クリスマス市のグリューワイン

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feat: Samson 第九話



マハネ・ダンに帰る道中、サムソンはデリラに、メレクの事について話した。彼がメレクと出会ったのは、やはりこんな荒野での事だった。
理由も分からなかったが、どうしても家に居たくなくなって飛び出した日に、彼はメレクに会った。メレクにはまだ名前などなく、ただ荒野に居るジャッカルでしかなかった。サムソンは彼に初めて会って、まるで磁石のように彼に引き付けられた、と言うのだ。
「なんでかね。なんか、うまくは言えねえんだが……」
サムソンはその時の事を思い出そうと、デリラに結われた三つ編みの一本を手で持ってぶらぶら揺らしながら言っていた。
「俺、その時、ジジイとババアが嫌で……嫌だ、ってこいつに、初めて会ったこいつに愚痴ったんだよ。そうしたら、こいつ、そのまま聞いてくれて、それが、すっごく嬉しかった。こいつ優しいんだな、って、そう思えたんだ」
風邪の吹きすさぶ荒野で、サムソンはその日、何回も何回も、マノアとハツレルポニの悪口を言ったらしい。そして、彼がそう言ったのは、生まれて初めての事だったのだ。
「ジジイもババアも、俺が悪口言うことなんて許してくれなかったから。俺がちょっとでも口答えすりゃ、誰が産んだと思ってる、誰が育てたと思っている、この親不孝者、何で神様から直々に命を与えられておいてお前はそんなろくでなしなんだ、って、いつもそればっかりで……だから、悪口なんて、言えやしなかった」
メレクはクウンと鳴く。サムソンはそんな彼を撫でた。
「今は違うぜ。俺、言えるもんな。メレクにも、そしてお前にも」
「そうですね」
デリラはそれに了承した。なんとなく、彼女は彼のエピソードを自分と重ね合わせて考えていた。自分とは比べものにもならない身分の彼の過去を、あろうことか自分の過去に。しかし、彼女にとって不思議とそれは非常に自然なことだった。
自分にとっても、メレクが初めてだった。自分を奴隷扱いしない存在。自分に、自身を差し置いて食事することを許してくれた存在。そして、自分にそう丁寧にしなくていいのだ、と言ってくれた存在。全て、メレクが初めてだった。
奴隷としての十四年間の生命を暮していて、確かにメレクと出会って、何かが変わった。デリラはそう思えることを自覚した。サムソンが親の悪口を言えるようになったことと、デリラがメレクを相手にだけとはいえ敬意を払わずとも話せるようになったこと。その二つは、非常に似ているような気がした。
彼らはガザから大分遠ざかり、マハネ・ダンはもうすぐ近くになっていた。


ガザの町ではアビメレクと部下たちがやはり思案にくれていた。サムソンを力尽くで突破するなど、ほぼ不可能に等しい。それどころか、智謀で何とかしようとしても生半可な策では全くの無意味なのだ。サムソンの圧倒的な力の前では。
どうすればいいだろうか?彼らは延々と考えた。しかも、なぜかあの日以来、アビメレクがどこか気を抜けば上の空になってしまうことも、部下たちを難航させた。
「アビメレク様!」ついにその日、しびれを切らした部下が一人怒鳴った。
「しっかりなさってください、サムソンをなんとかしませんと、ペリシテが逆にイスラエルに支配される日も、そう遠くは……」
「……お前たち若造どもに言われずとも、わかっておるわ!」
アビメレクは苛立ったように言った。
「お前達こそ私がいなくては何もできんのか!」
「も、申し訳ございません……」と萎縮する部下たち。
「ですがサムソンは本当にどうしようもありませんよ。最近じゃあいつ憎さにジャッカルを見ても僕はあたりたくなってくるくらいで……」
「ジャッカル……」
意外なことに、その言葉がぼんやりとしていたアビメレクの思考を、ひとまずサムソン討伐に結び付けたようだった。
「サムソンは……随分ジャッカルと仲がいいな。異常と言ってもいい」
「異常」部下たちが言う。「たしかにアシュケロンに強盗に入った時も一緒にいたようですが……」
「この前、レヒにいた時もあいつはジャッカルを連れていた」
「えっ?」部下たちは不思議そうに言う。「あのときはあいつ一人だったでしょう」
「いや、私は見たのだ。ジャッカルが宿の屋上から、確かにあいつにろばの顎骨を渡していた」
そう、あの時、、領主の椅子に座りながら、彼はメレクがサムソンに武器を渡すところをはっきり見ていたのだ。アビメレクは注意深い事には自信のある男だった。
「それに、ティムナの田園地帯が燃えた時も、確かジャッカルが火を付けた、とかなんとか、ティムナ人共は言っていたな……間違いない。あのご婦人は犬みたい、と言っていたが、うなずけもできよう。そのジャッカルとやら、ずいぶんサムソンと懇意にしている関係のようだ。ふむ……」
アビメレクの頭の中に、とある策謀が浮かんだ。
「……自らの民でもぞんざいに扱うような奴、と言ってしまえばそれまでだが、あのくらいの年の子供ならば自らの職務よりも、自分が好きな者の方を優先してもおかしくはない……」
部下たちは、ようやくガザの領主の目に自分たちの知っている光がともって来たのを見て、安心した様子だった。
「どうせ正攻法では無理。……一か八かだ。やってみよう。お前たち、私の策に乗るかね」
「もちろん、領主様の仰せの通りに」
彼らは口をそろえて言った。


マハネ・ダンではサムソンの旅の帰りをハツレルポニ達が温かく迎えた。
「神様にお前の旅が無事終わったことへのお礼をお言いなさい!」とハツレルポニが言ったので、家に帰ってすぐにサムソンはマハネ・ダンにある祈祷所に行った。異邦人であるデリラはそこに近づくことすら許されていなかったので、彼女は留守番で、洗濯の仕事をしていた。
ほどなくしてサムソンが帰ってくると、サムソンはデリラを自分の部屋に呼び、髪の毛の手入れをさせた。
「デリラ」彼は言った。
「なんでしょうか?」
「神様、ってなんだろうな?」
彼はぽつりと、そう呟いた。
「ジジイやババアは俺の事を神様に授かった、なんていうよな。お前の怪力も、お前が神様にその身をささげてこそ得られたものだって」
「はい」
デリラは深くうなずく。
サムソンの怪力は、常軌を逸している。これが人間ではないもの、神からのご加護だというのも、デリラには何となく信じられるような気がした。
「……じゃあ、なんでジジイやババアの方にその力よこさなかったんだろうな」
サムソンは、少しもの寂しそうに言った。
「俺は、こんな力くれなんて頼んだ覚え、一回もねえのに」
彼は、デリラが磨き終わり、元通りの滑らかな美しさを取り戻した金髪を触っていった。
「俺なんかより、ずっと、神様だけを愛している奴がいるってこと……神様なら、分かんだろ?どうして?どうして俺なんだよ」


マハネ・ダンに向かって出発した斥候をアビメレクは見送った。
「うまくいくことを祈りましょう」彼の秘書が、彼に言う。
「私も様々智謀を凝らしてここまで上り詰めはしたが」アビメレクは夜の寒さから身を守るためのマントに身をくるみ、秘書に語る。
「こういう時のみは、結局いつも神頼みだな。……我らがペリシテの神、ダゴンに祈るほかはありはせぬのだ」
「はは、アビメレク様、貴方が?」秘書は笑う。「いつも常日頃、神など頼りにならない、と言っている貴方が」
「そして、結局神からの加護もたびたび受けてきた。……神など、案外簡単に欺けるか、あるいは意外と性悪な人間が好きということさ、君」
アビメレクはふっと口をほころばせて、話半分に聞いている様子の秘書に、言い含めるように続けた。
「本当さ。覚えておいて損はないよ、君」


ある夜の事だった。その日もサムソンは、メレクと一緒に遊んで帰ってきて、そして、眠りについたと思っていた。
「デリラ?」
女奴隷たちの眠る部屋の中で、デリラは声を聞いたのだ。彼女は起き上がった。見ると、長い真直ぐな髪を垂らしたままのサムソンが、部屋に入って来ていた。
「サムソン様?どうなさいました?」
「……来てくれ」
彼は息が荒かった。少し、震えているようにも思えた。デリラが起き上がって彼の側によると、彼は彼女をわしづかみにするように掴み、自分の部屋に走っていった。物凄い勢いだった。
何事か、と聞く余裕もなかった。あっという間にサムソンは自分の部屋に走りこみ、鍵をかけた。
「どうかなさいましたか、サムソン様……」
「デリラ。……俺を、抱きしめてくれ」
サムソンは青い顔で、そう言った。
デリラが唐突な彼の申し出に戸惑ったのは言うまでもない。ましてやそんな恐れ多い、と言う言葉すらも出そうになった。だがサムソンは震えながら、理由も説明しないうちに「こうやれって言ってんだよ!」と、デリラを抱きしめた。小柄な彼女の体は、背の高いサムソンにすっぽり覆われるような形になった。
「は、はい……」
彼女はそう言って、自分の腕を伸ばし、サムソンの背中に回した。自分の背中が守られたことが分かったサムソンは「背中じゃなくて、頭を抱いてくれ」と、細々と言った。デリラはそれも忠実に守り、彼の頭をしっかりと抱く。彼は体勢を下げて、大きな体を丸めるようにうずくまって、デリラの膝の上に頭を乗せるような形になった。
彼の息が荒い。デリラは片手で彼の頭を抱いたまま、彼の背中を撫でた。サムソンはずっと、それに甘んじていた。やがて呼吸も落ち着き、彼も少し平常心に戻ってきたかと言うあたりで、デリラは彼に問いかけた。
「どうかなさいましたか、サムソン様」
「怖い、夢を、見たんだ」
彼は言った。
「怖いもんは何も出なかったんだ。化け物も、猛獣も出なかった。でも……俺が、殺される夢、だったんだ。敵にじゃなくて。イスラエル人とか、ジジイとババアとかが、みんな俺の方見て、俺に石投げて、鞭打って、……俺を晒し者にして笑ってたんだ。それで、俺、不思議と全然力が入んなくて……ただ、されるがままになってたんだ。もうお前はいらないって、のたれ死ねって、そう言われたんだ」
彼は泣くような口調で、そう言った。
「怖い、怖いよ」
彼はデリラの膝の上で、急にポロポロと泣きだした。それは年相応、いや、年よりもずっと幼いような態度でもあった。彼はデリラの奴隷の服の膝をいくらでも自分の涙で濡らした。
「お可哀想に……大丈夫、大丈夫です、サムソン様。誰もサムソン様に、そんなことはしません」
「違う、違う。するんだ。たとえば、俺よりもっと強い、俺よりもっとすごい奴とかが出たら、あいつらそれをするんだ」
サムソンは泣きじゃくりながら、虐められたのを母に言いつける子供のように、デリラにそう言った。
「俺には分かるんだ。あいつらにとって、神様にとって、俺なんてただの道具だもんよ。イスラエルを良くするために居るだけの、道具だもんよ。俺が必要な間は生かしてるだけだ。必要じゃなくなったらあっさり捨てるんだ。あいつら、そう言うやつなんだ」
小さな小さな、消え入りそうな声で、しかし確かに泣きじゃくりながら、サムソンはそう言った。彼の頭の中には、まだその悪夢の内容が渦巻いているように、デリラには見えた。
彼を抱きしめながら、デリラは、サムソンの気持ちがわかるような気がした。実の父であるマノアすら、イスラエルの誇りのためなら、彼をペリシテに手渡すことを全く拒まなかったどころか、それを彼に殆ど強制したのだ。手柄を上げて帰ってこれたからよかったものの、あそこで彼が死んでいたらどうするつもりだったのだろうか。嘆くだけ嘆いただろうか。彼の息子の死を?いや、神様から授かった英雄の死を。
「あったかいな」
彼はふと、そう言った。デリラの痩せた腹に静かに頭を擦り付けるようにして、彼は言った。
「お前はあったかいよな、デリラ」
「……お褒めに預かり、光栄です」
包帯の下で笑いながら、デリラは彼に言った。
「デリラ、俺な。嬉しかったんだ」
「何がでしょうか?」
「可哀想、って言ってくれて」
彼はまだ泣いたまま、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「泣き言言ったら、そんなこと言ってる暇があるか、神から授かった子が、それでどうする、って、言われてばかりで。文句言ったら、お前は十分恵まれているじゃないか、わがまま、親不孝者、って言われて。ちょっと何ができない、って言ったらそんなもの頑張ってなんとかしろ、って言われて。そんなやつなんだよ、俺の親父。酷いだろ。酷いだろ」
「はい。酷いです。とても、酷いです」
自分は本心からこの言葉を言っている。デリラはそう思った。仕えるべき相手であるマノアの中傷をしているのに、彼女は不思議と、罪悪感も何も感じていなかった。
「だから、お前が可哀想、って言ってくれて、俺、すごく、嬉しいんだ」
いよいよ本格的に泣いて、彼は彼女に縋り付く。
「俺はやっぱり可哀想なんだって。そう思えて、すごく、すごく嬉しいんだ。もっと言って。もっと、俺の事、可哀想だって、言ってくれよ。デリラ。ずっと俺の側に居ろよ。俺の事、可哀想だって言ってくれ」
これが、ペリシテ人を千人殺した男だろうか。イスラエルのトップに立つ士師だろうか。
醜く焼けただれた顔をした、惨めな、何の力もない女奴隷に泣きすがり、そのような彼女から憐みの言葉を乞う少年が、本当に彼と同一人物なのか。
しかし、窓から差し込む月光に輝き、美しく流れる彼の黄金の髪が、目の前にいるのは確かにサムソンであると、彼女に教えていた。
彼女は、はっきりと理解した。自分は、サムソンを可哀想だと思っている。産まれてから持たなかった、持つことも許されなかった感情を、確かに自分はこの彼に感じているのだ。なぜだろう?理由は分からない。強いて言うなら、このように、汚らしい奴隷に泣きじゃくりながらすがるこの姿が、可哀想でなくてなんだというのだろう?
デリラは彼をしっかりと抱きしめた。
「お可哀想に。お可哀想に。大丈夫、大丈夫ですよ、サムソン様、お側に居ますから。私は、離れませんから」
「なんでだよ、なんでだよ。……俺は、お前の故郷、滅ぼしたんだぞ」
「はい。でも、離れません。サムソン様が、お可哀想ですから」
サムソンは際限なくぼろぼろと泣いた。彼女の痩せこけた太ももの間を、彼女の薄い衣服が吸いきれなかった彼の涙が流れていくようであった。
「ありがとう……ありがとう。もっと……もっと言って」
彼はそう呟き続けた。


「こいつか?」
ガザから下ってきたペリシテ人の斥候は、一匹のジャッカルを捕え、吠えないように口をふさぎ、全身を押さえつけた。ジャッカル一匹にここまでするのにも、ざっと二十人がかりだった。うち六人は相当抵抗され、かなり深い傷を負ってしまった。
「間違いねえだろ。サムソンと一緒に居て、後をつけてきたんだから」
「じゃあ、アビメレク様に言われたことをさっさと済ませて帰ろうぜ」
彼らは瓶を取り出した。そして、抵抗できないようしっかりと押さえつけたそのジャッカル、メレクの口の、ふさがれていない狭い隙間に、その瓶の細い口をあてがった。
メレクは必死で抵抗した。しかし、瓶の中の液体はさらさらと流れ、彼の喉の中に落ちていった。


朝になってみると、あの後泣き疲れて寝てしまったサムソンは、全くいつも通りになっていた。あの惨めな少年の面影はなく、いつも通りの、生意気そうな彼がそこにはいた。だが、デリラはそれでもいいと思った。
非現実的な幻想であったのなら、それでもよかろう。気分の悪いものではなかったのだから。
彼女はサムソンの髪をいつも通り梳かして、七本の三つ編みに結い上げた。今となってはこの作業も、ずいぶん手早く出来るようになった。
サムソンはさっさと朝食を済ませ、いつもの通りにメレクを迎えに外に出た。
だが、荒野からやってきたそのジャッカルは、様子がおかしかった。

彼は凶暴な目つきでサムソンを見据え、警戒するような唸り声を発した。

「メレク……?」
サムソンは言った。
「おい、メレク、どうした……」
サムソンがそう言って手を差し伸べた瞬間、メレクはその異常な目つきのまま、サムソンに向かって走ってきた。

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