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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Deborah 第八話


ヤエルは、ようやくシセラの屋敷の手伝いから解放されたところだった。いつもの通り苛め抜かれたが、彼女は一つ、別のことを考えていた。アクラビムに仕える侍女たちの噂していた、この度のイスラエルの女性指導者とやら。
彼女は元イスラエル人だ。だが、彼女の気にかかるのはそこではなかった。
「どんな人かって思うでしょう?その人」自分は入れてもらえない話の輪で話されていた内容に、ヤエルは聞き耳を立てていた。
「アナト女神みたいな女戦士か、はたまた神秘的な巫女様か……これがさ、山村の、どこにでもいそうなおでぶなおかみさんなんだって!」
「何よ、じゃあ全く普通の人じゃないの!」
「そうでしょ?全くイスラエル軍も人手に困ってるのね……」
そんな話を聞きながら、ヤエルはずっとそのことが頭から離れなかったのだ。
女戦士でも巫女でもない普通の夫人。それも、戦争に出て戦っている。ヤエルには、戦うすべを持たないヤエルには、なんだかそれが、酷く魅力的なことのように思えたのだ。
「(なんて……その人はきっと、一件普通でも素晴らしい方だから呼ばれたのよね。私みたいな何もできない、ごみみたいな人がそう思っちゃだめね。失礼だもの……)」
彼女は必死でそう言い聞かせた。もはやこうして、自分自身で自分を罵らなければ落ち着かない身になってしまった。だが、自分では及ぶべくもない立場だとしても、そのデボラと言う女性に対するうっすらとした興味を完全に止めることはできなかった。
「(どんな方かしら……私も、あってみたい。……なんて、異邦人と契った売春婦なんか、そんな立派な人に会える身分じゃないのにね……やめないと。旦那様を待たないと……こんなことを考えるから、私はできない人間なんだ……)」
夫から何人も聞いていた、戦場の英雄の中でもここまで興味を持つことなどなかった。なぜ、こうも身の程知らずにも惹かれるのだろう。それはやはり、デボラの「普通の女性」だという一点が、ヤエルの心をくすぐったのだ。たとえ自分が普通以下だとしても、そこに、剣を持ち馬に乗り、自分を馬鹿にして蹂躙する男たち、男らしいと、英雄と賛美される男たちとは、違うものを見ることができたのだ。


不意に、天幕のもとにやってくる人物がいた。彼女はびくりと身構える。「はい、あなた。ただいま……」
あれはしたはずだ。あれもした。しまった、あれをしていない、また殴られる……どうして自分はこんな無能なんだろう、こんなに不出来なのだろう……そう思いながら開けた幕の向こうには、思っていたのとは違う人物が立っていた。
「あなたは……シセラ、様……」
彼女が震える声でそう問いかけたのは、戸惑い故の事だった。まさか、あの立派な将軍シセラが、歩兵のように何にも載らず、ずぶぬれになってたたずんでいたのだ。ただならぬことがあったのは想像に難くない。
「シセラ様、戦場で何が……」
そう問いかけるヤエルに、シセラは無言のままあるものを突き付けた。ヤエルは悲鳴を上げる。それは、泥にまみれたヘベルの生首だった。
「貴様の夫だ……」
ぼそりと、シセラは呟く。そして、やけになったようにそれを母鳥と天幕の外に投げた。
「シセラ様……?」
彼女はもう一度、問いかけようとした。だが、シセラは次の言葉を言う前に、ヤエルの首を抱き寄せると彼女に強引に口づけした。
彼女の心に、恐怖感が湧き上がってくる。男に支配される恐怖が。そしてこのシセラの場合、この後彼の母親に散々に虐待されるという恐怖が。
シセラは長く、長く彼女に口づけしていた。
ヤエルは驚いた。おそらく無我夢中なシセラの耳には届かなかった。そもそも彼に口をふさがれているので、声らしい声にすらならなかった。だが彼女は、自分の喉の奥かすれ消えそうな小さな音でとはいえ、その声が出たことに驚いた。いったい、何年ぶりに言うのだろう。
「やめてください」と。

漸く口を外したシセラは、呟くようにこう言った。
「……我が軍は惨敗だ。貴様の夫も、見ての通り死んだ」
「そんな……?」ヤエルの声が震える。では、先ほどアクラビムの侍女たちが馬鹿にしていた女指導者とやらに率いられたイスラエルが、まさかこの不敗の将軍に勝利してしまったというのだろうか?
「……ヤエル。私は、逃げる」
「なんですって?」彼女は、唐突に出てきた目の前の男の発言に驚いた。だが、彼はギラリと目を輝かせてヤエルを睨みつけると、叫んだ。
「この結果を、ハツォルの陛下に、母上に報告しろと言うのか!?」」
その声は、ヤエルを威圧する声であるとともに、非常に悲痛な声だった。
「冗談じゃない!そんなことになれば私は破滅だ!私は逃げるのだ、カナンから……どこか、遠いところへ!」
そう言い彼は、がしりと握りつぶすような勢いで、ヤエルの手首を握った。
「貴様も一緒だ、ヤエル」
「えっ?」
「貴様も私と一緒に逃げろ!嫌とは言わさん!」

違う。こう言いたいんじゃない。シセラは心の底で悲鳴を上げた。
こんなことが言いたいんじゃない。今までの事を謝りたい。もうしないと言いたい。もう、貴女を傷つけるあの夫はいないのだと言って彼女を安心させたい
力を見せつけたいんじゃない。無理矢理どうこうしたいんじゃない。
言いたい言葉が、言うべきとわかっている言葉が出ない。口をついて、この女性を怯えさせる乱暴な言葉しかどうしても出てこない。自分はそう言う人間なのだ。そう言う風に、育てられたのだ。
ただ、貴女が好きだと、だから一緒に居たいのだと、そう伝えたいだけなのに。

シセラはおどおどする彼女を無理やり引きずろうと立ち上がる。しかし、ずきりと足に激痛が走った。
「シセラ様……」震える声で、ヤエルが言う。「その足では、難しいかと……もしよろしければ、お手当いたします」
「……やれ」シセラは短く命令し、すっとその場に座り込んだ。
ヤエルは冷たい水で汚れきった傷口を良く洗い、薬草をつけて、丁寧に白い布で巻いてくれた。
「……水をよこせ」シセラはぼそりとそう言う。「喉が渇いた……」
「はい、ただいま……」
シセラは、すぐに自分の前に水の椀が差し出されるのを待った。だが、ヤエルは少しの間迷っているようだった。シセラが怪訝に思っていると、差し出されたのは違うものだった。
その器に入っていたものは、透明な水ではなく、柔らかな白さを持った液体だった。
「よろしければ……山羊のミルクをどうぞ」彼女は必死で、目の前の彼の機嫌を損ねないよう丁寧に言った。「将軍様はお疲れのご様子ですので……ミルクは、疲れが取れます。お酒がお好きでしょうが、疲れた体には毒かと……」
シセラは目を瞬かせた。ヤエルはその沈黙に耐えきれないらしく「……申し訳ありませんでした!すぐに、水を……」と言いなおす。
「……いや。よい」
シセラはそう言って、ミルクの器を傾けた。ミルクを飲むのは、数年振りだろうか。自分の胃袋が、久しぶりに味わうその味を心から悦んでいるのが感じられた。じわりと、目頭が熱くなるのを感じることができた。
彼は、飲み干した器をヤエルに預けた。心が軽くなる。眠気が襲ってきた。
「ヤエルよ」シセラは言った。
「お前の言うとおりだ。私はいささか疲れた……眠らせてもらおう。寝て……目が覚めたら、お前とともにカナンの地を逃げ出す。それでよいな」
「はい……」
「ヤエル」彼は眠気に襲われながら言った。
「お前は、どこに行きたい?ペルシアか、コーカサスか、エジプトか……」
「私は、何も存じません故……」
「私は……コーカサスに行ってみたい」シセラは呟いた。「行ったことがなかったから……」
それを言い終わり、シセラは寝息を立て、眠った。


ヤエルは、眠るシセラの姿を見ながら、この現状について考えた。まさか、シセラの軍が負けるなんて……夫が死ぬなんて。
彼女は、自分を縛りつけてきたものが少しずつ、少しずつ崩壊していくような心境を味わった。
夫はいつでも、威張っていた。自分は強いのだ、お前と違って優秀なのだ。あの無敗のシセラとも親しい、だから無能なお前は俺の言うことを聞け、そういうことをいつもいつも言って、ヤエルを押さえつけていた。
だがそんな彼が……先ほど見た。生首になってしまった。
夫の語るヘベルと言う人物は、まさかそんなふうにはならない人物だった。しかし、彼は負けた、彼は死んでしまったのだ。普通の夫人、そう言われるデボラの率いるイスラエル軍に負けて。
「(デボラ……普通の女なのに、イスラエルの英雄になった……)」
ふと、ヤエルは自分心にある感情がわくのがわかってきた。それは、彼女に対するあこがれの心だった。
駄目よ、お前みたいな人間のくずがそんな素敵な人にあこがれるなんて失礼な、といつも通りの手法で彼女は、自らの心を抑えようとする。だが、それはうまくいかなかった。と言うのも、自分にそう考えることを強いてきた夫が、そのデボラの軍に倒されてしまったのを目の当たりにしたから。
昔、自分はどうだったろう。昔はもっと、人並みの誇りがあった。その時の感情が、夫の死、威張り散らしていた夫の無様な死によって、みるみるうちにヤエルの心の中に戻ってくるような思いだった。
だが、自分は何ができるだろう?デボラのような英雄に、自分はなれるわけがない。自分は、戦場に呼ばれたわけでもないのだから……。
と、その時だ。
彼女の眼には、眠っているシセラの姿が入った。鎧もつけず、疲れのせいかぐっすりと熟睡している彼が。
彼女の背中に冷や汗が流れた。……もしも、もしもだ。望めば、こんな状況でなら、自分は彼を殺すことができる。彼の生殺与奪は今このときだけ、無力な自分の手にゆだねられているのだ。
自分はイスラエル人だ。もしも自分がイスラエルの味方をする、となれば、どうだろう?確かに戦場では自分は弱い。無力だ。だが、今この時間、シセラが起きるまでの時間、弱さも何もないのだ。
何を考えているの、第一武器は?とやるが迷う。しかし武器ならあった。天幕を留めるに使う太い釘と金槌。そんなばかな、夫の友人を殺すなんて行けないわ、と思う。だがその夫はすでに死んでしまっているのだった。
自分を縛る一切合財が、消え去っていた。その手を下すか否かは、ただただ、ヤエルの自由意思にのみ依っているのだと、彼女は自覚した。
自由意思、ヘベルに誘拐され、奴隷のような身分になって暮らしてきたこの数年間、絶対に自分には与えられなかったものに。
「(どうすればいいの。どうすれば……)」
ヤエルは考えた、デボラのようになりたいか?なりたい。この男を殺したいか?自分は、この男を殺せるか?
「(私……私……)」
彼女は震える手で、釘を取った。
「(ずっと怖かった……ずっと怖かったの……この人が)」
それは、残酷な、そして当然の事実だった。
彼女は夫が怖かった、だがその夫と同じほど、恐怖している存在があった。戦場の英雄、と言われているような男ほど、自分を手ひどく扱った。カナン一の将軍シセラを、彼女は夫と同じほど、恐怖していた。
彼女の身になってみれば、何故彼を恐怖せずにいられただろうか。いつも冷たい視線で見下ろしてくる彼を。自分を犯す彼を。それで理不尽に怒り出す自分の母を止めもしない彼を。
彼女が、シセラをちらとでも愛する理由などなかった。当然だ。シセラは彼女に愛されることを、何一つやらなかったのだから。どうしても、できなかったのだから。
恐怖はその瞬間、ヤエルの誇りと交わり合い、憎しみに姿を変えた。心の中で謝ることを、彼女はその時、忘れることができた。


シセラは意識を取り戻した。何かしらの気配を感じたのだ。だが目を開けるには及ばなかった。自分の身の置かれている状況、そして頭上から降ってくる恐れと決意の合わさったような吐息と、それに混ざるヤエルの声で、彼は全てを察した。
「(……なるほど)」
彼は不思議と、悲しくはなかった。むしろ、受け入れた。彼女に殺したいほど憎まれた自分の行いを。当然だ。彼女は自分に優しくしてくれたのに、自分は彼女に、何一つしてやれなかった。
むしろ、自分の人生をこの女性が終わらせてくれるのならば、それはそれで本望だと思えた。愛しい人に殺されるなら、この罪深い男がたどる末路としては、随分上等ではないか。
「(イスラエルの神よ……どうやら私は、あなたに負けたようだな)」
彼は心の中で、さげすんでいた異民族の神にそう告げた。
「(よろしい。このシセラ、潔く負けを認めよう。……貴方に、貴方の愛するイスラエルに、とこしえの誉れがあらんことを)」
彼は、そうイスラエルの神を賛美した。穏やかな気持ちで。次の瞬間、こめかみに凄まじい衝撃が響き、彼は意識を手放した。
突風が吹いても取れないように天幕を留める、太くて丈夫な釘と、それを打ち付けるための大きな金槌。か弱い女性の力でもそれによって何倍にも膨れ上がった。人間一人の頭がい骨を貫通するには十分すぎるほどの力になった。
カナン最強の将軍シセラの最期であった。
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