところで鉄砲水の被害を逃れた。雨はやむどころかますます激しくなってくる。稲妻の光が戦場を切り裂いた。遠くで雷が鳴った。イスラエル軍の士気は最高潮に達していた。
雨に濡れ、乗るものを失った鉄の戦車が力なく倒される音が響く。こうなってしまってはもはや、カナンの誇る最新兵器も鉄くず同然だ。

「どこまで……なめやがる」
ヘベルは屈辱に震えながら叫んだ。
「イスラエルの司令官、どこに居る!このカイン人ヘベルが相手になるぞ!」と叫んだ。そしてその声に、一人やってくる男がいた。雨の中でも燃える松明をしっかりと持った床の後ろで、雷がもう一度鳴り響く。
「アビアノムの子、バラクならここに居るぞ」バラクはヘベルの前に立ちはだかった。そして、松明を地面に刺すと「来るなら来い!」と剣の切っ先を向ける。
二人の軍人は大混乱を意に介さず、雨の中光る松明の光のもとで激しく切り結んだ。同じ武器を使っている今、実力は互角というところだった。
だが、ついに決着の時は訪れた。雨で手元が濡れ、剣が掴みにくいのは両者にとって同じだったが、ついに片方が、手を滑らせたのだ。それは、ヘベルのほうだった。
「しまった……」
それは、ケニ人ヘベルの最期の言葉、余りに無様な言葉だった。
バラクはその隙を突き、彼の剣を打ち飛ばした。そして、ヘベルが丸腰になった次の一瞬で、剣の切っ先を彼の首に叩き込んだ。彼の冷酷な目が埋め込まれた首は、雨の中宙を舞い、そして、ぬかるみの中にぼとりと落ちた。

バラクはヘベルの首をつかみ「ケニ人ヘベルは打ち取られたぞ!」と大声で言った。戦場に、イスラエル軍の歓喜とカナン軍のどよめきが行きわたった。

その言葉を、シセラも聞いていた。鉄砲水の流れからすんでのところで抜け出せた彼も。ごろり、と足もとに丸いものを見つけた、拾ってみれば、それはまさに、盟友ヘベルの首だった。
「撤退だ、撤退しろ!」
もはやシセラも、そう叫ぶしかなかった。不敗のカナンの英雄ですらも。鉄砲水の中、剣も失った。
カナン軍はもはや、惨憺たるものだった。後は散り散りになってイスラエル軍に追われるのみ。イスラエル人にとっては赤子の手をひねるかのような追撃だった。
逃げながら、その時、シセラは見た。この光景を、自分は知っていた。
豪雨の中、真っ暗な中、ちかちかと光る光の群れ。真直ぐに自分たちを追いかけてくる。
星だと思っていたのは、この光景だったのか。シセラは目を瞬かせ、流木で傷ついた足で精いっぱい走らせながら、目の前の出来事を呆然と見ていた。

カナン軍はハロシェト・ハゴイム近郊まで逃げた。だが、それが限界だった。一晩と立たないうちに、カナン軍は全滅したのだった。実力ではるかに劣る、イスラエル軍相手に。

暗闇の中、シセラは逃げおおせた。イスラエル軍の声も聞こえない。そして、味方の声も。
「誰かいないのか!?誰か!」
答えは何も帰ってこなかった。大豪雨はいつの間にか止んでいて、嫌味なほど輝いている星空が元通りになっていた。
シセラはぼうっとする頭を抱え、考えた。ずぶぬれで、足には怪我をした、見るも惨めな姿で独り立ちすくみながら。
自分が、負けた?
イスラエル人相手に?
彼にとっては、初めてと言ってもいい規模の大敗北だった。軍人になってからずっと、勝ち戦しかしてこなかった彼にとっては……。
彼の体中に、恐怖感が駆け巡った。彼はわなわなとふるえた。「ごめんなさい……」
それを言う対象は目の前にいないというのに、彼は青い顔をして、何度も何度も繰り返した、。頭を庇って、泣きながら。
「ごめんなさい!ごめんなさい、ママ、許して、お願い、僕を許して、捨てないで!ぶたないで!お願い、お願い、痛いんだよ、手当てしてよ、怒らないで、ママ……!」
彼の頭には、自分を怒る母親の姿が激しく駆け巡った。
戦場でいくら勝っても、少しのミスがあると激しく怒った。大怪我をしていても手当てするどころか、何故怪我なんかしたそんなの私の息子じゃないと外に放り出された。完全な勝利じゃないと許してくれなかった母親の姿。
こんな、こんな敗北を期して帰ってしまったら、母は一体自分に何をするだろう。嫌だ、あれだけでもこわかったのに。其の何百倍?何千倍?
「こわい、こわい……怖いよ、助けて……」
彼はパニックになった。頭を白黒させて、ぶるぶると震えた。嫌だ嫌だ、怒られたくない。怒られるのが怖い。怒られるくらいなら、ここから消えてしまいたい。これほどまでに負けてしまった自分に存在価値などない。母はいつもそう言っていた……。
その時だ。彼の目に、明かりの灯った天幕が入ったのは。
それは見知った天幕だった。あの自分の友を自称していた男は、自分の家を持たず、いつもあれで移住生活をしていた。
彼女も、戦闘が始まると足手まといと言う理由で、いったんハロシェト・ハゴイム近郊まで帰っていたのだ。
「ヤエル……さん……」
彼はぼそりと、その名を呼んだ。
彼はじくじくと痛む片足を引きずりながら、その天幕の方に向かって歩き出した。非常に重い足取りで。彼の脚は間違いなく、街中の母が待つ邸宅ではなく、その天幕を目指した。
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