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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第五十八話

シバ王国の一行が来てから数日が立った。
今のところ、老商人、今はその知識を買われ補佐官として正式に王宮に取り立てられたヨシャファトがひそかに心配していたような出来事は、起こっていないと言ってよかった。
イスラエルとシバの間の貿易協定などの話は、非常にめまぐるしく進みつつも、国同士の掛け合いとしては実に穏やかで、双方にとって理想的な様子と言ってよかった。
実際、自分もシバの女王を不当に疑いすぎていたかもしれん。ソロモン王の隣で、ヨシャファトはそう思った。ソロモン王と向かい合う席にタムリン隊長やシバの大臣たちを侍らせて座り、自分たちの地中海方面の貿易に向けての港の使用権の交渉をしている彼女は、相変わらずいい年をしてうっとりしてしまいそうに綺麗だったが、それ以上に穏やかながらも非常な理詰めで自分たちの権利を主張する様子は、決して色仕掛けではなく誇りと敬意をもって物事を動かそうとする、良き政治家のそれに他ならなかった。
それにそれは自分の隣に座る白皙の王にしてもその通りだ。彼は長い、真っ白な睫毛に縁どられた赤い目でビルキス女王を見つめながら、その主張に耳を傾けていた。
「なるほど、レバノンの方面にかけての貿易網と言うことならば、幸い私はティルスのヒラム王とも知った中、お力添えができる事でしょう。喜んでお受けしましょう」
このようにシバの女王の要求を呑むソロモンの姿にも、決して理性を失った様子は見られない。寧ろ彼女らの訴えに真剣に耳を傾け、また適切な見返りを見据えて、引き受けるに値すると願いを聞いている様子だ、と、ヨシャファトは感じる。彼がそう感じている間に、別の主題に話が移る。
「つきましては、オフィルの黄金の件ですが……」
「はい、伺っております」と、ビルキス。
「我らがイスラエルでは三年前まで続いた神殿建設の影響で、現在でも金が不足がちです。かの有名なオフィル金山の黄金は、わが父も王家の宝物として大量に集めておりましたが、現在ではそこはあなた方の管轄となっているそうですな?」
「ええ、そうですとも。先日お送りしましたのも、全てオフィル金山の金ですわ」
「伺っております。非常に良質なこと、この上なく驚きました。さすがはオリエントに名だたるオフィルの黄金!あれを、是非我がイスラエルに回していただきたい。無論、ただでとは申しません。先ほどの件ですが、さらに色を付け……」
この通り、ソロモンの方も自分の欲しいものを主張することを忘れない。ヨシャファトは自分の目の前で繰り広げられているのは、全く対等かつフェアな王同士の話し合いだ、と判断した。
自分が心配しすぎていたかもしれない。だいたい真剣にオフィルの金について交渉を進めるソロモンの横顔を見ると、なんだかこの王に対していらぬ心配をしてしまった自分が今さらながらばかばかしく思えてきた。この王は、情欲のために国益を捨てるような馬鹿な真似はしないだろう。彼の優秀さは、自分も彼が王位についてからの十年間、じっくりと見聞きして確信しているつもりだった。
結局その日、ソロモン王はオリエントでもその名を知られた大金山オフィルの権利を、実質独占するに等しいところまでこぎつけてしまった。これで金不足もだいぶ解消されるだろう。
やがて鐘が鳴り、交渉の時間が終わりを告げる。シバ、イスラエル双方の高官たちは椅子から立ち上がった。まず今日の所も最大限、お互いの望むとおりになって、誰一人不機嫌そうにする者はない。めまぐるしく進む会議の様子を遅れずに書こうと奮闘していた書記官たちくらいは疲れた顔をしているが……。
今日の交渉は、もうないはずだ。
「陛下、私はそろそろ、帰らせていただきます」
「え……?ああ、ご苦労だったな。返って休め」
一瞬、自分のはず弦を聞き逃したらしいソロモンの事をヨシャファトは少し不思議にも思ったが、あまり深くは考えずに帰ることにした。
時刻はもう夕方で、窓から赤い夕焼けの光が差し込んでいた。すると、ヨシャファトの知らない言葉で戸惑うような声が聞こえる。シバ人たちが「おや?」とでも言っているのだろうか。
振り向けば、窓の外からパタパタと白黒の羽を羽ばたかせて、何垢のヤツガシラが舞い込んできた。ソロモン王に懐いている、王宮のヤツガシラだ。なんだか王の仕事が終わったところに待ってましたとばかりにやってきた様子じゃないか。ヨシャファトは少し微笑ましくなった。
シバの高官たちも、慌てはすれども怒ったりする様子はない。と、そんな中だ、口笛の音が聞こえた。誰が吹いているのだろう、と思ってみると、それはシバの女王の薄桃色の唇から流れ出る音色だった。
ヤツガシラ達は鳴きながら、パタパタとその口笛の方に飛んで行って、シバの女王の肩や手の平に止まった。
「おや……」ソロモンが言う。
「彼らが私以外に懐くなど、なかなかない事なのですが」
「まあ、ソロモン王。貴方のお友達でして?良いご趣味をしていらっしゃいますこと。ヤツガシラは、我々シバの国でも、非常に愛される鳥ですわ。私も大好き」
「それはそれは……親近感がわきますな」
ソロモンが少し彼女のもとに歩み寄った瞬間、ヤツガシラも数羽パタパタと普段彼らを可愛がってくれる王のもとにやってくる。だが一方で何羽かは、依然としてシバの女王の掌や肩から離れはしなかった。
「やはり鳥も、貴方のような麗しいお方は好むと見える」
「あら、まあ。私を立てる必要はありませんわ。あなたのご友人として、私にもご挨拶なさってくれたのでしょう」
国王同士個人的に相性がいいのも、良いことだ。あれほど麗しいシバの女王とすぐ隣で話し合えるソロモンに、ヨシャファトはほんの少しだけ羨ましい気分も覚えたが……と、言う思いでなんとなく彼らの元を見た瞬間、ヨシャファトは少し不思議に思った。
ヤツガシラ達と戯れながらシバの女王と会話する王の表情は先ほどとは全く別人のそれのように思えたのだ。いや、表情と言うより、見に纏っている雰囲気、と言った方が正しいかもしれない。彼は夕日から身を隠すようにマントを垂らして居るから逆光で顔はあまりわからなかった。
日が暮れた中、廃墟同然の娼館で、ハダドは剣をずっと磨いていた。ツェルアと、彼女の子供はとっくに寝てしまっている。そしてネバトは彼らを寝かしつけつつ、取りつかれたように剣を磨き続ける同志の姿を眺めていた。彼の手元に置かれた、蝋燭一本の光で。
ハダドは、亡国の王子だ。
エドム。それが彼の故郷の名前。今はイスラエルの属国だ。ずっと昔、ハダドがまだ少年だった頃に、彼の祖国エドムは先のイスラエル王ダビデによって滅ぼされた。
王族も奴隷も関係なく、男と言う男が根絶やしにされた中、ハダド一人が逓信たちが身を守ってくれたおかげで命からがら逃げだすことができた、と聞く。
都市かも行かない幼い少年だった彼に、何ができただろう。その時もうすでに武勇で鳴らしていたダビデ相手に、幼い子供ができたはずの抵抗など何一つないはずだ。亡命先のエジプトで、彼はそれでもダビデへの復讐の心を募らせ続けた。自らの祖国を奪われた復讐。この男を構成するものは、ただそれに尽きるのだ。例え、ダビデが死んでからでも、その炎は消えることの無いまま、そっくりダビデの後をついた息子、ソロモンに受け継がれている……。
ネバドはあくまで生まれながらのイスラエル人だ。だが、ダビデ王家を王族として尊敬したことはない。貧しい生活に困窮する自分のもとに、ダビデの恵みも、ソロモンの恵みも、届くことはない。
だからこそ、ダビデとソロモンを憎むこの男の気持ちも分かるし、今日の日までずっと協力し続けている。それにしても、世が世なら王になっていた男が、こんな廃墟としか言いようのない貧民街で文句の一つもたれずに必死で武器を磨いている様子は、なんだか悲壮感を感じてしょうがない。
「ハダド」いいところで、ネバトは言った。
「もうそろそろ寝ろ、明日に差し支えるぞ」
「うむ……すまんな」
彼が武器を磨くのは、きっとそれしかよりどころがないからだ。
父も、母も、兄弟たちも家臣も何もかも、理解もできぬ幼少に理不尽に奪い去られた彼は、大人になってからも誰かにすがりたいのだろう。しかし、今や彼が縋れるのは故郷エドムの剣のほかないのだ。いや、彼がそれ以外をよりどころとして認めないと言った方が正しいかもしれない。
彼は、亡命先のエジプトでファラオに気に入られたという。ファラオも、やはり力を伸ばすイスラエルが次第に疎ましくなっていたからだろう。彼の妻はファラオの妻の妹だ。それほどまでに彼に信頼されている。
エジプトに留まっていたって、幸せに暮らせるはずだ。だが彼はイスラエルに戻ってきた。彼が去る際に、ファラオはこう言ったという。「何の不満があって、国に帰りたいというのだ」。
それは、当然の疑問だ。返る国などなくなった彼が、天下のエジプトのファラオの庇護を離れ、どこに行こうというのか……。
ハダドはただ、こう返したらしいのだ。
「偉大なるファラオよ、ただ、私を帰らせてください」
彼が心を寄せられるものは、今は消え去ったエドム以外の地にはないのだ。寂しい奴だ、とネバトは思う。
同じように真っ暗な夜闇の中でも、その召喚とエルサレムの宮殿、その最上階にそびえる王の部屋では、天と地ほどの差がある。
宮殿の窓からは、うっすらとうかぶモリヤ山のシルエットが見える。すでに篝火も消されてしまった後だ。ソロモンは寝台に寝そべりながら、ぼんやりとそのモリヤ山を見つめていた。
「ねえ。ソロモン?」
声が聞こえた。振り返ると、そこにベリアルがいた。
ソロモンが何か呼びかける前に、ベリアルは口を開く。なんだか珍しく、優美な顔をむすっとむくれさせていた。
「君、最近、ヘン」
「え、そうか?」
目を瞬かせながら返したソロモンに、ベリアルはじっとりした目つきで言う。「ヘンったら変。何かあったの?」
「何か、な……ううむ……」
確かに言われてみれば、ここの所ぼんやりと放心状態に陥ることが増えた気もする。それはなぜだろうか……やはり、数日前に陥ったあの感触、自分が知りもしない感触を引きずっているせいかもしれない。
「ベリアルよ」
「なにさ」
「心を奪われる、とはどういった状況の事を指すと思う?」
何だって、とベリアルは言い返した。ソロモンも言ったのが若干照れくさくなったが、それでも黙っていた。
「君には無縁の感情だと思うよ」ベリアルは言う。
「そんなもの、知恵も道理も分からない奴だけが持っていればいい感情だよ。下らないものだよ。例えて言うなら貧乏な子供が、高いおもちゃを買えないから代わりに振り回す枝や石ころみたいなもの。王たる君がわざわざ興味を持つことはないさ」
「そんなものか?」
「そうだよ。だって神様は、そんな気持ちを絶対に持たないんだから。だから君だって持たなくていい」
「……天使も?」ソロモンは気になって、目の前の輝く天使に向かってそう質問する。ベリアルはソロモンの横たわる寝台に自分も腰かけ、素直に答えた。
「天使は……いわば生まれた時から、神に対して心奪われていることを強いられている種族、とでも言った方がいいのかな。もしもそれ以外に惚れたなら……天使は、堕落してしまったと烙印を押される。第一そんな状態になってまで、好き好んで神さまのもとに留まる奴らもいないからね」
「昔話に出てくる堕天使の話か」ソロモンは言う。ユダヤの昔話には、人間の女の美しさに夢中になった余り、天を降りて彼女らと契った堕天使たちの話が出てくる。ソロモンも、勿論のこと知っている。
「うん。つまりそれくらい、くだらない感情だって事さ。すばらしい感情ならば、神様だってそんな天使たちを称賛こそすれ、堕天使になんて定めやしないもの」
「そんな、者だろうか……」
「何言ってるの、変に君は考え込むね」
もしも心奪われると言った感情が自分にふさわしからぬものなら、自分の心をここ数日包み込むこの情は何だというのだろうか。
シバの女王、ビルキス。彼女は美しい、素敵な女性だ。それは事実としてはっきり頭で理解できる。だがそれ以上に、言葉に言い表せないほど、彼女に惹かれる思いがある。
だが一方で自分が彼女の魅力にひかれているのだ、と仮定すれば今度はヨシャファトの話と食い違うような気がしてきてた。もしも自分がエジプトのファラオ、並びにシバ王国の不当な要求を通しても構わないと感じている諸王と同じ感情を持っているというのならば、それもまた違う気がする。自分はいつも通り、仕事の交渉ができるではないか。むしろ普段よりも、交渉が楽しいくらいだ。彼らはあの美しい女王の気を引けるのであれば何をしても構わぬと思っているのではないか。それと自分の感情が一緒なのか、それとも自分もこれからじわじわとそのような感情に蝕まれていくのだろうか……。
漠然とした不安感があった、自分がこれからどうなるのか。自分とずっと付き合っている、自分をよく知っているはずのベリアルにすら突き放された気分だがするのだからなおさらだ。
父は、とふとソロモンは感じた。父は、どんな思いで母と交わったのだろう。周囲は誰も、母のその魅力にダビデ王は誘惑された、と言っていた。ではやはり父は、母に心を奪われたというのだろうか。美しい女との交わりのために、王の名声を下げたくらいなのだから、やはりその感情に近いのか。久しぶりに、今は亡き父に思いをはせた。
「きゃっ!」不意に、声がした。ベリアルの声だ。
「どうした?」
ソロモンが駿台から状態を起こすと、ベリアルの見つめる先には猫がいた。闇夜に、目を光らせている猫が。
ソロモンの部屋の欄干には水盤が取り付けてある。ヤツガシラがそれを飲みに来るのだ。尊欄干に器用に立って、猫は水盤の水を飲んでいたらしい。らしい、というのは、猫自身水を飲むことをやめ、暗闇に二つ輝く目を向けてこちらをじっと見つめていたからだ。まるで何かに驚いているかのように、ソロモンの方を凝視していた。
「やだ、ソロモン、あいつ追っ払って!」
ベリアルはソロモンの肩を揺らした。ソロモンは若干戸惑いつつも、サイドテーブルにおいてあった真鍮の文鎮を取ってそれを見せつけるように、ゆらりと猫の方にやってきた。
あくまで脅しのつもりではあったが、猫は小さく声を上げると、ささっと欄干を渡り、暗闇に溶け込んで見えなくなってしまった。
「行った?」
後ろからベリアルの声。
「行ったが……ベリアル、お前猫なんて怖がる方だったか?」
「何言ってるの、ボク、猫なんて大っ嫌い!」ベリアルは声を上げた。
「だって……小さい時きみを虐めたんだよ」
「まあ……」ソロモンは文鎮をもとの場所に戻してため息をつく。「私も動物のうち、猫だけはどうにも好かん」
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