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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第八十五話

ソロモンがいくら動揺しようとも、手紙はただ淡々と、文章を伝えるのみだった。
ビルキスは、死んだ。彼はろくに状況の説明もすることなく、そう書いてあった。

現実が、ソロモンにとっては受け止められなかった。そんな、だって自分はまだ、シバに行ってもいない。
もっとあって、もっと語り合って、自分たち菜甥は、これからもずっと続くものだと思っていた。
ビルキスが死んだ?もうこの世にはいない?そんな、バカな。

ふと、ソロモンは気が付いた。短い手紙の端に、迷ったような走り書きで書いてあった。淡々とした事務的なほどの無いように比べて、そこん刃物上ぬ恨みが込められているように感じられた。
「あなたからもらった痛み止めを飲んで、その直後、女王は死んだ」

馬鹿な?
そこまで言いきってはいないものの、タムリン隊長が暗に、あの薬のせいでビルキスが死んだのだと言わんとしているであろうことは明らかだった。
馬鹿な、あの薬は無毒だ。大体ビルキスに使っているのに、その時彼女には何もなかったじゃないか。あの薬のおかげで、彼女が死ぬはずがない。あの薬が彼女の旅立ちのために、自分が前もって作って、保存しておいたもの……。薬倉には、誰も不審なものは入れないように言っておいたのに……。
いや、待て。ソロモンは思った。本当に、誰も入らなかったのだろうか?本当に……。

ソロモンは、薬庫の番をしていた守衛をすぐさま呼び出し、、シバの女王が旅立つ前後d、絵薬庫に入った不審なものはいないか、と問い詰めた。不審なもの、と言われて、彼らはそのようなものはいない、と言った。
「ああ、でも……」
「でも、なんだ?」
守衛はもごもごと口ごぼったが、王の赤い目が自分を睨みt毛てくるその様子が、余りに鬼気迫っていて恐ろしかったのであろう、やがて、口を割った。
「王妃様が、一度入りました……」
「ナアマが……!」ソロモンは顔を青くした。嫌な予感をひしひしと感じる。「いつのことだ!?」
「シバ人が旅立つ、前夜の話です」
「……分かった、もう良い!貴様らは返れ!」
そしてソロモンは守衛たちが自分の部屋ら出ていくのも見送らず、一目散にナアマのいる後宮に向かった、時刻はすでに、夜になっていた。

後宮で、ナアマはレハブアムを寝かしつけていた。その湯女中、急にカーテンを翻し現れたソロモンの姿を見て、ナアマも、うとうとしていたレハブアムも驚いたようだった。
「あ、お父上!こんばんは!」と言うレハブアムの声など聞こえないとばかりに、ソロモンはナアマに詰め寄った。「どうなさったの、あなた?」ナアマは聞く。彼女の目の前にいる夫は、今までに見たことがない程の表情をしているように見えた。
「一つ、聞きたいことがある」彼は問いかけた。「私の薬倉に入ったか?私の薬に……何か、細工をしたか?」
彼女は、それを聞いて、じっとソロモンの目を睨み返した。
「何かあったの?」
「シバの女王が、ビルキスが、死んだ」
「あら、そう……」
彼女は、諦めたようにふっと目を伏せると「したわ」と、それだけ言った。もう後、状況説明など、何も必要はいらなかった。
ソロモンはナアマの胸ぐらをつかむ。「お父上?」とレハブアムの不安げな声が飛んできたが、ソロモンは彼を無視した。
「何故だ、何故、そのようなことをした……」
「あなたともあろう方が、言わなきゃわからないの?」
「言え!」
ソロモンの声音をしっかし聞き届け、ナアマは言う。
「レハブアムが、可愛そうだったんですもの。あの人を生かしておくわけには、行かなかったのよ」
妻のその言葉を聞き、ソロモンは全身が震えた。
ナアマは、悪びれもせず、恐れもせず、ソロモンの前に立ちはだかっていた。ソロモンの赤い目を、じっと、夫が自分にそうするようにに見続けていた。
「よくも……」彼は呻く。「よくも、ビルキスを……私が、誰より愛した人を!」
「ええ、そうね。あの人は、貴方に愛されるだけの人だった。私が恐れるのは、当然じゃないの。もしもあの人との間に子供が出来れば、そしてもし、その子がイスラエルに来たら、貴方はきっと、レハブアムよりそちらの方を大事にするわ」
「当たり前だ!貴様如きと彼女など、比べものにもならんわ!」
「ええ、私もあなたがそう思ているって、分かっていたわ。わかっていたから、やったんじゃない。私達、本当に、結婚しただけの中だったわ。けれどね、ソロモン。結婚はしたのよ。貴方が何を言おうと、私たち、結婚だけはしたのよ。そうして、あの子が生まれたのよ」
「黙れ……貴様など、王位のためでなければだれが結婚なんてしたものか!レハブアムのためだと……レハブアムが哀れだと!?そんな理由で……あの人を殺したのか!誰より素晴らしかった、あの人を……!」
ソロモンの目は、怒りに燃えていた。怒りにも、絶望にも。
「女は……女は、いつもこうだった!私の母も、私の姉も、!自分では何もしないくせに、する気一つもないくせに、男の権力にしがみつこうとする!自分では何もしないくせに、それをいざ失うとなれば、どれほど人でなしにもなれるのだ!あの人は……ビルキスは、そんなことはしなかった。彼女は自分の店、自分の力で、自分の地位を高めてきたというのに……貴様ごときの、息子を王になどと言う欲望で、ビルキスが消えたというのだな!」
「欲望……」ナアマは呟く。
「ああ、貴方は、わかっていないのね。私がなぜ、レハブアムを守りたいのか」
「貴様のような女の思惑など、分かろうものか!」
「ソロモン、私は初めて、貴方に勝ったわ。結婚する前のように、いや、それ以上に、私は胸を張ってあなたと話し合えるわ。私の気持ちは、貴方には、永遠にわからないと知ったから。でも、当然ね。そんな母を見て育った貴方に、私の子の心情は、永遠に分かりはしないのよ。どんなに知識があっても、シバの女王と愛を知っても、やはりあなたには、絶対にわからない世界があるのだわ」
「……ビルキスを殺しておいて、その上、開き直って屁理屈までこねようと言うのか」
「屁理屈?貴方にとっては、そうかもしれない。でも、私にとっては、これが精いっぱいの主張なの。あなたやシバの女王のようになれない私が、それでも私なりに、言葉を持っていう主張なの」
「黙れ」
ソロモンは、震える手をナアマの首に伸ばした。ナアマの手が、がしりと掴まれる。
「それ以上、愚にもつかん言葉を重ねるな。口をふさげ、口をふさげっ!」
ソロモンの目には、耳には、もう何も届いてはいなかった。
目の前に、ビルキスを殺した者がいる。自分が誰より愛したあの女性を、自分の生きているこの世から、奪い去ってしまった存在がいる。もう、そのようなことしか考えられなかった。
ナアマの首を握る手にギリギリと力が込められる。レハブアムは泣き叫んでいた。泣き叫ぶながら、父に静止の言葉を言っている。しかし、ソロモンの耳には息子の鳴き声など、届かない。
「昔の私にした侮辱など、アンモンの謀反など、全て許そう。何もかも、許してやる」
ナアマは、命乞いなどする様子もなかった。青くなりながらも、じっと、ソロモンの事を見つめていた。
「だが、お前はビルキスを奪ったのだ。私がだれよりも愛した、唯一無二の、あの人を。漸く、ようやく出会えた、あの人を」
ナアマの瞼が、徐々にふさがっていく。
「許すものか。たとえ両親を許しても、お前の事だけは、絶対に許すものか」
すっと、ナアマの体が重くなった。パタリ、と、彼女の手が床に落ちる。
はあはあとソロモンも息を吐いた。手から力を緩めると、一切の抵抗なしに、彼の妻だったものの体は。ばたりと寝台に沈んだ。
夫婦と言う関係でありながら、ただの一時も、お互いに愛を感じたことなどなかった。結婚しただけの関係、それ以上に的確に彼らを指す言葉などなかった。
そんな女が、今、物言わぬ存在となり、寝台に横たわっていた。

レハブアムは、目の前の光景をただ見つめていた。「おははうえ……」かれはしゃくりあげながら名前を呼んだ。だが、ナアマはその声にも、もう反応することはなかった。
ソロモンは、ようやく、永遠に大人しくなったナアマを見下ろした。レハブアムの鳴き声を聞きつけたのだろう、召使の声がドタドタと聞こえる。
「どうかなさいましたか!」
声は、ベナヤのものだった。ベナヤは、しばらく声を飲み込んでいた。いつもなら巣飛んでくるレハブアムも、もう腰を抜かし、しゃくりあげているだけ。そして、ぐったりしたナアマを、見下ろしているだけのソロモン。ナアマの首には、赤い閉め跡が残っていた。
「へい、か……?」
ベナヤは、茫然として目を白黒させ、呟いた。そして、彼はぎょっとした、振り返ったソロモンの顔は、その端正ともいえる作りは彼がいつも合わせている王の者と寸分違わないはずなのに、その顔はまさに、人ならざる化け物だった。
「ベナヤ」彼は、短く言った。
「死体を片付けろ」
「へ、陛下。あなたは、ナアマ様に何を……?」
「聞こえんのか?死体を片付けろと言ったのだ」
「できません!王妃殿下が、なぜ、このようなお姿に!」
「当然の報いを受けたまでだ、その女は。私の愛する人を……ビルキスを、殺したのだから」
その言葉に愕然とし、ベナヤは、よろりとレハブアムの側にしゃがむ。レハブアムは必死に、ベナヤにしがみついてきた。よっぽど、心細かったのだろう。当たり前だ。こんな、こんなことが……三歳の子供の目の前で起こってよいと言うのか。
「ベナヤ?私の命令に従え」
「陛下、間違いであったと、言って下さい」
ベナヤは震える声で、レハブアムを庇いながら言った。
「間違いであったと……行って下さい。レハブアム様に、謝ってください」
「謝る?なぜ、私が」
「レハブアム様が、余りにも不憫です!」
ベナヤは悲痛な声を上げて言った。自分にしがみつくレハブアムの地あらが、一層強くなっていくのを感じる。「お願いです、ただ、一言……」レハブアムを抱きしめ装懇願する彼と、レハブアムの眼前に、ソロモンは立ちはだかった。
彼は、赤い目で二人を見下ろしながら、告げた。
「間違いなものか、これが、現実だ」
「陛下……!」
「不憫だと?肝に銘じておけ、レハブアム。お前の母は、このような仕打ちをされるに足りることをした」
「陛下、お願いです、それ以上、おっしゃらないでください」
あんなに、なんでもよく手に取るような人なのに。其れなのに、今この時のレハブアムの気持ちが、わからないと言うのか。ベナヤはそう感じながらも、言葉が出なかった。ソロモンは、止めとばかりに言い捨てた。
「レハブアム。私がこの世で一番憎んだものがいるなら、それはお前の母親だ」
ヒッ、と声が聞こえ、レハブアムは火がついたように泣き叫んだ。そして次の瞬間だった。ベナヤは、ソロモンを殴り飛ばしていた。
「それ以上……言うなと言ったろうが!」
ベナヤは、思わずそう叫んだ。

むくりと置き上がったソロモンが、じろりとベナヤを睨みつけた。だがそれにも、もう物怖じする気分はなくなっていた。
「わかっているのか……あんたが人の父親として、一番してはならないことをしたことを、わかっているのか!」
ソロモンは殴られたところを、床に座ったままパンパンとはたく。憮然とした表情で。その表情を見たベナヤは、さらに怒りに火が付いた。
「ダビデが貴様にした仕打ちも、貴様の行為に比べればまだ優しい!貴様は人でなしだ!今はっきりわかった、貴様が化け物呼ばわりされたわけが!その容貌のためだと思うな、誰もかれも、貴様の内心に気が付いていたんだ!親兄弟の情も忘れて、過去を水に流してやることもできずに血を分けた肉親を剣にかけて、今、異国の美女一人のために妻を殺し、息子を悲しませる貴様のような人でなし、閉じ込められて、迫害されて、当然だ!貴様など、独房で一人、死んでいたならよかったのだ!」
ソロモンに感じていた、倫理観の剥離。違和感、そして、劣等感。それらすべてを、ベナヤは言葉にしてソロモンに吐きかけた。
それが正当性のない言葉であると、彼はすでに知っていたはずなのだ。ソロモンに十年仕え、彼が肉親を憎んだのも、彼への虐待が理不尽なものであったことも、分かっていた。彼は、迫害されるいわれなどない、偉大なイスラエル王と呼ばれるにふさわしい能力の持ち主なのだと、分かっていた。
だが、それはもはや、ベナヤの中で崩れ去った。ソロモンは、許し難い罪人へとなり下がった。
レハブアムが泣いている。ベナヤはレハブアムの頭にそっと手を置くと、起き上がろうとしているソロモンに向かって、絞り出すように言った。
「ビルキスなんて、知る者か。俺にとっては、レハブアム様にとっては、ナアマ様こそ唯一無二の、この世で何よりも素晴らしい女だったのだ。貴様にはわからんだろうがな……一生、わからんだろうがな」
ソロモンはじっとベナヤを見つめて、言った。
「アンモンは、此度、属国でありながら私を裏切った。裏切り者は償わねばならぬ。ナアマを殺したことが明るみに出ても、私を責める者は、イスラエルにお前以外誰もいなかろうよ」
彼あそう言いすてて、つかつかと後宮を後にした。追いすがって剣にかけることも、できたはずだった。だが。ベナヤの心にそんなことは浮かばなかった。
「おははうえ、おははうえ……」
泣きじゃくるレハブアムを、彼は必死で抱きしめた。
「王子殿下、私が付いております」
レハブアムは、ベナヤに激しく鳴き縋る。ベナヤも、彼を離すまいと、力強く抱きしめた。
自分しかいない。この王子を守れるのは、自分しかいない。
「私が、ベナヤがここにおります。この私が、一生をかけてでも、貴方を御守りいたします!

宮殿でそんなどさくさが起こっている中、ひそかに起こっていたことを、まだ誰も知らなかった。牢から一人、脱獄者が出たのだ。守衛たちから武器を奪い、彼らを殺し、逃げ出した。

だんだん、と叩かれた扉を開き、ネバトは驚いた。
「ハダド……?」
全身ずたずたに引き裂かれた、まさに瀕死のような男、歩いているのもやっとダロウに、これでよく脱獄できたものだ。だが彼の目だけは爛々とした生命力を称え、いまだ完成されていない、イスラエルへの復讐に燃えていた。
「見ての通りだ。脱獄してきた。復讐はまだ、完遂していない……」
ネバトはそんな彼を見て、風とため息をつく。「まあ、あがれ」彼は手を引いて、ハダドを家の中に入れた。バタン、と扉が閉まる。
「イスラエルめ、必ずや、わが祖国の復讐を……」
と、その時。ハダドはグサリ、と、自分の背中から刃物が刺さるのを感じた。振りま得ると、ネバトが冷たい目で自分を見下ろしていた。
「悪いな、私達はもう、お前を見限ることにした。わざわざ来てくれて礼を言おう。王宮から少しは報酬金も出るだろうからな」
ずるり、とハダドは崩れ去る。満身の力を込めて脱獄してきたのに、その最後に残った満身の力が、抜け落ちていくように。
「馬鹿な……」ハダドは呻いた。
「俺無しで何ができる……。ただの貧民街育ちのお前が……」
「お前よりももっと、選ばれた奴がいるのだ。ソロモンを駆逐する奴としてな」
ネバトは、床に倒れたハダドに、屈みこみながらそう話した。「なんだって……?」ハダドは目を白黒させる。
「おい、ハダド。貧民街育ちの私がお前にいろいろ助言をできていたこと、変だと思わなかったのか?」
「えっ?」彼は聞く。確かに、利発な奴だとは思っていたが……。
「私の裏にある奴がいたのさ。まあ、彼も貧民街育ちは同じだが。だが、育ちが同じでも生まれは違う。なんというべきか……彼のような人物を、天才と言うんだろう。彼さえいれば、十分なのだ。イスラエルそのものを乗っ取る器は、彼一人だけだ」
その時。ぎしぎしと、腐りかけた階段を誰かが下って来た。
ツェルアの、一人息子。
「お前……」ハダドは、気が付いた。彼が自分を見ている、その目つき。まさか……。
「ネバトさん」ツェルアの息子は、よどみない声で言った。
「そろそろ、やれよ」
「ああ」
ぐさり、と、ネバトは急所を突き刺した。ドロドロの不潔な元娼館に、血だまりの汚れを増やし、誇り高きエドム王子、ハダドは絶命した。

「これでいいのか?」ネバトは、ツェルアの息子の名前を呼んで、そう言う。
「ああ。思ったよりも生一本すぎたから。五体満足で帰って来てたって、殺すつもりだったよ。こんなの、いても足を引っ張るだけだ」
「レゾンはどうする?捕まったが」
「あれもヒラム王に任せとけばいいよ。むしろ、彼の息子……ヘズヨンだよね。あいつは、父が死んで悦んでると思う。ヘズヨンは父と違って、現実的だから。あとはヘズヨンは落とし前つけてうまくやると思うよ。レゾン一味のアラム支配はもう実験の域まで言ってるし、むしろこれを機に、ダマスコ支配を盤石にするんじゃないかな。父を差し出した、っていうんなら、落とし前には十分そうだしね」
「なるほど」ネバトは口に指を当てて言う。
「ふふふ、さすが、未来のイスラエル王」気が付くと、部屋の隅にいた老人が笑っていた。
「この私が聞いたのだから。神の使いの天使様に……長い金髪をした、世にも美しい天使様に、聞いたのだから。この子こそ、イスラエル王になると。ダビデ王朝の支配に風穴を開けて王国を真っ二つにし、十二部族のうちの十をダビデの家から奪い去ると」
「私は神に愛されなかったが、だが信心は持っている」と、ネバト。「アヒヤ。あんたの預言に期待して、こいつにすべてをかけてるんだ。責任とってもらわなくちゃ困るぜ」
「安心せい。神の預言に、間違いがある者か……」
「……で、これから、どうする?」ネバトは、ツェルアの息子に聞いた。
「ダビデに被害者なんて、頼るからこうなったんだ。次はオレ自身が行くよ。まだ年齢は全然足りないけれど……オレが成長するまで……時が来るまで、ネバトさん、俺を育ててくれる?」
「勿論だ、ヤロブアム」ネバトは彼の頭をガシガシ撫でながら、彼の名前を呼んだ。
「しかし驚いたな、お前が王になると、実際にこの預言者に言われた時は……お前の母も、実は預言者なんじゃないのか」
「よせよ。偶然だ。あの人はただの狂人さ」

娼館の二回では、ツェルアが一人、ぶつぶつ歌っていた。
殆ど言葉を忘れてしまった彼女も、数少ない言葉だけは覚えている。それを歌うように口ずさんでいた。ヤロブアムが聞いて育った子守歌は、その一種類だけだった。
「ふ、ふ、ふ……私はイスラエルの王妃様、貴方はイスラエルの王子様……貴方のお父上は、とっても素敵な、イスラエルの国王様……」


宮殿から出たソロモンは、ラバを無我夢中で走らせ、神殿にたどりついた。そして、神殿裏の、シクラメン畑へと、彼の足は赴いた。
ここで、ビルキスと二人、愛を打ち明けた。つい昨日の事のように思える。彼らは、その日のように咲いていた。自分たちを祝福してくれた火のように、色とりどりに咲き誇っていた。
バ足り、とソロモンはシクラメン畑の中に倒れこむ。うつむき加減の園花々は、ソロモンをいたわってくれるかのように、ゆらゆらと揺れた。
「麗しいな、お前たちは」ソロモンは、シクラメンに語りかけた。そっと、目の前にある純白のシクラメンを、そっと撫でる。何もかも抜け落ちてしまったような自分とは違い、瑞々しく、誇り高く咲いている彼らを見て。
「羨ましいものだ。俺よりもお前たちの方が、まだ、持っている」
王国も、神殿も、自分の心の開いてしまった空洞を埋めるにはかなわない、ソロモンは深く、そのような喪失感に襲われた。ビルキス一人がいなくなったことが、こんなにも悲しいだなんて。
何も考えられない。考える気すらも、わかない。
この世はなんと、空虚なのだろう。これほど、この世が心を満たすには何も足りないところであるなど、思いもしなかった。
神すらも、今は自分を見放しているように思える。空しい、さびしい、何もかも、がらんどうだ。
「空の空」ソロモンは、静かに泣きながら呟いた。「すべては空だ」
彼の心を象徴するように、冷たい夜風が吹いてきた。ソロモンは神殿の陰に隠れるように、一人ですすり泣いた。ビルキスとの思い出の場所で。もうこの世からいなくなってしまったビルキス、一人の事を考えて。

気が付くと、地面に伏せっていたはずの自分の頭はいつの間にか何かの上におかれていた。ベリアルの膝だった。ベリアルはソロモンを膝に抱き「よしよし」と言って、泣き続ける彼の頭をそっと撫でた。

(第四章・完)

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