クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第八十八話

薄よごれた娼館で、皮膚病の母に抱きしめられながら、呪詛のように何度も何度も耳に刻まれた。お前はイスラエルの王子なのだぞ、と、王子とは最も遠い境遇で暮らしているような自分に、その言葉がかけられた。イスラエル王ソロモンではない男の名前と一緒に。
母の事を嫌い、軽蔑した。だがそれにも負けず劣らず、自分の身の上が恥ずかしくなった。気の狂った母だけが見ている世界に生きる自分と、現実の自分との剥離に。それが、ヤロブアムの過ごした幼少期だった。

だからこそ、子供の頃のある日、彼は驚いた。母のもとに居たくなくて一人でエルサレムのはずれの野に出てきた自分の前に、一人の男がしっかりとした足取りでやってきた。それなりにいい身なりから、自分たちと同類でないということだけは分かった。パリッとした、卸縦であろう該当は久しぶりに見た。もうその頃には、ツェルアの取る客は、新品の外套の袖に手を通せるわけもないような身分の男たちばかりだった。
「坊ちゃん」彼は、穏やかでありながらしっかりした厳かな声で、そう問いかけてきた。怖い気は全くしなかった。「なに?」と、流れるように返事した。
「君は、イスラエルの神様を信じているかね」
「信じているよ。別に疑ってはいないから」
「そうか、それは何より」
貴方誰?と問いかけようとする前に、男は「私はアヒヤ。シロの預言者だ」と言った。
「預言者。じゃあ神さまの声が聞けるんだ」
「たまにな」
「王宮で預言をしたりもするの?」
「王宮や神殿は、性に合わなくてね」
彼はそう言いながら、パリッとした上着をゆっくりと脱いだ。
「じゃあ、どんなとこなら性に合うの?」
「神が迎えと仰ったところだ」
そう言うと彼は、驚くべき行為に出た。ヤロブアムの目の前で、自分の新品の上着をびりびりと引き裂いた。
流石にヤロブアムにも動揺が隠せなかった。自分などでは目にも書かれないような上等なうわが、軽々引き裂かれていく様子は、酷く非現実的なものであった。
「もったいない」彼は、そう口に出していった。
「上等の上着でしょ。それもおろしたての」
「こんなものでも、まだ足りないものだよ。此れから君がとるものは」彼は不思議にそうつぶやくと、布きれをばらまいた。
「十、取るんだ」
ヤロブアムはいぶかしむ。「とって、逃げるかもよ」
「君に上げるさ。だが、逃げずに話だけは聞いてほしいものだ」
ヤロブアムは、それに素直に従うことにした。いずれにしても、貰える者なら貰っておいて損はない。手触りが、非常にきれいな布だった。亜麻だろうか。いや、もしかすると、絹と言うものかもしれない。そう考えながら拾い集めるヤロブアムを、アヒヤはじっと見ていた。
「怪しまないのだね。素直な子だ」
「怪しむほど、おじさんは怪しくないよ」ヤロブアムは答えた。「母が、狂人なんだ。それに比べたら、たいていの人は怪しくないよ」
「そうか。……それは、可愛そうに」
「これでいいの?」ヤロブアムは彼の言葉に返答することなく、十の切れを持ち上げて見せた。彼は、残った二つと、その切れの束を見て、ぼそぼそと呟く。
「マナセ、エフライム、ダン、ナフタリ、シメオン、ガド、ルベン、イサカル、ゼブルン、アシェル……」
「え?」バラバラに呟かれた、イスラエル十二部族の名前のうち、中の名前。それに顔をしかめたヤロブアムに、アヒヤは当たり前のように告げた。
「君が、将来とるものだ」
「……どういう、こと?」
「私は預言者だ。神から授かった言葉を伝えるのが、私の役目。神は……神のみ使いの天使様は、私にこうおっしゃられた」
誰もいない野原に、アヒヤの声はよく響いた。まるでそこら毛は、エルサレムの、偉大なるソロモン王の支配から隔絶されているかのようであった。
「ソロモンは、いずれ堕落する。いつまでも神の教えを守る清き王として生きるべし、と言う神と交わした契約を破り、堕落する運命が、彼には生まれた。そのため神は、彼の持つダビデの国を引き裂き、十の部族を、ある男に与えよう……と」
不敬。その言葉が、何よりも似合った。だがそれを淡々と言う彼はあくまで穏やかで、その目は確実に、ソロモン異常にその言葉自信を信じ切っていた。
そしてヤロブアムも、そんなことを、と言う気分にはなれなかった。何より、もっと聞くべきことがあった。
「……それが、オレなの?」
「そうとも」
貧民育ちの少年。自分に何の未来があるかなんて、想像したこともない。母は自分の事を、イスラエル王子だなどと妄言をほざく。
だが、その時はじめて、ヤロブアムには希望のようなものが感じられる気がした。目の前が開ける、と言う感覚とでも言うのだろうか。母の言葉と皮肉にもだいぶ似通っているというのに、不思議なことにそれは圧倒的な説得力を持って、ヤロブアムの理解にストン、と一瞬ではまり込んだ。少年ヤロブアムにとっては初めて得る体験だった。
人の言葉とは違う力、それが、その言葉にあるような感覚。これが……これが、預言者が受け取る、神の言葉だと言うのだろうか?」
「本当に……」ヤロブアムは声を震わせ、聞いた。「本当に、神のみ使いから聞いたの?それを?オレがソロモン王から王国を奪い去って、十部族を統べる。王になるって……!?」
「ああ」
アヒヤの心情が、面白いほど分かった。アヒヤの口を通して聴くだけでも、此れなのだ。おそらく直接聞いたのであろうアヒヤが、信じていないはずがない。
「私は確かに聞いたのだ。金色の髪をたなびかせ、輝く白い翼を持った。世にも美しい天使様から……」


マケダ王女を残して、イスメニーがエチオピアに帰って早二週間。エチオピア王女マケダは、すっかりイスラエルになじみ、今では勝手知ったる自分の家、と言うようにエルサレム王宮を当たり前のように闊歩している。
ベナヤにとっては、それがここの所面白くない。こつ、こつ、と廊下を歩く、小さな少女の足音を聞いたとき、一瞬知らない振りで通そうか、とまで思ったほどだ。だがほどなくして、その足音が自分を不快にさせる少女の者でないどころか、一にも二にも頭を下げねばならぬ相手の物であったと気が付く。
「これは、王女殿下、ご機嫌麗しく」
「ベナヤ、久しぶりね」
彼女はバセマト、ソロモンの今の正妻である、エジプト王族の女性が産んだ娘だった。今年で十二になる。
「今日、こちらへお戻りに?」
「そうよ。離宮にいたって、退屈なんだもの……」バセマトは、母とともに離宮に住んでいる。ソロモンが新しく妻が来た時に建てた離宮だ。「お兄様は?どこにいらっしゃるの?」
「殿下であれば、ただいま少々遠乗りに」
「あらそう。お兄様がベナヤを連れないなんて、珍しいわね……」
バセマトはそう言って、少し眉をひそめた。十二歳の未熟な肌を刺激しない程度に塗られた化粧が、少々歪む。ベナヤにしても、言われたくないところを突かれた。彼が口ごもっている間に、廊下を召使たちがお辞儀しながら早足で駆けていく。その手には小さな椅子を抱えて、大広間の方に消えていった。王の裁きの時間が始めるので、その準備である。
「ま、いいわ」バセマトはそう言う。「エチオピアの王女さまが来たんですって?」
「え、ええ……」
「迎賓館に居るの?イスラエルの第一王女として、挨拶位はしておかなくちゃ」
バセマトの、この無愛想ながらもきびきびしたところは、レハブアムには似ていない。兄妹とは言えど、やはり腹違いなだけある、とベナヤは常々思っていた。
「その……」
「何?はっきりお言い」
「遠乗りに出られているのは、エチオピア王女……マケダ様もごいっしょですから」
ついに、ベナヤは言いたくないことを言った。だが目の前の十二歳の少女の反応は、意外にも「あら、そう」とあっさりしたものだった。
「じゃ、いいわ。待つから。しばらくあたし、王宮に居るわよ」
「も、申し訳ありません」
「何を謝るの?」と、バセマトはきりりと結んだ顔を動かしもしないまま、ベナヤを冷ややかな視線で眺めつつ言う。
「お前が謝る必要もないことに、ただ謝ればいいと言うものでもないでしょう。返って不愉快だわ」
彼女はこう言う王女だ。きびきびしてはいるものの、妙に何でも怒っているようなところがある。それも、今は亡きナアマに比べまた随分冷ややかで、気位が高い。こう言った途方もなく上から目線な態度は父親にだ、と思い、ベナヤは彼女の事もレハブアムほどかわいく思っているとは言い難かった。ただ、バセマトはこう悪態は言いつつベナヤの事をとそこまで悪く思っているわけでもないと見える。その証拠に、そうは言いつつ王宮に自分の部屋を用意させるわけでもなく、ベナヤのそばを離れなかった。
「王女殿下は、落ち着いておられますな」
「うわさは前もって聞いてたわ」と、バセマト。「エチオピアの王女様に、お父上も兄上もご執心だって」
「それは、少々下種な尾ひれがついておられます」ベナヤは可能な限りの冷静な声でそう言いかえす。バセマトは軽く鼻を鳴らした。
「だとしても、お母様に代わって彼女の顔を見たいとくらい、あたしも思うわ」
バセマトの言葉通り、バセマトの母はエルサレムに許可なく来ることは愚か、豪華な離宮から勝手に出ることすら許可されてはいなかった。彼女はエジプト人ではあるし、改宗もしていない。「神聖なるダビデの町には、改宗をしていない異邦人の妻はいてはならない」というのがソロモンの言い分であり、神学的には一部の隙もない正論であったため、誰にもそれに反論することはできなかった。
娘を数人産んだだけの彼女は、今はエルサレムから離れた離宮に放っておかれている。バセマトの事がそこまで好きではないベナヤも、彼女や彼女の母のそのような点には心から同情していた。ソロモンは、妻を誰一人大切にはしない。外交の潤滑油としての丁重な扱い程度は欠かさずとも、一人の人間として見ている、とはまるきり思えなかった。先述のバセマトの母に対する扱いにしても、口調自体は正論だが、その実他の異邦人の妻たちが自国の信仰を守りたいと言うにあたり、イスラエル各地に異国の神殿を立てることを許可している。神学的に許されることではないのは明白である。要は、ソロモンは自分の正妻すや長女ら傍に起きたくないだけなのだ。
みんな、ソロモンに首を絞めて殺されたナアマと同じ存在のように思える。ベナヤはほとほと、最近ではエルサレム宮殿にうんざりしていた。レハブアムさえいなければ、こんなところ、何故勤め続ける者だろうか。
「それにね、ベナヤ。お母様は本気で気に揉んでいらしっているけど、あたし、お父様に関しては別に心配していないの。若い女が近づくたびに正妻の座を奪われるのでは、って気にするのは、お母様の悪い病気だわ」自分の母に対しても、バセマトの辛辣な言葉はそのままである。
「でも、お兄様に関しては当たりなんじゃない?お兄様がベナヤをうっとうしがるなんて、よっぽどの事よ」
「王女殿下……」
何と返した物だろうか、と思いつつ、その時後ろからスタスタと当たり前のように歩いてくる足音が聞こえる。ベナヤははっとして振り返った、噂をすれば何とやら、そこには急ぎ足で大広間に向かう、マケダがいた。ベナヤが何か言う前に、バセマトは彼女のその異国風の服装、見慣れない顔立ちから、彼女が例の王女だと感づいたようであった。
「あら、ベナヤ将軍、ご機嫌麗しゅう」と言おうとした彼女の言葉に被せるように、バセマトはお辞儀をしながら、十二の少女にしては低い声で言う。
「お初にお目にかかります。ソロモンの第一王女、バセマトです」
「あら、初めまして。マケダですわ」彼女はにこりと花をほころばせたように笑う。こう言うのもなんだが、バセマトは容姿のほうは母親にであまり美人と言えた口ではない。それが常に無愛想なのだからなおさらである。どちらも好かないことには変わりないが、天と地の差とはこのことか、とベナヤは失礼を承知で腹の中で思った。
「失敬。私、用事がありますの。こちらにはまだいらっしゃるの?また、ゆっくりお話ししましょうね」
「ええ、是非。噂通りの美しいお方とごあいさつできて、光栄でした。それでは」
最もバセマトの方は、ベナヤのそんな心情すら離れ笑うかのように、全く悔しがりもしなければ、そもそもどう思っている様子すら見せない。自分と彼女に容姿の差があることなど、バセマトにとっては気にするべきことでもない事であるかのようだ。
マケダはすたすたと大広間にほうに早歩きで消えていった。少しすると、早足でこちらにやってくる姿。
「あ、ベナヤ!と、バセマトか……久しぶりだね、来たのか?」
「あら、お兄様」「王子殿下、お帰りなさいませ」
「ねえ、マケダがここに来なかった?」彼は息を弾ませていた。
「大広間の方にいったわ」
「やっぱり!?」と悔しそうな声。ベナヤは何があったのかと問いかける。レハブアムは憤慨して答えた。
「もうすぐお父上の裁判が始まるから、それを見学したいから先に帰るって、僕をおいてさっさと帰っちゃったんだよ、あの子」
そうだ、イスラエルに来てから彼女はよくよくソロモンの裁判に同席して彼の裁きを見ている。最近では彼女に注文されずとも裁判が始まるたびに、彼女が座るための小さな椅子が用意されるのが習慣になっていた。
「当たり前でしょ。彼女、イスラエルに学びに来ているんだから。馬術くらい、エチオピア人の方が得意なんじゃない」
そんな兄に冷や水を浴びせるように、バセマトが言った、レハブアムはむっとして五歳下の妹を睨みつけるが、彼女は涼しい顔だ。
「ベナヤ、やっぱりお兄様に関することは、嘘じゃないみたいね」
ベナヤは頭を掻かく。
「お兄様、遠乗りなら自分の婚約者をお誘いになって差し上げたら?彼女、きっとさびしがっているわよ」
そう言い捨てたきり、バセマトは言うことは全部言ったとばかりに後宮の方に向かっていてしまった。「待てよ!」と言うレハブアムの言葉も聞かずに。
「ほんと、なんてかわいくない妹なんだろ、なあ、ベナヤ!」
「おっしゃる通りで」バセマトの姿が見えなくなったのを確認してから、ベナヤも追従した。「大体、あんなばあさん、誘う気にもならないよ!父上ったら、本当になんでまた勝手に、僕の婚約者まで」
レハブアムは惜しそうな顔で、大広間に続く道をぼんやり眺めていた。
レハブアムの婚約者としてソロモンが選んだのは、マアカと言う女性である。親族婚を良しとするユダヤの風習に従って、ダビデ王家から選ばれたのだが、彼女はかのアブサロムの娘であった。裏切り者の王子の烙印を押されてしまったアブサロムの家をまたダビデ王家に引き戻すため、と言えば聞こえは悪くないのだが、だがアブサロムが死んだのはソロモンが子供の時だ。必然的にその娘も大した年になっている。と、言うよりも、アブサロムの娘と言うことが災いして嫁の貰い手もないままゆかず後家になってしまった王家の女性マアカに対する救済と言う意味もある婚姻であることは間違いないだろうが、血気盛んな若い王子にとっては十以上も年上の女性との婚約など、面白くもなんともなかろう。
だから、彼がマケダに関心を持つことも、ベナヤにはわからないではない。若くて明るくて、それに彼が初めて見るほどの美少女。心が傾くのも、人情と言うものだ。
だからこそ、ベナヤは危機を感じる。レハブアムはたった三歳の頃だ、覚えていないのだろうか。自分の父を誘惑した女の顔など。その美貌が、またエルサレム王宮を侵食せんとしている様ではないか。

裁判の時間も終わり、人がぞろぞろとはけていく。ソロモンは、自分に駆け寄ってくる小さな影を認めた。
「やあ、今日もご覧になっていたのだね、マケダ」彼は、あどけないエチオピア少女に穏やかに笑いかけた。
「面白いかい?」
「ええ、非常に興味深いですわ。王たるもの、民に秩序を与えることはいろはのい、ですもの」
マケダは、ごく自然にソロモンの隣について歩く。
「今度は、陛下のお隣で聞いてみたいものですわ」
「ああ、いいとも。宮廷長にそのように伝えておこう」
「本当ですか!?嬉しいです!」
「なに。大したことじゃない」さらりとソロモンは答えた。本来ならレハブアムあたりが座る席だが、レハブアムを無理に引っ張って来てもどうしようもない中、この王女が座りたがっているというのなら実にちょうどいいことだ。
ソロモンも、無論利発な王と言われるだけのことはある、自分がこの王女を気に入っている様子であることが、既に下種なうわさを読んでいることくらいは知っていた。だが、特に向きになって否定するのもばかばかしい。
マケダにだけは、非常に素直に好意を向けられることは全くの事実だった。彼女は知識欲旺盛で、なんでも聞いてくる。それだけにこちらも、答えたくなる。ビルキスが幼いころ、タムリン隊長が感じていた行為も、これに似たようなものであったのではないか、と最近考えるほどだ。
何人も妻を貰ってきたし、彼女位の幼い少女を迎え入れたことすらもあった。だが、そのつまらない異国の女たちへ感じた情を合わせても、彼女に今感じている好意には到底届かないようにすら思えた。
まるで、それこそ、ビルキスを失った悲しみが、少しずつ、少しずつ埋められていくかのような感覚。十四年間、自分を痛め続けていた苦しみが、ビルキスそっくりのこの少女によって、やわらげられていくかのようだ。
「陛下は、お優しいのですね」
「誰にでも優しいわけじゃない。だが、一度気に入った人間にはどうも入れ込んでしまう性質なのだよ」
言っていてソロモンは、自分が自然に笑えていることにようやく気が付いた、本当に、こんな表情ができるのはいつぶりだろう。正妻の座に執着するだけの新しい妻や、箸にも棒にもかからない女たち、遊ぶしか能のない王子、自分の気をいらだたせる面々に囲まれている中、これほど打ち解けられる相手も、珍しい。

ソロモンは、そちらの方を見ていなかった。だから、ソロモンにしか見えない彼を、誰も見ていたはずがない。
だが、ベリアルは確かに、そこにいた。王宮の中庭を囲む渡り廊下をマケダとともに歩くソロモンを、片側の綿思想家の庇の上に腰かけて、じっと見ていた。正確には、彼の隣を歩く少女も一緒に。
彼はカリ、と音を立てて親指の爪を噛むと、その澄んだ青の瞳にしっかりとマケダを映した。
「……何の、つもり?」と、ベリアルは呟いた。
そしてもう一度、視線をソロモンに移す。久々に見る、彼の柔らかい笑顔が、そこにはあった。
やがて、彼らは建物の中に消えていく。それでもベリアルはしばらく、そこに座り続けていた。
「……幸せそうだね、ソロモン……」
誰にも、聞こえない声。聞こえているにしてもささやくような音量。だが、もしその声を聴いた人がいたら、驚くに違いない。
天使の声と言われて人が想像するには低すぎるほど低い声で、ベリアルはそうつぶやいたのだ。

その夜、迎賓館でのことだ。
迎賓館の中でも一番位の高い部屋で、マケダは侍女に髪を梳かされていた。「いかがですか」と言う時事の短い問いに、彼女は日中ぺらぺらと使いこなしていたヘブライ語を引っ込め、母国の言葉で返答する。
「意外と固い男だな、ソロモンは……妻や妾がわんさといると聞いていたから、女好きだと踏んでいたが……意外だ」
「あら、そうですの?」と、侍女は言う。
「ああ。お前の耳に入るような噂通りでないことは確かだ。いくら美しいから……昔愛した女に生き写しだからとはいえ、十四の小娘にあっさり鼻の下を伸ばす男ではない。とはいえ……私の事を気に入っていることは、真実だろうがな」
「では、脈がなくもないと」
「無論だ」
「そう言えば、ソロモンの王子も殿下の事をお気に入りでいらしたと……」
「あれは捨ておけ。馬鹿王子など相手にする時間も惜しい」マケダはそう軽く言い放ち、枕元に飾ってあったエチオピアの偶像の手から、するると探検を抜く。銀色の刃が、ゆらゆらと姿を変えるランプの光に妖しく煌めいた。
マケダは絹で丁寧にその刃をぬぐいながら、その美貌もそのままに、妖しく微笑む。
「私の獲物は、ソロモンだけだ。私がこの剣にかける相手はな……」

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