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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第七十九話

ビルキスは、十四歳になっていた。
三年の間、ヒムヤリは誰も自分以外の人間を彼女のそばに寄らせようとはしなかった。
ただ、そのような日々を過ごしながらも、ビルキスは自分の幸せとは、自分の人生とはこれではなかったと認識し続けていた。愛と言うものは素晴らしい、と、父も、誰もかも口をそろえて言う。ならばきっと、愛なるものは素晴らしいのだろう。
父は、自分を愛すればこそここに守っているのだと言う。だけれど、そんなはずがない。愛と言うものがこんなに醜い感情なら、誰もかれもがそれを尊ぶわけがない。
11歳の時、自分は本当に楽しかった。タムリンを信頼できていたあの時が、自分の人生の中で本当に楽しかった。
彼女は、特別精神の強い子供であったのだろう。そしてその精神を支えていたのが、タムリンの思いは下心であったとしても、あの時自分が感じた楽しさと充実感は確かに現実であったのだという実感だった。その実感が、彼女に心を壊し現実に迎合することを許さなかった。
3年を経て、彼女は父の事は全く信頼も信用もしなくなってきた。ヒムヤリはそんなビルキスが気に食わないようだったが、彼が自分を殺しまではしないだろうということは分かっていた。彼にとって自分は、自分のもとを去っていってしまった恋の相手の忘れ形見だ。そして彼女は二度と戻ってくることがない。彼にその理由など永遠にわかりはしないだろうが。戻ってくることがない以上、彼はビルキスを手放せないだろう。もしも……もしも、自分が自分に、そして母にそっくりの娘を産んだら、その時は分かりはしないが……。
地下室には、天井近くに格子窓が開いていた。そこにヤツガシラがよく来た。ビルキスはよくよく彼らを眺めながら、そのようなことを考えていた。

父が仕事に行く間、自分が見つめるものは、天窓の光景と、自分の体だけだ。服の裾をまくれば、そこには動物の脚がある。ヒムヤリはこの脚を、愛しているのだか蔑んでいるのだか全く言葉の上では判別がつかない。母と同じだといとおしむ半面、こんな醜い足のお前が外に出たって愛されるわけがない、とも父は言ってくる。本当なのだろうか。確かめるすべなど何もない。ただ分かるのは、おそらく父はただただ蔑んでいるのだ、と言うことだ。この脚も、おそらく、彼も気が付いていない心の底では、母自身の事すらも。彼が愛と呼んでいたのは、一方的な欲望なのだから。相手を蔑んでいればこそ持てた、相手を対等な扱いなどしていない感情であったのだから。
ヒムヤリは、自分と母が人間ではないから、こんな行為に及んだのだろうか。
もしも人間であったなら、自分にもいくばくかの権利は与えられたのだろうか。もっと喜びを享受することを許されただろうか。ヒムヤリは、自分に、母に、ましな扱いをしてくれたのだろうか。
何が正しいのか、判断などできない。人は誰もおらず、判断する材料は何一つない。ただビルキスはそれでも、これが自分に対する正当な仕打ちではないはずだ、と言う思いは捨てないまま生きてきた。

その日も、満月の夜だった。
耳を澄ませても、何も聞こえない。
シバの人々は、こんな夜に精霊を恐れる。悪も、欲情も、欲望も、すべての責任を自分達ではない物に押し付けて、シバの男は清く生きるのだ。そう思いながら、ビルキスは天窓から、自分の部屋よりは明るい外を見ていた。
しかし、と彼女は思い立つ。精霊は自分の姿を替えられるというのなら、それができない自分はなんなのだろう。その点において人ならざるものではないのに、人扱いされないのもこれはこれで理不尽な話じゃないか。もしも自分にそれができれば、あの天窓からも抜けることができるだろうに。
そこまで考えて、ビルキスはもう一つ思い立った。いや、待った。そもそも自分にその力がないと思い込んでいた根拠はどこだろう?自分は、特に今までやろうと思い至らなかっただけ。小さいときはやる必要もなく、大きくなってからも、ここに閉じ込められてからも、そのおかげですっかり、自分はそれをやれる存在ではないと信じ込んでいた。
でも、何が自分にできるかなんて、案外わかった物じゃない。そうだ、なんでこんな簡単なことに3年間も思い至らなかったのか。
自分だって、精霊なのだ。この脚だけじゃなく、他にも何か、母のものを受け継いでいいはずだ。
彼女は、天啓を受けたように、その考えを信じた。神を信じたこともなく、父親も信じていない彼女が。それはまるで、11歳の頃自分は頭がいい、自分はこの才能がある、と信じられたように、自分には精霊の力が宿っているのだ、と信じることができた。ビルキスの心の中で、その考えは一気にこの世の現実になった。だってそうだ、思ってみれば、「できない」と思い込む根拠なんて、いくらだって潰すことができる。否定するだろう父親は、今は階上で寝ている。いや、ここに至って問題にもならない。父の事は、信じていない。信じていない男の言うことなど、真に受けるに値しない。その他には、否定する人間なんて存在しない。ヒムヤリが娘に与えたのだから。この閉鎖空間を。ビルキスしか、ビルキスの唯一の味方になってくれる少女しかいない空間に、彼女をおいたのだから。
精霊の力が使えるなら、何になるのがいいだろう。あの窓まで這い上がれないとだめだ。飛べる生き物、鳥がいい。小鳥だ。ああ、そうだ。とビルキスは思う。せっかく姿を変えるのだもの、自分の好きな小鳥がいい。
そうだ、ヤツガシラにしよう。あの冠を頂いた、綺麗な鳥。誇り高く、美しいのに、自分の所に来てくれた、優しい彼らのようになりたい。
そう思った時だった。ビルキスは、自分の部屋が急に真昼のように明るくなった、と感じた。どうして?満月の光は差し込みはしない、蝋燭もランプもこの部屋にはない。何が光っている?……自分だ、自分が光っている。人型の光になっていく。
ああ、と彼女は思った。やはり、自分が正しかった。
あれは愛ではない、正当な行為ではない。自分の考えることの方が正しいのだ。
自分が人間なのか否か、考えることは惜しい。考えてこの決心が鈍るのは怖い。だが今はともかく、人間ではない母、自分を捨てた母、自分と共にあの父の被害者となった母親のおかげで、ようやくこの呪いを解けるのだ。
気が付いたときには彼女の目に映るのは、ヤツガシラの羽毛だった。部屋がずいぶん大きく見える。だが、彼女は驚くに値していなかった。信じていたものに、何故驚くだろう。彼女の目に映っているのは、今は自分ならぬけられる存在となった天窓だけだった。

外に出て、しばらくの間、彼女はヤツガシラの姿で空を飛んでいた。本当に明るい晩だった。
朝になって父に見つかってしまっては元も子もない。どこまで逃げるのがいいだろう。ひとまず都を離れよう。そう思って彼女は飛び続けた。だがやはり慣れぬこと、いつの間にか疲れてしまった。
気が付けば、森にたどりついていた。父が母と出会った森なのだろうか……それは良くは分からない。ビルキスは池のほとりに舞い降りた。人間の姿に戻れ、と念じると、彼女は簡単に元の姿に戻ることができた。
何も聞こえない。森は本当に静かだ。精霊たちが飛び回って、人間の男を漁っているなど嘘なんだ、と言うことがよく分かった。彼らは怖がっているのかもしれない。母は、仲間たち井自分のされた仕打ちを話したのだろうか。そう考えながら、彼女は池の水を救って飲んだ。酷く喉が渇いていた。
と、その時だ。彼女はふと、水鏡に映った自分を見た。
自分のあの部屋に鏡などなかった。そして小さい頃は、特に意識することもなかったから、良く分からなかった。
ああ、自分は美しかったのだ。彼女はその時、それを始めてはっきりと実感した。
そうか。なぜタムリンが自分に入れ込んだのか。なぜ父が自分に執着するのか。自分は、美しいのだ。
彼女はじっと、数年ぶりに相対する自分の顔を見つめた。それは見れば見るほど整っている様であったし、もしかすれば父親よりも魅力的なのではないかと思うほどだった。
彼女は衣服を巻く言挙げ、足を水につける。しかし父は、この脚を醜いと言った。醜いからこそ、自分を蔑んだのかもしれない。この脚はそれほど醜いだろうか?だが少なくとも、自分のこの顔に釣り合うものではないのかもしれない……。
とまで考えた時、ビルキスはもう一つ思い当った。自分が鳥に姿を替えられるなら、この脚だって人間のそれに代わるのではないだろうか?
そう思い、彼女はもう一度念じてみた。すると、二本の脚はまた、池の水の中で優しく光り輝く。
蹄が消えて、屋敷の侍女が持っていたような、しかしそれよりもずっと小さくて整っているように見える、五本指の足になった。そして脛が、腿が、自分の知っているそれと関節の位置が変わる。毛皮が消え、顔や手と同じような柔らかい褐色の肌になる。スラリとした曲線を描く、二本の足が、そこにはできていた。
凄い。彼女は思った。何かが楽しくなってきた。なるほど、確かにこれの方が、自分の体と一つながりになるには違和感がないかもしれない。人間の足が、こんなにきれいだったなんて。彼女は清水と月光の光に初めて得た脚を泳がせながら、それに見入っていた。そんな中、ふとガサリ、と茂みが動く。彼女が気が付いた。すでに夜は、静かな夜ではなくなっていた。
「お前は……?」
その男は、自分の事を見下ろしていた。おそらく先ほどの光を見て、不審に思ってやってきたのかもしれない。
老人だった。ヒムヤリでも叶わないほどの金ぴかな衣装を着て、しかしその豪華絢爛な衣装が、気の毒なほど似合わない、醜く太った老人。一回見たことがあるような気もする。誰だろう。
彼は不審なものを見る目で彼女を見ていた。当然だ、こんな夜中に娘が森の中で一人でいるなど、どう考えても不自然だ。だが彼の目は徐々に、その不審な色を失っていく様子がはっきりとわかった。彼女はその目を知っていた。それに彼は、タムリン以上に隠す気も一切ない状態で、みるみるうちにビルキスの美しさに注目しだしたようだった。明るい月の光に照らされた細い足、疲れ切って汗の浮かんだ華奢な体、そして自分の方を見つめる、汚れない美貌。ヒムヤリがずっと、守って来たもの。
ビルキスには、ようやく分かった。そうだ。父が寝る前、自慢げに嘲笑っていた。今日は静かな満月の晩、王は今宵も狩りに出るらしい、と。
好色で愚昧なシャラフ王が。馬鹿なことを、無駄に決まっている、自分のように美しくも素晴らしくもないあの王が精霊に惚れられるはずがない。そう得意げに言っていた。そうだ、自分は見たことがある。タムリンと一緒に出掛けた神殿で、こんな老人を見たことがある。
舐めるように自分を見て、にやりと笑った老人の手が、すっとビルキスに伸ばされた。ビルキスはその瞬間、思った。ああ、そうだ。ただ逃げるだけなんて、つまらない。
自分には何でもある。足を隠すこともできる。父にも勝る美貌だってある。そして。母がこのような状態で逃げられず父に抱かれながら、何よりも望んだであろうものがある。人間の言葉を、今この場で、自分は発することができるのだから。
「シャラフ陛下」
彼女は物おじもせず、そう言った。
それは十四の少女に相応しく済んだ高い声、それにして、シャラフ王を理性のある人間に引き戻すほどに、しっかりと芯の通った声だった。見下している、モノにしか思っていない存在に何か言われても、シャラフのような人間は手を止めない。だがその時のビルキスの声は、そんな彼が手を止め、話を聞くに足りると無意識に感じるほど、堂々としていたのだ。
シャラフは、落ちくぼんだ目を瞬かせていた。ビルキスは水音を上げて足を引き上げると、それを長い衣服の中にしまい、静かに立ち上がった。シャラフは老いて、背が低くなっていた。ビルキスの方が目線が高いくらいだった。彼女はそれを確認すると、その場に膝をついた。
「良い夜です事」
「……お前は」シャラフはようやく言葉を発した。
「精霊か?」
「精霊は、語る言葉を持ちません」彼女は言い返す。
「では、人間であるというのだな」
「ええ」
シャラフはその言葉を聞いて、それはそれで安心したかのようだった。また、に焼けた顔に戻り、ビルキスに手を差し伸べようとする。
「美しい」
彼はそのしわくちゃの手のひらで、彼女の頬を抱こうとした。だが、彼女は顔を傾け、それを拒絶する。老いて独特の匂いすら発しているシャラフの顔が、あからさまな不快に歪んだようであった。
しかしそのような顔は、ビルキスをひるませるには足りなかった。代わりに、彼女の口からは非常に饒舌に言葉が出てきた。
「陛下。栄光ある暁の息子たるあなたに、罪の行いは似つかわしくありません。婚姻の約束もなくして娘に触れることは、正義の太陽神アルマカの定める掟に背くものであると、神殿の碑文にも刻まれていらっしゃいます。アルマカが、地上の息子を剣にかけることを望むでしょうか。貴方様の忠実な臣民である私が、貴方様が天球に輝く父に裁かれることを望むでしょうか」
本当に、流れるような感触だった。
頭が、舌が、非常に滑らかに回転した。一瞬で、この王に向かって何を言えばいいかが思いついた。一切のよどみも存在しなかった。
シャラフ王はまた、少しの間ひるんでしまった。当然だ。今まで自分が手を出そうものなら、娘たちは静かであるべきと父親に叩き込まれた心の掟が邪魔して、またただ単に恐怖が故に身がすくんで、このように言い返せなどはしなかっただろう。
ただ、ビルキスの言ったことが法を順守すべき王の立場からは言い返しようもない正論であることは、一切の間違いがなかった。こう言われればシャラフの言うことなど、一つに決まっている。
「お前の名は何か、父の名は。夫と婚約者はおるのか」
ここまで狙い通りに物が運ぶとは、ビルキスはぞくぞくした。
今まで、ずっと父親の思うとおりにしか行動を許されなかった。
其れなのに、今この瞬間からは、自分が他人を動かせる側に代わるのだ。
「大臣アル・ヒムヤリの娘、ビルキス。夫も婚約者もおりません。乙女の守護神に守られた、正真正銘の処女ですわ」
嘘だってつける。
なにも、怖くなどない。目の前がどんどん開けていくようだ。自分を閉じ込めていた地下牢が、朽ちて風化していくような感覚。
「ヒムヤリ……奴に娘がおったのか」
シャラフはそうつぶやいた。そして、ビルキスを手招きし、自分の馬車に乗せた。

その後何があったかは、詳しいことはシャラフの後宮に放り込まれたビルキスには分かる必要もない事だった、だが後日、昼ごろに目覚めたビルキスのもとに、血まみれのシャラフがやってきた。彼は威圧的な声で言った。
「お前の父は、死んだぞ。お前を渡すことをあまりにも拒んだからな」
恐らく、彼がこのようなことをしたのは一度二度ではあるまい。ひょっとすると、この威圧的な声だって作っているのだろう。その証拠に、ビルキスが「そうですか」と、ただそれだけ返した時に、彼はその表情を維持していられなかった。本心ではなかったのだ。
怒りや悲しみの感情を浮かべ、自分に歯向かおうとする女を威圧し屈服させる手段、それをこの老人は覚えこんでいるだけのこと。だから、本当に何事でもなかったかのように、いや、むしろ狙い通りに事が進んで薄い微笑みすら浮かべるような相手に、どういっていいかわからないのだ。
「陛下が私の存在をご存じなかった通り」ビルキスはそんな彼に言った。
「父は、私を隠し花嫁の栄光を一生奪おうとしていました。裁きが下って当然の相手ですわ」
シャラフ王は、ヒムヤリ同様同情のしようもない男だ。この後宮の面々の暗さを見ても分かる。ただ一つ彼に気の毒なことがあるとすれば、彼の生まれついての醜さと下種な本性そのものだ。喜んで穏やかに受け入れられることなどあり得ない身と心で生まれ、なおかつ力づくでいうことを聞かせられる権力は生まれながらにもっていたばかりに、なおのこと心のそっから受け入れられることを知らない。
ビルキスが彼に向けた笑顔が一編の愛もない、策略のみで成り立つ者でも、それでも彼は女を手に入れて、ここまで綺麗に笑われたことなどなかったのだ。それに全く、値しない人間だったのだから。
だから彼はただ、戸惑っていた。初めて見るほどの美貌の娘が自らの手に入ったというのに、それ真間違いなく正の感情であったはずなのに、その感情をどうしていいかわからない様子でビルキスの前に突っ立っていた。今までその征服欲が、性欲が満たされるや否や、その肢体をむりにかき抱いていたというのに、ただ彼は指一本すらも差し伸べず、立ちすくんでいるだけだった。婚礼の床まで花嫁に触れるな、と言う教えを律儀に守る純朴な少年の花婿すらも、内心では妻になる女に今すぐ触れたいという気持ちを抱えているだろうに、淫蕩で名を知られたシャラフの黄土色の目からはその時、一切のそのような欲情が抜け落ちてすらいた。
その様子はまるで、女王に威圧される臣下だった。

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