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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第八十一話

全て語り終えて、ようやくビルキスは口をつぐんだ。
「お分かりになりまして?」と彼女は言う。ソロモン自身、なんと声をかけていいかもすぐに出てこなかった。
幸いなことに、言うべき道に導いてくれたのはビルキス自身だった。
「さあ、次はあなたの番ですわ」
「私の?」
「ええ」彼女は言う。
「私の全てをご存じになったのですもの。私だって、貴方の全てを知る権利があるはずですわ」
「……ごもっともだ」
ソロモンも、深くうなずいた。
わざわざ言う気にもなれない自分の昔話。だが、彼女には全て話せるような気がしていた。いや、彼女にこそ、全てを打ち明けたい。
どれほど言葉を尽くした憐みの言葉よりも、それが一番彼女の話の返答に相応しいものであると、ソロモンははっきり確信できた。

シクラメンの花弁に包まれながら、ソロモンは延々と話した。父に愛されなかったことも、母に疎まれたことも、兄たちに手ひどい目にあわされたことも。そして、そんな中でも、自分を見捨てずにいてくれた神と、天使がいてくれたことも。何もかも全て、彼女相手には打ち明けることができた。彼女が自分に、打ち明けてくれたように。
彼女はそれを、じっと神妙に聞いてくれた。自分が彼女に、そうしたように。

全て語り終えた後、彼ら二人はしばし見つめ合った。
「今は、心の底から神を信じられます」ビルキスは言った。「私をこの地へ、お導き下さった神を」
「そうですね」ソロモンは言った。
「あなたの望みが、かなえられたのですから」
「ええ。神を知ることができました。人とは何か、私とは何か……貴方が、お教えくださいました」
一息、間が空いた。
「そして……最後の疑問も、貴方がお教えくださいましたわ」
暗い中でも、ソロモンにはなんとなくわかった。彼女の頬が、うっすら色づいている様子なのが。
そして、自分自身も彼女の事を言えたものではない。自分の白亜の頬も、おそらく今は赤く色づいているのだろう。だが、苦しくはなかった。だが、あくまで穏やかで、幸せな時間だった。
彼女の瞳が、自分の瞳を見つめている。そこにあるのは、ただの二対の目だけだ。だが何千、何万とこの世に生きてきた人々が、その目の交わりを尊く思った。その理由も今、ようやく分かった。これほど幸せな時間なら。語り継ぎたいに決まっている。賛美したいに決まっている。多くの言葉などいらないほど、ただただ純粋な喜びが、そこに存在していた。
「人を愛するとは、なんて素敵なことなのでしょう。初めて、その喜びを知りました」
「ビルキス様、それだけではございません。貴方は、愛の持つもう一つの秘密も、ご存じになられた」ソロモンは静かに言った。
「あなたが受け続けたのは欲望であり、搾取でありました。それは貴方が最もご存じです。ですが……今、貴方は愛されております。愛と名のつくものを、感じるだけでなく、むけられてもいるのです。……おいかがですか、受ける愛の喜びは」
「ええ、ええ……心の底より、感動しております。人が愛を語り継いだのも、当然ですわ。ここまで完備で、狂おしいほど純粋な幸福を、なぜ賛美せずにいられましょう。なぜ、のちの人々へ語り継ぎたくないと、ひと時でも思えましょう」
「私も同じ気持ちです。あなたのような女性に出会ったのは、初めてだ」
ソロモンは、ビルキスの手をそっと握った。彼女のほうも、手を重ねてくる。
「愛しています。ビルキス。心の底から、貴方をお慕いしております」
「ええ……ありがとうございます。ソロモン、英知の王。そのお言葉ほど、私がこの国で望んだものは、ありませんでした」
シクラメンの花畑がつつしみ深くうつむき、月夜に輝くイスラエル神殿が包み込むように彼らを見守る中、二人は、そっと唇を重ねた。
いつぶりだろう。いや、そもそもあっただろうか。これほど穏やかな口づけをしたことが。口に出さずとも、彼らはそう考えていた。そしてお互いがそう考えているであろうと言うことも、二人にはよく分かっていた。
「私、疑問に思って考えておりましたの」ビルキスはやがてしばらくすると、すっと唇を話し、ソロモンに語った。
「私が貴女を愛したのは。貴方が私の疑問の答えてくれたからなのかと、愛とはどこまで、構造的なものなのかと……でも、結局解りませんでした。愛の素晴らしさは分かっても、愛想の者はまだまだなんと深淵のような感情なのでしょう。ただ一つ分かるのは、あの晩餐の日……私の心は、貴方に引き寄せられたのです。あの一瞬で、私は……貴方に恋したのです。私が地下室を抜け出し、女王になったのと同じように、私は、貴方に焦がれたのです」
ソロモンはそれを聞いて、ふっと微笑む。「あなたは、こんなにも愛おしいのに、なんて意地悪なお方だ」と、夜風に乱れた長髪を治しながら、彼は言った。
「私がいざ言おうと思っていたことを、そっくり盗んでしまうなんて」
「あら、申し訳ありません」彼女も頬に手をやり、悪戯っぽく微笑んだ。賢王ソロモンがオアシスに湧く水のように、目の前の女王の心を潤さんと用意していた言葉を奪ってしまった、と、悪びれんばかりに。
「お詫びは何がよろしいでしょう?」
「さあね……」
そこにあった全てに、祝福されているかのような気持ちだった。
シクラメンに、アカシアの木に、神殿に、青銅の「海」に。そして。イスラエル神殿に住まう、イスラエルの神に。
ここまで満たされた気持ちが、この世にあったのか、と言う気分ですらあった。
厳しい荒野のような旅路を必死で歩き、突き進み、進んだ先で、このような存在に会えた。このような幸福に、辿りつけた。ソロモンも、ビルキスも。


夜が明けた。鳥の声が聞こえる、カーテンから差し込む、朝日の光を感じる。
二人は、ソロモンの部屋にいた。彼の寝台に、二人で横たわっていた。
白と黒、二人の髪が、二人の肌が、人間の足と獣の足が、寝室のシーツの上で分かたれることなくしっかりと結び合っていた。
「幸せだ」ソロモンは言った。「私は、本当に幸せ者だ……」
「ええ」と、ビルキスもこたえる。「私も」
英知に満ちた彼らも、その時ばかりは多くの言葉を語らなかった。多くの言葉を語ることがおこがましく感じるほどに、ただただ、何の賛美の言葉すらつける必要なく、幸せであったのだ。

自宅で治療していたベナヤも、ようやく目が覚めた。
王の目も覚めたと聞く。そろそろ自分も、王宮に上がらないわけにもいくまい。何よりも、自分の失態のおかげで王を危険にさらしてしまった。
尊敬してはいない。けれども、自分などではかないもしないほど、イスラエルにとって重要な男を、将軍の身でありながら傷つけることを許してしまったのだ。
ハダドが誰にやられたかはわからないと聞く。猛獣にめちゃめちゃにかまれたような様子で倒れていたそうだ。
猛獣が、イスラエル宮殿に入り込んだとでもいうのか。其れならば、なぜ王は死ななかった?なぜ……。
「お前、もう行くのかい?」
考え込んでいると、心配そうな母の声が聞こえた。
「傷が開いてしまったら……」
「もう心配ないでしょう。私も、早く陛下に目通りをしなくては……」
「お前……」
ベナヤは、母がすっかり老いて弱っているのを目の当たりにした。
「私より早く死なないでおくれよ」
「何を。もちろんですよ、母上。しかし、死ぬなどと仰らないでください」
「お前の事が心配だよ……早く、身を固めて私を安心させておくれ」
母は、しばらくそのような言葉を自分に対して言ってはいなかった。
ベナヤが死ぬかもしれない、と言うときになって、俄かに心配になったのだろうか。ベナヤははい、とは答えられず、「母上、ご心配をかけてすみません」とそつなく返した。だが、母も、息子の「はい」とは言えない心情を良く分かっているようで、寂しげな顔をしながらも、一つだけうなずいてくれた。

ベナヤにとっても、ソロモンにとっても数日ぶりの王宮は、あんな大事件があった後などとは信じられないほど、何も変わっていなかった。
ハダドは瀕死状態で投獄され、レゾンは一足先に身柄をティルスに送り届けたらいし。ソロモンが昏睡している間の事は、イスラエルの高官が総力を挙げて頑張ったし、ヒラム王とビルキスも手伝ってくれたそうだ。
久しぶりに、ベナヤは大広間に行き、王に謁見した。
「ベナヤよ」
死にかけたとは思えないほど、ソロモンは元通り、堂々と威厳のある王だった。
「その後、傷の具合はどうだ」
「は、悪くはございません」
「イスラエルにはまだお前が必要だ」彼は跪くベナヤに、流ちょうに告げた。「お前が死ぬことがなく、何よりだ。息子も、それを喜んでいる。後で、会いにいってやってくれ」
「はい」
一言も、彼は責めなかった。勝手な迷いで、ハダドを取り逃がし、彼を命の危険にさらしたことも。
失敗は人の常だ、と言うが。ソロモンにとって自分は、主の命を時に守りきれなくても、当たり前な男なのだろうか。
いや、もう自分は、仮にそう思われようと一切の言い訳が聞かない男になってしまった。
玉座に座るソロモン。それに跪く自分。彼と初めて言葉を交わした日の事が、何故か思い出される。あのと自分が切り札のように握りしめていた指輪は、今はソロモンの手の中だ。
「下がってもよい」と彼が言う間で、ベナヤはそこを動くことすらもできなかった。何もかもが、情けなくて。

「ベナヤ!」と、レハブアムは、彼を見るたび急いだように駆け寄ってきた。
「ベナヤ、大丈夫なの!?」
「ああ、はい、王子様……」ベナヤも屈みこみ、レハブアムと視線を合わせて言う。
「怖かった、怖かったよぉ……」
それはそのはずだ。たった3歳の王子に、こんな事件はあまりにショッキングだ。
「大丈夫ですよ、殿下。何もかも、終わったのですから」
「ほんと?」
「ええ、本当です」
「猛獣が、王宮に入ったかもって」
「そんなのがいたら、私が倒してあげますよ」ベナヤは笑顔を作って、胸をはった。
「ほんと?ベナヤ、猛獣よりも強い?」
「ええ、若いころ、ライオンを倒したこともありますよ」
「ほんとに!?」レハブアムは、パッと明るい表情になった。ベナヤもホッとする。やはり、この王子には笑っていてほしい。王宮と言う場がどんなところでも、レハブアムにだけは、無邪気な王子でいてほしい。
自分の子ではない、けれど、誰よりも、愛して育てたい子供だ。
「話して!」
「ええ、いいですとも。お庭のベンチに行きましょうね……」

ベナヤとレハブアムは、王宮の庭でずっと話をしていた。
レハブアムはよくしゃべったやはり、父も、母も、そしてベナヤもいないこの数日間が不安で不安でしょうがなかったのだろう。
その不安さを紛らすために、はしゃぎにはしゃぎ、ベナヤも精いっぱいそれに付き合った。
太陽が熱すぎない、晴れの日だった。彼は話を聞くだけでは飽き足らず、庭中走り回った。

ふと、彼はあるところで立ち止まった。一足遅れていたベナヤが「どうなさいました?」と問いかける。
「お父上……?」
「えっ?」
レハブアムの視線の先には、ソロモンがいるのだろうか。
でも、いつもなら父親のもとにまっすぐ向かうレハブアムが、何故立ち止まっているのだろう。ベナヤは、レハブアムの視線の先を見た。

普段のソロモンなら、自分たちに気が付いてもおかしくないはずなのに。彼は全く気が付いてもいないようだった。
ただただ、自分の隣に座るその女性と、シバの女王ビルキスと言葉を交わし合うのが楽しい様子で。
レハブアムがためらう理由も、ぼんやりとわかった。ソロモンが今まで、あんな幸せそうな顔をレハブアムの前で見せたことがあるだろうか。彼の持つ父親のイメージとは全く違う男が、そこにいたのだ。
ベナヤの目から、自然にはらりと涙が落ちた。「ベナヤ?」と、レハブアムが言う声聞こえる。
分かっていた。わかっていたのだ。ソロモンが、俗な欲情に溺れるような男ではないと。あそこにあるのは、欲情ではない、愛であるのだと、分かっていた。自分も、愛を知っているのだから。
欲情だと、思いたかったのだ。ソロモンを嫌っていたから。今、初めて、やけになっていたころのナアマの気持ちがすっかり判る。どんなに嫌っても、どんなにこちらが勝手に蔑んでも、涼しい顔でひょいとその上を行く。こちらを見ずに、こちらの誇りをずたずたにへし折る。自分たちのような、勝手に嫉妬に、勝手に憎しみに燃える自業自得の凡人たちの上を、彼はいつも歩いていく。
シバの女王は、ソロモンが倒れている間ずっと彼の安否を気に揉んで献身的に介護してくれたばかりか、イスラエル宮殿の政にも積極的にかかわってくれたという。王を切りつけんとする狼藉者をのさばらした自分よりも、ずっとソロモンを守る立場だ。
そして、彼女はナアマより、ずっと彼の隣の似合う女なのだ。
それは美しさゆえではない。家柄故ではない。もっと、もっと本質的に、ソロモンの隣に立つ女は、あの人であったのだ。
そこには、自分たちになど、立ち入れない世界があった。ビルキスは美しい女性だ。だがそれ以上に、ベナヤにはソロモンが、美しく見えた。ただただ、絶望するほど、美しく。
「ねえ、ベナヤ」レハブアムが聞いた。
「あの人、ずっとお父上のこと話してたんだ、お父上が目覚めてから、ずっとそばにいるんだ。お父上と、すごく仲がいいの」
「はい」
「先生たちが、言ってた。子供は、お父上とお母上が仲良くしていたら、神様が下さる者なんです、って。でも、お母上、あのくらいお父上と仲良くしてるの、見たことないよ」
「そうですね、それは……」
「僕のお母上は、あの人なの?」
神よ、とベナヤは心の中で唱えた。
貴方はなぜ人間を、かくも愚かに作りたもうたか。そのような中で、何故、特別に優秀な人間を作りたもうたか。なぜ、その貴方に愛されたものを、神に見放された人類では行くことのかなわなくなった、エデンの園に住まわせておやりにならないのか。
そうすれば、苦しむことなど、何もないのに。
「いいえ、レハブアム様」ベナヤはレハブアムをしっかり抱きあげて言った。
「貴方のお母上は、ナアマ様です。この先どんな女が現れようと、貴方のお母上は、ナアマ様、ただおひとりです」
「そっか……そうだよね」
ヤツガシラの泣き声が響いていた。
誰のために歌っている。ソロモンのためか、ビルキスのためか。
自分のために鳴いてくれなどとは願わない。ただ、このレハブアムのためにも歌ってやってくれ。ベナヤは悲痛な気持ちで、そう願った。

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