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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第七十五話

断続的な反乱は続いていた。ベナヤも何回か出陣した。
そのたび彼は、レハブアムに自分の武勇を語って聞かせた。王に宣教の報告をするよりも、王子が自分たちの勝利を喜び、怖さを和らげてくれる方が彼にとってはもはや嬉しかった。
ハダドの方に、大きな動きは会いまわらず無いままだ。アンモンに居るティルスの斥候が言っているから、おそらく間違いはないのだろう。ソロモンはそれを聞いて、考え込んでいた。
「警戒は怠るな」彼は毎回、そう言った。
「大きな動きがなくとも、ハダドは来るかもしれん」
「はあ、そうですか……」
「……貴様、なんだか態度が変わったな」
ベナヤの変化に、ソロモンも気が付いたようだった。だがベナヤは「そうでしょうか」と返す。
「私は、今も昔も、イスラエルにお仕えするだけの事」
「……それならば、それでよい」ソロモンも落ち着いて返した。なぜだろう。ベナヤは全く居心地の悪さを覚える。この男が、自分の気持ちを見抜いてないはずはない、と言う確信すら、彼の心にはあった。
要するに、どうでもいいのだろう。彼は。
ナアマが所詮は結婚しただけの仲のように、自分たちも所詮は王位を得るために結託した仲。ソロモンにとって自分とは、そんな存在でしかないのだろう。
心の底では、期待していたのかもしれない。子供が生まれ、彼がまともな親になることを。嫌。違う。彼が……自分の理解の及ぶ人間になってくれることを。
だが、違う。やはり、ソロモンはソロモンなのだ。自分の理解の及ばぬところにいる人間だ。ベナヤはそのようなあきらめの気持ちを、感じるようになった。

それはある夕方の事だった。
イスラエル軍はまたしても、北方面で起こった反乱の鎮圧から帰って来たところだった。いい加減に、本当にみんなくたびれていた。三カ国の王が協力して普段の三倍の給金をくれるとはいえ、給金で疲れは飛ばない。
エルサレム宮殿にも、そのような雰囲気が漂っていた。広間では、ヒラムトビルキス、そしてソロモンが早めの晩餐を取っていた。
そのわきで警護しながら、ベナヤは早くもうとうとするレハブアムを部屋に運んだ。今日も、何もおきなかろう。ひそひそとソロモンとヒラムが話していたが、なんという気もしなかった。だがソロモンは、ベナヤを手招きする。
「なんでしょうか。陛下……」
「今夜の警護は、わざと隙を見せておけ」ソロモンはにやりと笑って言った。
「なんですと?」
「おそらく、今日、奴がエルサレムにやってくる」
ベナヤは数回瞬きをした。だが、王の言葉は信じるしかあるまい。「お言葉に従います」と言いつつ、彼は部下にそのような指令を出した。
ソロモンの言葉が当たってしまったら、アンモンはどうなるのだろう。ナアマは、ナアマの父は、どうなるのだろう。そう思いつつ彼はそれでも、イスラエルの将軍としてエルサレムを警護する義理があるのだ。心配そうなレハブアムをなだめて、彼は市外へ向かった、

そして、夜が暮れ、新しい日が来た時の事だった。
エルサレムの市門の一つを、抜ける人物が来た、さっと兵隊が駆け寄ってみれば、彼らは物も言わず気絶させられていた。
ハダドだ!エルサレムの防御網は、たちまち静かにその情報を町中に伝達させる。人影は、街の中をささっと駆け抜けていった。

いつも歩きなれた庭園も、兵士たちが影からうかがっているということでこれほども違うものか。ソロモンはそう、なんでもないことを考える。
ソロモン自身は特別なことはしない。できるだけ自然体でいるのだ。彼は気の向くまま、かがり火の中に浮かび上がった七色のシクラメンの花に水を与えていた。此れから暗殺者に狙われるかもしれない、と言うのに彼の心は妙に穏やかだった。死ぬ気がしない。これが不敵さと言うものなのだろうか?
あらかた水をやり終って、彼はベンチに腰かけ思案した。時間のある時、自分はいつも思案する。それをいつもの通りやるまでのこと。自分はなぜ、死ぬ気ではないのか?神が自分の事を御守りいただけると信じているからか、ベナヤの腕を信頼しているからか、それとも……。
ああ、そうだ。彼はマントのブローチを見つめ、一つはっきりすることがあった。まだビルキスと神殿に行っていない。誰もいない、深夜の神殿に。それを成し遂げずして、自分は死なないと感じていた。あの人を連れていくのだ、イスラエルの神の元へ。イスラエルの王として、それがシバの女王にできる、最大の贈り物。

がさり、と音がした。
「誰だ?」
ソロモンは、ごく落ち着いた声えそう答えることができた。
「……近くに寄ってみれば、より一層化け物じみた男」声は、エドムの強い鉛を持ってそう言った。何十年と続いたエジプトの生活も、彼の祖奥への誇りを消すことはできなかったのを物語るかのようだった。
「恥知らずのエジプトの奴隷の末裔、羊飼いの子、人にも慣れぬ化け物が、何故王冠を被り、玉座に座る。なぜ、そのことを恥じもせぬ。浅ましき異邦人に、恥の概念はないと見える」
外がにわかに騒がしくなる。エルサレム市街に、レゾンとその兵が舞い込んだのだ。最もそれも想定の範囲内。あわてるほどの事ではなかった。
「『コヘレト』を助けに来てくれたのか?」ソロモンはくすり、と挑発的に笑っていった。「良かったな。あ奴もお前が来て、今誰よりも喜んでいる。自分を心配してくれる奴が、この世にいたのか、と……」
その言葉が、ハダドを激昂させたのは言う間でもない。
「貴様に何がわかる……ダビデの子として王宮でぬくぬくと育った貴様に、何の悲しみがわかる。我がエドムの悲しみが……分かる者か!」
ハダドは剣を抜いた、そして一目散に、ソロモンめがけて振り下ろした。そのつもりだった。
次の瞬間、ガサリ、と植込みが動き、隠れていたベナヤが姿を現した。

ハダドの剣が、盾で受け止められる。その場をつんざき、鋭く響く金属音。ベナヤも剣を抜いた。そして激しく、ハダドの剣に、自分の剣を叩きつける。その時、ハダドの剣が折れた。
「なっ……!」
流石に大したものだ。ヒラム王が特別に勧めただけあって、タルシシュの鋼鉄の強度は、生半可な鉄などとは段違いだ。
「本当だぞ?」ソロモンは言った。「誰よりも喜んでいるよ。同情してくれた奴なんて、この世に一人もいなかった.。人間の生きる、この世には」
ベナヤ以外のイスラエル兵も駆け付けてくる。ベナヤは剣を振りかざし、王に狼藉を働く暗殺者を、切り捨てんとした。

狼藉を働く、暗殺者。
エドム王子、ハダド。
ナアマの、大切な人物。
それら三つは、全て同じ人だった。ベナヤも、例の脱走者がハダドではないかと言う考察は、王たちから聞かされていた。
将軍として、こいつを殺さなくてはならない。
だが、自分がこいつを殺したら。ナアマは悲しむ。ナアマにとっては、掛け替えのないものをくれた人なのに。
イスラエルのために、殺さなくては、自分はソロモンを尊敬などしてはいない。でも自分はイスラエルの将軍なのだ。
ナアマに、ナアマに憎まれても、自分社、所詮、この目の前の王子のようにソロモンに逆らえはしない、臆病者だから……。

ベナヤの剣が振りかざされた。そして次の瞬間、彼は妙な感触を覚えた、
性格に左胸に突き刺したはずの剣。それが彼の心の逡巡を感じ取ったかのようだ。
それは、心臓を貫いた感触ではなかった。固いものに、刃の浸食を食い止められた。しまった、肋骨に……!
ベナヤは慌てて刃を抜き、再度刺し殺そうとした。ところがそのほんの一瞬の事だった、恐ろしい形相で、ハダドが起き上がり、動揺するベナヤの腕から鋼鉄の剣をもぎ取った。

しまった、とベナヤが声をあげんとした時は全てが無駄だった。彼はがつん、と、ベナヤの盾にタルシシュの鋼鉄の剣を叩きつけた。
「将軍閣下!」イスラエル兵が声を上げる。彼らは急いで、上官を守ろうと立ちあがる。しかしハダドが鋼鉄の剣をふるい、彼らはバッタバッタと倒れた。
「そうか……貴様がベナヤか」ハダドは冷徹な目で見ながら言う。「アンモン王女も堕ちたものだ。このような男に夢中になるなど」
ベナヤも盾を取る。だが彼は盾の隙をついて、ベナヤの脚を切りつけた。鋭い痛みと共に胴体を支える力が抜け、ベナヤはがくりと地面に突っ伏す。殺されるよりも屈辱的な体制だった。
何と、無様なことを自分はしてしまったのだ。
彼は、殺すべきに決まっている。先ほどの目を見てはっきり分かった。この男だって、ナアマのことなど愛していない。
この男を活かしておいて、いいことなど何もなかったのに。
自分にソロモンを憎む資格などない。自分はただただ、王族と呼ばれる人々のやることが理解できず、その理解できなさに身悶えしていただけの、愚かな凡人でしかなかった。
その愚かな凡人のおかげで今、イスラエルの王ソロモンが命の危機に瀕している……。
痛みと情けなさで、彼の意識はぐらりと遠のいた。

外の鎮圧の音も、生々しいほどによく響く。目の前に煌めく鋼鉄の刃を見つめ、ベナヤは気が付いていなかったが、ソロモンの顔にも冷や汗が流れていた。だがそれでも、死ぬ気がしないとは変わりのないことだった。
くい、とハダドは鋼鉄の剣の切っ先でソロモンの細い顎を持ち上げた。
「貴様はまだ殺さん。二つ、聞きたいことがある」
「『コヘレト』の事か?」
「それが一つ」
「残念だったな……私は金輪際、奴の居場所をあかしなどせん」
「それならそれで、王宮を壊してまでも、その哀れなわが友を見つけ出すまで。そしてもう一つ」ハダドは言う。
「エルサレム王宮で女性を一人見た。あの方はどこにいる」
「女性?」
「ああ」エルサレムの市街が炎上したようだった。パッとオレンジ色の光がこちらに届く。ハダドはその光を逆光に受け、言った。
「あの人を連れて帰る。あの人は私のものだ。我が心を奪った女性が、確かにエルサレムの王宮にいた。流れる黒檀の髪、金色の目をした、砂漠に咲く薔薇の花のような女性が……」
「……」ソロモンは目を瞬かせた。「何故、お前がビルキスの事を知っている?」
「ビルキス……そのような名前なのか?」
その時、ソロモンは思った。ハダドの目の色が、ぎょろりと変わった。
「お前ごときが、彼女の名を呼ぶな!」
ハダドは激昂し、ざくりと袈裟懸けにソロモンの体を切り裂いた。急所はわざと外したように思える。激痛に、ソロモンの体もさすがに悲鳴を上げた。
血が、黒大理石の敷石に流れ出す。倒れそうになるソロモンの頭を掴みあげ、ハダドは強い口調で問いかけた。
「お前ごときがそばにいていいお方ではない!あの人は私のものだ、私が連れて帰るんだ!この白い化け物が、賤しい羊飼いの息子が、彼女の名前など呼ぶな!」
彼はいつ、ビルキスを見たのだ?どこかのタイミングで、会ったのか?ソロモンは思った。その時、彼の脳裏に浮かぶことが一つ。
いや、待てよ。ビルキスはなぜ、脱走者がハダドだと知っていた?シバの衛兵たちが会話を聞いた、と言っていたが……シバ人たちは、タムリン隊長とビルキス以外、誰もイスラエルやエドムの言葉など知らないはずなのに……。
はあはあと息を荒くしながら、ハダドが言う。「彼女は、貴様のなんだ。貴様如きが、何故、彼女とともにいる……」
ぱちぱちと燃える音が聞こえる。ハダドはソロモンの首に掴みかかった。「青二才が……」
そのとき、きな臭い匂いをもかき消すかのような、かぐわしい乳香の香りが辺りに立ち込めた。
足音すらも、しなかった。来た気配すら感じさせずに、彼女はそこに立っていた。
「ソロモン様」
彼女は、その透き通る声音でしっかりと、ソロモンの名前を呼んだ。この世に人が数多いる中で、イスラエル王ソロモン、ただ一人の名前だけを、彼女は呼んだのだ。

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