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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第八十九話


「ありがとう」と、マアトシャレ……ソロモンの現正妻にしてエジプト王の娘である彼女は、目の前の若い役人に行った。彼女に穏やかにそう言われ、彼事ヤロブアムも、「どういたしまして」と穏やかに微笑みながら、裸の体に着物を纏う。
「王妃様もお可哀想に。このような離宮に追いやられて」
このように適当に慰める事にも、もう慣れた。ハダドもしていたことだが、やはり、寂しがっている女を頼るのは得策だ。ソロモンがもう少し妻思いな性格をしていればこうも行かないだろうことを考えれば、これは全くソロモンの落ち度だ。ヤロブアムは最近、そのように思考するようになっている。
マアトシャレは、ヤロブアムの目から見ても、確かにソロモンに釣り合うだけの女にも見えなかった。貴族女にありがちな、嫁に行って家を富ませ、後は妻の地位をできるだけ手放さないことに執着するだけの女、と映った。女は、好かない。女はどうしても、母親の事を思い出してしまう。
「お前だけよ、妾を気にかけてくれるのは」肉付きの良い腕を伸ばして、彼女はヤロブアムの腕を抱いた。
「バセマトが王宮に行ったと聞いて、妾を訪ねてきてくれたのでしょう?」
「そうですとも」ヤロブアムは反射的に返答する。目の前の王妃は、満足そうだ。
「良かった。ソロモンと、あの子にだけは知られたくないのですもの。本当、何を考えているのかわかりゃしない不気味な子で……」
そんなことを言う彼女は、酷く滑稽に思える。知られたくないも何も、自分に。王宮に行くからすれ違うに母のもとに行くと言い、と助言したのは、バセマト自身だ。彼女はおそらく、知っている。自分と母の関係も、自分が何を望んでいるのかも。
女は嫌いだが、ヤロブアムにとって数少ない例外がかの王女であった。自分と似たようなものを感じる。静かで、虎視眈々としたところがある。唯一物足りなさを感じているとすれば、野心には欠ける、と言う点であった。
「そうだ、これを……」
ヤロブアムは、封をした書状をマアトシャレに渡した。マアトシャレの父宛の手紙だ。彼女は寂しがり屋だし、思い込みが強く、プライドも高い。下手に、直接協力を申し出たら、それこそ私を愛していただけではなかったのか、とヒステリーを起こして、ソロモンのもとにすべてをばらされかけない。だから、彼女に求めているのは、彼女自身も知らぬ橋渡しの訳、それで十分だった、適応な口実をつけて、エジプトのファラオに連絡を取る窓口を作る、それだけでいい。王妃が実家に送る手紙など、どんな状況でも検閲されっこない。
「ありがとう。お父様も、貴方の事を気に入っていらしてますよ」
マアトシャレはにこにこと笑い、内容も知らぬその書状を受け取った。そうだ、エジプトのファラオ、彼には気に入られる必要がある。
それこそ昔から、彼はソロモンとの生ぬるい関係をつづけつつ、ずっと彼を目障りに思っているのだから。

昼下がりの事で、ソロモンはマケダとともに王宮の庭の中にある薬草園に出て生物学の講義をしていた。
分かったかな」と念押しすると、その都度マケダはコクリとうなずく。それで実際きちんと聞いているのだから、楽なものだ。ビルキスの一件があってから薬を作ることすら嫌になっていたが、また久しぶりに、自分も薬学に対する興味がわいてきたような気もする。失われた熱意までもが戻ってくる感覚は、ソロモンにとって非常に心地よかった。
ひと段落すると、彼らは東屋の中で休憩した。宮廷長のヨシャファトが飲み物を持ってくる間、しばらく沈黙が続いていたが、マケダがそれを破った。
「陛下は、私をよくご覧になりますのね」
クスリ、と悪戯っぽく笑ってそう言うのだ。ソロモンも軽く笑いかえして「そうだろうか」と言う。
「ええ、そうですとも。……私は、美しゅうございますか?」
「ああ、美しいとも、申し分もなくね」素直に、ソロモンはそう返答した。「もっとお育ちになれば、さらに美しくなろう」
「驚きましたわ、陛下でもそのようなことをおっしゃいますのね!」マケダは頬杖をついて、そう言いかえす。「変かね」彼は言った。
「諸国の王の中でも、私は特別妻の数が多いことで有名なはずだが」
「妻の数が多い事と、遊び人であるかどうかは、必ずしも一致しませんもの」と、マケダ。「欲望と理性は対立するものですわ。知恵に満ちた陛下であれば、理性が勝るものと思いますもの」
「そうか、そうか……では、君を欲望で不快にさせてしまったかな」ソロモンは薄く笑ってそう言う。「不愉快な思いをさせてしまったのなら、謝るよ。王女殿下」
「いいえ、何が不愉快な物でしょう!むしろ私は、今さらに驚いておりますわ。、並の男が言えばただの欲望の文句でも、陛下のお口を通されれば理性が織りなす賛美の言葉になるのですもの」
「ははは、君もよくよく、人を褒めるのが上手いね、王女殿下」
ソロモンはマケダの賛辞に感謝した。確かに、世の男が欲望と言うほどのギラギラした感情は感じないが、自分がマケダに多して思う思いがただの異国の王女に対する適切な礼儀とは、また違うという自覚も、しっかり持っている。
十四年前に死んだビルキスが、まさか赤ん坊になって生きかえったでもあるまい。しかし、そうとしか思えないほど、マケダは彼女に生き写しなのだ。無自覚に目で追っていたとしても、うなずける。そんなことはありえないと思っても、ビルキスが再び、自分のもとに帰ってきてくれたのではないか、と言うやすらぎを、彼女を見ていると感じられる。
笑った顔の華やかさも、流れる漆黒の長い髪も、エチオピア人よりあら煤塵のそれに近い褐色の肌も、オフィルの黄金にも勝る金の瞳も……全てが、思い出の中のビルキスがそのまま幼くなったかのようだった。彼女と一緒に、この薬草園にも来たことがある。この東屋はあれから1,2度作り変えていたが。この東屋で話し込んだこともある。全て、昨日の事のように思い出せる。ただただ空虚な十四年間も勝る充足が、確かにこの空間に存在した。
勿論、そんな感情をおくびに出す気もない。これが健康的な感情と言え難いのは百も承知であるし、何を知るでもないエチオピア王女にビルキスの代わりを願う気は毛頭ない。ソロモンは話題を変えた。
「私の息子とも、良くしてくれているようだが」
「あら、そうでしたかしら」彼女はとぼけて見せた。
「息子の動向位は分かっているつもりさ、不肖の息子に付き合ってくれて、父として礼を言わねばならないからね」
「お礼を言われるほどの事でもありません」さらりと、マケダは言った。「小さな子のお守りでもしている気分ですわ。可愛い王子様です事」
その言いぶりを聞いて、ソロモンもさすがに苦笑する。
「息子が聞いたら、なんというだろう」
「陛下は気に入った方にはとてもお優しいと聞きましたわ、王子様の事も甘やかして育てましたの?」
「そうしたつもりもないのだがね……」彼はぼそりと呟く。甘やかしたと言うよりも、彼には、何をかまう気にもなれなかった。彼が育つにつれ、自分の英知どころか母親譲りの愚かさを引き継いだような子供であると知ってからは、なおさらの事であった。可愛がる気にもなれないし、その価値もない、と思っていた、だいたい自分がかまわずとも、ベナヤが彼にやたらと過保護なのだから。
「まあ、跡取りとして、不安にならないではない」ソロモンは本音を言うことにした。レハブアムが、イスラエルを治める器である気はしない。其れこそ、このマケダ王女のように、利発で積極的な子供がいさえすればいいのだが……。


夕方前に、ヤロブアムは宮殿に戻り、残っていた仕事を片付けていた。それもひと段落し帰ろうとした矢先、王に出会った。
ヤロブアムはもちろん、丁重に挨拶する。ソロモンも、遅くまで仕事をしていた彼をねぎらった。彼の隣には、マケダ王女もいた。
ソロモンは軽く、マケダにヤロブアムの事を紹介した。ヤロブアムは彼女に挨拶もしつつ、なるほど、と思う。近くに寄り言葉を交わすのは初めてだが、こうしてみれば改めて、美人然とした美少女だ、と感じる。女嫌いでも、審美眼はごく普通であるつもりだ。レハブアムがここの所落ち着かない様子なのも、わかりそうなもの。もっとも、あの頼りない王子に釣り合いそうな程度にも見えない。一人なら、その滑稽さに笑みがこぼれている所だった。
「そうだ、ちょうど良い」ソロモンは、ヤロブアムを引き留めた。ここから先は関係のない話であるからと、マケダを侍従に任せて迎賓館に送り届けさせて。
「軽くだが、話があるのだ。もしよければ、少々付き合え」
「は、お言葉に甘えまして」ヤロブアムはもちろん、素直に受け止めた。内心では、自分の企みがばれているのではとひやひやしながらであったが、幸いそのような話ではなく、彼は心から安堵した。安堵したどころか、非常に彼にとっては喜ばしい話だった。

その次の日の昼だった。王宮で、軽い暴力沙汰が起こった。
とはいえ、それが咎められなかったのは、ひとえに加害者がベナヤ将軍であったからだ。騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬も、ベナヤのあまりに気着せます表情に、彼を止めることができなかった。
「よいか!」と、ベナヤは叫ぶ。「王子殿下に対する侮辱は、この私が容赦せん!」
事の起こりと言うのが、こうだった。午前中に、ヤロブアムを昇進させることを、王が発表した。十二部族のうち二部族、「ヨセフの家」と呼ばれるマナセ族とエフライム族の管理を全面的に任せることにしたのだ。彼の働きぶりに応じて、いずれ十二部族全ての知事の上に立たせることも考えているという。
確かにヤロブアムの有能ぶりは抜きんでている。異論を唱える者はいなかった。だが、王はそれを差し置いても、重臣の中でヤロブアムに特別目をかけている。素性も分からない、貧民街育ちの若者を。
ひょっとすると王は将来的に、ヤロブアムを養子にし、無能な王子の代わりに自分の跡継ぎにしようと計画しているのではないか、と言ううわさが湧いて出てきたのだ。血統ではなく、実力主義での跡取り選びをしないと言い切れない彼の気質と、王自身も、ダビデの長男ではなかった。加え、体に障害があった。だが、その優秀さゆえに健康な兄たちを差し置いて王位についたのだ、と言う事実が、その噂に真実味を持たせた。
それを先に耳にしたのは、レハブアムの方だった。だが昼食の時、落ち込んだ様子のレハブアムから、ベナヤの耳にも入った。そんなまさか、と思って歩いていたところを、一人の若い宮殿の祭司が、まさにそう言っている所を見つけてしまったのだ。「私は確かに、ヤロブアムは王になる器に見えるね。レハブアム様は、王族に生まれただけの存在だ」と言った祭司を、ベナヤは気が付いたら、罵声とともに殴り飛ばしていた。

目の前で、殴り飛ばされた祭司が頭をこすりながら床に突っ伏している。ワイワイと飛ぶ声。だが、謝罪をする気にも、ベナヤ離れ仲他。
「貴様は、自分がいかなる不敬を働いたか分かっているのか?」ベナヤは周囲の目も気にせずに、すごんだ声でそう言った。祭司はもごもごと何か言っていたが「なんだと!?」とベナヤに大きく言われた時点で、黙り込んでしまった。
レハブアムを可愛がってもいない王が来れば、この場はベナヤの非で終わるに決まっている。だからこそ、今、言っておかなくてはならないのだ。レハブアムを不当に貶める者は、許せない。だが、意外にもその場を収めたのはソロモンではなかった。
「まあまあ将軍、そのあたりで」と悠々とした声とともに、ベナヤからは距離を取っていた野次馬を掻き分けて一人現れたのは、ヤロブアムであった。

「ヤロブアム……」
元はと言えば、この謂れも知らぬ成り上がり者のおかげでレハブアムが傷ついたのだ。どの面を下げて止めに入れたものだ、と睨みつけるベナヤなど眼中にもないと言わんばかりに、ヤロブアムは若い祭司を助け起こし、そしてベナヤに向かい合って言った。
「そう怖いお顔を成されずとも、私も事の発端位は聞きました。将軍。全くの濡れ衣で暴れられましては、誰も得をしませんでしょう。将軍にとっても王子殿下にとっても格を下げるだけの事ですし、この私も、私を昇進された王にとっても迷惑な話です」少し顔をずらし、若い祭司にも言う。
「君も君だ。根も葉もないうわさに加担するのはやめてくれたまえ、王は私の能力を正当に買ってくれただけの話であるし、私にしても、敬愛すべき王子を蹴落とそうなどという思いは微塵も持ってはいない。先ほど将軍にも言ったが、言われるだけ、こちらとしても迷惑だ」
「はっ……申し訳ございません、ヤロブアム様」
自分やレハブアムには謝罪の言葉を述べなかったというのに、ヤロブアムにははっきり返事をするその姿に、再度ベナヤが怒りを感じた時、すかさずヤロブアムが「将軍閣下にも謝罪したまえ」という。若い祭司は素直に従った。
「これで怒りをお納めください、閣下」ヤロブアムはにこやかにほほ笑みながら、言う。
「根も葉もないうわさです。陛下にそのような意図はございませんし、私もなぜ王子様のお立場を奪うような真似が出来ましょう。あなたの遣える陛下を、どうか御信頼ください」
ソロモンに対する信頼など、当の昔に消え失せた、だが少なくとも、当のヤロブアムがここまで丁寧に謝罪をする以上、もはや自分が食い下がれる状況でもない。「……わかった。すまなかったな、手荒な真似をした」と、こちら側も謝るしかなくなった。出来る限り不機嫌を悟られぬように、やじ馬が慌てて作る溝を通り抜け、ベナヤもレハブアムのもとに帰っていった。
「大丈夫かい」と、ヤロブアムは祭司に再度声をかけた。「ええ……ありがとうございます」と、ぞろぞろはけるやじ馬たちの発する雑音の紛れてしまいそうな声で、言った。
「気を付けたまえ」と帰ろうとして、クスクスとヤロブアムからも笑いがこぼれる。特に名前も覚えていないような男だった。しかし、そんな下っ端の目から見ても、レハブアムより自分の方が、王の器に見えるらしい。
ベナヤに言った事とて、嘘ではない。レハブアムの器如き、興味があるものか、自分が狙うのは、ソロモンの器だ。
そう笑っていると、ふと、ぞろぞろはける雑踏の中にあって、動かずに自分の方を見ている影を見つけた、自分と同じようにくすくす笑うその姿に、ヤロブアムはまるで、鏡を見たかのような感覚を覚えた。
「やあ、先日の……」ヤロブアムは跪いて挨拶する。その相手が、マケダであったからだ。
「堅苦しい挨拶は結構よ」マケダは優しく言う。「立派なお役人さんなのね。ソロモン王もあなたの事を褒めていたけれど、良く分かるわ、腰の低い方ですこと」
「王宮に仕える者として、当然のことをしたまでですよ」
そう言いながら、ヤロブアムはじっと彼女の事を観察していた。先ほどの、鏡を見るような感触の余韻が、まだ残っていた。
女子絵が美しくても美しくなくても、それはただの事実であり、自分の感情を左右するものではないと感じていた。その思いは、今でも変わらない。彼女の華やかな美貌、その綺麗な笑顔も、貧民街育ちとはくらべもの身もならない発育した体つきも、イスラエルの女性とは違いあらわにしている流れる長い黒髪も、自分がレハブアム王子のように彼女に入れ込む理由にはなり得ないだろうという気がしていた。
それでも、その余韻が、ヤロブアムの心を不思議とマケダに引き付けた。しばらくその場で、彼らは話し合っていた。ヤロブアムにとっても、さっさと行く気になれなかった。

よろよろと歩きだした若い司祭……イエドは、誰も何もわかっていない、と言う言葉を飲み込みかけた。
ヤロブアムの方が有能だからとかなんだとか、そんなことは、どうでもいい。
自分はただ、見たまでだ。ヤロブアムが王となる姿を。
「災難だったね」と、少女が一人、声をかけた。バセマトだ。本来ならお辞儀する相手だが、彼は幸い彼女の教師役を務めても折り、友人のように気心知れた仲だった。
「イエドは、口が軽いから」
「ええ、そのおかげで、災難な目にあいます」
「預言者も、つらい物なのね」バセマトは笑った。
「あたしのように、貴方の預言を信じているものはいるから、安心して」
「は。ありがたき幸せにございます……王女殿下」
若い自分に、ごくたまに預言が下るということを、誰も信じてはくれない。信じてくれないから、わざわざ言う気もない。
だが、王女バセマトだけは、そのつんけんした性格にも似合わず素直に信じてくれる。それが、このひたむきで不器用な若い祭司の支えであった。

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