FC2ブログ
 

クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第五十七話


「良いか、慣れぬ異国の護衛兵も一緒と会って落ち着かぬ環境とは思うが、何か月も前より、陛下からこのシバ王国一行の来訪にあたっては一切の恥も、なきようにと言われている!」
ベナヤはずらりと並んだ王宮の護衛兵達に告げた。彼は今では、王宮の近衛兵の隊長だ。
「何も特別なことをしろと言っているのではない。普段お前達がしている通りに、細心の注意のもと、この王宮とお客人を守ればよいのだ。今日も皆、気を抜かずに頑張るように」
「はい、隊長!」
そう言って一斉に敬礼すると、ベナヤの部下たちは皆一斉に自分の持ち場についていく。ベナヤはひと段落した。多少頭がグラグラする。部下たちにはああ偉そうな態度を取ったものの、自分本人があまり癒えたことではない。昨日の宴会が盛大すぎて、少々酒が残っているかもしれなかった。
王宮では一か月前あたりから、完全にシバ王国の噂でもちきりになっていた。と言ってもソロモンが仕入れてくるような情報筋ではなく、どこから出たのかもわからないようなでたらめなうわさも多く混ざって、使用人たちのいい話のタネになっていたのだが。
それでも共通していたのが、とても豊かで華やかな国であるということ。そして、まるで暁に妖精みたいな若くて美しい女王が国を治めているということだった。
確かに、綺麗な人だった。ベナヤも、そう思い出せる。恥ずかしい話ではあるが、大広間に現れたシバの女王の華麗な姿に、自分も見とれた。真面目な祭司長であるザドクだって半ばポーッとなっていたのだと言うのを、彼はちゃんと見ていた。
あれほど綺麗な人は、まず見たことがない。きっと今日からは、あの女王の存在が、使用人たちの一番いい話のタネになるはずだ。
などと考えながら王宮を歩いていた際に。ポッポッポとゆかいな鳴き声が聞こえてきた。王が寵愛するヤツガシラだ。彼が餌をやるから、王宮にはやたらめったら来るのだ。
鳥すらも輝かしい砂漠の国の来訪を噂しているのか。ベナヤは苦笑した。そう言えばシバ王国の国営隊商の名前も「ヤツガシラ」だった。きっと先方でも愛されている鳥なのだろう。ベナヤは、自分などでは知るはずもない遠い国に、少しだけ親しみが沸いた。
その時だ、ベナヤは、ちょろりとやってくる小さな影を認めた。
「ベナヤだ!」
そう言ってまっすぐに走ってくる致死穴影を見て、ベナヤは慌てる。
「ベナヤ、ベナヤ、おはよう!」
「お、王子殿下、走るとあぶのうございます!」
ベナヤは慌てて、自分のもとに向かってくる幼い王子、レハブアムのもとに呆気寄る。案の定レハブアムは足を引っかけてしまった。幸い、間一髪のところでベナヤが抱き上げ、彼は石畳に激突せずに済んだ。
「全く、肝が冷えましたぞ、王子殿下」
「だって、ベナヤがいたんだもん」
今年で3歳になるソロモンの王子、レハブアムの顔には全く悪びれる所がなかった。代わりにぷうと膨れて見せている。微笑ましくも思うが、ハラハラすることには変わりがない。
ベナヤは近衛兵の隊長となったが、レハブアムは立って歩くようになってからというものの、半ば彼のお守りまでもが仕事になっているところはあった。とにかくこの王子はとことん腕白と言ったらありゃしない。侍女などの手では負えないのだ。必然的に、腕力があり、王に信頼され……そして、このレハムアブに懐かれているベナヤにお鉢が回ってくるという寸法だ。しかも彼がレハブアムに構えば構うほど、一層この幼い王子もベナヤに懐いて、姿を見ただけで寄ってくるのだ。
「ベナヤ、遊んで!」
「それは構いませぬが、王子殿下、ご朝食はとられたのですか?」
「うん、勿論大丈夫……」
その際、王子の腹がグーとなった。畳み掛けるように、遠くから「王子殿下―!ご朝食を召し上がらないといけませんわよ―!」と、侍女たちの声まで聞こえてくる。
観念したような顔のレハブアムをひょいとおぶって、ベナヤは言った。
「臣下に嘘をつくようでは、お父上のような立派な王にはなれませんぞ」
「だって、ぼくの嫌いなものが出てるんだ!」
ベナヤにおぶさりつつ、レハブアムは足をバタバタさせる。
「いけませんなぁ。好き嫌いをなさっては強くお育ちになれません。これまた、お父上のような偉大な王が遠ざかるばかりですぞ、王子殿下」
「うそだー!だって父上にはきらいな物がいっぱいあるぞ!」
そんな彼の返答にベナヤは苦笑しつつ、次第に観念したのか大人しくなってきた王子を食堂の方に連行していった。全く、なぜあの冷静なソロモンからこんな腕白坊主が生まれたというのだろう。
そうだ……彼の子ではないと言うならば、まだ納得がいくものの。だが悲しきかな、レハブアムは成長して、少しずつソロモンに似た顔立ちになっていた。無論愛されて育った王子の身だ、ソロモンのような冷たさを湛えた顔になどなりはしない。しないが……二人並んでみれば、ソロモンとレハブアムは確かに親子だった。
皮肉なものだ、と、ソロモンの子レハブアムと言うにふさわしい彼の容貌と、全くその言葉な似つかわしくない彼の振る舞いを見るたびにベナヤは感じる。王妃は、自分と愛し合っていたのだ。ソロモンではなく、自分と。当のソロモンすら、そのことをあっさりと許した。この子も、きっとソロモンの子ではない、自分の子なのだと心を痛ませ、生まれるまでを見届けたというのに……。
「どうした、ベナヤ?」
あっけらかんと後ろから聞こえる、王子の声にベナヤは少しばかり沈んだ気分から我に返る。「いえ、殿下のお気になさることではありません」と、笑った。
そう。自分がこんなに悩んでいても、幼い、屈託のないレハブアムがそのようなことを知るはずもない。彼はただただ、父を尊敬し、母を愛し、そしてベナヤに非常に懐いていた。それは確かに不幸ではなく間違いなく幸せなことだ、とここの所ベナヤには思えるのだ。
彼は父を心の底から尊敬していた。自分も父みたいに偉大な王になる、と繰り返し言っていた。そして当のソロモンの方も……間違いなく、レハブアムを可愛がっているように見えた。彼は昔と変わらず自分の仕事と趣味の学問に没頭する方だったが、少なくとも息子につらく当たりはしない。彼に一流の教育を施し、しかし自分のようになれと縛り付けすぎもせず、彼のやりたいようにやらせている。(そのおかげで腕白すぎて被害をこうむるのは臣下の方なのだが、とベナヤは思わないでもないが)。とにかく、親に少しも愛されなかったソロモン、親が子を愛する方法など知りもしないソロモンが自分の子供にも同じことをしてしまわないか、とレハブアムが生まれた当初、ベナヤがぼんやりと感じていた心配事は杞憂に終わった。子煩悩と言う性ではない、不器用な方には違いがないのだが、ソロモンは立派にレハブアムの親であった。
「ほら、食べられるまで、私もおそばについていて差し上げますよ。お昼は外国のお客様も招いての昼食会です。王子殿下の好きなお料理もたくさん出ますよ」
「本当か!?うそだったらゆるさないぞ!」
「本当ですよ」
ベナヤは笑って、自分の背中におぶさる王子に言った。何事もない。イスラエル王宮は今日も平和だ。ベナヤはレハブアムと共に透き通った朝の青空を眺め、心からそう思った。


シバ王国の噂でもちきりなのは、何も王宮だけではなかった。エルサレムの町までも、昨日訪れた華やかな対象の余韻にまだ寄っているかのようであった。
シバとは、どれほど豊かな国なのだろう。うわさに聞くシバの女王は、どれほどの美女なのだろう。めいめいそんなことを勝手に話している中、ただ一人、その喧騒を冷ややかな目で見る男がいた。
「ふん……無駄に騒ぎおって。シバとやらがイスラエルを豊かに富ませるだと」
彼は、一体どんな好景気が来るか、と、早くもとらぬ狸の皮算用で盛り上がる浄化の市場の商人たちを睨みつけ、ぼそりと呟く。
「豊かにだと。なにが……豊かにだ。所詮……豊かになれる物だけが、豊かになるだけなのに」
彼は、自分と浜反対の活気に包まれた市場を振り切るように、大通りとは反対の方に向かって歩き出した。市門を出ても郊外の町が続く。さらに何十分も歩いているうちに、周囲の景色は貧民街に代わっていく。ここには、シバ王国の行列の喧騒も届かない。それどころか、日の光も当らない。どんよりと暗く、湿っていて、不潔なだけの路地。まだ、イスラエルにはそんなところもあった。
ソロモンのおかげで豊かになったとはいえ、まだその豊かさの届かない地域もある。彼、ネバトと言う男はそれを知っていた。この場所が、彼の生きる所だった。
汚水の溜まった路地を歩いた行き止まりに、看板の落ちた娼館がある。彼は無言でその扉を開けた。
正確には、そこは娼館ですらない。数年前まではそうだった。貧しい、最底辺の男たちが銅貨一枚、食物のかけらを携え、同じように貧しく、病気にかかった死にかけの女たちの体をむさぼり、お互いを慰めるそんな場所だった。目の見えない、口もきけない老婆が経営していた。だがその老婆が死んでから、もはや人は一人もいない。たった一人、ここから出ない娼婦と、その息子を除いては。
「ツェルア、元気か?私だ、ネバトだ」扉を開けて、彼は言った。そこには、女が一人いた。見るも悲惨なその女はネバトが彼女に出会った時はすでに気が狂っていて、自分の名前も言えなかった。そのため、彼女はツェルアと言う名前で呼ばれた。「皮膚病になる」と言う意味の示す通り、女はネバトと出会う前、皮膚病にかかったらしい。そのおかげで顔が醜く無残に崩れている。今では梅毒も持っているから、ネバトもここ数年は彼女と床を共にしてはいない。それでもこうやって、まず日常生活など送れない彼女のもとに通いはしているのだ。
「食べ物を持ってきた」
彼は静かに、袋を差し出した。女はぶつぶつと虚空を見つめながら何かを呟き、彼の方を見向きもしなかった。
ネバトはその取りつく島もない様子にふうとため息をつく。
「相変わらずだな、ネバト」
後ろから問いかける声があった。「ハダド……」と、彼は振り向く。「いつ、エジプトから帰った?」
「今日だ。まったく本来なら切り捨てたい女だが、そうもいくまい。大切な同志たるお前の情婦だからな」ハダドと呼ばれた男はスタスタと部屋の中に入っていくと、ネバトを睨みつけるように話しかけた。
「なんでこんな女にこだわるんだ?この世の女のうち、最も執着するに足りぬ存在にしか、俺には見えんが」
「そこよ。惨め過ぎれば、情も湧くもの」ネバトは冷ややかに告げる。
「外を見てきたか、たいそういい国の女王が直々に、この国にやってきたそうな」と、ハダド。
「ああ、ついさっき見てきたよ。そうだな……」
「あのダビデが死に、白い化け物が王座に就いてから十年……十年も!嘆かわしいことだ……あの白狐が私のものだった民を、私のものだった土地を好き勝手に扱い折って……早く、遂行せねばならん、我々の計画を」
ハダドは悔しそうに歯噛みする。
「イスラエルに……ダビデの子ソロモンに、滅びを……ダビデに滅ぼされた我が祖国の復讐を……」


昼時になって昼食会が始まる頃、ようやくレハブアムを礼服に着替え終わらせることができた。
「わー、ベナヤ、見てみて!すっごいキラキラ!!
だけれどもレハブアムはまっすぐ食堂にも向かってくれず、二階の廊下の窓から見える、庭に広げられたシバ王国の朝貢品にすぐ注意を取られた。
もっとも、「王子殿下……」と、昼食会の事を思い出させようとしたベナヤも、それを見ておお、と素直に感嘆した。まるで宝箱をひっくり返したようだ。黄金やら、宝石やら、香の類やらがずらりと広げられ、あくせくと管理官が帳面に記述している。通辞を務めているのは、先だってのタムリン総督だった。
聞いたところによれば、シバ王国は今回黄金だけでも百二十キカル(およそ4014kg)に及ぶ量を朝貢したらしい。となると、あそこに出ている分だけでもまだまだ氷山の一角。あまりに現実味のないことで、ベナヤは少々混乱した。それに一口に金と言っても、その煌めきはベナヤの知る金のそれよりも格段に上品で気迫があり、ただならない品質のものであることは何となく想像できた。
昼間の太陽の光を浴びてキラキラと輝く宝石もまた一段と素晴らしい。あまりに色とりどりで、まるで結晶化した虹を砕いたかのようだ。それが贅沢にも、数え切れないほどざらざらと一種類ずつ宝石箱に入っている。
「ねえねえ、ベナヤ」レハブアムは目を宝石にも負けないほどキラキラさせていった。
「あれ何、あの水色の!」
「あー、トルコ石ではないでしょうか」
「じゃあ、あの紫のは!?」
「アメシストでしょうな」
「じゃあ、あの赤色!」
「ルビーでは……ないでしょうか?」ベナヤは自信なさげに言う。先ほどからこう言ってはいるが、自分は宝石に関する知識など正直な話あまりないのだ。
「ほんとうか?」
「お、おや、王子殿下は違うとお思いで?」
「ルビーって、お父上の指輪にはまっている石の事だろ?」と、レハブアム。
「ええ」
「だったら少し色が違うよ、ねえ、お父上!」
え?その声を聴いて、ベナヤはびくりと怯む。いつの間にか後ろにソロモンがいた。居た、というよりもそこを通りすがったところのようだった。
「へ、陛下!」とベナヤが挨拶する前に、ソロモンも「え?」と返した。どうやら彼にとっても、息子の存在は不意打ちだったようだ。
なんだか珍しいな、とベナヤは思った。こちらの隙を突くことはあれど、隙をつかれることはあまり無いお方なのに。
また考え事にでも暮れていたのだろうか、とベナヤは判断した。
「父上、あの赤いキラキラしたの、なんです?」
「あー……あれか」
ソロモンはベナヤのようには何もいざる、息子の問いかけに答えた。
「あれはザクロ石だな。あそこまで鮮やかな色のものは珍しい」
「ほら見ろ、ベナヤ!」
「さすが……お見事です、王子殿下」
「あ、ベナヤ、お前か……」
ソロモンはようやくベナヤの存在にも気が付いたようだった。ベナヤは仰々しく挨拶をする。
「もうすぐ昼食会だからな。レハブアムを連れて行くように」ソロモンはそう言った。一緒に連れて行ってあげては下さらないのですね……とベナヤがとほほ、と思った時には、ソロモンはすでに歩きを進めていた。
と、その際、ベナヤはなんだか王の様子が普段とは違うことに気が付いた。彼は考え事しながら歩くとき、たいてい少しうつむきがちなのだが。どうも今日の彼はそうではない。どちらかというと虚空を見つめている。考え事をしているというよりは、なんだかぼうっと放心としているようで……。
珍しいこともあるもんだ、とベナヤはソロモンを見おくりながら思っていた。

スポンサーサイト

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する