クリスマス市のグリューワイン

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feat: Elijah  第二話

アハブのもとにエリヤと名乗る男が来た時、彼は驚いた。王宮にこんな男が来るなど到底許容できることではない。彼が裸足でずかずか遠慮なく踏み入ったおかげで絨毯に砂の色の足跡ができている。彼はビリビリに破けた毛皮の着物とケープを着て皮の帯を締め、土埃にまみれたボロボロの長い布を頭巾にして頭にかぶり、長くて太い木の棒を杖代わりに持っていた。隣に座る王妃イゼベルなどは彼の汗と砂ぼこりの混ざったようなひどい臭いに耐えきれないらしく、あからさまにいやそうな顔をして袖口で顔を覆っている。どこからどうみても、王宮に入る身分の身なりではない。
ただ、乞食のように思うには彼には違和感があった。一口にいえば、妙に小ざっぱりした印象があったのだ。彼の体を洗ってやって貴族の服を着せたなら、誰もが彼を生まれつきの貴族だと認めるような、不思議な気品があった。
彼は止める衛兵を振り切って、アハブの目の前まで歩いてきた。
「アハブとやら。イスラエル王としてのあんたに言っておかなきゃならねえことがあってやってきた」
彼の言葉は品がなかった。意図的に礼儀を無視してアハブ達を挑発しているというよりは、それ以外の言葉、宮廷で使うべき洗練された丁寧な言葉づかいをただ知らないだけといったような感触が何となく聞いて取れた。おまけに、彼の言葉はかなりなまりが強かった。ギレアド地方のなまりだった。
「『神は生きておられる』とな」
それだというのに、彼の言葉は非常に重々しく響いた。王宮中に響き渡るほどはっきりとした言葉だった。

「なんだと?」アハブはようやく、口を開いた。
「言ったとおりだ。あんたらはエジプトから俺らのご先祖を連れ出してくださった神様を棄ててバアルなんぞという偶像神を何年も前から崇めているじゃねえか。まるで神様が死んじまったかみたいによ」
彼はイゼベルの背後にあるバアル像を人差し指で突き刺した。
「だが、そうじゃねえ。俺の仕えるイスラエルの神は……主は、生きておられる」
「そう言う貴様は何者だ」
「俺か?俺の名前はエリヤ。俺は神に仕えて生きている、神に生かされている身だ。それだけだ。それ以外には、俺に何も言うことなんぞありゃしねえ」
彼はそういって、アハブを睨みつけた。鴉の羽のような、少し青と緑のかかった、黒い瞳だった。不思議な色だとアハブは感じた。

「わが君様」ふと、アハブの左に座るイゼベルが、今まで黙っていた口を開けて、物々しげに言った。
「乞食坊主の言うことごときに耳をお貸し召さりませぬよう、頼みますわ。そこの乞食坊主、学のないお前に教えて差し上げましょう。我らが主はバアル様にほかなりません」
「そりゃあんたの国の話だろうが。死んだ神を崇めているあんたらの。ここはイスラエルだぜ、あんたの国は関係ねえよ」
イゼベルは憤慨して言い返した。「バアルは死んでおられる!なんとまあ大それたことを!バアルは生ける我らの主です!その証拠に、バアルは恵みの雨を降らし、我々の生活を豊かに支えてくれているではありませぬか」
「はぁ、何を言ってんだ!?バアルを崇めてない地域には雨が降らねえとでも思ってるのかい!?『乞食坊主』でも知ってることだぜ、王妃さんよ」
挑発気味にケラケラと笑って見せるエリヤにイゼベルは「なんとまあ、品のない……」と頭を抱えた。
「よいですか?バアル様は真理なのですよ。バアル様は寛容であらせられます。だからこそ、自分の存在を知りもせず偽りの神を崇めている愚か者の下にも、慈愛の雨を降らせてくださいます。バアル様にとって人間は何を崇めているかなど大したことではございません。ただバアル様が天におられ、我らに恵みを下さるだけの事なのですから」
「王妃さんよ。あんたの国でバアルがどれだけ完璧な神なのかはよく分かったぜ」
エリヤは手に持った杖をガッガッとならし、攻撃的な口調で言った。
「俺も俺の仕えるイスラエルの神がいかに完璧で全能か、あんたの前で語ってみることもできる。だがよ、イスラエルの神やバアルに限らず、神を信じてる人間の言うことなんてだいたい同じもんだし、言葉だけなら何とでも言える。このまま話し合うのも水掛け論ってもんだろ?アハブ、俺が神様から預かってきた言葉はもう一つあるんだ」
エリヤはまた人差し指を突き出すと、まっすぐに上の方向を指さした。
「神の言葉だ。今を持って、イスラエルに雨は降らん。露の一滴もイスラエルの大地には落ちねえ。何年かして、俺が再び神様の命令であんたらの前に現れるまでは」
そして、指をぱちりと鳴らした。王宮中の壁に反響したかのように、その音は響き渡った。

彼の指の音の響きが止んだころ、アハブは言った。
「大それたことを言うものだ」
「乞食坊主、お前は現れないでしょうね。恥のために」イゼベルも笑った。「もっとほかの事にすればまだうまくイスラエルの群衆をペテンにかけ、私たちにたかることもできたでしょうに、よりによって雨ですって?お前ごとき人間の魔術は、バアル様には通用しませぬ。バアル様はお前の浅はかな呪いには屈しませぬ。いつでも、私たちに雨を恵んでくださることでしょう。そして、お前とお前の神は恥をかくことになるのです。お前は神の僕ぶって、その実神の顔に泥を塗ることになるでしょう」
イゼベルは再び高らかに笑いあげ、「もう良い。もうたくさん。下がらせなさい。この男の何もかもが我慢ならなくって」と、衛兵に合図した。その合図を受けて、あわてて衛兵がエリヤを立ち去らせようと彼に近づいたが、彼は余裕たっぷりに「出迎えはいらねえよ。俺が預かってきた言葉は以上だ、どうせもうすぐ帰る」と言った。
「だがよ、最後に言っておかなきゃならねえことが二つある。一つ。俺は魔術なんぞ使えねえ。俺がもし魔術を使えたら、あるいはバアルの力にやられてるかもしれねえな。だがこれから起こるのは神の業だ。人間の業じゃねえ。真実の神の業だ。そこんとこ覚えとけ。それともう一つ。……イゼベル。さっきの言葉、そっくりそのままあんたに返すぜ。もしこれで雨が降らなけりゃ、あんたはバアルの忠実な僕ぶって大口叩いといて、バアルの顔に泥塗ることになるだろうよ」
そうはっきりと言い切ると、エリヤはお辞儀ひとつせずに、勝手知ったようにつかつかと帰っていった。


彼が帰った後、怒りと苛立ちに打ち震える妻をひとまず置いておいて、アハブは外の様子を見ることにした。朝はそれなりに出ていた雲が、一切れもなくなっていてただただ真っ青な空が広がっていた。それは彼の心に、一抹の不満を植え付けた。



彼の言葉通り、ちょうどその日から、雨は一滴も降らなくなった。雨季が訪れなくなった。
畑はあっという間に干からび、飢饉が起こり、餓死者が大量に出るまでにまる一年もかからなかった。アハブは急いで国外から水と食料を輸入し、王宮でそれを配給した。いくら輸入しても足りなかったため、王国の国庫すら傾きかけてきた。
アハブの脳裏には、ほどなくして常にエリヤの顔が浮かぶようになった。干ばつが続けば続くほど、彼の言葉が現実味を帯びてアハブの頭の中に反響した。
まる一年もするころには、エリヤの言った「神は生きておられる」という言葉が何回も何回も、アハブの頭の中で繰り返された。
死者は次から次へと出る。国を逃げ出していくものも後を絶たない。イゼベルはバアルの祭司たちに休みなしに雨乞いを強いているものの、バアルからの返事は一切なかった。二年するころには、アハブは精神的に追い詰められ始めてきた。
国民はもはや、バアルを信じなくなってきた。イゼベルはそのことを不満に思って感情的にアハブに当たり散らす。そのことがかえって、彼の精神をまいらせた。

イゼベルは彼がシドンから迎えた妃である。シドンとイスラエルの友好的な関係を結ぶための政略結婚であったが、彼女は稀有な美人であったために、アハブは彼女を煩わしく思ったことは一度もなかった。また、彼女も夫をないがしろにすることはなく、彼らは非常に仲睦まじい夫婦だった。
ただ、イゼベルはこだわりの強い女だった。一度こうと決めたら引き下がらないところがあった。そしてそれが最も顕著だったのが、彼女のバアルに対する信仰心だった。
彼女はシドンでも珍しいほど熱心なバアルの信者だった。それゆえに、彼女はイスラエルの神を認めず、嫁いできてからもバアルを信じ続けた。それだけならばまだよかった。彼女はバアルを信じない人間がいるという時点で、どうしても我慢のできない質だった。彼女はアハブに、バアル信仰をイスラエルの国教にすることを強いた。イスラエルの全国民がバアルの信者でなくては納得がいかないというのが彼女の言い分だった。なぜならばバアルは絶対の存在であり、バアルを信じないなど生きているのもおこがましい事の不敬であり、また同時に酷い不幸であると彼女は信じ切っていたのだ。アハブは勿論、二つ返事で了承したわけではない。もともとイスラエルはイスラエルの神を崇める宗教を中心としてできた国なのだし、信仰の変更は国のアイデンティティを揺るがす行為に他ならない。また、熱心な信徒の老人たちの反対も招くことになることは、安易に予想はついた。
しかし、彼は結局、押し切られてしまった。何も妻可愛さのためだけではない、と彼は彼自身に言い聞かせた。元から彼は、イスラエルにはもう少し柔軟さが必要だと思っていたのだ。今やイスラエルは北と南に断裂してしまい、かつてのソロモンの時代のようにオリエントに名だたる帝国ではなくなってきている。イスラエルが生き残るためには他国との関係が必須なのだし、時には彼らにある程度譲歩しなくてはならない場面も生じるだろう。そのためには、異国文化に寛容であることをアピールするのは決して無駄ではない。そうアハブは心の中でつぶやき、イゼベルの宗教改革を黙認した。
イゼベルの手腕は大したもので、彼女はシドンから呼び寄せたバアルの神官団を中心にあっという間にバアル信仰を国民の間に浸透させ、若い世代はたちまちイスラエルの神よりもバアルのほうをリアリティのある神として認知するようになった。アハブもいつの間にかイゼベルの勢いにのまれて、バアルを本気で信じるようになってきていた。

そんなある日、あのエリヤが彼の目の前に現れたのである。
アハブの心から、彼の「神は生きておられる」の言葉が取り払われる日はなかった。イゼベルは返事を与えてくれないバアルに絶望し、またどこにいるかもわからないエリヤを口汚くののしった。ここまでむごい仕打ちをして心も痛まぬ、人殺しの邪悪な魔術師、姿をあらわしたが最後必ず死刑にしてくれる、と毎日のように言った。当のエリヤはあれから雲隠れしてしまい、アハブ達も斥候を使わして随分調べたのだが、誰も彼の居場所をつかんでくることはできなかった。それどころか調べれば調べるほど、エリヤという人間の正体がわからなくなってきた。
彼の言葉は強いギレアド地方、特にティシュベのなまりがあったのでそこの出身だろうと目星は付けていたものの、ギレアドに行っても誰も彼に連なる人物は確認できなかった。親が誰か、どのような家系か、なに族の生まれなのか、エリヤにまつわる情報は何一つ得られなかった。そして無論、それはほかの地方に行っても同じだった。
何をやっても、解決の糸口が見つからない。ただ、いつ帰ってくるかもわからないエリヤを心待ちにする以外の選択肢が日に日に無くなっていった。
この圧倒的な絶望こそ、まさに神の所業と言うに相応しいのかもしれない、とアハブは考えた。イゼベルはエリヤが邪悪な魔術を使って、偉大なバアルを信じない彼の愚かなエゴのために民衆を殺しているのだと言い張って聞かなかったが、アハブは日に日にこれがエリヤの力ではなく神の力なのだと信じるようになってきた。このような絶望が、人間の手によってもたらされるものなのだろうか、と。人間の所業とするには、あまりに絶望は深く、強大だった。これを神の怒りと言わずしてなんというべきなのか、と、彼は思った。
南のユダ王国から水を輸入してきた商人から、アハブは不思議な話を聞いた。彼は雨雲がイスラエルとユダの国境に沿って、すっぱりと切れていたのを見たらしい。ユダの側には大雨が降り注いでいたにもかかわらず、イスラエル側は日がギラギラと照りつけて、ユダ側に降っている雨の一滴も流れては来なかったそうだ。
その話を聞いて、アハブは眩暈がした。外から聞こえてくるバアル神官団の雨乞いの声が、ひどく彼の耳を煩わした。


その日から丸三年立った日、エリヤは三年間の捜索をあざ笑うかのように、あっさりと彼とイゼベルの目の前に姿を現した。

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