クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第四話

顔を真っ青にして、ナタンは跳ね起きた。
まだ日が明けるまでにはたっぷりあった。彼は乱れた息を必死で整えた。老いた体は、汗でぐっしょりと濡れていた。
実にショッキングな預言の夢だった。前に見たものよりもひどい内容だった。
ようやく落ち着いてきたころ、ナタンは考え込んだ。この予言を王に伝えてもいいものだろうかと。
ナタンは、彼自身の預言の力に強い自負を持っていた。王に気に入られるために適当な預言を言うだけの職業預言者ならばまかり間違ってもこのようなことは自分の心の奥底に秘めておくだろう。しかし、彼は自分だけは違うという自負があった。どのようなお告げでも、それが神から下されたものである限り、ダビデに伝える義務があるとナタンは思っていた。
告げなければなるまい。彼は声を出さずに自分で自分を鼓舞した。大っぴらに告げては騒ぎになる。またあの、ソロモンと悪魔の夢のように、ひっそりとダビデ一人に告げようと考えた。


同じ時間に、ソロモンとベリアルも起きていた。もっとも彼らに至っては特に悪夢にうなされてと言うわけではなく、全く普通に起きていた。
「今は何描いてるんだい、ソロモン?」
ベリアルがソロモンの机のすぐ横に立って言った。
「ん……ちょっとな。柱のデザインをやりたいと」
「柱?」
「ああ。大黒柱になるものを。一本だと不安があるから、二本」
「どれどれ、ボクにも見せてよ」
ベリアルはソロモンの手元を覗き込んだ。彼も描くことをやめ、手を引っ込めて自分の作品に見入るベリアルの横顔を見ていた。ベリアルは完璧なまでに美しい。蝋燭の光に照らされて彼の滑らかな顔は明るく色づいていた。澄んだ目を細めて、微笑みながら彼はソロモンの描いた柱のデザインに見入る。
「きれいだなあ」ベリアルは言った。「君の描くものは、なんでもきれいだ」
「天使ならばこのくらいのものは見たことがあるんじゃないか」
「ふふ。確かに天国にはもっときれいなものもある」彼はふと窓の外に視線を飛ばしてそう言った。
「でも、この世となると」
「そりゃあ、こんなもん実際には作れるもんか」ソロモンはぼそりと呟いた。
「全く非現実的だ。規模にしても、構造にしても」
「そうかい」ベリアルは少しさみしそうに呟いて「今日はまだ外に出てないじゃないか。散歩でもしないか?」と、図面を机に返しながら言った。ソロモンもなんとなく続きを描く気分にもなれず、それを了承した。

ドアの鍵を開けて、明かりも灯っていない廊下をソロモン達は慣れた足取りで進んだ。わずかな月明かりと星明りだけでも、ソロモンには王宮がどうなっているのかよくわかる。ベリアルが来る前は、ずっと一人で夜の王宮をうろついていたのだから。誰もいない、彼とベリアルだけの宮廷を彼らは足音も立てずに進んだ。夜風に揺れる木の葉のほうが、彼らより騒がしいほどだ。
彼らは中庭に出た。ともしびも消された夜の庭は足元も見えないほど暗かった。まして月の光の届かないソロモンの部屋の窓の下は、本物の真っ暗闇だ。
ソロモンとベリアルは闇に包まれた彼らのシクラメン畑に入っていく。シクラメンの咲いていないところに腰を下ろした。
シクラメンは香りがしない。真っ暗なところでは、彼らの存在を占めるものは感触だけだった。しかし、それが心地よかった。
夜風に混ざって、様々な音が聞こえてくる。あれは木の葉のそよぐ音、あれは犬の遠吠え、とソロモンは心の中でそれぞれを理解した。夜と言えど決して無の世界ではないのだ。
ベリアルは初めて会った時、光り輝いて見えた。しかし今は自分に合わせてか、全く暗闇に溶け込んでいる。自分の肩に彼の感触を感じる以外は、彼の存在を推し量る方法は何もなかった。
夜の風は決して心地よいものではない。ひ弱な彼の体にその冷たさは突き刺すような苦痛にもなりうる。にもかかわらず、彼は夜の散歩が好きだった。
「人間は夜に生まれてくるらしいね」ベリアルが静かに口を開いた。
「君もそうだったのかな、ソロモン」
「おそらくはな。だが、人間に限ったことじゃない、多くの生物は往々にして夜に子供を産む」
「なんで?」
「出産時ほど無防備になるときはないからではないか。子供を半分出したまま逃げるわけにもいかんだろうし」
その言葉を聞いてベリアルは「なるほどね」と笑った。
「でも、変だよね。鹿にとってのライオンみたいなのは、人間にはないのに、人間も同じことをするなんて」
ソロモンの右手に、ベリアルの手が触れた。
「神様に愛された存在なのに、特別な存在なのに」
その言葉を聞いたとき、ふとソロモンは眠気を感じた。普段なら眠くなる時間ではないのだが。彼はベリアルの体に自分の体を預けた。ベリアルは拒まなかった。
「寂しいのかい?」彼は言った。寂しいから体を預けたわけではない。ソロモンは眠いのだ。しかし、ベリアルの言葉に反論する気が全く起きなかった。
「うん」
そうだけ言って、ソロモンは眠りに落ちた。


夢とも現実ともつかないが、夢とするにはあまりに面白みがないほど目に映る光景は王宮そのままだったので、おそらく現実なのだろうと思う。ソロモンは目を薄く開いた。薄く開くしか気力がなかった。自分はいつの間にか、王宮の中に運びこまれていたらしい。あの後眠ってしまったのだろう。周囲はまだ暗く、朝には程遠かった。
自分がベリアルの膝の上に寝かせてられているのだとソロモンにはわかった。体が重く、動かない。ベリアルは自分を見て優しく微笑んでいた。王宮の大広間、ダビデの玉座の置いてある部屋にいるのだとソロモンには分かった。大量の明り取りの窓が、月と星の光を吸い込んで、夜にしては広間の中は明るかった。頭も動かせない。視界に映るのはベリアルの笑顔だけだ。しかし、彼には自分の居場所が分かった。彼の背中は何か固いものに預けられていた。ごつごつした、金属製のものだ。椅子の手すりのように思えた。そこから、彼は理解した。ここはまさにダビデの玉座だ。玉座に座ることは、ダビデ以外のだれにも許されない。見つかれば刑罰が待っている。そのことを彼はベリアルに言おうとしたが、口を開く気力もなかった。
「人間は特別。でもその中でも、君はもっと特別」
ベリアルはそう言った。言葉に合わせるように、ベリアルの指が真円を描くように動いた。彼の指先が光り輝いていた。彼の指の通った後にはそのまま光が残り、彼が円を描き終わるとちょうど光の輪ができた。それは王冠のような形をしていた。ベリアルは寝ているソロモンに、光の王冠をかぶせようとした。
「君は神様に選ばれたんだよ、ソロモン」
彼のつぶやきが耳から入ってくるようには思えなかった。自分の心臓に反響しているように、ソロモンには思えた。彼はそのまま、また眠気を感じて寝てしまった。



翌日、ダビデの王座は全く普段の通りだった。誰も、ダビデ以外の人物がその座を占領したなどとは思いもよらなかった。
異常があるとすれば、そこに座るダビデのほうだった。アブサロムがちょっとした用事があって父のもとにやってきたとき、ダビデはナタンと面会していた。そして彼の言葉を聞き、青い顔をしていた。
ナタンが告げたことが父にとって好ましくないことであることくらいは容易に想像できた。ナタンは時々、容赦のない預言でも父親に言い聞かす。
おそらく、何か重大事なのだろうとは思う。ダビデの息子として、自分もその預言を聞く権利、いや、義務くらいはあるだろうとアブサロムには思われた。自分の力によって事態が進展するのかもわからないのだから。
「父上、ナタン様」アブサロムは丁寧な挨拶をしてから彼らに歩み寄った。彼らは近づいてくるアブサロムに全く気付いていなかったようで、驚いた。
「こんにちは。どうしたね、アブサロム」と、いつも通り優しげに語りかけてくる美しい父の声からも動揺と悲嘆の色が見て取れる。アブサロムは内心で舌打ちした。息子として、まだ何かもわからないが父を悩ます存在が憎たらしく思えた。
「預言ならば、私にもお聞かせください」彼はあくまで恭しく、そういった。
ナタンはぎょっとして、言い渋った。アブサロムは目線を上げると、ナタンを射すくめるように睨む。ナタンは困ったような顔になり、それを見たダビデがあわてて言った。
「アブサロム。お前の気にすることではないよ」
「しかし、父上様。私は父上様のお役にたちたいと」少しすがるような口調で言ったアブサロムの頭を撫でて、ダビデは言った。
「大丈夫、そう思っていてくれるだけで十分だ。これは私とナタンの問題だ」
口調こそ穏やかだったが、少し厳しい色が見て取れた。ナタンはその間にダビデに挨拶をし、出て行ってしまった。
「お前は何も心配しなくていい。……ところで、何の用で来たのだね」ダビデもナタンを深追いさせるのを阻止しようとするようにアブサロムに構うように話しかけた。
アブサロムは内心で唇をかんだ。これではまるで自分の力が信頼されていないようだ、と彼は思った。
「父上様、私は父上様にとって大事な存在でしょうか」彼は少しすねたような口調でそう言った。
「何故そんなことを言うんだい、もちろん大切だとも。お前のような息子を持って大切に思わずにいられると思うかね」
「もし大切だというのならば、私にも預言をお聞かせください」彼は半ばねだるような媚態すら含んで、父に話しかけた。「私も父上様の事をお慕いしております。ダビデ王家の繁栄のためならばこの身を粉にしてもかまわないと思っております。私にできることであるのならば何でもいたします。ですから、ぜひとも」
ダビデは縋り付いてくる息子に困惑した様子だったが、やがてふとため息をつき、言った。
「お前が王子でなければ告げられもしたろうが……こればかりは無理だ」
それだけ言うと、ダビデはアブサロムに退室を命じた。本来の目的も忘れて、アブサロムは立ち去った。
父に拒絶されたような気がして、彼の心は痛んだ。ただ父の役に立ちたいと考えての行動なのに、なぜ認めてくれないのだろうか。他の人間は、アブサロムこそダビデに一番愛されている存在ではないかと語る。なぜかと言えば、ダビデの息子の中ですべてにおいて一番まさっているからということらしい。ならば、他の王子には言えずとも、自分にだけは言ってくれてもよさそうなものなのに。所詮、噂は噂にすぎないということだろうか。

アブサロムは踵を返した。妹に会いに行ってこの落胆を慰めてもらおうと思っていた。その時、ふと彼の背後から彼の肩に手が置かれた。
「アブサロム様」
声に言われるまま、振り返った。後ろにいたのは、ダビデに仕える一人の軍師だった。
「アキトフェルか。僕に何の用だ」
「アブサロム様、ナタンの預言を知りたがっておりましたな」
アキトフェルはにんまりと笑った。彼はダビデ王がまだ若かったころから軍師としてならしていたと聞く。そのため相当の年寄りであるはずなのに、目の前にいる彼は不気味なほどの若作りで、せいぜい五十台ほどにしか見えなかった。背筋もまっすぐで髪の毛も黒々としている。そんな彼がにやりと笑う様子は妙な不気味さを感じさせた。
「偶然にも聞き耳を立てておりましてね。私は存じております」
「本当か!」だが、アブサロムは彼の不気味さなどには構わず目をキラキラさせてそう言った。「ぜひ、僕に話せ!」
「ここでは人に聞かれますな、もう少し静かなところに行きましょう」
アキトフェルはそういうと、アブサロムをどこか別のところに連れ出した。

誰もいなくなった王座で、ダビデは力なくうなだれた。
「私はどうすればよいのだ」誰に言うでもなく、彼は呟いた。
「これが私の罪か。あと、何年……後何年生きればよいのだ。いつになれば、私は死ねるというのだ。……ナタン。教えてくれ。いつその預言の日は来るのだ。ああ、早く来てくれ!いや、永遠に来ないでほしい……罪ならば我が頭上にのみ降りかかればよいものを!主よ、私は貴方に不忠実だったでしょう。サウルと全く同じでしょう、貴方からすれば。しかし、私は、ただ……!」
彼は言葉を失ってしまった。ふと、視界の端に何かが映ったような気がした。光り輝く、翼の生えた人間のように見えた。
「天使……?」ダビデは目をぱちりとさせてそちらの方を見た。しかし、それはすでに消え去っていた。


ソロモンはベリアルと一緒に、シクラメンの手入れをしていた。
「おいベリアル、こっちに来て見てみろ」ソロモンは一本のシクラメンを指さした。白い花と桃色の花の間に生えているそれだ。
「どれどれ。何が……わあっ」
彼が指さした先には、桃色と白がまだらになったシクラメンの花が咲いていた。
「あいの子だ」ソロモンは笑った。「面白い。このようなものも出来るんだな」
「ボクはこんなの咲かせたことないよ。……不思議だねえ」
「まだまだ、こいつも子孫を増やすだろう」ソロモンは楽しそうに語った。語りながら、シクラメンに水をまいた。
ふいに、彼らのもとに一羽の鳥が飛んできた。
立派な冠羽と尾羽を持ったその鳥は、たった一羽でやってきて、花園の中心に降り立った。
「ヤツガシラだ!」ソロモンは言った。
「ほんとうだ。きれいだね」
ヤツガシラはあくまで礼儀正しく、シクラメンの花園を闊歩した。花に危害を加える様子はまるでなく、ソロモンも安心して鳥を追い出そうとはしなかった。
「ソロモン、ちょっと」
「なんだ、ベリアル」
「いや、教えてあげようかなって思って」ベリアルはにんまりと笑った。
「何をだ?」
「今、君がすごく幸せそうってこと」
ソロモンはあわてて自分の顔に触れた。
「幸せそう、か……」
「そうだよ。君も子供っぽくてかわいい顔するよね」
ベリアルは陽気に笑って見せた。ソロモンも少し、決まりが悪そうな笑いを浮かべた。
幸せなど考えても見たことはない。図面を設計しているときが思えが唯一の幸せのように思われたが、笑うことはしなかった。
シクラメンを育てるようになって、自分には幸せができたのだろう。もっと上級な幸せというものが。と、ソロモンは思った。シクラメンと、ベリアルと一緒に居られるこの時間が好きだ。そういえばベリアルは「君はシクラメンを愛している」と言っていた。なるほど、とソロモンは思った。幸せという言葉に触れたことがないわけではない。愛という言葉も知っている。そして、それを対で聞くことは少なくはなかった。だが、実感として感じたのは初めてだった。
やはり実感して初めて分かるものがあるとソロモンは少し照れくさそうに笑った。笑い、あいの子のシクラメンをそっと撫でた。

その時、ふと誰かの足音が聞こえた。目を上げると、目線の先にはアブサロムがいた。長い髪をたなびかせて、ソロモンのほうを睨んでいた。
ソロモンは警戒した。しかし、アブサロムは冷たい瞳で睨んだまま、そのまま何をするでもなく歩き去って行ってしまった。


アキトフェルが聞いたらしい預言をアブサロムは思い出していた。人づてに聞いただけでも、その言葉の持つ力は凄まじいものだった。彼の頭の中に、イメージがありありと浮かんだ。
玉座に、眼球が座る夢を見たとナタンは言ったらしいのだ。玉座にまわりに侍る全ての人はうつむいて、眼球に頭を垂れていた。そして祭司が来る道を通って光の天使が現れ、眼球に清めの油を注いだというのだ。……そしてその眼球は、流れる血のようにどぎつい赤色をしていたという。
「(赤い目!赤い目が清めの油を塗られるだって。赤い目と言ったら一人しかいないじゃないか!)」アブサロムは心の中で叫んだ。清めの油を祭司に塗られるというのは、それ即ち、神に選ばれた王として認められるということである。
「(よくもそんな預言が下ったものだ……ありえないことだ!まさか、あいつが王になるというのか?ばかばかしい!あってはならないことだ!あいつがなるくらいなら……僕のほうが、何倍も、相応しいじゃないか。あいつはどこまで父上様を煩わす気だ?お前が存在しているだけで、父上様は苦しんでいるというのに!)」
アブサロムは心の中で毒づいた。いざとなれば自分が、と思い、彼は剣の柄に手をかけた。


逃げるように家に帰ったナタンは、また頭の中から消えないイメージに打ち震えた。王座に座る手も足もないむき出しの赤い眼球、王座は眼球と同じ色の真っ赤なシクラメンに彩られ、周りは体を縛られたように彼に頭を垂れていた。そして、光の天使。
ナタンは、とある箇所だけは言うのも恐ろしく、ダビデにのみこそりと小声で告げた。そのため、アキトフェルは聞くことができなかった。そこの箇所もありありと思い浮かんだ。
天使が持っていたものを、ナタンは最初清め油の壺だと思った。金と宝石に飾られた美しい壺だと思った。しかし、一瞬、それが壺ではなくなった。ダビデの館にもないほど豪奢な金と宝石の飾りでふんだんに飾られた、人間の生首になった。苦悶の表情で死んでいるその顔は、まさに、アブサロムのものだった。
一瞬のちに、それは元通りの黄金の壺に戻った。動かぬ目玉に油が注がれた。それには赤い血が混ざっていた。
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