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クリスマス市のグリューワイン

feat: Samson 第十五話



サムソンは、アビメレクの治める地、ガザに連行された。彼はただで処刑にはされなかった。彼がペリシテ人にさんざん味わわせてきた屈辱を返すためと、彼は両目をくりぬかれ、足かせをはめられて、朝から晩まで、家畜のように粉ひきの仕事をさせられた。彼は不思議とそれに対して何も言わなかった。ペリシテ人たちは、完全にサムソンの心を折ってやったと有頂天になった。
サムソンを失い、マノアも失ったイスラエルはまた混乱状態になったが、サムソンの耳にそれは届かなかった。彼はずっと、粉を引かされ続けた。一日中、誰とも話さないまま。

「(イスラエルの神か、ダゴンかは知らんが、神と言うものは数奇な運命を与えるものだ)」アビメレクはある日、おそらく自分にも気づかず牛のように粉を引かされているサムソンを黙って見つめながら、そう思った。
「(お前とこんな形で出会いたくはなかった。デリラの婿として、お前と出会えればどんなにかよかったろうに……神とは、なぜ我々に厳しい運命を与えるのだろう。そしてお前はなぜ十四の幼い身で、その神に従い続けたというのだ)」
だが、同時にアビメレクは思う。しかし彼が捕らわれたのは神の思し召しだったとしても、彼の目をくり貫いたのは、今や無力になった彼を縛り付け屈辱的な労働を課したのは、所詮自分たち、人間だ。
神が厳しい、などただの泣き言かもしれない。アビメレクはそう思った。残酷なことは少なからず、人間がしているものだ。そして自分はまさに、その執行者だったではないか。

ペリシテの領主たちは、あの厄介なサムソンが打ち取れたことへの祝いの儀式と宴会を執り行おうという話をした。ガザの巨大なダゴン神殿で、その祝いは開かれることになった。

ダゴンの祭壇が燃え上がる。ダゴンの祭司たちは、生贄をそこで大量にささげ、喜び祝った。アシュケロンの領主が彼らの先頭に立ち、ダゴンに礼を言った。
「我々の神、偉大なるダゴンは敵サムソンを、我々の手に渡してくださった!」
そして、その巨大神殿を埋め尽くすほど大勢、もう何千人かもわからないほど集まったペリシテ人たちもまた、喜び歌って言った。
「我が国を荒らした張本人、数多くの同胞の仇を、偉大なるダゴンは、我々の手に渡してくださった!」

そんな祝いのさなかだった。ふと、誰かが言い出したのだ。
「そのサムソンを、ここに呼ぼう。惨めな家畜になったそいつを、見世物にして楽しむんだ」
最初は誰が言ったのかもわからない。しかしそれはあっという間に宴会場に伝染し、彼らは口々にここにサムソンを呼べ、と言った。それに、誰もがそれに楽しさを覚えていた。
「アビメレク!」領主たちは言った。「いいだろう?連れてくるように言ってくれ!」
「……分かった、それもよかろうな」アビメレクは言い、部下に合図をした。

「そう言えば……」サムソンの到着を待っている間、アビメレクは秘書に聞いた。
「デリラ……あの少女は、あの後どうした?」
「あの不気味な小娘ですか?」彼女がアビメレクの娘だとも知らない秘書は、アビメレクが以前からそれを気にしているのを、万が一にも危険なことをしないようにと危惧して、程度にしか想定してはいなかった。
「大したことをした様子はありません。小屋を一つと、機織り台を買って、後は仕立て屋と宝石屋に行ったと」
「そうか」アビメレクは返した。
そんなやり取りが終わった中、宴会場がわいた。サムソンが到着したのだ。

彼らは、物乞いのようなぼろを身にまとい、抉り出された目に覆いを付けたサムソンの姿を見た。彼はこの上なく、愉快に嘲笑した。
笑うしかない。何千人ものペリシテ人をたった一人で葬ってきた英雄サムソンのなれの果てがこれだ。鎖につながれ引きずられもはや目も見えず、足には何も履かずに、その背の高い体には汚れたぼろきれ一枚しか纏わせてもらえない。あの長かった髪はすっかり切られ、別人のように貧相にすら見えた。
サムソンはガザの軍人に引きずられながら、彼らの後を歩くように、宴会場中を引きずり回された。巨大なダゴン像の前すら、彼は歩かされた。
最後に宴会場の中心に見世物のように置かれ、領主たちはそんな彼を指して言った。
「ペリシテ人よ。これがサムソンだ!我々の仇だ!だが今や、奴隷以下の存在、惨めなわれわれの家畜にすぎない!」


サムソンはそれらを聞いていた。自分を嘲笑する、数々の声。
何千人いるのだろうか?いや、一万人といそうな気すらしてくる。誰もかれもが、惨めになった自分をあざ笑っていた。
サムソンはそれに関して、特別に心が痛むところはなかった。ただ、彼らの嘲笑を聞きながら、彼は思っていた。

力が入らない。しかし、これがひょっとして普通の人間の力なのだろうか、とサムソンは思っていた。彼にはいまや粉ひきの臼を引くことすら重労働だった。
彼は真っ暗な視界の中で、そのことを別段不幸とも思ってなかった。彼は不思議に、気が軽かったのだ。鎖につながれていながら、彼は、鎖よりも彼を束縛していた大きなものから解き放たれた、そのような気がしていたのだ。彼は満足していた。

「(だがなあ)」サムソンは思っていた。
ここ数日、ずっと一人だけでただ粉を引くところに居させられたのに、今、急に数千人の嘲笑の渦巻く空間に来させられて、サムソンは酷い不快感を覚えていた。彼らが見て笑っているのは、道化師の踊りではないのだ。目をえぐられ、動物のように扱われた一人の人間を、彼らはここまで面白がっているのだ。そしてそれには非常に正当な理由がある。彼が、彼らの同胞を何千人と殺したから。
それについて、彼は笑いの渦巻く中静かに思いをはせた。自分は何のために殺してきたのだろうか。親のため?イスラエルのため?
殆ど、そうであったのだろう。だが、親は、イスラエルは、断じて彼にそうは言わなかった。
彼らは、こう言った。これは「神」のためだと。神のため、彼らはサムソンを生んだのだ。神のため彼らはサムソンを働かせたのだ。神のため、彼らはサムソンを、ペリシテ人と戦わせたのだ。

「(神様、か……)」
サムソンはそう思った。そして、ふっと面白いこと考えついた。彼は、心の中で、神に向かって言葉を発した。神ならば、このような言葉も聞こえようと思って。


「(神様、神様、聞こえるか?俺のこと、覚えてるか?忘れてたら思い出してくれ、十四年間あんたに仕えて、あんたのため何人も人殺ししてきたサムソンだ)」
返事はなかった。だが、サムソンは別にかまいもしなかった。彼は心の中で、神に語りかけ続けた。
「(あんたは俺に確かに力を与えてくれた。こうして力を失って、はっきりと分かるぜ。……けどよ、その力は、俺じゃねえ。俺の親が望んだもんだ。俺がもらったのは、他人が望んだ力。俺が望んだ力じゃねえ。だからこうして、手放させてもらったぜ。それくらい、いいだろ。俺は、俺なんだから)」
サムソンに、巨大な青銅のダゴン像は見えない。自分を嘲笑する人々も一切見えない。だが、彼は暗闇の中、何かを見ようとしていた。
「(……俺には分かる。俺の人生は、もうじき終わる。……最後の最後によ、神様、俺は、俺が望んで俺の力を得たいもんだ。……望んでやったことじゃないとはいえ、やっぱり俺は、このペリシテ人共が、俺を馬鹿にする大人が、大嫌いだからな)」
その時だ。サムソンの真っ暗な視界に、何かが見えた。サムソンは、それを感じたのだ。それは、光のようだった。光と言うこと以外は分からない。だが、サムソンはその光に向けて、言った。
「(神様!俺と取引をしようぜ。一瞬で良い、俺に、元の力を戻してくれ。その代りに俺はあんたに代わって、このイスラエルの敵どもを、一網打尽にしてやるぜ!)」
その時だ。サムソンの真っ暗な視界が、一瞬、真っ白に変わった。


「……この神殿の、大黒柱はどこだ?」
サムソンが神殿に来て、初めて口を開いて出した言葉はそれだった。ペリシテ人への悪態でも、なんでもない言葉。それを、彼は自らの鎖を握るペリシテの軍人達に言った。彼らは一瞬びくりと驚くが、サムソンはそれに続いて「それに寄りかからせてくれ。疲れたんだ」と言う。
無視することもできたが、彼らはサムソンの言うとおりにした。あの豪傑が、これしきの事で疲れて泣き言を言う様もまた面白いと思ったのだ。
その神殿の大黒柱は二本、並んで立っていた。サムソンはその間に連れてこられた。
「さあ、ゆっくり休みな」
軍人たちは言った。だが、サムソンは彼が思った通りにはしなかった。
彼は両手を広げ、ぴたりと、両の手をその二本の大黒柱につける。秘書は怪訝に思った。次の瞬間、サムソンは口を開いた。
「てめえら、よく聞けよ」
その声は宴会場に響いた。渦巻く嘲笑も消え去るような、重々しい響きだった。それと同時に、ペリシテ人は目を疑った。
サムソンの刈り込まれた頭から、一斉に髪の毛が生えたのだ。あっという間に彼の身長ほども長く伸びたそれは、一気にぶわりとなびいた。
「俺は生まれた時から、てめえらを殺して生きてきた。俺が死ぬ時も、てめえらと一緒だ!」
そう言うなり、サムソンは両手に力を込めた。懐かしい。生まれたころから、持っていた怪力の感触が、両の腕を稲妻のように走るのがわかった。
ペリシテ人たちが気付いたときにはもう遅かった。サムソンの怪力を一身に浴びた石の柱は、一瞬でビキビキとひびが入り、石の屑になって崩れ落ちた。そして、建物を支えていたその二本を失ったことで、数千人のペリシテ人を内包していた巨大なダゴン神殿も音を立てて一斉に崩れたのだ。
「(……どうも、神様)」
悲鳴が上がる。神殿内は、パニックになった。
崩れ落ちる神殿は、彼らをすぐに殺してしまった。天井から落ちる石に打たれ、柱につぶされ、大勢いるのが仇となって彼らは逃げることもままならなかった。

悲鳴がこだまする。アビメレクは自分以外の領主たちが椅子から立ち上がって逃げ出したのを認めた。その時彼は、あの血の海になったレヒでも、自分だけは逃げ出さなかった、サムソンから目を離せなかったことを思い返していた。
そうだ。思えばあの時、自分はサムソンの中に自分を見たのかもしれない。残酷な罪人、しかし孤独だった、愛してやりたかった、昔の自分を。
「デリラ」彼は崩れる天井を仰ぎみて、言った。
「ようやく、君に会えるのだな。驚くよ。私達の娘に、夫ができたんだ。生意気で乱暴な奴だが、きっと君とも仲良くできる。みんなで話すのが、楽しみだ」
そして、彼は神に感謝した。漸く、自分とデリラを引き合わせてくれる神に。その神の名前がなんであるかなど、彼にとってはどうでもよかった。その感謝を唱え終った次の瞬間、一瞬だけ彼の頭上に激痛が走り、アビメレクの意識は全て無くなった。巨大なダゴン神の像が折れ、自分を慕ったペリシテ人たちを巻き添えにして無残に崩れ果てていった。


巨大な石の神殿が崩れ落ちるのに、そう時間はかかるまい。だから、そのパニックはそう長いものであるはずがなかったのだ。数千人のペリシテ人は、ほぼ即死してしまったはずなのだから。
だが、サムソンは一人、現実から切り離された空間にいるようだった。なぜか、自分の上に石が落ちてこない。彼は崩壊するダゴン神殿の中、一人たたずみ、そして、つぶされた目で何者かを見たのだ。
それは、燃えるような恐ろしい目をした、眩しく輝く天使だった。ハツレルポニが彼を身ごもった際、彼女のもとに現れた天使だ。だが、彼はそれを知らない。彼は両手を広げ、長い髪をその天使の巻き起こす突風にたなびかせて、言った。
「さあ、連れてけよ。天国でも地獄でも、俺の行くべきところにな」
サムソンの意識は、そこで途絶えた。


三日後、マハネ・ダンの人々がガザに来て、崩壊した神殿の中からサムソンの死体を見つけ出した。自慢の金髪を刈られ、目もなく、惨めな姿ではあったが、彼らはそれをマハネ・ダンに運んだ。そして偉大な英雄の死を嘆いたのち、彼をマノア達と同じ墓に埋葬した。サムソンが死の間際殺した数は、彼が生前殺した数よりも多かったと言う。


ところで、その墓に後日、不思議な女が訪れた。彼女はまるで貴族か王女のような豪奢なドレスに身を包み、目の覚めるような黄金のベールをまとっていた。どこからどう見ても花嫁の装いだったが、彼女の近くに花婿はおらず、彼女は一人きりだった。話しかけても彼女はベールで顔を隠したまま無視し、ただ、その墓の前に七日間居続けた後、ある朝に首をつって死んでいた。

その時、人々には二つの事が分かった。一つはその娘が、顔中焼けただれた世にも醜い顔をしていたということ。しかし、その顔をもってしても、不思議と、豪華すぎる花嫁衣装は彼女によく似合っていた。そしてもう一つは、彼女の被っていた途方もなく美しい金のベールが、この世のものとは思えないほど見事な、人の髪の毛で織りこまれていたということだ。

その娘が英雄サムソンの花嫁であると、誰が分かっただろうか。誰も分からない。サムソンは記録上、独身で死んだとなっている。
 
 
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