クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第八十三話

ヒラム王も長い滞在を追え、レゾンを連れてティルスに帰ってから、ソロモンとビルキスの親密さは一層宮殿の人々の目を引いた。
勿論、負う人いるときには店もしない穏やかな表情の王と、その隣に立つ美しすぎるほどに美しい異国の王妃の姿は、様々なうわさを呼んだ。彼女の改宗は、ソロモンが彼女と結婚するために仕向けたものではないのか、あるいはビルキス自身はソロモンの妻の座に収まるためにやろうとしたものではないのか。
今回の反乱に、アンモン王家が絡んでいたことなど羞恥の事実だ。そうでなくともナアマとは不仲だったソロモンが、これを機に妻を替えようとしているのではないか、と言ううわさも出た。レハブアムはまだその意味を理解しきれない年齢であったのが、幸いと言えば幸いだった。もっと大きければ、彼の心は尋常では無く傷ついたことであろう。
ただ、そのような邪推をあざ笑うかのごとき、ある事実があった。シバ王国の一行も、そろそろ帰国に向けての事を勧めつつあった。ソロモンも、ビルキスも、それを止めようともしてはいなかった。
雲一つない日の昼間に、シバの女王は祭司ザドクの手によって、イスラエルの神に帰依した。シバ王国風に言えば、父なる太陽の祝福する中、となるところだが、その日を持って太陽は、ビルキスにとっては唯一の神が作り出したものにすぎぬ存在となった。
シバの臣下たちも、女王の決断に根負けしたようだった。サラヒル女史をはじめとする何人鴨イスラエルの神に帰依することを決めた。だが、帰国までに間に合うかはわからない。そのため、ソロモンは祭司団の中から、シバ王国に行き、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神の教えを遠いアラビアの果てに広める役を担ってくれるものを選びにかかった。彼らも、神の教えを受け入れるものが増えるなら、と、喜んで承諾してくれた。
神の存在を悟り、そして自分の国にもその神の教えを広めよう、と言う希望に満ちたシバの女王の瞳は、ヒラム・アビフの技巧によって輝きを増した黄金の宮殿にも劣らぬほどに、きらきらと輝いていた。そして彼女はその輝きを、イスラエルの神、いや、この世に君臨するただ一人の神に向けていたのだろう。自分をシバの女王とし、そして、ソロモン王に結び合わせてくれた、天の上の存在に。
その表情を見たものは天の神と祭司ザドク、そして傍で見ていたソロモン位の者だろうが、少なくとも、ザドクは心の底から、宮殿に飛び交っている数々の噂など、彼らにとっては菊にも足らない物なのだと確信した。シバ人ビルキスは、かつてイスラエルの男を愛し、イスラエルを愛した異国の女性がいたように、イスラエルの王とイスラエルの神の愛のため、行く道を行っただけなのである、と悟った。
やがて、シバの一行の帰国の計画もたった。シバ人たちはてきぱきと、帰り支度を始めた。長居したイスラエルに名残を惜しむものも、祖国の家族にもうじき帰れると手紙を書くものも、それぞれに。
最後の日々は矢のように過ぎて行き、やがて、いよいよシバの女王の一行が帰国する前日となった。
その夜、エルサレムでは、シバ人たちを迎えての最期の宴会が行われた。ソロモンとビルキスは、それぞれぴったりと、隣に寄り添っていた。
「ソロモン」彼女は、非常に柔らかな声で語った。目の前の華やかな宴会、イスラエルの富と発展を象徴するような華麗さを、そして愛するソロモン王の姿を、その金色の目に映して。
「女王の暮らしを続けて、事業は成功して、国を富ませることもできて……でも、三つの疑問が晴れる日が来なくて。そんな中、私は貴方の噂を聞いたのよ。神から知恵を授かったっていう、イスラエルの王の話を」
彼女とソロモンは、じっと見つめ合った。彼女は、イスラエルに来る前、もう遠い昔のようになってしまった思い出を紐解くように、ソロモンに告白する。
「正直な話、俄かには信じられなかったわ。自分より賢い人なんていないだろうという気持ちもあったし……それでも実際に行って、友好関係を結ぶ価値はあるでしょう、と踏んでタムリンをよこした後も、彼の報告を聞いて旅に踏み切った後も……そう、この宴会場で、私が初めてついた日、貴方と言葉を交わすまで……その時まで、私は、貴方の知恵も事績も、信じきってはいなかったのよ。今にして思えば、驚くくらいに……」
そうだ。確かに彼らの心が結び合ったのも、宴会場であった。王と女王、その感情を飛び越え、めぐり合うべき相手に巡り合ったのだ、とお互いがわかったのは、この王に、二人並んで、言葉を交わしたあの瞬間だった。
「でも、今ではそんな自分をおこがましくすら感じるわ。旅人たちが、タムリンたちが私に知らせてきた情報なんて、貴方の持っていたものに比べれば、半分にも及ばなかった。だって、私は三つの疑問のうち、一つを貴方によって知ることができるなら、と思っていたのに……」
「他の二つも、知ってしまったのだからな。……うち一つは、俺も知らないものだったが」
「ええ」ビルキスは頬に手を添える。
「なんて幸せなのかしら。イスラエルの民は、貴方の臣民は……いつもあなたの前に立って、貴方の知恵に接することのできるあなたの家臣たちが、私は羨ましいわ。神さまが、貴方を自分の国、イスラエルを治める王として、他の兄弟たちを差し置いても認められたのも、わかるような気がするの。すばらしい采配よ」
そう言うと、ビルキスはソロモン一人にだけ言う様子でもなく、ごく自然に、歌を口ずさむように祈り始めた。ソロモンのために。
「あなたをイスラエルの王に付けることをお望みになった。貴方の神、主は称えられますように。……主は、永遠にイスラエルを愛し、貴方を王とし、公正と正義を行わせられるから……」
「君にそう賛美されるごとに、俺の心は安らかになる。しかもいくら安らかになっても、際限と言うものが見当たらないほどにね」ソロモンは言った。
「君にも俺の言葉を持って、返したい。しかし、イスラエルを見てくれた君と、シバを見てもいない俺では、どうして君の、その心よりの賛美に十分にこたえることができよう……なあ、ビルキス。今度は、俺の方がシバに行っても良いだろうか?」
それは、ここ数日、ずっとソロモンが考えていたことだった。
彼女が自分の国を見たように、今度は自分も彼女のはないだけではなく、彼女の国を実際に見たい。彼女がその知恵を、手腕を持って発達させた美しきアラビアの国を、是非とも自分自身も目に留めたい。
ビルキスはにっこりとほほ笑んで、ソロモンの手を握った。三つの指輪のはまった、真っ白な手を、慈しむように握ってくれた。
「ええ、勿論。是非来て頂戴。国を挙げて、歓迎するわ」
宴もたけなわになり、やがて一人二人と客が帰っていき、宮殿が静かになったころだった。サラヒル女史も、気を利かせたのか、来た当初であれば宴会が終わるたび「寝室のご用意ができました」とビルキスを連れて行っていたのだが、彼女はぺこりとお辞儀を一つして、二人の王を宴会場に残していった。
いそいそと、召使が片づけを始めている。「ソロモン、私たちも、行きましょうか」とビルキスが声をかけた。「ああ、そうだな……」ソロモンは彼女の手を握ったまま立ち上がり、召使たちに傅かれながら宴会場を後にする。だが、宴会場を出てしんとした廊下を歩きながら、彼は切り出した。
「ビルキス。最後に、君に見てもらいたいものがあるんだ。良いか?」
「もちろんよ」
そう返した彼女を連れて、ソロモンは自分の寝室へと繋がる階段を上ることなく素通りし、カツカツと廊下を進んだ。北の方向、宮殿の中でも、人気がない方に。
明かりも少なくなりどんどん暗くなっていく。やがて彼らの目の前には、大きな錠前で固く閉ざされた、一つの部屋が現れた。
「ここだ。少し、待っていてくれ」
ソロモンは懐から鍵を取り出し、錠前を開けた。ギイ、と音が響き、扉があく。
そこは、小さな独房のような部屋だった。家具は寝台が一つ、机といすがあるだけ。しかしその机には、古びたパピルス紙が山と積まれていた。さびれた部屋なのに、埃一つ落ちてもいなかった。
彼は、ビルキスを中に入れる。彼女も、素直についてきた。
「ここで、俺が育った」
手に持っていたランプを机の上に置き、ソロモンは寝台に腰かけて言った。記憶の中にあったこれは、もう少し大きかったような気もする。
「まあ……そうだったの。ここが、貴方の話に出ていた……」ビルキスも、ランプの儚い光に照らされた北の独房をじっと、細い首を回して見つめていた。
「ああ、そうだとも。ここが、ダビデがこの体で生まれてきた俺を、ずっと汚いものにふたをするように、仕舞い込んでおいた場所だ……兄に命を狙われる、十四歳のあの日まで」
ソロモンはそれでも、懐かしそうに壁を撫でる。
「だが不思議なものでな。思い出したくもない、永遠に仕舞い込んでしまいたい惨めな思い出の場所となってもいいはずなのに、俺は今なお、妙にこの部屋に愛着を覚えるんだ……」
王になってから、この部屋を使うことはなくなった。臣下たちも、彼ともあろうものがこんな惨めな独房に居る様子を決して良い目では見るまい。だが、彼はそれでもこの部屋を見捨てるに忍びず、自分以外の誰も入れないように鍵をかけたうえで、定期的にこっそり訪れては、汚れや埃を払っていた。自分が居たときの状態を、そのまま保っておきたくて。
「分かる気がするわ」ビルキスは、彼のその気持ちを、優しく肯定してくれた。
「貴方にとって、ここは、自分を包み込んでくれていたところだもの。両親も、兄弟も、後見人も自分をあざける中で、守護天使が来る前も、この部屋が貴方を守ってくれていたんだものね」
「そうだ……君は、本当によく分かってくれるな、俺の事を」
「当たり前じゃない」彼女は、そう返した。
「めったな奴には、見せられない」ソロモンはぼんやりと浮かび上がる天井を見つめ、言う。
「俺の妻にも息子にも、見せられるものか。ここが、俺の城だった。めったな奴は、立ち入らせたくなかった。……でも、君になら、見せたい。君にだけは、見せておきたかった」
「ええ、ありがとう、ソロモン……」
暗い中、ソロモンはそっと、ビルキスの手を取った。そして、彼女の顔を引き寄せる。ふわりと香る乳香の香りと、唇の感触。
11歳になる日まで、自分はずっと、一人ぼっちでこの部屋にいた。パピルス以外に変化もない、薄暗く殺風景なこの部屋で。しかし、この部屋だけがずっと、ソロモンの成長を見守ってくれていた。
ソロモンとビルキスは、そのまま寝台に倒れこむ。毛皮のような感触を感じる。彼女の足は、すでに人間のものではなくなっているのだろう。だが、それでも良い。この部屋は自分を守ってくれたように、彼女のこの秘密も、守り通してくれるだろう。
孤独な少年一人の身だけしか預けたことの無いその寝台は、初めて、二人の体を受け止めた。心から愛し合う、男と女の体を。
夜が明けたら、シバの女王が帰る。
あの天使のような存在は、ナアマの前に現れることはなかった。せかしもしないと言うのか、まるで、自分を試しているように。
レハブアムは早めに宴会を抜けた。彼は久しぶりに帰ってきた母が恋しいらしく、母上と一緒に寝る、と甘えてきた。そのおかげでナアマも、早くに宴会を抜けたのだ。
レハブアムは今、安心しきった表情で、ナアマの寝台で寝ている。サイドテーブルには、物言うこともなく、真鍮の壺がある。
あの日、去り際に天使の声が聞こえた。
「強力な毒、と言えば一番わかりよいかな。人間じゃない物の肉体だろうが、すぐに滅ぼしてしまうほどにね」
そのようなものをすり替えて、何になるかはわからないが、明らかに、大ごとになることだけは確かだった。自分はわがままな姫ではあったが、人殺しはしたことがない。自分に犯せるだろうか、この罪を……。
だが、もう、猶予はない。彼女は最後に、ちらりとレハブアムの方を見た。勇気をもらいたくて。
そして、効果はてきめんだった。彼の安らかな寝顔、何も苦労を知らない、無邪気な寝顔。愛おしい息子は、自分がイスラエル王ソロモンの跡を継ぐものだと誇りを持ち、何の屈託もなしに成長している。
それを、邪魔できるものか。もしもこの息子の笑顔を守れるのならば、自分は、地獄に落ちても構わない。
レハブアムを、息子を、心の底から愛している。
ナアマは、レハブアムの柔らかい頬を一回撫で、それに軽くキスをした。そして、真鍮の壺を掴む。
数日間サイドテーブルから離れることの無かった壺は、ようやく、ナアマに持ち上げられてその腰を上げた。
ソロモンの薬庫の場所は知っている。階段を降り、地下室に行くと、守衛が彼女の姿を認めた。
「王妃様」
「薬庫に用があるの。入れて頂戴」
「はっ、あの……」二人いる守衛はどもる。
「陛下からは、自分や宮廷長様、学者様がた以外は入れないようにと」
「王妃の命令よ」彼女は守衛を睨み、押し切る。守衛も渋々、扉を開けた。カツカツと、静かな薬庫の中に入る。後ろから、守衛たちの「ふん、どうせもうすぐお払い箱になるくせに」と言う陰口が聞こえた。
自分は、なんといわれようとかまわない。
だが、レハブアムの権利だけは、守らなくてはならないのだ。
ろうそくの明かりを頼りに、ナアマは慎重に一つ一つ、おびただしい数の壺を見比べた。やがて彼女の目の前に、持っているもの寸分違わない、小さな真鍮の壺が現れた。
手に持ち、蝋燭を棚に置き、見比べてみる。確かに、全く同じものだ。彼女は、今まで倉に置かれていたものを、さっと帯の中に押し込んだ。そして燭台をもちかえし、天使に渡された壺を、その空いたスペースにおいた。
それは何事もなかったかのように、まるで以前からそこにいたかのように、薬庫の光景になじんだ。
胸の動悸を必死で抑え、ナアマは倉を後にする。守衛たちのおざなりな挨拶に振りかえることもなく、レハブアムが眠っている後宮に急いだ。
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