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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第五十五話


その瞬間、彼は感じた。
心を奪われる、とはこのような瞬間の事を指して言うのかもしれない。

イスラエルが群雄割拠のオリエントに名だたる大国となって、何年もたった。彼、ことソロモン王は今や、押しも押されもせぬ偉大な王。
だが、彼はその時、ただただ名状しがたい圧倒に襲われた。このような感覚を、人は心を奪われる、と呼ぶのかもしれない。彼は自分の目の前の女性を見つめ、そう感じていた。


事の発端はと言えば、ある砂漠の果ての国の行商隊がイスラエルにやってきたことだった。時は数か月遡る。


その行商隊は、くしくもソロモンが鳥の中で最も愛する鳥と同じ名前、「ヤツガシラ」と名前を付けられていた。
砂漠の果て、シェバ王国にある国営の隊商で、エルサレムに来る数日前から彼らはソロモンに使いを送って謁見を求めてきた。
聞くに、彼らはただの隊商であるのみならず大使の役割も担っている。近年のイスラエルの目覚ましい発展を聞き、シバ王国が国交を樹立したいという旨を伝えにはるばる砂漠の果てからやって来たというわけだ。
「シバ」その旨を聞き、ソロモンは国名を反芻した。アラビアの砂漠を超えた果てにある遠い国、地中海の喧騒とは少し離れた位置にある小さな国だ。最近は貿易で国力を高めていると聞く。だがいかんせん関係もろくになかった遠い国、博学で知られた自分もそう詳しく知っているわけではない。彼はさっそく東方面の貿易に詳しい商人を呼び寄せた。どうやら、シバ王国に行ったこともあるらしい。
「シバ王国について知りたい」彼は恭しくお辞儀をする商人に向かって、率直に望みを言った。
「『ヤツガシラ』と言う隊商が、シバ王国からの使いを名乗って我が国と国交を樹立の申し込みを望んでいるのだ」
「シバ王国ですか」白いひげを蓄えたいかにもなベテランの商人は、恭しくイスラエル王に答えた。
「は、私も聞いたことはございます。陛下相手には河童に水練というものになってしまうかもしれませんか」
「謙遜は無用。自分がこの件に関しては無知であると把握しておらねば、お前を呼びなどしていない」
「もったいないお言葉にございます」老商人は深々と頭を下げ、伝えた。
「単刀直入に陛下がご心配なさっているであろうことに関しましては、噂に嘘はございません、心配はないかと存じます。シバが近年、非常に貿易事業で潤おっているというのは我々の界隈でも有名な話、まぎれもない事実とみて相違ありません」
「ふむ」
「確かに我々のいる地中海方面への進出はまだですが、その代わり南と東方面に対するシバの貿易の規模は、国の規模から換算すると凄まじいものがあります。東の方にはインドにスリランカ、中国まで届いており、南のアフリカ方面にも海峡を挟んだエチオピアを主な拠点に、エジプト方面からは遡れぬ奥地の方まで多数貿易網を張り巡らされているとか」
「なるほど。いずれにしても我がイスラエルからでは少々行きづらい地方ばかりだ。貿易の媒介をしてくれると言うのなら、嬉しいことには間違いない」ソロモンは言葉の通り嬉しそうに笑った。
「して、その発達は近年の者と言ったな?」
「はい。以前はシバも、細々とした砂漠の果ての小国でした。ですがおよそ10年ばかり前でしょうか、新しい王、いいえ、女王なのですが、が立ってからは貿易事業で成功したのです」
「ふむ。話を聞くだけでも、非常に優秀な女王なのであろうな」
「は。それに、シバの女王にまつわる話はそれだけではありません。彼女は、まるで人ではないかのごとき、絶世の美貌の持ち主だと評判です。私も一度姿をお見受けしたことはありますが、まるで……」
「関係のない情報はいい……」ソロモンは話を遮った。老商人もうっとりした表情を引っ込め、ばつが悪そうに我に返った。
「失礼いたしました。シバの主な交易品は香料と宝石ですな。アフリカとインドの香料や宝石は大変良質で名が通っておられることは陛下も勿論ご存じのはず。シバには特に良質のものが多く回って来ております。今はもっぱらエジプトと強いつながりを持ち、交易品を回しているようですが」
「エジプトは、前々から追い越したいと思っていたところだ」ソロモンは不敵に笑う。今や彼はオリエント市の大国として名を馳せ続けたエジプトにも、このような口を堂々と聞ける自信のある王なのだ。イスラエルにとっては、先祖が屈辱を受けた土地でもある。もっともソロモンは民族への帰属意識が強いわけではないから、彼個人にとってはそれは大きな問題ではないが。
「シバの主要貿易国がエジプトから我々に映れば、国力の増強になるであろう」
「さようにございます、陛下」
「それがあちらから来てくれるなら、願ってもない事」ソロモンは薄い唇に指を添えてクスクスと笑った。
「神に感謝せねばならんな」
ソロモンの執務室からも見えるモリヤ山の神殿は、今日も人でにぎわっている。モリヤ山に来るのはイスラエル人だけではない、外国人もやってくるのだ。誰もかれも、オリエントに名だたる立派な神殿を見るために。
イスラエルが惨めな弱小国家だった頃から、まだ百年もたってはいない。イスラエルと言う国は、国が築かれた時には鉄を作る技術もない後進国であったのだ。
だが今や、その後進国の面影もないことは誰の目にも明らかであった。イスラエルは世界に名だたる先進国になっていた。神殿に住まうイスラエルの神と、その神殿を作り上げたソロモン王のおかげで。


「ヤツガシラ」の長だと言ってやってきたのは、タムリンと名乗る老人であった。顔は皺が多く六十絡みであろうが、背は高く背骨もしゃんとしていて、髪の毛も黒くてふさふさとしていた。まだまだ引退には程遠い、エネルギッシュで頼りがいのある雰囲気を纏った男だった。
謁見室に通された彼は、最大限の礼儀を祓ってソロモンに挨拶し、しばしの間イスラエルの繁栄ぶりをほめたたえた。すぐに話しに入るのも野暮と言うものだし、礼儀にも反することだと判断したのだろう。だがソロモンはやはり彼らの本題の方に興味があった。
「実に光栄だ」ソロモンは穏便、かつ強引にその話をその言葉で締めくくった。「して、タムリンとやら。貴殿らが我が国にお望みであろうことは、私としても可能な限り受け入れるつもりでいる」
「さようでございますか」タムリン隊長はあくまで落ち着きながら、しかし素直に喜びの感情も表現してそう言った。
「貴国の繁栄ぶりは聞いた。私としても、ぜひとも貴国を貿易の相手として選びたい」
ソロモンは切れ長の赤い目を細めてそう言った。
少なからぬものは、ソロモンに対する尊敬の言葉を口にしつつも、彼の異常に青白い肌に真っ白な体毛、血を流したような赤い目を見るとそれに異常を覚え怯える、それならまだ可愛いもので、外国の使者などだと蔑みの気持ちを隠しきれない様子は何度も見てきたが、見た所このタムリン隊長の態度にはそのような動揺はほぼ見られなかった。それだけでも、ソロモンにとってはこの男、そしてこの国は信頼に値する、と思えた。
だがしかしタムリン隊長は「もったいなきお言葉にございます。我が女王もお喜びになられるでしょう」と言った後、少しの間魔をおいた。何かを言いあぐねている様子でもあった。
ソロモンが怪訝に思って聞こうとした矢先、タムリン隊長は入れ違いにようやく口を開いた。
「つきましては、もう一つの頼みの方も聞いていただきたい」
「もう一つの頼み?」
「は、我らが女王がイスラエル王ソロモン、貴方様に望まれることでございます」
ソロモンは再度目を細めた。「遠慮はいらん。話すがよい」
ずいぶんともったいぶるものだ、とソロモンは内心でこの隊長に言う。だが一方で、タムリンの口から出てきた一言は、ソロモンが予想していなかった内容で、いささか彼を驚かせた。
「我々の女王陛下は、貴方の知恵の誉れを聞いております。貴方に直接会い、話をしてみたいと」

確かに国王同士が会って話をすること自体は、それほど珍しい事でもない。公務の一つだ。ソロモンも、ティルスの王ヒラムとの交流はいまだに続けているし、一年に一度くらいは会って話をする。
だがそれは、あくまで短い日数で行き帰りできる距離なればこその話だ。砂漠の果てにあるシバとごく近いティルスでは話が違う。
大概、国の君主とは忙しい。おまけにプライドも高い。少なくとも対等程度とみている国ならば使者程度で済ますはずだ。
だから遠い国の君主が直接来て挨拶をする、しかも歴史ある大国エジプトなどならばともかくイスラエルのような歴史の浅い国の国王に、などとは並大抵の事ではない。仮にこれからの貿易事業の話をするのだって、この隊長を代理に立てればいいし。それ以上でも大臣を送れば事足りるであろうこと。
少々違和感を覚えないではなかったが、ソロモンは悪い気はしなかった。何よりも断るほどの事でもないと思っていた。シバが本当のところイスラエルをどれだけ重く見ているのかなど知ったことではないが、国力を高めるために今シバと友好関係を結んでおきたいのは全くの本音。
「イスラエルの繁栄も、我々の先祖をエジプトより連れ出した神のおかげ。私は神の決定を形にしたにすぎぬただの人間だ。そのただの人間に長旅をしてでも会いたいなど、物好きな方もいたものだが」
だが、その物好きに付き合って好感を得られるのなら、付き合う価値もあろう。自分がこの老人を通じて相手する物好きはただの物見遊山の道楽娘ではない。金何百、何千万という額を簡単に動かす大貿易国の女王なのだから。
「しかし、これから友好国に成ろうという国の君主なら、既に私の無二の友人にも等しい存在。友人の来訪を、何故断れるものか。いつでもおいでなさい、丁重におもてなしいたします、と、女王陛下には伝えていただこう」
「光栄でございます」
タムリン隊長は今度こそ、一層深々と頭を下げた。
「我らが女王も、お喜びになることでございましょう」

シバから早馬で返事が来たのは、案外すぐの事だった。
彼らの移動技術は大変に進歩しているらしく、行商人から話を聞いて割り出した移動期間をはるかに下回っていた。それでも数か月単位の旅ではあったが。
ソロモンはぬかりなく、数か月前から宴会の準備を手配させていた。情報を集めれば集めるほど、シバ王国は彼にとって良い関係を結びたい、魅力的な国になっていた。とにかく、失礼が無いようにもてなし、かつ、こちらの国力を見せねばならない。
「シバの宗教は、大規模な祭儀を伴います」例の老商人も、この件に関する顧問として正式に雇い入れた。
「先方の滞在がどれほどになるかはわからないが、祭儀の期間と滞在期間が被る可能性は?」
「十分にあるかと」
「ならば祭儀のための土地も手配しよう」
そのように会話しつつ、エルサレムの迎賓館と生き返りが容易でかつイスラエルの祭司たちに文句も言われないような場を地図と照らし合わせて探しているソロモンに、老商人は言った。
「しかし陛下は、シバ王国をどれほど国益のタネにするおつもりで?」
「人聞きの悪い……」
ソロモンは多少あきれながら言いかえした。
「いいえ、気分を汚したのであれば申し訳ありませんが、ただ……」口ごもりながら、商人は言う。
「陛下が関係のないこと、とあの際一蹴したのも分かるのですが、それでも私が本気で懸念していることしまして」
「シバの女王の事か?」
「はい、さようにございます」
ぺこりと頭を下げる老商人。
「私もちらとお姿をお見受けしたことしかありませんし、野暮な話と陛下がお思いなのも無理からぬ話ではありますが……エジプトのファラオは、対外的にはシバとの貿易で潤っているように見えますが、国力規模からみれば、シバとの貿易は甚だ理不尽なバランスで成り立っているのです」
「なに?」ソロモンは眉をひそめた。
「エジプトが圧倒的に国力も資源もあるからまだ利益をはじき出せるだけの事。実質的にはシバにはいいように利用されている形です」
「まさか、それが……」
「あくまで推測にしかすぎませんが……ただ、エジプトのファラオはシバの女王にご執心な様子。再三再四、妾になるように迫っているとかで」
「それで、逆に彼女の手に転がされているというのか?」
「あくまで噂の域は出ませんが。しかし……彼女は本当に、美しいお方なのです」
「色仕掛け一つでどうにかなるほど、このオリエントは平和な土地ではないが」
「もちろん陛下のおっしゃる通り。きっと彼女は平々凡々たる容貌であったとしても、彼女は国を豊かに富ませる事はできたでしょう。しかし魅力と言うものには抗えぬものです。その手腕と判断力に、人の冷静さを狂わせる輝きが備わればさらに、といった寸法で。言ってしまえば鬼に金棒、という言葉のとおりです」
「……そんなにか?」
ソロモンは半ばあきれたような口調になった。
「いや、陛下、野暮な話になってしまったことはもちろん承知の上……」
「いや、よい。お前が私とイスラエルを心配し助言してくれたのは百も承知だ」ソロモンは言った。
「だがしかし、私は実感が持てんのだ。今の私は、物覚えの悪い子供にも同じとでも思ってくれ。人とは……そんなに魅了されるものか」
「陛下……」
「私も王の座について男も女もそれぞれ千と目にしてきたが」ソロモンは地図をたたんでぼんやりと言った。
「女千人の中に、女の中の女、と思うほどのものを一人も見出したことはない……だから、どうにも実感が持てんでな。もっとも男になら、ただ一人あるが……」
彼は指にはめた、淡い色の方のルビーの指輪を見て目を細めた。無二の親友ヒラム・アビフの形見。
彼との友情のためならば、確かに自分は、なんであろうと差し出してしまったかもしれない。そのような感覚なのであろうか……。
想像力が劣っている方だとは思わないが、とにかくこればかりは自分の想像が一切及ばない世界の話だった。ただただ、自分とは無縁な物語を聞いているような気分だった。

その日の執務が終わっても、ソロモンは自室で思案していた。美しい女のために自らの利もかなぐり捨てる。行ってしまえばそれは、情欲に近い感情のはずだ。自分がヒラムに感じていた友情とは別だろう。だが国の利益とは、情欲と天秤にかけられるものだろうか。
美しい女、というのならば、ソロモンは今でもありありと覚えている。自分の母の顔を。
あの人は、美しかった。本当にどうしようもない母親で、憎むべき相手で、自分ばかりではない、結局誰にだって嫌われていた。それでも彼女はただただ、誰も文句が言えないほど、美しい人だったのだ。
そう、そして美しいと言うのなら、その母にも勝って、父、ダビデ王ほど美しい人はいなかった。自分が物心ついていた時はすでに年老いていたのに。若いときはそれこそ、男でありながらその場に現れただけで、雨季の荒野に花が咲き乱れたかのような美しさであったことだろう。彼の事を父親だと尊敬したことなどなかった。愛してもくれなかった人だった。愛されたいとも重さなかった。それでも、父は美しかった。
そう、二人とも美しかったのだ。完璧なまでに。そして、彼らは美しくても、絶対に許せない対象であり、殺すことに何のためらいも、罪悪感も持たない対象だった。
美しい人だから、自分の利を捨てる。そんな考えは、ソロモンにとってどうしても理解できなかった。父に白、母にしろ、兄たちにしろ、自分が初めて恋のような感覚を覚えた女性にしろ、美しい人は皆、自分の事を、この異常な容貌を持つ自分を悪魔のようだ、なんて醜いんだと罵った。そして自分は、しかし許そう、この人はそれにたりるほど美しいのだから、などという気持ちは一回も抱いだことはなかった。みんな、破滅に追い込んだ。彼らは美しくても、ただただ憎らしい対象だったのだから。
普通の人間は、違うのだろうか?普通の人間なら、その美しさゆえに、彼らを許し受け入れたのだろうか。
「何考えてるの?」
その時、ふっと視界が光り輝き、真珠の翼をはためかせてベリアルが現れた。
「ベリアル……」
そうだ。彼は一つだけ、思い出した。
「小さい頃、私の周囲にいた人には、本当に美しい人が多かった」
「え、何言ってるの?」
「あまり気にせんでくれ」ソロモンは小さく笑って続けた。
「だが、美しい物の中で私を嫌わなかったのは、お前だけだったな、ベリアル」
そう、ふっと微笑みかけたソロモンを見て、ベリアルは照れ臭そうに笑った。
「当たり前だよ。どうしてボクが、君を嫌いになれるの」
ベリアルはそう言い、ふわりと椅子に腰かけたソロモンを抱き寄せた。彼の温かさに抱かれながら、ソロモンは頭の中で考え続けた。
普通の人は、違うのだろうか。
エジプトのファラオは追い越したい相手ではあるが、馬鹿だと思ったことはない。そんな彼が、みすみす色気にはまるものなのか。
普通の人間は皆、そうなのだろうか。自分が、違うだけで。
それに優越感を覚えたのか、劣等感を覚えたのか、それともただただそう考えただけなのか、あまりよく覚えてはいない。だがソロモンは、どうにせよ、自分事ではないと考えながら、ベリアルの温かさに抱かれていた。


其れだと言うのに、彼は今、実感している。自分の心に湧く、名状しがたい感情を。
自分が今まで他人に抱いたことの無い感情。ヒラムに持っていた掛け替えのない友情とも、それは決定的に違うように思えた。
「どうなさいました?」
この目の前の女性に自分が覚える感情を表現する方法を、彼は知らなかった。自分のすぐ隣に座る輝かしき異国の女王、シバの女王ビルキスに、自分が今感じている感情を。
彼はただただ、心を奪われるとは、こう言う事を言うのかもしれない、と思っていた。シバの女王ビルキスは、太陽のように輝く瞳で、じっとそんな彼を見つめていた。


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