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クリスマス市のグリューワイン

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The Princess of Sheba 第十三話

「これはこれは王子殿下、ごきげんよう」
「……何の用で来られました?」
アブサロムは憮然として目の前の男に言った。今まで話したこともないが、こうしてみると親子と言うのが不思議なほど、ニカウレには全く似ていない男だった。
「そうですな……では早いところ本題に入りましょう」彼は使用人たちが気を使って周囲からいなくなったのを確かめると、切り出す。
「単刀直入に申せば、我々はイスラエルを滅ぼそうと思っています」
あまりに突然なことを言われて、アブサロムは葡萄酒を飲んでいたカップを床に落としてしまった。金のカップが落ちる甲高い音が聞こえて、葡萄酒が床に飛び散る。
アブサロムは目を白黒させた。この男は何者だ?なぜ、こんな話をイスラエル王子である自分にしてくる?
だがシェバは何もかもお見通しだと言わんばかりに、彼を見つめ、言う。
「イスラエルに近づいたのもそのためです。イスラエルの事を調べねば。だが色々なものを見てきた結果、我々にはイスラエルの内情に詳しい協力者が必要だという結論に至りました」
「それが……私だと?」
震えるアブサロムに、シェバはコクリとうなずく。
「ふざけないでいただきたい、私はイスラエルの王子……」
「あなたは、イスラエル王宮を憎んでおいでのはずです。妹を奪った王宮を」
その言葉を聞き、アブサロムははっと口をつぐんだ。シェバはそれを見つめ、にやりと笑う。
「お聞きしたい。貴方にとって、ダビデの家は守りたいものですか?憎らしいものではないのですか?」
アブサロムはただ、がたがたと震える。
妹が犯された時、死んだとき、誰もタマルの事を公にしなかった。ただ第一王子の威信に響くから、それだけ言って、妹の誇りも、自分の気持ちも、王宮の名のもとにすべて無視された。
自分は王宮が嫌いだった。ニカウレが来るまで、ずっと、王宮が嫌いだった。その彼女すら、王宮に居る兄弟たちが好き勝手に弄んでいる……。
シェバは一息つき「それに加え」と付け足した。
「わが娘も、あなたの事が気に入りの様子ですので」
「……ニカウレが……」
「ええ、そうですとも」彼はゆっくりと言った。
「ニカウレは」アブサロムは震える声で、無意識のうちに言う。「私の兄や、弟たちと……」
シェバはそれを聞き、ふうとため息をついた。
「みなまでは聞かないでいただきたいが」彼は切なそうに言う。
「ただ言えることがあります。あの子は、不幸な子なのです。本当に、不幸な子でした」
「なんだって……?」
「娘の事を売女のように思われますか?」シェバは言う。「あなたの妹様も、そうだとおっしゃるのですか?」
その言葉を聞いて、アブサロムは思った。妹はアムノンと契った。婚姻もしていないのに処女を失って死んだ。厳格なイスラエル人は、理由がどうあれ未婚で処女を失うなどはしたない、結局は売女と一緒だ、とそのような女のことを言う。だが、彼女は売春婦であったものか。彼女が、逆らえたものか。彼女があんな男に犯されるのを、悦んだものか。
「……いえ」アブサロムは言った。ニカウレが、ニカウレが売春婦のわけがない……。
「娘はほかの王子たちと違い、あなたを特別大切に思っている様子」シェバは葡萄酒を傾けて言う。「あなたは本物の兄のようだと……。アブサロム様。私には、王子がいません」
彼は身を乗り出して、囁いた。
「しかしニカウレの婿を玉座につけるよりは、私だとて私の名を継ぐ息子を次の王の位にしたい……いかがです、アブサロム様。シェバに参られませんか?この私の王子に……ニカウレの、本当の兄になりたくはありませんか?」
その言葉は、先ほどまでパニック状態になっていたアブサロムの頭の中に甘く響いた。
イスラエルを離れ、シェバの王子になる。ニカウレの本当の兄に……。
そうすれば……そうすれば。あの子をずっと守ってやれる。兄弟たちのことなど気にすることもなく、もうあんなふうに男に体を差し出させることもなく、ずっとそばにいて、ずっと守ってやれる。今度こそ、妹を守ってやれる……。
アブサロムはにやりと笑った。
「分かりました……シェバ殿」
彼はシェバの手を取り、口づけする。
「ただ今を持ちまして、私はあなたに味方しましょう……本当に、シェバ王国の王子の座につけてくださるのであれば」
「私に二言はありません」
シェバは自分の首飾りを外し、アブサロムにかけた。アブサロムは笑った。数年ぶりに生きがいを見つけたような気分だった。


キルアブの容体が急に悪化し、イスラエル王宮はてんてこ舞いになっていた。当のキルアブは一日中、ニカウレの名前を呼び続けていた。だが不思議なことに、彼女が来ることはなかった。連れて来ようとしても、どこにもいなかったのだ。
それでなおのこと一層、キルアブは情緒不安定になり、体にまでそれが響いてきた。彼は眠れもせず、一日中血を吐き続けた。
そんな中の事だ。シェバが、王子アブサロムと手を組み裏切ったという情報が、ようやく王宮に入ってきたのは。


王国軍はすぐ鎮圧に向かった。アブサロムがいないので、アドニヤがダビデに次ぐ責任者として戦場に向かうことになった。
だが、シェバは実に巧みにイスラエルを見て回っていたと見える。おまけにイスラエル王子であるアブサロムの手もまわり、シェバのもとにはいつの間にやら膨大な量の人が付き従っていた。
鎮圧は思ったよりも長引いた。ソロモンは王宮に残りながら、ずっと父や兄のことを心配していた。
彼に戦争は分からない。けれども、百戦錬磨の父がかつてないほど苦戦している、と言う情報は入ってきた。王宮は王宮で、キルアブ王子の看病で忙しい。このすきを縫って反乱を起こしたのじゃないか、と考察する者もいる。
ソロモンは、どちらにも行けなかった。
キルアブのもとにも行けない。自分は彼に嫌われているから。戦場にも行けない。自分は剣など握れないから。
ただ彼は怖くて、一人だけ書庫に居座り続けた。一日中、彼は誰もいない書庫に居た。みんな忙しくて、誰もそんな彼をとがめなかった。誰も、彼の事を見ている暇すらなかったのだ。
昔から、ここにはずっと一人で来ていた。ここなら、武術ができないと馬鹿にするものも、売女の息子と罵る者もこないから。
いつからいつまでの間だったろう、この場に居るのが、一人ではなく二人であったのは。もうそれが、はるか昔の事に感じられた。細い光が差し込み、空気中に舞う埃を静かに照らしていた。ソロモンはそれをぼんやりと眺めながら時間を過ごした。

アビシャグは、キルアブの看病をしにある夜、病室に入った。彼女はぎょっとする。キルアブは今まさに、着物の裾をからげて自慰行為をしている最中であった。
「ニカウレ、ニカウレ……」
彼は同じ女の名前を呼び続けていた。アビシャグはそんな彼の事を、心底気色悪いと思った。
彼の男性器が震え、白い液体が吐き出される。はぁはぁ吐息を吐く彼に、彼女は冷たく言った。
「今日はお元気なようで何よりですわ。キルアブ様」
「なんだ、お前か……」キルアブは隈に包まれた目で言う。「ニカウレは……どこだ?」
この期に及んでそんなことを言う彼に、アビシャグはこれ以上ないほど腹が立った。そして、彼をここまで変えてくれたニカウレの事は、あの美しい顔をめちゃくちゃに潰して殺してやりたいと思えた。やっぱり、彼女はあのさもしい根性に似合いの家系の娘だった!そう思えた時、アビシャグは実に胸がすっとしたものだ。なのにこの彼はいまだに、彼女と違う美しい心の持ち主である自分に振り向くことはなく、ニカウレの、裏切り者の女の名前を呼び続けている……!
「覚えていませんの?あの女は我々、イスラエルを裏切りました!」
「そうか……で、いつ来るんだ?」
まるきり話を聞く様子のないキルアブに、彼女は業を煮やす。
「全く何をおっしゃっているんですか。あの、アドニヤ様なんかと寝るようなふしだらな異教徒の売春婦を……」
「彼女を侮辱するな!」キルアブは弱弱しい声を張り上げて叫ぶ。「あの子は、私の……」
「最初からわかってました!あの子があんな子だなんて。体は美しくても、心は悪魔のような子だなんて!あんな女はいずれ罰を受けます、ええ、あんな女は惨めに死にますとも!」
アビシャグは憎しみをたっぷりこめて怒鳴った。彼女の愛らしい顔も憎しみに染まり、キルアブに負けず劣らず、これが元々あの優しい美少女だったなどと信じられない形相になっていた。
「お前は何もわかっていない!それはお前がそう思いたいだけだろ!お前はあの子に嫉妬してるんだ!お前より美しいあの子が嫌いだからあの子を貶めたいだけだ!」
「嫉妬……?馬鹿にしないで。嫉妬なんてしてませんよ!嫉妬するほどの価値があるほど、大した女性じゃないって私知っているんですから!私は真実を言ってるんです、正義を言っているだけですよ!」
「うるさい!ブスの小間使いのくせに余計なことを言うな!」キルアブは精液で汚れた自分の着物を脱いで、強引に投げ渡した。「お前は洗濯でもしていろ!」
投げられた着物はアビシャグの顔に当たる。しかもちょうど精液の付着していた部分が当たり、彼女の顔が汚れた。彼女はそれを嫌悪の目で見て、必死で拭い取る。
「お前こそ醜い心の持ち主だ!お前のようなもの、下がれ!もう二度と来なくていい!」彼は続いて、アビシャグを呼ぶのに使っていた鈴も彼女に放り投げる。それは床に落ちてチリンチリンと乾いた音を立てた。
「私の病室に来るのは、一人だけで十分だ!」
アビシャグは何も言わなかった。鈴を拾い上げ「それでは失礼します」と乾いた声で言い捨てて、扉をバンと閉めて出て行った。
全裸の体を横たえ、キルアブは放心状態で外を眺めた。ニカウレ、ニカウレ、どこにいるんだ。お前がほしい、お前を抱きたい……。
裏切られたという悲しみなどなかった。シェバがイスラエルを裏切ったからなんだというのだ。彼にとっては、ニカウレが自分のもとからいなくなってしまったこと、それだけが重要な事であり、世界の破滅を告げるような事実だった。
キルアブはまたしても激しく咳き込む。また血が出た。自分は死ぬのだろうか、と言う恐怖が、最近日々湧いてくる。嫌だ、その前に一回でも会いに来てほしい。お前に私の子を妊娠させてから死にたい。いつ死んでもいいと思っていた。しかし生まれて初めて、生きたいと思える。自分のもとに来てくれ、ニカウレ、私はお前がいないと嫌なんだ、お前に会いたくて生きてきたんだ、そうに違いないんだ……と、彼は咳き込みながら、心の中でその場にいもしない少女にすがり続けた。

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