クリスマス市のグリューワイン

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The Princess of Sheba 第十一話

「キルアブ様?」
その声を聴いて、キルアブの顔がパッと明るくなった。アビシャグはその様子を見て、たまらなく悲しく、惨めな気持ちになる。彼女が入ってくると、キルアブはもう自分などいないかのように、彼女に縋り付いた。
「ニカウレ!会いたかったよ、君に……」
彼女は優しくそれを受け止め「ええ、私もですわ」と言い返す。嘘ばっかり!とアビシャグは心の中で毒づいた。しかしその思いは誰にも届きはしない。
「何か、お悪いところでも……」
「いや……違う。君の顔が見たかったんだ」
キルアブは力なく呟き、自分を心配するようにのばされたニカウレの手を握った。そして、両手でその滑らかな、小さな手を撫でまわす。
「綺麗な手だな……」
「お褒めにあずかり、光栄です」ニカウレは大人しく、されるがままになっている。
「もう少し、このままでいいかい……君に触れていると、とても幸せだ」
彼はニカウレの滑らかな肌を撫でながら、たまらない幸せと興奮に襲われた。自分は触っている。この綺麗な物体に。柔らかく、繊細な、あこがれ続けたそれに触っている。
はぁはぁと彼は息を荒くして、夢中で彼女の手を撫で回し続けた。それを遠くから見ていたアビシャグは、怖くなって震えだした。その様子からは狂気すら感じられる気がした。ニカウレの方は何も言わず、ただ彼の望むままにさせ、むしろ彼の事を、あんな暴言を吐いた女性と同一人物とは思えないほどに慈愛に満ちた、優しいエメラルドの瞳で見つめ続けていた。彼女は心の中でニカウレを罵った。お前のような、顔は美しくても心は醜い女のもとに、真の愛なんか来るものか!今に見ていなさい、今はちやほやされていたって、お前には因果応報が下るに決まっているわ!お前は不幸になるに決まっている!
アビシャグはもうここにはいられないと思った。せめてあちらの注意を引きたくて、わざと、普段ならはしたなくてとてもやらないほどにバンと乱暴に床を蹴って立ち上がる。だがそんなキルアブは彼女の方など全く無視していた。ただ目の前にある真っ白な、細長い指と桜色の爪を持った手にすべての感覚を奪われているかのように、彼女の無礼をとがめすらしなかった。アビシャグはそのままドタドタと足音を立てて、荒々しく扉を閉めたが、結局最後までキルアブは彼女に注意などはらわなかった。
彼はニカウレの手に頬ずりする。「きれいだ……本当にきれいだ」彼はそう呻きながら、彼女の手の甲に我を忘れてキスをした。唇を通じて、気を狂わすほどの快感がせりあがってくる気がする。ずっとこうしていたいと思った。
もっと触れたい。もっと、もっと触っていたい。この子を、自分だけのものにしたい……。

彼女が帰っていったとき、キルアブは自分の手を見つめた。先ほどまでこの手が、彼女の肌に触れていた。彼女がつけていた甘い香料の匂いすら、残っているような気がした。
彼は自分の男性器に手を添え、夢中でそれを扱く。先ほどまで、この手にニカウレの手が触れていたんだ、ニカウレの……。
まるで彼女に触られているようで、彼はたまらなく興奮した。彼女を抱きたい、彼女を汚したい!そんな思いが強くなった。以前見た、彼女の身体を脳裏に思い浮かべながら。
「(彼女の……彼女の、あの華奢な、柔らかそうな腹の中に、私の子供を宿らせたい!)」
自分の子供なんて持てなくていいと思っていた。最初からあきらめていた。けれどもキルアブは、生まれて初めて、そのような願望を持った。
見るだけじゃ、触るだけじゃもう我慢できない。彼女を抱きたい、自分の子種を彼女に注ぎ込みたい、彼女に自分の子供を産ませたい……!あの細い腹に自分の子供が宿り、丸く膨らんでいく様子を想像し、彼は絶頂に達した。


ニカウレは、変わらない。何も変わらなかった。ソロモンは彼女をじっと見て、そう思う。
彼女は初めてここに来た時から、全く変わることはない。自分の周囲の人間たちは、どんどん変わっているのに。
彼女は自分を騙しているのだろうか。自分がそう信じたくないのは、ただ自分と言う世間知らずのお坊ちゃんが、彼女に良いように騙されているだけの話なのだろうか……。最近ではよくよく、そう考えた。だがこの書庫にやってきて彼女に会うと、そんな考えは飛んで行ってしまう。自分の目の前にいる彼女は、本当に、ただ楽しそうだった。書物に囲まれて、楽しそうだった。
彼女は毎日ここにやってくる。自分はほぼ一日中ここにいるから、彼女とはどこかの時間で出会う。それが間違いなく彼にとって、楽しかった。
最近では、外に出るのが怖い。楽しくない、ではなく怖い。キルアブのもとにもいかなくなった。あの兄はアビシャグも、自分も、他の人間も遠ざけるようになってしまった。
ニカウレのせいだ、あの人をたぶらかす女悪魔のせいだとアビシャグは嘆いている。でも、自分の目の前でじっと、楽しそうに文字に目を通す少女がそんなことをすると、彼は信じられなかった。
「ねえ」ニカウレは本から目を離さずに、呟いた。
どうしたの、とソロモンが聞けば、彼女は楽しそうに言う。
「お願いがあるんだけど」
「なに?」
「手を握ってくれない?」
握手しろってこと?と彼は言う。ニカウレは「そう」と返してきた。
彼はそっと手を伸ばす。ニカウレも手を伸ばしてきた。そっと手が重なり合う。そう言えば、このように誰かと手を握り合うのは初めてだな、とソロモンは思った。人と触れあっているよりも、書庫に閉じこもっている方が楽しかったから。
ニカウレはフフ、と楽しそうに笑う。
「楽しいの?」
「もちろんよ、ありがとう」
その彼女の笑い方は、本の話をしている時の彼女の笑い方と全く同じものだった。とても素直で、綺麗な笑顔だとソロモンは思った。
窓に鳥の影が落ちる。でも鳴き声は聞こえない。騒がしいはずの王宮なのに、この部屋だけは本当に、いつでも静かだ。
「楽しいなら……良かった」ソロモンは言う。
「僕も楽しいよ。君と一緒に、ここにいると」
「ありがとう」ニカウレは笑って返した。
「私の事、信じてる?」
「うん」彼はうなずく。
「君も、僕のこと信じてるよね?」
「当然じゃない」彼女はギュッと、握る手に力を込めた。
静かな書庫に、音が入ってきた。何だろう、とソロモンは考える。それは足音だった。弱弱しい足音。
「出歩かれて大丈夫なのですか?」と言う声がうっすらと聞こえる。
だがそんな言葉には立ち止まらず、弱弱しい足音は必死でこちらを目指していた。
扉が開く。
「ニカウレ。ここにいたのかい……」
入ってきたのは、キルアブだった。「兄上」とソロモンは声をかけようとした。だが彼は恐怖する。自分を見た兄の顔が、みるみるうちに恐ろしいほど怒りに染まったからだ。
兄に何かしてしまっただろうか、そう恐れるソロモンの元にキルアブはやってきて、そして彼を思い切り突き飛ばした。
「あ、兄上?」
「お前……お前、よくも!」
兄が何に起こっているのか、彼にはわからなかった。キルアブに悪さをした覚えなどないのに!何かを誤解されているのだろうか?でもそれにしたって、こんなに急に怒るような人間じゃなかった。もっと自分の話を、まずは聞いてくれていたのに……。
「私のこの子に近づくな!」
彼は怒鳴り、そして必死にニカウレを自分の方にさらった。
「なんですって……」
ソロモンはパチパチと目を瞬かせる。恐怖と不安がわいてきた。しかしキルアブはそんな彼を睨みつけ、彼がもっとも言われたくなかった一言を言い捨てる。
「売女の息子のくせに!お前みたいな汚らわしいのを可愛がってやった私に、恩をあだで返すのか!」
その言葉を聞いて、ソロモンはこれが現実だと信じたくなかった。
それを、その言葉を自分に向かって言わないから、自分に向かってその言葉を言う人物をたしなめてくれるような人物だったから、だから、彼の事が好きだったのに。
「ごめんなさい……」
彼は謝るしかなかった。震える声で謝罪するしかなかった。ニカウレの顔は見えない。あるのはただ、こちらを向いて憎しみに燃えている兄の表情だけ。
どうして、どうして……彼は混乱した。ただただ、謝るしかできない。キルアブはガリガリに痩せた腕を振り上げて、彼を殴ろうとしてきた。
だが、幸いその時助け舟が入った。
「おやめなさい。お身体に悪いですよ、兄上」
そう飛んできた皮肉っぽい声は、アドニヤのものだった。
キルアブは息を切らしながら、そちらの方を振り返る。アドニヤは口を押えてくすくす笑うと、「ソロモンはまだ子供でしょう、子供に嫉妬なんて見苦しいですよ、兄上」と言い放つ。
「貴様……」
キルアブも彼を睨みつけた。最近眠れていないのだろうか、隈がひどくなっている。「貴様も邪魔するのか!」
「冗談じゃない」彼は肩をすくめ、へらりと笑って言う。「どうして俺が、王位継承者様の邪魔を?ただ、若輩者を虐めるよりも、早くお部屋に帰ってお楽しみなさった方がいいかと。ねえ?」
彼の言葉を聞き、キルアブは少しのあいだ黙っていた。そしてソロモンには謝りもせずに、ニカウレを連れて、来た時と同じようにふらふらと自分の部屋に帰っていった。
ショックのあまりぼんやりしているソロモンのもとに、アドニヤはつかつかと歩み寄って、猫を摘み上げるように彼の首根っこを掴んだ。
「何をして怒らせたんだよ」
「僕は、ただ……ここにいただけで……」
「あの姫君と一緒に?」
はいとソロモンが答えた時、アドニヤはこめかみを抑える。「それで……なんで兄上が怒ったのかわかっているのか?」
「分かりません……」
「ソロモン」
彼はいつものヘラヘラした様子からはうって変わって、まじめな口調で弟に言い聞かせた。
「もっと周りの人間を見ろ。外の世界も見ろ。人の心をよく見ろ。もし得手不得手のおかげでそれができないというのなら……せめて、それができる他人に助けを求めろ。それができなきゃ、お前がいくら頭がよくても宝の持ち腐れだ」
ソロモンは力なく、はいとうなずくだけだった。そんな彼に、アドニヤは言う。
「お前、自分の両親のこと知ってるか?」そして返答を待たずに答えを言った。「父は好きあったお前の母がほしくて……王の権威で彼女の夫を殺して、奪ったんだよ。つくづく王としてしか生きられん人だ。なのに……王の罪なだんて公然と口に出せやしない。だからお前の母が売春婦だった、お前の母が悪い、なんてみんな言うんだ。まったくお前には同情するよ。そもそも…売女って随分いい奴らだぞ」
そう言って彼は、ソロモンの頭をポンと撫でる。
「今度、俺の狩りについて来い。良いな?」
「はい……」
ソロモンは泣きじゃくりながらうなずいた。アドニヤはフウとため息をつく。
「ちょっと注意が必要だな」

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