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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第六十九話

ヒムヤリの奇談に関しては、正直な話タムリンも半信半疑だった。だが、ビルキスと言うその娘が生まれているのは覆しようにない事実だった。

帰国して以来、タムリンはしばらく足しげくヒムヤリ邸に通った。親友との交流の時間を持ちたかったのもそうだが、実の所ビルキスが少し気になったのだ。とはいえ、その時は親友の娘として自分も娘のようにかわいがりたい、という気持ち程度でしかなかった。
ヒムヤリも歓迎してくれたし、なによりビルキスは明るくて、人見知りをしない性格の少女だった。その割に、ヒムヤリは彼女をろくに外に出さずに箱入り暮らしをさせているようだった。
「君ならわかるだろう、私の心配が」ヒムヤリはため息をつきながら語った。「今はまだ子供だが、それでもあの陛下に目を付けられないとは限らん。私は娘がそんなことになることだけは避けたい」
彼の父親としての気持ちも分からなくはなかったが、ビルキス本人はそれにあまり満足していないようでタムリンが来るたび嬉しそうな顔推したのだ。よっぽど、他人が珍しかったのだろう。
ある日、タムリンはそうだ、と思い立った。彼女に手土産を持っていてあげよう。
女の子なら宝石を喜ぶだろう。東方の国から持ち帰ったルビーの首飾りを上げよう。彼はそのように考え、それをもってヒムヤリ邸に行った。
「こんにちは、タムリンおじさま!」彼を出迎えたのは、まさにそのビルキスだった。彼女はヒムヤリとタムリンが兄弟同然の中と知ってから、彼の事をそう呼んだ。
「こんいちは」タムリンは優しく微笑みかけ、彼女にそれを手渡した。彼女はルビーを見るのは初めてのようで、父親そっくりの金色の目を丸く見開いていた。
「気に入ってもらえたかな?」タムリンは笑う。
「うん……ねえ、おじさま、これ、なに?」
「ルビーだよ。私の行った東方で、良い取引の品になった」
「そう……」
しげしげとそのルビーの赤い色を眺めている彼女を、タムリンが微笑ましく思った時だった。
「ねえ、おじさま。これ、どこでとれるの?」
「どこで?」タムリンは言う。「私たちが主に仕入れていたのはインドだが……ああ、でも、インドを知らないか?」
「そうね、そこに関しても後で聞かせて……ねえ、これがそこで取れるってことは、どんなところでこれはよく売れたの?どのくらいで売れるの?どういったものと交換できたの?」
「な、なんでそんなことを聞くんだ?」タムリンは思ってもみなかった矢継ぎ早の質問に面食らって、質問を返した。彼女が魅入られているのは、てっきりルビーの赤い輝きだけだと思っていたのに。
「だって、そう考えちゃうんだもの……」
「小さな女の子は、宝石のキラキラしているところが好きだと思っていたんだがね……」タムリンが素直にそう言うと、ビルキスは少し考え込んでから言った。
「おじさまの言う通りよ。私、この宝石、すっごく綺麗で、大好きになったわ。だから何でも知りたいの。キラキラしてるって事の他にも、この宝石の事、何でも……」
当時は、シバの性別観念もオリエントの保守的ない男尊女卑の風潮と何ら変わりはなかった。当時は、女性もあまり堂々とせず、賢くもならず、家の事をやっているのが素晴らしいことだとされていた。イスラエルと同じように。口数が多い女はみっともない、とみなされるのが常だった。
だから、その質問責めが余り可愛げのあるものとしてタムリンの耳に届いたはずはないのだ。事実彼の心の中にそんな気持ちが完全になかったとは言いきれない。容姿に似合わず、可愛くない事を言う娘だ、という気持ちは確かに少々は会った。だが、そんな反感など押さえつけてしまうものがあった。自分を期待したまなざしで見つめてくる、幼いビルキスの美貌の中には。
タムリンは、自分の娘ほどのこの少女の瞳に、釘付けになった。そのようなことを根掘り葉掘り聞くのは、余り娘のマナーとしてよろしくないのではないか、と説教することは簡単だし、そうするべきだという当時のシバなりの倫理観もあった。
だが、きっとそれを言ったら、がっかりしてこの娘の瞳は曇ってしまう。太陽が雲にかげるように。そんなのは嫌だ、どうしても嫌だ。それよりも自分が質問に全部答えてあげたら、彼女はきっと笑ってくれる。今より輝かしく、美しい表情を自分に見せてくれるだろう……その一瞬のためなら、彼女をはしたない女性にしてしまう一助を担うことなど、なんでもないかのように思えた。
タムリンは一つ一つ、彼女の質問に答えた。そして、ああ、自分の判断は正しかった、と思えた。彼女は本当に、嬉しそうにしていた。そしてその表情が、本当に……王宮で女たちとごろごろしているだけの愚昧な王より、何千、何万倍も暁のこと言われるにふさわしく輝いていると感じた。これほど美しい女性を、タムリンは、見たことがなかった。

「また、何か持ってこようか」帰り際、タムリンは聞いた。
「文字を読んでみたいわ。何かそう言うの、ないの?」
「あるとも。楽しみに待っていてくれよ」
彼女は宝石より、着物より、そんな小難しいものを選んだ。だがそれがなんだというのだ。彼女に喜んでもらえるなら何でもあげたい。タムリンはその時、はっきり、そう思っていたのだ。

タムリンの貿易がシバにもたらした利益は大変大きく、タムリンはその功績をたたえられて、彼の率いる行商隊「ヤツガシラ」が丸ごと国営となった。彼も、役人並みの待遇を受ける身となり、羽振りがぐんとよくなった。だがそんな彼の心を嬉しさで満たすのは、王に表象されたことよりも、やはりビルキスとの出会いだった。
彼が何かを持っていくたびに、ビルキスは喜んだ。そして、彼の持ってくる知識をなんでもかんでも吸収した。彼女は驚くほど呑み込みが早かったのだ。彼女は尋常ではなく頭がいいのだろう。そのことははっきりとわかった。
彼女は自分の話す国々の経済事情にも、貿易の話にも、交易品に関することにも、外国語にも、計算にも、なんにでも興味を示し、注意深く学んだ。タムリンもベテランの行商人だ。いくらでも彼女の望みに答えることはできた。
下手に頭がいい女はあまり歓迎されない(下手に、というのは、例えば男を立て、子を育て。家を守るのに必要な賢母の賢さは、無論当時のシバでも女性に求められていた。だが、ビルキスの興味の向いている賢さがそのたぐいでないことなどは簡単に分かることだった。彼女は一回も、そのような類の事は質問してこなかった)ことは明白であったが、そんなことよりもタムリンは、ビルキスの笑顔が見たかった。ヒムヤリも煩くはいってこず、かえって娘が楽しげにしていることを喜んでいたものだから、彼は思う存分、ビルキスの欲求をかなえてあげた。
「こんな本が読めるのか、すごいじゃないか」
「外国語をこんなに早く覚えるなんて」
「こんなに計算が早いなんて。我々顔負けだよ」
彼はビルキスが何かをするたび、手放しでそう称賛した。まぎれもなく真実であった。若い頃の自分よりも、彼女は何倍も速くあらゆることを理解してしまうかのようであった。しかしそれにも勝って、やはり、そう褒められて心底嬉しそうに輝く彼女の表情が、眩しかったのだ。
「嬉しい!ありがとう、おじさま」
そう言われるたびに、この時間が永遠に続けばいい、とすら、タムリンは思ったものだ。

ヒムヤリが所要で数日間マーリブを開けている日の事だった。あの子が寂しがるといけないから、お前がたまに行って相手をしてやってくれ、とヒムヤリはタムリンに頼み込み、タムリンも喜んで了承した。
その時、ビルキスは言ったのだ。
「ねえ、おじさま。私、外に出てみたいわ」
タムリンもそれを聞いて、少し躊躇した。ヒムヤリが彼女を外に出させたがっていないのは、重々承知の上だったからだ。だが、ビルキスはビルキスで、本気らしかった。
「見たいんだもの……色々なものを。おじさまから聞いたり、本で読んだりするだけじゃなくて……」
彼女の表情が曇った。それは、タムリンが何より恐れていることだった。
「いいとも、行こう」次の瞬間。タムリンは無意識的にそう言っていた。「本当!?」ビルキスの顔がパッと明るくなた。ああ、やはりこの瞬間のためなら、自分は何でもできる。タムリンはそう思った。

初めて見るマーリブの都は、彼女にとって本当に珍しいモノずくめらしかった。彼女はまず市場に行きたい、と言いだし、並んでいる商品一つ一つを面白がってみていた。市場は「ヤツガシラ」始め交易隊の成功が重なって、華やかににぎわっていた。台所に置かれている様子しか見たことの無い食材が、市場では大量にくくられつるされていることすら、彼女の好奇心をくすぐったらしく、彼女はいつにも勝ってタムリンを質問攻めにした。
「ねえおじさま、なんであの壺は他より数段高いのかしら?もしかすると、似ているようだけど舶来品?」
「そうだとも、良く分かったね。中国の品だよ、あれは……」
「ねえ、おじさま!あの織物の図柄、さっきの店と全然違うわ。ひょっとしておじさまから聞いたアフリカの文様って、あれ?でもちょっと色遣いが違うようだけど……」
「いや、アフリカの文様であっている。アフリカと言っても相当に広いからね。私の教えたのはスーダンの文様だが、あれはおそらく……」
ベテランの商人であるタムリンにとって、勿論市場で何も知らないことはなかった。タムリンがどんな複雑な質問にも答え、ビルキスは「おじさま、なんでも知ってるのね」とにっこりと笑った。

マーリブの市場も、畑も、食堂も、何もかも彼女の気に入ったようだった。
「こんな面白いものを見せてくれないなんて、お父様は意地悪だわ」ビルキスは日が暮れるまでに、最後に行こうとタムリンが言ったアルマカ神殿に向かう道中、そうぼやいた。
お父上は君の事を心配しているのだよ、そんな声が喉まで出かけた。だが、代わりに出てきた言葉は、それとは違った。
「では、私は意地悪じゃないのかい、ビルキス?」
ビルキスは目をぱちりと瞬かせて「ええ」と言った。タムリンは流石に、自分の発言を反省した。友だって考えなしの事ではないのに、自分はまた、彼女に気に入られたいという気持ちの方が先に出てしまった。
タムリンとて頭の悪い男ではなかった。自分の心に湧くこの感情が、友の娘を自分の娘のようにかわいがる感情としては度を越しすぎていることくらいは理解していた。それに歯止めをかけねばなるまい……と考えているうちに、彼らは荘厳なアルマカ神殿にたどりついた。
王の趣味を反映して、神殿は華やかではあったが、天井にゴテゴテした華美な装飾が、悪趣味とも言えた。貧しいものは内陣まではいることを許可されてはいなかったが、タムリンは役人待遇で、さっさとアルマカの本尊たる偶像が配置されている中まで行く。
「ビルキス、お祈り」タムリンは言った。「私たちを見守ってくださる太陽神。お隣にいらっしゃるのが、彼の妻たる月の女神様だ」
ビルキスは、その偶像の事もじっと見つめていた。しかし、タムリンはその目にハッとした。それは神に対する畏敬ではなかった。目の前の彫像の美術的な技巧、彼女が心を惹かれているのはそれだと分かった。彼女にとって、自分の目の前にいるのは、あくまで立派な彫像である、神の現身ではないのだと。
「ビルキス」タムリンはもう一度、言い聞かせるように言った。夕方時で、祈りに来ている貴族たちで内陣もそこそこにごった返していた。「あれが、神様だよ」
ビルキスは、なおも考え込んでいる様子だった。その表情は、タムリンを不安にさせた、曇りとも、輝きとも違う顔。喜んでくれないのだろうか?ビルキスは……。
そう思っていた時だった。神殿の護衛兵が、大慌てで広間中に響き渡るように言った
「シャラフ陛下のおなり!」
それは、シバ王国の王の名前であった。貴族たちは慌てて忠臣を開ける。たちまちのうちに扉が開き、室内だという荷に、偉そうに籠に載ったシャラフが現れた。もっとも、偉そうにしているというよりは、年な上にぶくぶく太っているので体力が衰え、歩くことも億劫なのが理由であることは、ヒムヤリもタムリンも知っていた。
シャラフは太陽神と月神の前に腰を下ろし、お付きの神官が唱える祈りの文句を聞きながら、手持無沙汰にしいていた。王たるもの神に祈りをささげぬわけにはいくまいが、彼自身そんなことをするのならば遊んでいたいのが本音なのだろう。貴族たちも、何人かそそくさと帰っていってしまった。
そしてある瞬間、タムリンはどきり、とした。いや、どきり、という言葉を使うには、その感覚は軽すぎるかもしれない。心臓が破裂するかと言うほど、一瞬大きく鼓動したのだ。
シャラフの目が、こちらを向いた。いや、自分ではない。正確にはビルキスの方を……。
反射的に、タムリンは自分の外套の裾で、不自然にならない程度にビルキスを覆った。「帰るよ。ビルキス」彼は小さく、そう囁いた。ビルキスは釈然としていない様子だったが、タムリンは一刻も早くここから立ち去らねば、と言う思いに満たされていた。シャラフも祈りの最中何かを言い出すわけにはいかなかったのだろう。特に呼び止められることはなかった。

「楽しかったわ。ありがとう、おじさま」
帰路につきながら、ビルキスはそう話した。
「商人って、本当に何でも知っているのね……」
「まあ……知識が多くなくては、到底出きん商売だからね」
「ねえ、おじさま。私も、おじさまみたいな商人になりたい」
その発言は、非常に非現実的な望みであった。
女は隊商は入れない。それが、ルールだ。タムリンの母やおばたちが孤独に苦しんでいたのも、夫の商売についていくわけにはいかなかったからだ。
だが、タムリンは、こう言わざるを得なかった。
「ああ、きっとなれるんだろうね。私顔負けの商人になるだろうな」
ビルキスはようやく、神殿では見せてくれなかった笑顔を見せた。しかも、それはタムリンの偽らざる本音だった。この子が商人になれば。隊商で、自分と共に世界各地をとび回る存在になれば。そのような望みが、彼の心をその時、満たしていた。
ヒムヤリ邸につき、タムリンはビルキスと別れた。しかし別れてしばらくしてからも、彼女の笑顔が心に焼きついたままだ。
友がビルキスを王の目から隠したがるのが、わかった。あの死んでしまいそうな不快感、あれを彼も感じているなら、当然だ。
ビルキスが彼に見初められたのではないか、と、そう思うだけで、鳥肌が立った。
しかし、何も気にするべきはシャラフだけではない。はっきりとタムリンはそう思った。
今はまだ未熟な子供なのに、それなのに、ビルキスは美しいのだ。世界を飛び回った自分が、見たこともないと思うほど。その可憐な笑顔を、ずっと見ていたいと望むほど。
彼女は、これからどんどん大人になって、さらに美しさを増していくのだ。今でも美しいのに、それ以上に……その時、どれほどの男が彼女に魅入られるのだろう。彼女を……女として求めるのだろう。
嫌だ。タムリンは心の底から思った。彼女を渡したくない、誰にも、渡したくない。彼女の美しさが、他の誰かのものになるなど耐えられない。
自分より30以上も年下の少女に、もはやどうしようもないほどタムリンは恋い焦がれ、欲情を覚えていた。
彼女を妻にしたい、彼女をずっとそばに置きたい。シバ王国でも、外国に行くときも、ずっと彼女と共にありたい、まだ、彼女がだれの者にもなり得ないうちに……。タムリンの心の中に、言いようのない焦りと不安が湧いてきた。

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