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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第七十二話

ヒラム王が来た日の晩餐の事だった。晩餐の席に、ビルキスが現れた。
「ビルキス様……!」ソロモンも若干心配そうに問いかける。「お身体は、もうよろしいので?」
「ええ。貴方の薬のおかげで、すっかり……本当に、よく効きますわ」
彼女はそう言うと、あわててアヒシャルが持ってきた椅子に、ふわりと優雅に腰かけた。
「お話は聞いております。ソロモン様……ソロモン王。わがシバも無論のこと、協力させてもらいますわ。あなたのお国に」
「それはそれは……なにより」
ソロモンもそれを聞いて、不敵に笑った。タムリンの話は気にならないではないが、少なくとも今は、ハダド達についてだ。
アヒシャルがビルキスの分の盃も持ってくる。
「我らの計画の成就のために……!」そう声をかけソロモンとビルキス、ヒラムの三人の王は盃を掲げて乾杯した。


後日、エルサレムの城門を大慌てでかいくぐり、ようやくイスラエル軍が帰還してきた。
「陛下!ご無事で何よりです」
「ベナヤ。よく戻ってきてくれたな」ソロモンは彼を出迎え、言う。
「王妃殿下は……王子殿下にも、お怪我はありませんか!?」
「安心しろ。今の所、どちらも無傷だ」
ソロモンは冷静に言い返した。「もっともレハブアムは怖がって怯えている。お前になだめてやってほしいところだが、お前にはやってもらいたい仕事が沢山あるからな……」
「はっ、なんなりと」
「まず、新たに二地域で、反乱がおこった」
それを聞き、ベナヤもぎょっとする。
「サマリヤとエリコだ。反乱の規模は小さい。サマリヤへは、ヒラム王の軍が主だって言ってくださるそうだ」
「では、私はエリコへ?」
エリコとなれば幸い今度は近場だ。疲れ切ったイスラエルの軍馬たちの代わりに、シバ王国の行商隊が動物を融通してくれるとのことだった。
「そう頼みたいところではあるが……お前が行くまでもなかろう。お前の軍隊の中から、鎮圧軍を編成し、エリコに送り出してもらいたい。まずは、それが第一の仕事だ」
「心得ました。して、第一と仰るからには、第二の仕事は?」
「レハブアムの事もそうなのだが、それ以上にナアマの所に言ってやってくれ」彼は真面目な顔で言う。
「真面目な話だ。奴もこんな状況で不安だろうが、私が行っても帰って不愉快にさせるだけ。お前に頼むしかあるまい」
軍隊の長としてはそんな仕事か、と思わないでもないが、一人の男としてのベナヤはむしろ、ソロモンがそう言ってくれたことが嬉しかった。ナアマは夫に愛されていない自分が不幸だ、と言うが、ソロモンも人並みに妻の事は気にしているのだ、と言うソロモンとナアマ、両者に対しての安堵感が出てきた。
「仰せの通りに」とベナヤは言う。彼が出て言った後、ソロモンは思案した。
「(これで、あのアンモンの医者が妙な動きをして尻尾を出せばよいのだが……)」

ベナヤが帰ってきて、ナアマは非常に喜んだようだった。彼女はベナヤの名前を呼び、彼に必死で縋り付いた。彼は、エリコ行きの支持をすでに出した後だった。
「良かった……良かったわ。戻ってきて!」
「大した鎮圧戦ではありませんから。其れよりも、王妃殿下がご無事で何より」
ベナヤも、穏やかに笑ってナアマの頭を撫でる。自分たちの事を、居心地の悪そうな目つきで見ている知らない男がいた。あれが王の言っていた医者か、とベナヤは踏む。
「お前、彼がベナヤよ。私が何回も言っていた」
「そうでございますか……」医者はやはり居心地悪そうに、それでも居住まいを正してベナヤに礼儀正しく挨拶した。話しているということは、おそらく彼も自分とナアマの関係性を察しているのだろうとベナヤは見た。王妃と護衛隊長の関係、たしかに赤の他人にとっては見るに堪える者でもないだろう、とその医者の心境を慮ったベナヤは、「申し訳ありませんが、あなたは席を……」と依頼した。医者もそれを快諾した。
「ベナヤ……貴方は必死で戦うのね。あんな、あの人のために……」
「王妃殿下……私は貴女を心の底より愛しております。ですが、それと同じほど、陛下、イスラエルににお仕えすることも大事な役目の一つです。私はイスラエル軍の隊長ですから。それに、ソロモン王を悪い王だと思ったこともありません」
そこだけは、ナアマの前でもはっきり言うつもりでいた。
「ねえ、ベナヤ、あの……」
負と、ナアマが何かを言いかけたようであった、どうなさいましたか、とベナヤは心配したが、次の瞬間彼女は一瞬言葉を引っ込めた。
「いえ……今からレハブアムの所に行かない?あの子もすごく怖がっているのよ」
ベナヤは、快諾した。王子の事も心配であった。

アンモン人の医者は部屋の奥に行き、ハダドの名を呼んだ。
「時間がありませんぞ!とうとう将軍ベナヤが帰ってきてしまったではありませんか」
ハダドは、すぐにアンモンに帰らせる気でいた。だがなぜか、ハダドは傷が治ったというのにイスラエるから離れようとしない。
それどころか、カーテンの小さな隙間から、ずっと窓の外を見て、聞き取れない事を言いながら何かをぶつぶつと呟いている。
イスラエルへの恨み言だろうか、と医者は思っていたが、何にせよ放っておける自体ではない。
「今夜イスラエル軍は反乱の鎮圧に向かいます」
「ああ……ネバトが起こしてくれた奴だな」
「これらも全て、ハダド様をお助けするため、軍の注意をそらさせるのが目的。ベナヤ将軍も今日は疲れているでしょうし早く帰宅するでしょう。ハダド様、一刻も早くラバにお息を。皆さまも、待ち望んでおります」
「うむ……」
返ってきたのはやはり生返事だった。だが、医者が真剣にせかし、ハダドも長い沈黙を破っていった。
「わかった……今夜にでも出発しよう」
「二言はありませんな!」
医者の念押しに、ハダドも首を縦に振る。
ハダド本人も、早くここを抜けるべき、ラバに行くべきだということは分かり切っていた。ナアマ経由で連絡を入れ続けるにも限界がある。
だが、今彼の心には、祖国を奪い返さんとする闘志よりも、異質なものが湧き上がっていた。
あの女性は誰だ。あの宵闇の中に消え行ってしまった、美しい人は。名前も、声も知らない彼女が忘れられない。
また、彼女に会いたい。彼女を見たい。そのような思いに、最近ずっと捕らわれている。彼女の姿を認めた窓から、離れることができなかった。幸福などなかった、憎しみにずっと満たされ生きてきた人生。其れだと言うのに、彼女を見た瞬間、幼いころ、エドム王家が生き残っていた時代においてきた幸福と名のつく代物が、自分の心によみがえったかのように思えたのだ。

夜、医者はハダドを王宮から連れ出した、数日居たおかげで、警備の目をかいくぐるのは簡単であった。
エルサレムの城壁から連れ出し、後は単独でラバに帰ってもらう予定であった。ハダドはまだ上の空だったが、それでも何とか連れ出すことはできた。
ナアマも一緒についてきた。いざと言うときも、ナアマが散歩をしたがったのだと言えば衛兵たちは黙らざるをえまい。
ナアマはずっと、心配そうにハダドに付き添っていた。「ハダドさん、大丈夫?」と彼女が幾度となく声をかけても、ハダドは「ええ、まあ……」と生返事しつつ、時々エルサレム宮殿を振り返っていた。
自分達は彼の気持ちをわかっていなかったかもしれない、と医者は考えた、この復讐者にとっては、ソロモンを直接手にかけることこそが望みだったのだろう。命の危機を冒してでも、エルサレム宮殿にとどまり、ソロモンを直接打てる機会をうかがいたかったのかもしれない、と。
逃亡は順調に進んでいた。だがエルサレムの市門に近づいたときの事だった。一人の男が、警備隊と話し込んでいた。
ナアマは彼の事を見て、つい、声を上げてしまった。ベナヤが、そこにいた。

ベナヤも、緊急事態が心配で、独断で市門の衛兵たちのもとを回っていたのだ。だが、彼は王妃の声を聞きつけた。
医者はうろたえる。衛兵ならいくらでもごまかしようもあると思っていたが、ベナヤ相手ではそうはいかない。「おや、王妃様……!」と、ベナヤがこちらに向かった。
「何を?」
「夜の散歩よ……」
「それはそれは。ですが、何が起こるか危険です、王妃様」ベナヤは焦った様子であった。医者やハダドにそこまでは分かろうはずもないが、彼の心の中にはまた3年前の悪い癖が出たのではと言う焦りもあったのだ。もう、ナアマにあのようなことはしてほしくはない。
「早く王宮にお戻りを……私もお供いたします」
「ええと、その……」
ナアマは焦った、その時だ。ベナヤが、見覚えのない気配を嗅ぎつけた。医者の後ろに座る、顔を覆った不審な男。王妃の散歩の護衛につくなら、自分の部下たちのはず、このような男に覚えはない。
「だれだ、お前は?」
ベナヤは言った、その時、たった一瞬のうちに彼は剣を抜いた。そして馬に鞭を入れ、一目散に走らせる。
「貴様!」
ベナヤもあわてて剣を抜こうとしたが、それより早く彼はベナヤの剣を叩き落とした。衛兵たちも間に合わず、彼は指紋を抜け、一目散に市外に去っていってしまった。
「お前たち、王妃殿下を介抱し、王宮へ送り届けるのだ!」護衛兵達に総命令し、ベナヤは自分の馬にも鞭を入れようとした。だがその時「まって!」と高い声が飛ぶ。ナアマの声であった。
「ベナヤ。おねがい。あの人を……あの人を追いかけないで」
「ナアマ様、奴が行ってしまいます!」と、ベナヤ。「あ奴に脅されていたのですか!?」
「違うの。あの人は……あの人は……」震える声で、いや、実際に体も震わせながら、ナアマは言う。
「私にとって、大切な人……とても……お願い。エルサレムを抜け出さなくてはならなかったの。許して。私の顔に免じて、許してあげて……」
エルサレムを、コソコソと夜中に抜け出す。しかも、このような時期に。たいそうな相手であることなど、その行為全てが物語っていた。
「王妃殿下、失礼いたします」とベナヤは馬を走らせようとしたが、後ろからそれを縛り付けてしまいそうな金切り声が飛んだ。
「私とソロモンと、貴方はどっちが大事なのよ!」
ベナヤを引き留めたのは、その声の内容よりも、その声の悲痛さであった。
彼は、ナアマを初めて抱いた番がフラッシュバックした。あの時も、ナアマはつらそうだった。愛してもいない夫の国でずっと独りぼっちになって、やけになっていた問の王妃の姿が彼の脳裏に躍る。
ベナヤがぐずぐずしている間に、曲者はすでに見えなくなっていた、どこに行ったのかもわからない。ベナヤはナアマの方に振りかえる。
何か言いたいが、声が出なかった。医者はおどおどして、ナアマは目に涙を浮かべながらじっとベナヤを見つめていた。
「だれなのです?」ベナヤは言った。
「子供の頃に、私のもとに来てくれたの。大切な……大切な人」
「お言葉を返させていただくのなら……」我ながら意地悪いと思いながらベナヤは問うた。
「私と、どちらが大切なのです?」
「今愛してるのは貴方よ!でも、あの人は大切な人なの!」
迷わずにそう言うナアマを見て、この人は自分とは育ちが違うのだ、とベナヤは思わざるを得なかった。嫉妬の気持ちすらわいてくるようだった。だがそれ以上に、王妃を見ているのがただただ切なかった。
「……奴を、逃がしはしました」彼はナアマに呟く。「あなたの望みは聞き届けましたよ、ナアマ様」


翌朝になった。
ベナヤは、昨晩の事を、ともかくもソロモンに報告した。ナアマはそんな自分の事を恨むだろう、とも思いながら。
「申し訳ありません。曲者を見ながらも、逃してしまいました。いかなる処罰も……」
「失敗など人の常。気にするな。お前に今いなくなられる方が困る」
ベナヤはその言葉を聞き、素直にほっとした。ソロモンは念を押すように聞き返す。
「例のアンモンの医者と、ナアマも一緒だったのだな?」
「はい……」
「聞け、ベナヤ」彼は返す。
「実はな、私もアンモンが怪しいと踏んでいて、ヒラム殿に探りを入れてほしいと頼んでいたのだ」
ベナヤはそれを聞いて、ぎょっとした。
「ほとんど黒と見なして良いだろう、とのことだ。あの医者がせめてもの善意か悪意かまではせめて探りたいと思っていたが……これで何もかもすっきりしたな、ご苦労だったぞ」
ベナヤに体中に悪寒が走る。馬鹿な、ナアマの実家がソロモンに反抗?いや、そしてそれ以上に、ソロモンは自分の妻の実家も当たり前のように疑っていたのか?いや、こんなことに「それ以上」をつけるのは可笑しい。王として国の心配をするのは当然のこと。だが……。
「陛下」ベナヤはかろうじて言葉にした。イスラエルの将軍と言うよりも、自分の愛する女の夫にきく、一人の男のつもりでいた。
「先日、私をナアマ様のもとにやったのは……彼らを焦らせ、行動をさせるためですか?」
「……なぜ、そう思う?」
「衛兵たちが言っておりましたので……陛下から直々に、今日は特別、不審者に目を光らせておけと。だが極力みなかったふりをしても構わない、相手に気づかれず情報を多く持ち帰ることが先決だと……」
「……察しがいいではないか」と、ソロモン。
「もっともお前が出てきてしまった以上、先方も私たちに感づかれていることは前提で動くだろうな……」
「アドバンテージを握りたかったのですね」ベナヤは震える声で言った。「私は、陛下のご計画の邪魔を……」
「気にするな。先ほども言ったが失敗など人の常だ。私ですらしたことはある」
知れっというソロモン。ベナヤは繰り返す。
「そして……彼らは皆、例のアンモン人の医者を見次第跡をつけろと言われていたと……私は、何も聞かされておりませんでした。私は……」
「ああ」
「私の心に……迷いが生ずるとおふみになったのですね」
「ベナヤ」彼は呟く。「どちらにせよ我々がアンモンを疑っていることを相手が予測できる事態になってしまった以上、ナアマやあの医者をエルサレムにおき続けることには何のうまみもなくなった。ナアマはいったん国に返すつもりだ。国の危機に瀕させることには何の不自然もなかろう。お前はどうだ?ナアマについてゆくか?」
ベナヤは、心が震えた。
ソロモン一人の恐ろしさではない。彼はそう感じた。
王家の起きるとは、王族として暮らすとは、何たることなのだ。自分とは生きている世界が違う。妻を愛し、夫を愛し。信頼し、生涯添い遂げる。ベナヤが幸せだと、倫理だとみてきたのはそう言う世界のはずなのに。
倫理など何も通用しない。吐き気すら覚えてくる。高貴と呼ばれる人々は、何故香にも醜くなれる。絹の衣をまとい、香油を塗り、黄金の装身具で飾り立てられる人々が、なぜこうも醜くなれるのだ。彼は権力争いと言うものに、ほとほと怒りを覚えた。
可愛そうなナアマ……そのように心の底でつぶやいて。
「いえ、私は……エルサレムに留まります。反乱が終わったわけではありません……任務を全うしなくては」
「そうか。ありがたく思うぞ」
淡々としたソロモンの態度に、ベナヤは何より心が痛んだ。彼こそ、この汚れた世界の最たる象徴のように思えた。愛する祖国イスラエルの君主でさえなければ、愛するナアマの夫でなければ、愛するレハブアムの父でなければ、なぜ、こんな奴に仕えなどするものか。
兄を殺し、父を殺し、母を殺し……妻さえも疑って、何ら悪びれることなく玉座に座る、この、化け物じみた白い男に、ベナヤはほとほと嫌悪感を持った。

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