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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第一話

イスラエルは美しい陽気に包まれていた。王宮では宴会が催されている。偉大なイスラエル王ダビデが、またしても憎き異国人との戦争に勝利した、戦勝祝いの宴会だ。ダビデの兵士たちや司祭が庭に一堂に会し、それに連なる形でダビデの王子たちが並ぶ。中心にいるのはダビデである。誰もが尊敬し、愛する美しい王を囲んで、宴会場は幸せそのものだった。
笛や竪琴の音色が混ざった、にぎやかな話し声が王宮中に響いてくる。彼はカーテン越しに聞こえてくるその音に眉をひそめて、窓に向かっている方の耳を手でふさいだ。
「奥行きは六十、間口は二十、高さ三十五」
雑音をかき消すように、彼は一人でつぶやく。つぶやきながら、ペンを机の上にパピルス紙に走らせ、図形を描いた。
部屋中には大量のパピルス紙が散乱している。まだ使っていないものは部屋の端に積み上げられて、使われたものは彼の座る机を中心にばらまかれるような形で散らばっていた。それらには全て、似たような図形が描かれていた。
彼の部屋には、机と蝋燭と簡単な寝台以外はない。外に通じる窓は開いてはいるが、カーテンで仕切っていた上、北向きの、ごく小さなものがただ一つあるだけだった。彼は生まれつき、日光というものが嫌いだった。
何故日光に当たっても他人は大丈夫なのか、彼には全く合点がいかない。自分の真っ白な肌は火の光を浴びると焼きつくようにピリピリと痛んだ。どうしても外に出なければならないときには彼は黒色のマントを全身に纏った。自分の肌も、髪の毛も、目元も、全て黒いマントで覆った。他人がそれを嫌っていることを彼は理解していたからだ。

彼、というのは、十年前、バテシバによって産声一つ上げずに産み落とされた子供である。
死体のような肌に、老人のような髪。人間にはあり得ないほどの真っ赤な瞳を持ったその赤ん坊に、全ての王宮の人間は震撼した。
彼が誕生したことで、美しいバテシバは完全に失墜した。後宮から追い出されることはなかれど、もはや虐められすらしなかった。下働きのような扱いになり、物言わず見下される身となった。今日の祭りでも、きっとバテシバは側室たちが並ぶところの一番端に座って、ただひたすらいないものとして勤めようとしているのだろう。
死体のようでありながら確かに生きるその子を、ダビデはやむなくソロモンと命名した。そして、王宮の端にある、北を向いた薄暗い部屋を彼に与え、そこで、めったに表に出すこともなく育てた。
ソロモンは自分の父と母に会わずにもう三年は立とうとしている。姿を見ても、遠くからのみである。母は自分を見ようとしないように努めていることを彼は理解していた。父は、全く彼の存在を忘れているかのようにふるまっていた。
自分の教育係としてあてがわれたナタンという名前の年老いた預言者のみが、彼が顔を合わせる人物だった。それすらも、週に数度くるのみで、後、彼は全く一人だ。彼は王宮の外に出たことすらない。部屋の外に出る程度ならば許されているが、このように王宮の外からも人が多く集まるようなときには、それすらしないようにしていた。誰も、それを望んでいないのを知っていたからだ。

耳に来る騒音が収まらないことに腹を立て、ソロモンはバンと机をたたき、ペンを乱暴に放り投げ、ついでに図形を描きかけのパピルス紙も床にたたきつけた。彼は寝台の上に放り投げてあった黒いマントにくるまると、ベットの上に寝転び、頭から毛布をかぶった。そして寝台の上に置いてあった書物……教育係のナタンが持ってきてくれたものだが、を開く。エジプトで書かれた政治学の書物らしいのだが、それすらも非常に退屈で、眠気が襲ってきた。
「こんなもの赤ん坊でも分かる」
彼はそう本をけなすと、それをあざ笑うかのようにそのまま眠気に任せて眠りについた。カーテンの外は明るかったが、かまいはしなかった。彼は夜が好きだった。
早く夜になってくれないものか、と彼は思い続けていた。できることならば、夕方になってから目が覚めたいと思いながら、彼は眠った。


なにかキラキラと輝くものを、ソロモンは夢の中で見ていた。彼は、それを美しいと思った。しかし、手は伸ばさなかった。美しいものはどうせ自分を嫌うに違いない、と彼は確信していた。
しかし彼の予想とは外れて、キラキラと輝くものは彼の手の中を目指して落ちてきた。彼の掌に落ちてきたそれは、光の屑のように見えた。光の屑はソロモンに笑いかけるように瞬いた。


ソロモンが目を覚ましたころは、すでに夕方だった。北向きの窓からでも分かるほど、空気が赤くなっていた。宴会はまだ続いているようで、騒音はそのままだった。
ふと、自分の部屋に近づく足音をソロモンは敏感に聞きつけた。自分の部屋に来る人物など一人しかいない。教育係のナタンだ。
「ナタン、そこに居るんだな、入れ」彼は足音が留まったのを聞くと同時に、そういった。ほどなくして扉があき、目つきばかりが鋭いよぼよぼの老人が入ってくる。
「何か用か」
「いいえ、ただ……」
「父上に様子を見てこいと言われたんだな。わかるぞ。安心しろ、何も大それたことはしてない」
ちょうどよかった、と彼はナタンから目をそらし、寝台の上で開きっぱなしだった例の書物を投げてよこした。
「お前に借りたその本だが、つまらんにもほどがある。こんなもの幼児も分かるじゃないか」
「……申し訳、ありません」
ナタンは口を濁してそういった。
「ああ。それと。お父上にパピルス紙とインクと蝋燭を持ってきてくれと言ってくれないか。いくらあっても足りない」
「わかりました」
「俺からはそれだけだ。あと、お前から何かあるか」
その言葉に首を横に振ったナタンを見届けると、ソロモンは彼を追い出すように扉を閉めた。
ソロモンは理解している。唯一会う人間である彼ですら、自分の事を忌み嫌っているのだ。不気味な存在だと思っているのだ。
物心ついた時からソロモンが思っていたのは、誰にも心など許してなるものかということだった。自分を見つめるすべての目が、自分を不気味だと、悪魔の子だと言っている。母親は自分を無視し、憎んでいる。父が自分にする親らしい行為と言えば、毎日パピルス紙と蝋燭を差し入れてくることくらいだ。兄弟たちも、兵士たちも、みんなそうなのだ。国民はソロモンという名の王子が生まれていることすら知りはしないだろう。
自分が何よりも求められているのは、この世から消えることなのだ。と十歳の少年は心の底から理解していた。
ただ、彼には一つだけ、楽しみがあった。生まれついたころから、彼の頭の中には何かしらの図形が渦巻いていた。曲線、直線、三角形に四角形、六角形、と様々なそれは頭の中で寄り集まり、見たこともないような壮大な建物を頭の中に創りだしていた。彼はそれを細部まで想像をめぐらせた。そして、思いついた先からパピルス紙に描きつけた。それだけが、彼が生きる意味だった。唯一の楽しいことがあればこそ、彼は全てを拒絶しながら生きていた。
「まてよ、高さは三十五ではなく、三十がいいかもしれないな」と彼は呟き、先ほど放り投げたパピルス紙を拾って、グシャグシャと黒く塗りつぶした。そして、同じような図形を新たなパピルス紙に描き始めた。
ふと、夕焼けの空に星のようなものが浮かんでいるように思え、彼は窓を見た。カーテンを閉めてしまっていたことに気が付く。開けてみたが、そんな星はない。第一暗くなりかけてはいるが、まだ星など輝けないであろう程には明るかった。
しかし、自分の頭には確かに夕焼け空に浮かぶ星が一瞬浮かんでいた。奇妙に思い、彼は首を傾げた。星は、夢の中で見た光の屑に似ているような気もしていた。



ソロモンに部屋を閉め出されたナタンは、彼に突き返されたエジプトの書物を見て寒気を感じた。自分も賢人ぶりになかなかの自身はあれど、この本は難解すぎてなかなか頭に入ってはいかない。
ソロモンはいつもこうなのだ。ごく小さいころから、大人でも音を上げるほどの本をあっさりと読み、理解しきってしまう。外国語などは数日もあれば完璧に覚え、読みも書きもできるようになっていた。今では何か国語操れるのだかわかったものではない。おまけに不得手というものがないらしく、数学だろうと哲学だろうと政治学だろうと、彼はあっさりと理解した。しかも、彼にとってはそれが「当然」らしく、理解できないほうがむしろ重度の知恵遅れにも等しいと見ているかのようだった。
ナタンは神の言葉を聞く預言者である。小さいころから神の言葉を聞くものとしての修業を強いられ、ダビデに仕え、彼に助言を与えてきた。
彼がバテシバを寝床に誘った時も、ナタンには不吉な未来が見えていた。だからこそナタンは二人の関係に反対した。しかし結果的には自分の忠告など少しも聞き入れられることなくバテシバはダビデの妻の地位に納まってしまい、今こうしてソロモンが生まれた。そして何の因果か、彼自身が、わが子から距離を置いたダビデとバテシバに変わってソロモンの教育係に任命されてしまった。

あの不吉さの正体はソロモンに違いない、とナタンは思わざるを得なかった。ソロモンは得体がしれない。十年間の間育ててきて、なおそう感じる。
彼が不気味なのは、その生きた人間とは思えない様な容貌のみのためではない。むろん、それも不気味であり、彼が嫌われる原因なのだが、さすがに十年も赤ん坊のころから育てているのに今更そんなところを気味悪がることなどない。ただ、ソロモンは、性格においても相当異質だった。平たく言えば、彼は生まれながらに賢すぎた。
彼は小さい時から、完璧に自分という存在がどのような目を向けられているのかわかっていた。彼はごく小さい時から一切、人に甘えるということをしない。甘えようとしてつっぱねられ、自分の境遇を知ったのではない。彼はただ、理解していた。周りを見るだけで理解していた。誰からも隔てられ、唯一話せるのはナタンだけなのだからナタン一人にはなつきそうなものを、彼はナタンにすら一線を置き続けている。ナタン自身の恐れを、血の海のような色の目で見抜いているかのように。彼は武術も運動もせず、食も驚くほど細かった。彼はただ、図形を描いていた。建物の設計図のような図形を何枚も描いては気に入らないと言って消し、その片手間に驚くほどの学習をこなして見せた。彼が子供のようにはしゃぐ瞬間も、失敗しながら学んでいく瞬間も、ナタンは見たことがなかった。
これでまともな容貌さえしていれば、間違いなく神に愛された子として称賛されただろうに、と思ったこともある。それほど、彼の生まれ持った知性は信じがたいものがあった。所謂天才というものなのだろう、とナタンは思っていた。

ダビデの他の王子は彼ほどは賢くない。それが普通だ。彼こそが異常なのだ。だが、知性は恐ろしい。時に知性は力をも貫く。
ナタンはソロモンがまだ二歳ほどだったある日、とある幻影を見たことがある。ナタンにとって預言というものは、常に寝ている間の幻影という形で現れた。まだ小さいソロモンが王冠をかぶり、玉座に座っていた。彼の玉座は何人もの死体の上に据えられていた。そして彼のそばには、彼を抱きしめるように、真っ黒な、世にも恐ろしくて醜悪な存在が寄り添っていた。ナタンには、それが悪魔なのだとはっきりとわかった。
その夢から覚めた瞬間、彼はダビデにそのことを話すかどうか迷い、迷った結果、恐る恐る話した。ダビデはその預言を聞き、しばらくうなだれた後「実は、私も、同じ夢を見た」と、この世の絶望を見たかのような表情で語った。
「わが子は、やはり、悪魔の子なのか、ナタンよ」とダビデは語った。ナタンはそれを否定できなかった。
ソロモンが王宮の北にある、ほとんど独房に等しい部屋で育てられるようになったのは、その時からである。

あれから八年もたつというのに、ナタンはその光景が頭から離れない。預言者として生きてきて、よりにもよってそれこそが、一番鮮明で目の前で繰り広げられているかのような預言のビジョンだった。血の匂いで窒息しそうな空間の、大量に折り重なる死体の山の中で、ソロモンの玉座のみが燦然と光り輝いていた。死体のような色をした二歳の幼児の小さな体には王の衣装は不釣合いで、半ば脱げかかっていた。その露出した肌に目を背けたくなるほどの醜怪な悪魔の長い爪が食い込む。悪魔はまるで彼の一部であるかのようにに彼に寄り添っていた。死体から流れる赤、ソロモンの白、悪魔の黒、それぞれが直視に耐えない恐ろしさを持ってナタンの目の前に鮮やかに映し出されていた。
悪魔は金色に輝く王冠を、死体の山から取り出した。そして、彼の頭にそれを乗せた。王冠を得たソロモンは、「こちら」に目を向け、にっこりと微笑んだ。あの顔が、忘れようとしても忘れられない。ソロモンの非常に薄い唇がゆっくりと動き始めた。そこでビジョンは終わったのだ。隣にはただ、ソロモンが寝ていただけだったが、その時の彼すらもナタンは直視することができなかった。

あのグロテスクな預言を、なぜ神は自分に下したのかがわからない。この子はきっと何かをするのだろう。死体、王冠、悪魔……ソロモンは、ダビデの家をかき回す存在になるのだろう。ナタンは確信していた。
彼は知っている。ダビデもそのことを恐れている。ダビデはソロモンに恐怖しているのだ。だからこそ、彼を遠ざけるのだ。
彼は何回も、ソロモンは何をしているかと聞いてくる。世界に名だたる王国の王でありながら太陽の下にも出られぬほど虚弱な十歳の少年、しかも自分の息子にここまで恐れを抱いているなど、彼くらいなものだろう。

だからこそダビデに言ったのだ。人妻を寝取るなど、きっと災厄を呼ぶことになると。……と、心の中でダビデに全責任を負わせないことには、神経が参ってしまいそうだった。ソロモンはダビデの罪そのものなのだ。ダビデ自身も、それをわかっているはずなのだ。
エジプトの本を抱きしめながら、ナタンは廊下を急ぎ足で歩いた。この本を自分の書庫にしまった後、ダビデにソロモンについて報告せねばならない。ぼうっとしているうちに、もうほとんど日が落ちかけていた。ユダヤの一日は、日没から始まる。次の日が来ようとしているのだ。


不意に薄暗い空を引き裂いた流れ星に、ナタンは気が付かなかった。彼は、何も考えたくはなかった。ソロモンとは彼にとって、そのような存在なのだ。
すぐそこまで来ている明日はソロモンの誕生日だというのに、ナタンはそれを失念していたほどだ。失念というよりも、忘れたかったのかもしれない。

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