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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Elijah  第四話

カルメル山での大事件から、およそ二年が経過した。あれから、イスラエルには元と同じように時々雨が降るようになり、農地も息を吹き返した。また元通り、農家は畑を耕し、家畜を飼うようになった。
エリヤの起こした事件があってから、さすがに王家もバアル信仰をこれ以上推し進めるのは無理があると判断し、バアル信仰はすっかり鳴りを潜めて、何事もなかったかのようにイスラエルの人民はイスラエルの神を信じなおした。王妃イゼベルは無論不満も不満だったが、多くの民衆の眼前でバアルの神官団が敗北し、多数の死者まで出てしまった以上、完全に地に落ちたバアルへの信心を取り戻すことは容易ではなかった。バアル神殿はつぶれ、生き残った神官たちは路頭に迷った。イスラエルの神に帰依したものもいた。そしいてつぶれたバアル信仰のかわりに先祖代々の宗教が国教に戻り、王宮はイスラエルの神に仕える預言者をお抱えにした。

エリシャも成長した。彼の家の生活も、祖父がいなくなったこと以外はすっかり元通りになり、彼はもちろん彼の父親もまた気力を取り戻してアベル・メホラにある彼らの畑で丹念に働いている。
エリシャは時々、エリヤの事を考えた。カルメル山での事件が起こってから、王家はエリヤの捜索命令と処刑命令を出したことも、当の彼はと言えば一切の消息も残さずにまたどこかに雲隠れしてしまったらしいということも、エリシャの耳には届いていた。
エリシャには、王家が思っているほどエリヤを捕まえるのは容易ではないと思えた。もし万が一エリヤが現れたところで、それを王家に密告する人物はイゼベルが思っている以上に少ないだろうというのが彼の見解だったからだ。
先述の通り、エリヤの起こした事件以来、また敬虔にイスラエルの神を信じる人が増えた。彼らはエリヤによって王族に強制されていた異教信仰、そして神の怒りから救われたのだと言った。彼らのうちには心の底からバアルを信じていたものもいただろうが、しかしエリヤの件はその時カルメル山に来ていなかったイスラエル人にすら衝撃的であり、信仰心を取り戻すには十分だった。それに、王宮の圧力に耐えかね、涙をのみながらバアルを崇拝していたイスラエル人にとっては、まさにエリヤの存在が救いだったことであろう。むろん、王家の風当たりにも耐え抜き、先祖代々の信仰を守りきった人にとっての喜びはそれの比ではなく、誰もが口をそろえてエリヤを本物の神の預言者と言った。
エリヤは今や、多くのイスラエル人にとって英雄なのである。イゼベルの魂胆ならば金と名誉のためにならそれでもエリヤを密告するものは多くいるのだろうが、実際はそううまくはいかない。もともとイゼベルの人気自体が地に落ちつつあるのだ。たとえ自分がそれほど彼に心酔してはいなくても、エリヤを尊敬する人からの風当たりをうける事まで頭に入れれば、彼女のためにエリヤを殺す道を選ぶ人のほうが少ないと考えてもいいだろう。
そもそも、バアルこそ真の神と言う建前あってこそ、イスラエルの預言者を次々と殺すような過激な宗教改革も成り立っていたのだ。その前提が崩れ、バアルと言うのがなんの力もないと分かってしまった以上、民衆がバアル崇拝を無理に広めていた王宮を白い目で見て、非協力的になるのもうなずける。
ただ当のエリヤは、先ほども言ったように全く人前に姿を現さなくなった。王家に指名手配されていることを考えれば当然ではあるのだが、エリシャは何となく物足りなさを感じていた。
エリシャは、あの事件で、神の存在を感じた。神などいない、いないと言いつつ、超自然的な力を感じればいやがおうにも神の存在を意識せざるを得なくなる。さらに、その体験はエリシャにとって決して不快なものではなかった。自分もできることならが神に連なる人間となってみたい、とすらエリシャは感じ始めていた。あの絶対的な力をもう一度前にしてみたい。そう思ってみても、エリシャはエリヤにもう一度会ってみたかった。

そんなある日の早朝の事だった。エリシャが朝早く起きて畑を耕していると、不意に近所の家から泣き声が聞こえた。
エリシャの隣の家には、彼の家と懇意にしている未亡人が息子と一緒に住んでいる。夫の方はエリシャがごく小さいころには生きていたのだが、やがてちょっとした事故で無くなってしまった。彼女はなんとか夫の残した稼ぎと、自分の畑での働きで息子を育てており、そんな境遇だからエリシャの家としても時々彼女の手伝いをしたり、彼女に周囲に誤解を受けないほどの些細な援助をしてやることは珍しくなかった。あの大干ばつの時も、彼女は何とか生き延び、幼い息子を守っていた。エリシャはそんな彼女に、尊敬を覚えていた。
そんな未亡人の家から、嘆き声が聞こえてくる。何事だろうと思って彼は牛の歩みを止めさせると、そのまま彼女の家に向かった。しかし、本当のところ嘆きの理由はおおよその見当はついていた。

彼女の家に着いたとき、彼は自分の当たってほしくはなかった感が当たってしまったのを知った。
彼女の息子は、つい数日前から病気にかかったと聞いた。十日も前の事ではない。最初のうちはごく小さな熱があるだけで、母親も彼自身もそこまで気に留めてはいなかった。彼女も畑に出てそのことを少しばかり心配そうに語るだけだった。
ただ、予想を外れて彼の病気は瞬く間に悪くなっていったそうだ。彼女が全く家からでなくなったので、エリシャはその後どうなったのかを確認するすべはなかった。
扉をたたいても、返事はなかった。泣いている声だけが聞こえた。エリシャは扉を開けた。堅そうな寝台にぐったりと横たわっている息子を、未亡人が抱いて泣いていた。ひたすらに泣いていた。
「エリシャ君?」未亡人は彼に気が付いてそういった。若さを失い、老いが近づいてきているその体は、最後に会った数日前よりも何年も一気に年を取ってしまったように見えた。
エリシャは最初、何と言っていいのかわからなかった。ただ、彼の目にも涙が浮かんだ。エリシャに兄弟がいなかったのもあって、彼はこの家の息子の事を弟のように思っていた。彼も自分の事を兄のように慕ってくれていた。
「おばさん、その……」エリシャはとぎれとぎれに言った。「すみません。泣き声が、聞こえた、もので」
彼は未亡人の息子のそばに寄った。彼女はそれを拒まなかった。息子は寝たように死んでいた。ひょっとして、死んだことをわかっていないのではないかという顔だった。
「起きたらね、息をしていなかったのよ」未亡人はそういった。「馬鹿ね。ずっと私が起きていてあげればよかったのに」
「おばさんの、せいじゃ、ないですよ」エリシャは死体になってしまった少年の頭を撫でながら言った。心に重い鉛が入り込んだような気分だった。悲しみしか湧いてこない。早朝の刺すような冷たさも相まって、エリシャと未亡人はただ泣くことしかできなかった。こんな小さな子がなぜ死ななくてはならないのか。彼はまだ、ちっとも人生らしい人生を生きてはいないのに、とエリシャは思った。また、この子に死なれてこの未亡人はどうやって生活していけばいいのか。男社会のイスラエルにおいて女一人での生活など成り立つわけがない。それこそ娼婦にでもなるしかない。目の前のこの女性は、これほどまでに年老いているというのに、つらいことをしなくては生きていくすべもなくなってしまう。彼女にとって、息子だけが生きる糧だったのだ。息子が大きくなり、家と自分を立派に支えていくことが唯一の希望だったのに、彼女はそれすらも奪われた。
「私が悪かったからね」彼女は言った。
エリシャを含めた、彼女とごく近しい一部の人だけが知っていたことだったが、彼女は昔軽い犯罪を犯したらしい。とはいっても、ちょっとした盗みの類ではあるが。少女だったころに、彼女は昔、イスラエル王国の首都であるサマリアに来た際に市場の装身具がほしくなってそれを盗んでしまったらしい。サマリアの町の雑踏に紛れたのもあって、その時はばれなかった。それに味をしめて、彼女は数回ばかり、ちょっとした盗みを繰り返してしまったのだ。最終的に盗みはばれ、彼女は律法に従って罰を受けた。賠償も支払われた。幸いそう大それたものは取らなかったので大きな刑罰までには至らなかった。
だがそんなわけで、彼女は少し年を取るまで嫁の貰い手がなかったそうだ。しかし、ようやく彼女の事をそれでも愛してくれる男性が現れ、彼女はアベル・メホラに嫁いできたという。嫁いできてからの彼女は、すっかり心を入れ替えて丹念に働いた。誰が見ても、まじめな女性の規範となった。だからこそ、エリシャの家も彼女の過去を知ってからも変わらず彼女に接し続けた。しかし、彼女の夫はやがて死んでしまい、彼女の人並みの幸せは閉ざされた。
「これが私の罰なのでしょうね。夫を亡くして、息子も亡くして、あとは死ぬのを待つだけなのね」彼女は泣いた。確かに彼女が過去にしたことは盗みは全くのエゴであり、それ自体に擁護の余地はない。だが、ここまでの仕打ちはあんまりだと思った。
しかしそこまでの理不尽を感じていながら、エリシャも彼女も、怒りや憤りは一切湧いてこなかった。湧いてくるほどの余裕がなかった。彼らはただひたすら、悲しかった。まだ何十年も生きられたであろう少年、たった一人の息子、弟同然の親友に悲しみをささげること以外をできるほど、彼らは少年の事をないがしろにはしていなかった。
「せめて。私だったらよかったのに」未亡人は言った。
「私の罰は、私に下されれば。だって、この子はもっと生きたかったでしょうに」
「そうですね」エリシャは震える声でそう言った。
それ以上、言葉は飛ばなかった。彼らは息が苦しくなるほど、泣き続けた。

不意に、カタリという音が聞こえた。家の奥にある階段を、誰かが下ってくるのがわかった。
足音はまっすぐに、ゆっくりと下ってくると、ちょうどエリシャと未亡人の後ろで止まった。
「奥さん、その子……?」
声が聞こえた。ギレアド地方のなまりだった。エリシャはその声に聞き覚えがあった。
彼はふと振り返った。そして、心臓がひっくり返るかというほど驚いた。
後ろに立っていた男は、ビリビリの毛皮の着物に皮の帯、これまたボロボロになった長い頭巾を着ていて足には何も履いていなかった。長い髪は房をつくる形でまとめられていた。薄暗い中でも分かる、特徴的な目の色をしていた。青や緑の混ざった黒色、鴉の羽のような色だ。何もかもが、彼が二年前に会ったときとそう変わってはいなかった。
彼はエリヤだった。間違いようもなく、エリヤだった。二年間姿を隠していた、イスラエルの英雄だった。


何故彼がここにいたのか、それもこんな近所に、とエリシャは激しく動揺した。しかしエリヤのほうはエリシャを意に介すより前に少年に駆け寄り、彼の腕をとった。
「死んでしまいましたよ」未亡人が彼に言った。
呆然とするエリシャを前に、未亡人はエリヤに泣きながら言った。
「ひょっとして、貴方がここに来たのも、このためなのですか?神の人……私の罪を、最後に悔い改めさせんと、ここへ?そのために、この子を?」
鴉の足跡ができた、すでに真っ赤に泣きはらした目尻に涙をいっぱい浮かべながらそう言った。エリヤは泣きはせず、その代わり鬼気迫る表情で少年の死に顔を見つめていた。
「あんたの罪ってなんだ?俺はそんなこと、聞いてもねえぞ」
エリヤは目をかっと開いたまま未亡人には目も合わせずにそういったかと思うと、突然に彼女のほうを降り返ると同時に、両腕で彼を抱きかかえた。
「あんたの息子を借りる!俺の部屋に連れて行く、いいな!?」
未亡人は泣きながら、何も言葉が出ないのでただうなずいた。彼はそういって、少年を抱きかかえたまま急いで屋根裏部屋に駆け上がった。バンと扉を閉める音が聞こえた。
不意に、エリシャの心の中に何かこみ上げるものがあった。「おばさん、僕も行きます」と早口で言うと、彼はあわててエリヤの後を追い、屋根裏部屋に続く急な階段を駆け上った。
エリシャは、エリヤの入った屋根裏部屋の扉を少しだけ開けて中をうかがった。エリヤは気づいていないようだった。
狭い屋根裏部屋の、藁を強いただけの寝台に彼は少年を寝かせると、うなだれるように彼に向かい合っていた。
「神様」彼は言い出した。
「あの奥さんは、俺を助けて、養ってくれました。なのに、こうやって、その人の一人息子が死にました。あの人に罪があるなんて、本当ですか。いや、人なんて罪があるもんです。だからあったところでもう、その罪は償われてるんでしょう?じゃなきゃ、あんたが俺にあの奥さんのところに行けなんて言うはずがねえですから……」
彼はだれに話しかけるでもなく、しかし独り言というには随分はっきりとした口調で、語りかけた。
彼は少年の身に体をかぶせた。そして次の瞬間かっと体をのけぞらせるように天を向いて、絞り出すような重々しい声で言った。
「主よ、わが神よ、この子の命をもとに返してください!」

その瞬間、エリシャは、二年前のカルメル山に戻ったような錯覚に襲われた。狭い屋根裏部屋に、稲妻が沸き起こったのだ。屋根裏部屋全体が爆発せんばかりの轟音と閃光。エリシャは吹き飛ばされそうになり、必死でそこにとどまった。エリヤ一人が、なんでもないかのように頭巾や髪の房をたなびかせてそこを動かずにいた。

稲妻が止むと、屋根裏部屋は全く元通りだった。あれほど激しく稲妻が起こったというのに、何も壊れても、何も焦げてもいなかった。
しかし、エリシャが呼吸を整えていると、小さい声が聞こえてきた。本来聞こえるはずのない声だった。
「ふああ……あ、おはよう、おじさん」
死んでいたはずの少年が、目をさまして、エリヤに挨拶したのだ。エリシャは今度こそ、自分が稲妻に打たれて焼き殺されてしまったかのような衝撃に襲われた。

「よ、坊ちゃん。熱はもういいのか」
「うん、なんか寝たら全然元気になっちゃった」
少年は無邪気にそういって、全く平気そうに体を起こした。エリヤは「そりゃよかった」と、こちらも何事もないように笑った。
「さ、母ちゃんにおはよう言いに行こうぜ」エリヤは彼の手を取って、立ち上がった。エリシャは焦って、彼らが部屋を出る前にと急いで足音を殺して階段を降りた。

「エリシャくん、すごい音がしたけど、どうしたの?…貴方、顔真っ青よ」と目尻を真っ赤にした未亡人が言ったが、彼は何から話していいのかわからなかった。彼は恐る恐る階段のほうを指した。「でもさ、なんで僕おじさんの部屋で寝てたわけ?」「俺が聞きてえよ。坊ちゃん、寝ぼけてたんじゃねえの」と会話が聞こえてきた。
その会話を聞いて、未亡人も泣くのをやめて、代わりに驚きに血の気を引かせた。彼女はがくがくと打ち震えた。やがて、階段を下りて、彼女の息子が姿を現した。
「母ちゃん、おはよう」と彼が言い終わる前に、彼女は息子に駆け寄った。そして、大きな声を上げて感涙にむせび泣いた。
「母ちゃん、どうしたの?」
「生きてるのね、お前、生きてるのね」
「僕はずっと生きてるよ?変な母ちゃん」
彼は本当に、生き返ったことがわかってはいないようだった。未亡人は先ほどとは全く違う泣き声を上げて、息子を抱きしめ続けた。いつの間にか日は登り切っていて、朝日が家じゅうを照らしていた。
「よかった……ほんとによかったな。なあ、君?」エリヤは初めてエリシャのほうに向きかえった。そして、彼の顔を見ると、パッと顔色を変え数回怪訝そうに瞬きをした。

「……もしかして、二年前のあの坊ちゃんか?エリシャ君か?」
泣き叫ぶ母子の隣で、エリシャはエリヤをきっと見つめて、静かに「はい」と言った。彼の心の中では、まだ稲妻が鳴り響いていた。


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