クリスマス市のグリューワイン

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The Princess of Sheba 第三話

こつこつ、と扉をたたく音が聞こえてキルアブは振り返った。あの叩き方はソロモンのものだが、今日は朝に来たばかりだというのに。
「ソロモンかい?今日はまた、随分と来るんだね」
また分からないところでもできたかな、と考えて彼は穏やかな声で言う。「入っておいで」
「では、失礼いたします。兄上」
静かに扉があいて入ってきた、良く見知った姿を見てキルアブは優しげな眼を細める。だが、その後もう一人入ってきた姿に、彼は逆に目を見張った。
「兄上。こちらの姫君を、兄上に紹介したく思います。今日イスラエルに来られた、シェバ王国の王女、ニカウレ様です」
「ニカウレです。キルアブ王子様、よろしくお願いします」
彼はそうちょこんと自分に挨拶するあどけない少女を見て、ものが言えなくなった。
自分は王子なのだ。王位継承者なのだ。立派に挨拶には挨拶を返さねば、と分かっていても、口を開いても、しどろもどろの声にならない声しか出てこなかった。
彼は、ニカウレを美しいと思った。心の底から美しいと。こんなきれいな人に会ったのは初めてだ、と、自分の年齢の半分ほどしかない少女を見て彼は柄でもないことを考えていた。
「あ、あの……」
そう口を開いた瞬間、激しく咳き込んでしまった。ソロモンはぎょっとして、あわてて「兄上!?お加減がよくありませんでしたか!?」と言ってきた。キルアブの調子の悪い時に彼を煩わせてしまったかと不安になったのだ。
「い、いや、大丈夫だよ、ソロモン……」
しかしなかなか止まらない。彼は苦しそうに何度も咳き込んだ。「アビシャグを呼んできます!」とソロモンは急いで部屋の外に戻っていく。後にはニカウレが残されていた。
彼女はちょこんと首をかしげて、咳き込むキルアブをじっと見ていた。キルアブは、この綺麗な少女の前で無様な姿をさらしている自分がなおのこと情けなくなった。しかし不安に思えば思うほど、咳が止まらない。息すら苦しくなってくる。まだ自分は、彼女に自己紹介すらできていないのに……。
「キルアブ様」
ニカウレが急に口を開いた。パニックになりかけている彼の側に静かに寄ってきて、彼女は優しく言う。
「横向けに寝そべってみてください」
なんだって?とキルアブは思ったが、ニカウレはそっと手を伸ばして、キルアブの肩に手を置く。彼はどきりとした。彼女はそのまま、ゆっくりと彼の上半身を寝台にうずめた。彼が横向きに、自分の方を向くように。
すると、不思議なもので胸が若干楽になったようになり、咳もいずれ小さくなっていき、止まった。
「楽になりました?」
「あ、ああ……」
ようやく息ができるようになり、荒く呼吸をするキルアブを見て、ニカウレはくすりと笑う。彼女は勝手に、寝台の横においてあった椅子に腰かけて、帯の中から包みを取り出し、イスラエルでは見かけない、琥珀のような透き通った菓子を取り出した。
「どうぞ」
彼女はそう言って、キルアブの口にそれを押し込む。蜂蜜を固めて作ったのだろう。甘ったるい味がした。喉が優しく包み込まれるようで、ようやくキルアブの咳も収まる。
「あ、ありがとう……」
「いいえ」
キルアブは身を起こしてあらためて挨拶しようとしたが、ニカウレは「そのままでどうぞ」と言ってきた。
「イスラエル王国、第二王子キルアブだ……君が、シェバ陛下の娘さんかい?」
「ええ」彼女はうなずく。
「すまない。無様なところを見せてしまって……」
「いいえ、大丈夫ですわ」
ニカウレは優しく微笑みかけ、改めてお辞儀をした。そこに全く軽蔑の念が含まれていないことに、キルアブは心の底から安堵した。
「キルアブ様!」やっと、アビシャグがソロモンに連れられて、あわてた様子で入ってくる。だがキルアブの咳が既に止まっていることと、彼の隣にいる少女を見て、アビシャグは少々、どうしていいか分からない様子であった。
「こんにちは」ニカウレの方から、アビシャグに挨拶をする。「今日よりしばらく滞在させていただきます、ニカウレと申します」
「あ、ああ、シェバ王国の王女様……」アビシャグは慌てて膝をつく。彼女は王族ではないため、対等な挨拶は許されない。「挨拶もなしに入ってきた無礼をお許しください」
「いいえ。貴方は?」
「アビシャグです。キルアブ王子にお仕えしております……」
「そうなの」自分より年下の赤毛の少女がにっこり笑うのを見て、アビシャグもようやく落ち着く。
「あなた、綺麗ね」
「いいえ、ニカウレ様ほどでは……」
「こんな素敵な方を看病につけてもらえるなんて、お父様にとても大切にされているんですね、キルアブ様」
ニカウレのその言葉に、キルアブは瞬きすると「そ、そうかね……」と、戸惑ったように返す。その戸惑いがはらむ意味を、ソロモンは何となく察することができた。ダビデの家では、跡取りでありながら病弱なキルアブはむしろ父王に邪魔者扱いされている、とまことしやかに言われている。真偽はどうあれ、彼の耳に入らないよう注意していると言っても、やはり彼自身がそれを知っている可能性は十分にある。
それにしても、とソロモンは思った。どうも自分がアビシャグを呼びに行っている間彼ら二人は仲良くなってしまったようだが、話が進んでも出るのはごく一般の世間話じみたことばかりで、全くもって彼が本来入りたかった本題、書や学問の話に入れない。ニカウレもそれを楽しみにしてくれていたと思ったんだが、どういった事だろう?彼は疑問に思った。
しかしどうも、そのことを言う空気でもない。なによりアビシャグはまさに自分が書の事を話すと女だからわからないと戸惑って返す口だったので、彼女のいる場でその話を出すのも無粋に思えた。思い通りにならなくて実に詰まらないが、さすがにそれを我慢できない年でもない。また改めて話せばいいか、とソロモンは思い直した。

その日の夜の事だった。
ランプが等間隔に点されている渡り廊下を、アビシャグは歩いていた。キルアブが眠るのを見届けたところだ。
足音を立てながら暗い廊下を歩いていると、急に腕を掴まれた。「きゃっ!」と恐怖に声を上げる。
「そう怖がるな。俺だ」
振ってきた声は、第四王子アドニヤのものだった。
「……離してください!」
相手がアドニヤと分かるや否や、アビシャグはきっと彼の事を睨みつけて言う。アドニヤはその言葉を聞いてにんまりと笑い、手を離した。しかし彼女が逃げる暇もなく、もう一度腕を伸ばして手を壁に付き、彼女を壁際に追い詰めた。
「俺が危険な戦地から帰って来たんだぞ。お前にこんなに熱を上げているこの俺が。お帰りの一言くらい言ったらどうだ?」
「それはお疲れ様です、でも、こんな真似をされる筋合いはありませんわ!」
アドニヤはハハハ、と困ったような、呆れたような声で笑う。
「そうつれない顔をするな、え?お前の美しさは、憂い顔でなお輝く美しさではないからね……」
「あなたみたいな方に熱を上げてほしいなんて思ったこともありません!」
アビシャグはきっぱりと言い切る。アドニヤはまたしても苦笑いした。
実際、彼はダビデの王子の中でも愛層のいい色男ながら女癖が悪いことで有名だった。それも問題が起こりそうなときは実に上手く逃れて見せるので、ダビデから公然と責められたこともなく、彼を止めるものはほとんどいなかった。しかし、アビシャグにとっては、そんな彼に言い寄られたって嬉しくもなんともなかった。
「お前は実際、つれないな……」
「王子様みたいな、片っ端から女性に手を出して飽きると捨てるような方に構うような女性の方がおかしいんです!」
「だとすると、世の中の女性はお前を除き皆狂ってるぞ」
「じゃあ、そうなんでしょうね……とにかく、貴方のものになる気なんて金輪際ありません。あまり図に乗ると、大声を出しますよ!」
アドニヤはその脅しを恐れることはなかった。彼は軽く笑って「お前はお前でキルアブの兄上に大分お熱だな、え?」と冷やかすように言ってきた。
カッとするような気持ちと、ぞっとするような気持ちが同時にアビシャグを襲ってくる。「私とキルアブ様がどうしたって言うんですか!?」彼女は精一杯凄んで言ったが、少女の威嚇など軍人としても活躍するアドニヤ相手にはたかが知れている。
「いやあ、お前に忠告しようと思ってね。あの兄を好いたって、ろくなことがないぞ」
「……貴方に好かれるよりは、それでも何倍もましですけどね!」
アビシャグの答えは変わらなかった。アドニヤは「わかったわかった」と言った。
「全く、話の早くない美人の魅力もわからないが、あんな男の魅力ほど、理解できないものはないな」
「それが分からないなんて、可哀想な方ですね……キルアブ様は、なんでも分かっていらっしゃいますよ」
「ああ、ハイハイそうかい。行っていいぞ」
アドニヤは全く最後まで、彼女の言葉に怯む様子は見せなかった。アビシャグはそれに余計に誇りを傷つけられたが、汚いものから離れようという意思を込めて、精いっぱい逃げ出した。これは恐怖ではない、侮蔑なのだと言わんばかりに、一所懸命背筋を伸ばして。
それにしても悔しい。キルアブの事を他人に言及されたのは初めてだ。今まで一度も、自分がキルアブに惚れていることなど他人に話したことはないのに!
彼を好いてもいいことがない。それは嘘と言えば確かに語弊があるだろう。自分も恥ずかしい身分の出ではないが、何しろ相手は王位継承者。自分が妻の座に収まれる確率なんて、麦粒ひとつほどでもあると思う方がおこがましいのは百も承知だ。それよりは、まだあの第四王子相手の方が可能性はあろう。
でも、あんな遊び人は嫌いだ、大嫌いだ!そのくせ自分のこの侮蔑すら、彼は全く問題でも何でもないかのようにしれっとあしらう。せめて彼がこれで本気で傷ついたのなら、まだ救いもあるものの……。
「……キルアブ様」
キルアブが好きだ。
アドニヤのように、彼は女性をむげに扱わない。それどころか彼は全く正反対に、女性と浮名を流すことなく、清貧な人生を送っている。その清潔さに、アビシャグは強く惹かれたのだ。
彼にこんな怖いことがあったと泣きつければ、彼の腕に抱かれて慰めてもらえれば、どれほど幸せだろう。でもそれは一生かなわないのだ。承知の上で彼に惚れたと分かっていても、それははやはりつらい事だった。

アドニヤはアドニヤで夜の城内をランプ片手にぶらぶら散歩していた。とくに傷つきはしていない。その色男ぶりと女遊びの激しさで広く知られている彼だ。目当ての女にあれほど言われるなど、アビシャグが考えている以上に彼にとっては日常茶飯事で、今さら悩むほどの事じゃない。自分はこれで楽しむ人間なのだと、彼は開き直っている。つれなきゃつれない。つれればつれる。つれれば楽しめばいい。それだけの話だ。
夜遊びしに出かけでもするか、と思っていたところ、彼の眼はあるものを捕えた。一瞬ランプの火がどこかに燃え移ったのか?と思ったが、よく見ればそれは赤く輝く髪の毛だった。
昼間の、シェバの姫君か。彼にはすぐわかった。なぜこんな時間に貴賓室にもいないのか疑問だったが、彼はぼんやり庭のランプの下にある椅子に腰かけて星空を眺めている彼女をじっくり観察した。
たしかまだ十四歳と言っていたが、そんな年齢に似つかわしくないほど、ランプの赤い光と月の白い光を受ける彼女は色気があるように見えた。飾りっ気のない農家の娘なら、あれより年上でもずっと子供みたいな女は腐るほどいる。
声をかけてみるのもいいか、と彼の悪い虫が騒ぎだした。
「やあ、こんばんは」
彼は静かに歩み寄って、にっこりと人のよさそうな笑顔でニカウレに話しかける。ニカウレは、緑色の目で「はい、こんばんは。良い夜ですわね」と言ってきた。
「ニカウレさんだっけね?隣に座ってもいいかい」
「もちろんですわ」
警戒心無く自分を受け入れる少女の隣に、彼はふわりと品よく座る。「俺は第四王子、アドニヤだ」と挨拶しながら。
「お知り合いになれて光栄です」
「俺もだよ。殊に、君のような素敵な女の子ならね……」
「あら……」
彼女は白い頬に手を添えて、困ったように笑って見せた。「アドニヤ様も素敵ですわ」
「おやおや……嬉しいな」
ずいぶん素直に会話が進む。これは上手く行くかもしれないな、とアドニヤは思いながら、ニカウレの美しさを手放しで褒め続けた。ニカウレはクスクスと笑いながらそれを聞いている。
「イスラエルにも、君のように美しい子はいないな。君のように肌の白い子も。俺としては是非、君ともっと仲良くなりたいところだが……」
「ええ、私もですわ。キルアブ様」
「本当かい。そう言ってくれて、俺としても実に嬉し……」
そう言いかけてキルアブが彼女を見つめた時だった。彼の顔からはその瞬間、この可愛いあどけない少女をからかってやろうという余裕に満ちた笑みが引っ込んだ。自分を見つめて微笑む彼女の顔は、自分の馴染みの娼婦たちに劣らないほど、色気を湛えた表情に見えた。彼は目を見張り、生唾を飲み込む。自分がこんな反応をさせられるなど、久しぶりだと頭の中でぼんやりと感じながら。
「どうしました?」
彼女は蛾を焼き殺そうと誘う炎のように、扇情的に笑って見せた。そして、着物の胸元をわずかばかりはだけさせる。艶めかしい白さに、思わずアドニヤもどきりとした。
「戸惑うことはないでしょう?そう言う気持ちで声をかけてきたんじゃありませんの?」
「……驚いたね」
ようやく自分のペースを取り戻し、アドニヤも不敵に微笑みつつ言う。
「私はもっと、王子様と仲良くなりたいですわ。王子様も、軍人の言葉に嘘偽りはありませんでしょう?」
「いいね……話の早い美人ほど、好きなものはないよ」
彼はそう言って立ち上がると、ニカウレの手を握って引いた。
「さあどうぞ……おっしゃる通り、俺の言葉に二言はないさ。仲良くなろうじゃないか、お姫様」
ニカウレは微笑みながらお辞儀して、彼に手を引かれる。二人は、王宮のアドニヤが使っている部屋に向かって歩みを進めた。

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