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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第七十話


後日になってからも、シャラフ王からとくに何かを言われることはなかった。タムリンはほっとしていた。だがある日、タムリンは王宮に召し出された。
また、大きな交易に行って来い、と言う命令であった。シバ王国国営隊商の誇りを持って。
概算してみると、前ほどではないものの、七年にはなろうかと言う旅路だった。タムリンは焦った。この貿易でもたらされる利益に、王だけではない、国民が皆期待しているだろう。引き下がるわけにはいかないし、隊長である自分が行かないわけにもいかない。だが、七年だ。七年も合わないうちに、彼女が……もしも、別の誰かの者になっていたら、と思うと、ぞっとした。七年もすれば結婚できる年齢にだって簡単になる。自分の視界の及ばないところで……。
「ヤツガシラ」の部下たちがせっせと交易の準備を整える期間中、タムリンはそのようなことをずっとぐるぐる考えながら、足しげくヒムヤリ邸に通った。
ヒムヤリは自分の態度に疑問を持っていたようだったが、今度の行商に不安を持っている、と彼が語ると、それに納得してくれたようだった。
「確かに、全く陛下も酷いものだ。帰って来てそうそう、また別の外国にやってしまうなんて。でも、不安なら君は一切感じる必要はなかろう。君がその大役にあずかるに相応しい器であることなど、誰の目から見ても明らかだ」
そのような友人の言葉を聞きつつ、彼はずっと、目の前の友人の娘の事を考えていた。彼女が自分の手土産に喜び、自分に話を乞いてくるたび、行商になどでたくない、この時間が終わるくらいなら、と感じた。
「おじさまと、もうすぐ会えなくなるのね」ビルキスはある日、残念そうに言った。
「つまらないわ……」
その言葉を聞いた時だった。タムリンはもう、我慢ができなくなった。
この少女と一緒に居たい、誰のものにもなる前に、自分のものにしたい。彼女だって、それを望んでいるのだ!
心が燃えたつのがわかった。もしもその場にヒムヤリがいなければ、衝動のまま抱きしめて口づけしていただろう。「ビルキス、わがままを言うものではない。彼は誇り高い仕事に行くのだ、応援しておやり」と横合いから口を挟んできた親友一人が、なんとか彼を踏みとどまらせた。
だが、彼の心はもう決まった。言おう。言わなければ始まらない。それを打ち明ける日は、もう決めていた。

タムリンが行商に旅立つ前に、ビルキスは十一歳の誕生日を迎えた。正確には、ヒムヤリが彼女を見つけてから十一年目の日だった。
タムリンはその日、早々に部下たちに仕事を任せると、ヒムヤリ邸に向かった。言わなくてはならないことがあった。
「やあ、わが兄弟よ!」ヒムヤリは普段と変わらず、タムリンを出迎えた。ビルキスも同様だった。
「ビルキス……十一歳、おめでとう」タムリンはかのjに笑いかけ、贈り物を渡した。外国の文書だった。入手に骨が折れる代物ではあったが、ビルキスのためなら安いものだった。
ビルキスは、何を貰うよりもそれに大喜びした。
身内の身で控えめに開かれた宴会もほどほどになってくると、タムリンは「……ヒムヤリ。話があるんだが、いいか」と、切り出した。
「何の話だ?」
「お前と二人だけで話したい」
ヒムヤリは眉をひそめたが、ビルキスに「お前はもう寝ておいで。夜も遅いから」と言った。ビルキスは不満そうだったが、それでも父の言葉に従った。
「なんだ?お前と私の中で、改まって」
タムリンは一呼吸おいて、切り出した。
「ビルキスを、私の妻に欲しい」
タムリンにとっては、その日は、その言葉を切り出すために来たようなものだった。
ぴくりとすくむ、ヒムヤリの顔。タムリンは必死になって畳み掛けた。
「もうじき私は旅立っていってしまう。だが、あの子は私と一緒に行くことを望んでいるのだ。あの子は商人になりたいのだ、私とともに、世界を見たいのだ。私は……私は、彼女の夢をかなえさせてやりたい。周りに何と反対されようとも、自分の妻を連れていく、と押し通すつもりだ、ヒムヤリ、私にビルキスをくれ!私はあの子に夢中になって惚れているのだ!そして彼女のことを父である君と同じほど愛している男も、彼女の望みをかなえてやれる男も、私しかおるまい!全霊をかけて君の娘を幸せにしよう、君も、私が信頼できる友であることは知っているはずだ。私になら安心して、娘を預けられるはずだ……」
だが、彼のその声を引き冊音が、その場に会わられた。それは、タムリンが全く予想していない音だった。ヒムヤリが、机をバンと叩いたのだ。グラスが倒れ、中の酒がこぼれた。だがそれが絨毯に垂れようと、ヒムヤリの目には入らないようだった。
ヒムヤリの麗しい金色の目は、タムリンしか見据えていなかった。それも、何十年来もの友である自分が見たこともない程、激しい、憎悪に燃えていた。
その場に立っている男は、ヒムヤリではないのではないか、とタムリンが錯覚したほどだった。
「ふざけるな……ふざけるなよ!」
自分の知るヒムヤリと言う男は、死んでしまったのではないか。タムリンはそう感じた。彼はタムリンの事がに激怒し、そして。豹変した。
「なにが結婚だ……頭がおかしいのではないか!何が惚れているだ!いい年をして、三十以上も年下の子供に向かって、変態野郎!」
「ち、違う!」穏やかなヒムヤリらしくもない程汚い言葉を使って自分を罵ってくるその人物に向かって、タムリンは叫んだ。
「本気だ、本当にビルキスに焦がれているのだ!彼女が大人になろうとも、老婆に成ろうとも、この気持ちは変わらぬだろうと言うほどに!」
「煩いわ、貴様の言い分など誰が信じるか!」
ヒムヤリはタムリンに掴みかかった。化け物のような形相で。彼の優美な美しさは、怒りのあまりすべて枯れてしまったようだった。
彼は壁際にタムリンを押し付けた。そして首を握りしめた。彼が呼吸を失いそうになって四苦八苦するのを楽しそうに眺めながら、ヒムヤリは言った。
「タムリン、知っているか?ビルキスの脚はな、人間じゃないんだ」
「えっ?」
その唐突な言葉に目を白黒させるタムリンを見下しながら、ヒムヤリは一方的に言葉をつづけた。
「ビルキスの脚はな。私が彼女と初めて会った時の、あの山羊のような、ろばのような生き物。あれの脚をしているんだよ。彼女が私に、愛のあかしに残してくれたんだろう。人ならざる自分の面影を」
そんなことは、知らなかった。
だが、確かに言われてみればビルキスはいつも、足先を隠していた。部屋にいるときは床に引きずるような丈の着物を着て、外に出た時ですらそうだった。自分が邪魔だろうと言っても、本当に地面すれすれの丈にしか、短くしようとしなかった。
「分かるかい?彼女も実態はあるが、人間ではない、精霊の血を引いているのさ。精霊は、めったな奴など愛さないよ。私のように、精霊に愛されるだけの男でなくては、ビルキスとは釣りあわん。君でも駄目さ、陛下でも……このシバ王国の民は皆、駄目さ!あの静けき満月の夜、彼女が認めたのは誰でもなく、私だったのだから!」
彼は意識がもうろうとしたタムリンを掴み、そして窓の外に叩きだした。タムリンは、色紙でしたたか頭を打った。幸い大怪我ではなかった。
自分を見下ろす友だった男の顔を見て、タムリンは悟った。ああ。あのアル・ヒムヤリは、もう消えたのだ。この世には、いないのだ。
「お前との友情も、これっきりだ、二度とうちの敷居はまたがせん、ビルキスにかかわりでもしたら、命があると思うなよ!」
大きな音を立てて、扉が閉まった。タムリンの意識も、とんだ世に思えた。

それからどうやって帰ったのかの記憶がない。ただ夢でなかったのは確かだった。ヒムヤリ邸に行こうとするなり、召使や部下たちが必死で止めた。ヒムヤリが自分たちの絶交を話したらしい。此れでは実際に家に行っても無駄だろうと思えた。手紙も送ったが、全くなしのつぶてであった。
無二の友情を失ってしまったことも、ビルキスともう会えなくなってしまったことも、彼の心を酷く打ちのめした。だが彼がどうなろうとなるまいと、交易の予定は覆せない。出発までの数日間嘆き苦しんだ後、出発の朝に、タムリンも開き直った。
忘れるしかあるまい。大丈夫だ。新しい土地での商売が、自分の心を満たしてくれる。自分は妻など得なくていいと決意した、根っからの行商人なのだから……。

旅先で、何通貨手紙を受け取った。
だが、ヒムヤリの事も、ビルキスのことも、彼は全く知れないままだった。
彼の憂鬱によらず、貿易はまたしても成功をおさめた。あっという間の七年だった。その際には、彼もようやく、心の痛みから立ち直らんとしていた。
彼らが帰路についているなか、シバ王国から一通の知らせが舞い込んだ。国王が変わった、と。シャラフ王ももう年だ。そんな時分だろうと思っていた。速達はただそれだけ、後、新しい王に挨拶するようにと。

タムリンは無事、七年ぶりのシバ王国に帰った。そして、七年前と変わらぬ王宮に入り、王に謁見を願った。王が参り、彼は頭を深く伏せた。
その瞬間、タムリンはその場が七年前とは全く違う場所であると気が付いた。ふわりと香る香の匂いは、シャラフ王のものなどとは似根も似つかなかった。明かりが多く点されたわけでもないのに、その場が暁の光に照らされたかのようだった。
そして、彼を迎えたのは、信じられない声だった。玉を転がすような、美しい女性の声。そして……その声が、自分の事を、このように呼んだ。
「長旅、ご苦労だったわ……タムリンおじさま」
タムリンは顔を上げた。そこにいたのは、ビルキスだった。それも、自分が知っている少女と同じであって違う存在。暁の娘、彼女に何よりもふさわしいその称号を手にし、王の身が被ることを許される太陽神をあしらった宝冠を頭にいだたいた、シバの女王、ビルキスだった。

タムリンは、女王の謁見室に通された。扉が閉まり、部屋には彼女と自分の二人だけになった。
彼女は18になっているはずだった。七年前自分が危惧した想像など遥かに超えて、彼女はその神秘的な美しさを増していた。
「なぜ」タムリンが震える声で言った。「何故、君が女王に……」
「なるようになったのよ。私は女王になるべき存在だった、それだけよ」ビルキスはそう言って、この七年に自分に何があったのかをはぐらかした」
「お父様は死んだわ。とっくの昔にね」
「そうか……」
タムリンも、さすがに親友の死には心が痛んだ。だがその気持ちに浸ってもいられなかったのは、ビルキスがこのように告げたからであった。
「おじさま。私はおじさまの事も、殺さないまでも、今の座から降りてもらうつもりでいるわよ」
「な」さすがにタムリンの声も震えた。「殺す……君は、父を?い、いや、それよりも、何故私にそんな仕打ちを!?君は私に、良く懐いてくれていたじゃないか!今回の行商でも、大きな失敗をしたつもりもない!」
「おじさまの後をつげる人も、『ヤツガシラ』には揃ってきているでしょう?それに……おじさまが国営隊商の隊長である以上、今までと同じように王宮の役人待遇じゃないの。私はそれが嫌なの」
「だから、なんで……」
「おじさまが気持ち悪いから」
まるで鳥が歌うように繊細で透き通った声音で、その残酷な言葉は吐かれた。タムリンの心の中に、この7年間も火種としてくすぶり続けていた、あの人生で初めての燃えるような恋を、タムリンはその少女相手に全否定された。
「なんで、なんで、そんなことを……」
「おじさまは、私が頭がいいのを褒めてくれているんだと思っていたわ。お父様が見て下さらないところをほめてくれているんだと。私が男の子でも、同じように褒めてくれるんだと思っていたの。だから大好きだったのに……でもおじさまは私の事を、自分の花嫁になる女として見てたのね。私が嬉しいと思った言葉もみんな、ただご機嫌を取りたくて、言っていただけなのよね……」
その言葉をを聞いて、タムリンはウッと言葉に詰まった。反論のできない事であった。タムリンが何も言わない様子を見届けて、ビルキスは続けた。
「はっきり言うわ。怖いの。気持ち悪いの。私の事をそう思っていた人が、そばにいるなんて。安心して。そこまで酷くはしないわ。おじさまがシバ王国に利益をもたらしてくれたことも、下心はあったけれど一応私に色々な事を教えてくれたのも、全部本当ではあるもの。収入も地位も、今より下げる気はないわ。おじさまのために新しくポストを作るわよ。でも、もう二度と私に会えるとは思わない事ね……」
その言葉を聞いたとき、いや、聞く直前だったかもしれない。タムリンの体は、反射的に動き、腰に刺していた護身用の剣を抜いた。
嫌だ。嫌だ、ビルキスと離れたくない。もう会えないと思っていたのに、また現れた。前よりもずっと美しくなって、自分の前に現れた。ビルキスと、ビルキスといられるのなら、何もいらない、と、そう感じた。
たった一瞬の事だった。タムリンは銀の刃で自分の衣服、腰下部分を切り裂き、そしてその中にあるものに刃を突き立てた。
ぼとり、と音がして、肉の塊が床に落ちた。タムリンの性器であったもの、彼が衝動的に断ち切ったものが。
タムリンの下半身からは血が大量に噴出した。其れにもかまわず、彼は荒い息で言った。
「これでいいか、ビルキス」
目の前で起こった光景に、さしものビルキスも金の目を丸く見開いて戸惑っているところに、息も絶え絶えにタムリンは続ける。
「これで、安心だろう。もう、いくら君に手を出したくとも、私は出せない。……これで足りないのなら、他に何を失ってもいい。ただ、そばに居させてくれ。君の側に……」
タムリンは血みどろになりつつ、18歳の少女の前にかしずいた。ビルキスはそれをじっと見ているうちに。くすりと笑った。そしてタムリンに歩み寄り、彼の目をじっとのぞきこんだ。
「いいわ、おじさま。許してあげる……」
彼女はパンパンと手を鳴らした。タムリンの知らない、隙のない顔立ちの女性が現れた。
「サラヒルさん。お客人が大けがをしてしまったの。至急、お医者をお呼びして?」
「かしこまりました」
サラヒルと呼ばれたその女性は、異常な光景にも眉一つ動かすことなく、あどけない女王の命令に従った。血を失い、頭がもうろうとするタムリンに、ビルキスは薄く笑いながら言った。
「シバはこれから、貿易大国としてもっと発展させるつもり。おじさまみたいなベテランの商人が側にいてくれたら、とても心強いわ……シバ王国のために、どうぞこれからも私と一緒に働いてね。タムリンおじさま」

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