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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第九十六話

夜。
レハブアムはどうしても、寝つけなかった。
彼女がイスラエルに来て以来、寝ても覚めても、彼女、マケダの事ばかり頭に浮かぶ。彼女の事しか考えられない。それに比べればヤロブアムが反乱未遂を起こしたのなんだのが、非常にどうでもいいことのようだった。
自分は恵まれている、このイスラエルの同年代の少年のだれよりも。いくら英知の王である父の才覚を受け継いでいなくたって、そんなことくらいは知っている。
それでも、生まれてからずっと、満たされない思いに苦しんできた。欲しいものは全部得られる立場だと知っている。でも、そもそも欲しい物なんて、何も見つからない、
これ見よがしにつけっれる晴れ着も首飾りも、好きじゃない。酒も、豪勢な食べ物も、ありがたいと思わない。それは、小さいころからそれが近くにあるのが当たり前だったからかもしれない。でも、どんな贅沢な悩みだと言われようとも、何かを欲しいと感じたことがないのは、絶対の真実だった。
王位すら、欲しいと強く望んだこともない。ただ、他人にとられるのはそれはそれで癪だと思っている、その程度の話だ。
そんなレハブアムが、初めて、強く欲しい、と感じたのが、あのマケダと言う少女だった。彼女がこちらを向くたび、あの金の瞳で自分を見つめるたび、小鳥のような声で笑うたび、自分の心臓は燃え上がりそうなほど熱くなる。はっきりとわかる。自分は、あの少女に恋している。
もしも彼女とずっと一緒に居られるのなら、彼女がいつも自分の方を見て話をしてくれるのなら、それこそ自分が生まれつき与えられた何を捨てても構わない気分だった。其れなのに、次から次への皆が寄ってたかって邪魔をする。
彼女にやたらとちょっかいを出していたヤロブアムが消えたかと思えば、今度は父親が彼女に随分構いだした。おまけに自分が一番信頼しているベナヤすら、あんなことを言う。
まあ、ベナヤの事はおいておくにしても、父が、ソロモンが彼女と仲がいいことは大変に不愉快だ。いい年をして、自分の方がずっと彼女と年が近いのに……そう、やきもきする心が抑えられない。宮殿で、陛下はマケダを妻に迎える気なのでは、と言う言葉を聞くたび、吐き気を感じる。耳を抑えて走り去りたくなる。おまけに、そうやって父が構うせいで、せっかく彼女と同じ場所に住んでいるのにおちおちマケダと一緒に話もできない。最近は晩餐の時になっても、マケダの隣はぴったりと父が持っていくのだ。
この世で一番嫌いな男がいるとすれば、それは、きっとソロモンだ。自分は三歳だったと聞いている。母にまつわる記憶は、おぼろげな物しかない。でも、はっきりと覚えていたのは、自分が、母が大好きであったと言うこと。その母を奪ったのは、父親自身だった。その彼に、初めて好きになった少女まで取られるかもしれない……と思うと、気味が悪くてしょうがなかった。
寝巻に外套を羽織り、夜の宮殿を降りていく。部屋で悶悶としているのは嫌だった。宮殿の庭は、深夜でもかがり火が点されていく。
個の庭を埋め尽くすシクラメンの花は、好きじゃない。父は息子である自分よりも、こんな花の方をいつも可愛がっていた。それに、どうしてもっと大きい花じゃないんだるオ、とも思っている。薔薇とか、推薦とか。こんな野にも咲いているような小さな花ばかり、なぜ父はかわいがるのだろう。香りがしないのが幸いだ、と思った。もしもこれで香りのきつい花だったら、目をつぶっていても存在を意識せざるを得ない。
折るの冷たい風にあたっても、気持ちの悪さは何となく解けなかった。マケダに会いたい、その気持ちだけが募る。彼女は、自分の事をどう思っているだろう。周りのみんなと同じようん、情けない奴らと思っているだろうか……他の誰に笑われてもいいから、マケダにだけはそう思われたくない、そう思えて、心臓がひりひりしてきた。

不意に、水音が聞こえる。
こんな夜中に誰かが水など弄っているのだろう?不審に思ってレハブアムは、そっと音のする方向に向かっていった。
泉水の側には篝火が何本も点されて、水辺をライトアップしている。そして、レハブアムはそこに、マケダがいるのを見つけた。

彼女は、じっと夜空を眺めながら、何事かに想いを馳せているようだった。その知的で物憂げな表情がパチパチと鳴るかがり火に照らされている。だが、それ以上にレハブアムの目を引いたものが存在した。
彼女は、靴を脱いで長い衣装の裾をからげて、二本の細長い足を泉水に浸していた。時々それを動かすたびに、かすかな水音が鳴り響く。水と火の明かりにさらされて、彼女の褐色の足はゆらゆらと揺れるさざ波の中繊細な脚線美を描きながら、雌鹿の毛皮のように滑らかに輝いていた。
レハブアムは、それから目が離せなかった。不埒なものを見ている気分は、確かにある。女性の足など、元来人目にさらされるものではないのだ。その上で彼は、惚れぬいたエチオピア王女の、その完璧に整った細長い脚が水の中に泳ぐさまを、じっと物陰から見つめざるを得なかった。
美しいだと感じた。心の底から、美しいと。女性の身体が、こんなにも魅力的なものだったとは。いや、あるいは彼女のものだから綺麗なのだろうか。
そんなことを考えている間も惜しいほど、目の前にあるものは美しかった。マケダはじっと夜空を眺めながら考え事をしているようで、レハブアムの方に視線も寄越さない。レハブアムは息を殺して、彼女の事を見つめていた。
心臓が高鳴る。体中が、興奮していることがわかった。
レハブアムだって、まるきり子供じゃない。女性の体がどういうものなのか、話程度に走っている。
普段は絶対に魅せられることのない女性の脛、そして太もも、さらにその奥に、何があるのか……知識だけで、知っていた。
漠然と愛おしい存在、綺麗だと憧れていた存在であるマケダが、少しずつ、肉体を持つものとして意識させられてきた。体中が熱くなる、息苦しい、けれど、その苦しさの中に快感を覚える……始めて、味わう感覚だった。背徳的な、それでも抗いがたい感覚。レハブアムはごくり、と生唾を飲み込んだ。と、その時、彼の体が反射的にガサリと動いてしまう。それと同時に、マケダは鋭く振り蹴った。
「誰だ!?」
不意を突かれた彼女は反射的にそう叫んだ。だが、言葉の意味はレハブアムにはわからなかった。と言うのも、レハブアムは彼女の母国語は理解できなかったのだ。
いずれにしても、気づかれたということくらいは分かった。そのまま逃げる事も出来たろうが、レハブアムは何とはなしに、バカ正直に物陰を出た。
「王子様……」
マケダはその対象が彼であったと見るや、話し方を穏やかなヘブライ語に戻した。「ああ、えっと、その……今晩は」と、レハブアムはしどろもどろになりながら返した。心臓がまだ激しく波打っている。苦しいながらも覚える快楽が、一段と強まっているようだ。マケダの目を見て話さねば、と思いつつ、ちらちらと彼女の水中で照らされる脛に視線をよこしてしまうことをやめられなかった。
「ええ、こんばんは……驚きましたわ、こんな晩に、何の御用?」
彼女は足を引っ込める気配もなく、パチャパチャと水音を鳴らせながら、悠々と問いかける。
「き、君こそ……」
「考え事をしたかったんです……星を見ながら」マケダは言った。「イスラエルの夜空とエチオピアの夜空は、違うのかと思いまして」
「そ、そう……」
レハブアムはそんな会話をしながらでも、心臓の鼓動を抑えられなかった。第一、久しぶりに彼女とさしで話ができるのだ
「王子様が出歩いているなんて意外ですわね……だって、王子様は夜中が似合いませんもの」
「そう、なの……?」それでも、同様と多少の混乱のあまり、大した返答ができない。そんな自分を、レハブアムはもどかしく思った。ヤロブアムならこういう時、もっと気の利いたことを言えたのだろうか?
「ええ。夜中はいろいろなことを隠して、庇ってくれますものね……殿下はそんな必要のない方ですわ。いつも光に照らされてきたから、夜に成ったらすぐ転んでしまいそう……そんな人なんですもの。陛下とは……まるで違いますね。あの人は本質的に、夜のお人なのです。光有るところで照らされているとかえって参ってしまい、こういう夜の闇の中でこそ、迷わずに歩けるような……きっと、若いときはそんなお人だったんでしょうね」
父親の名前が出てきて、レハブアムもすこし反応せざるを得なかった。瞼がピクリと動くのがわかった。彼女の口からソロモンの話題が出ること自体が、面白くない。
「父上は……今でも日の光が嫌いだよ。肌が弱いんだって。僕が生まれる前から、ずっと」
彼女は、その動揺も見て取ったかのようだった。くす、と一瞬笑って、その自分から出したはずの話を打ちきる。
「王子様、私の質問にまだお答えしていませんわ」
「え?」
「こんな時間に、なんで起きていらしっているんです?」
それは……と、レハブアムはもごもごと口ごもる。マケダの二本脚は相変わらず、ゆらゆらと水中をゆっくりと泳いでいる。それからどうしても、目が離せられない。そんな自分がひどく情けなくて、恥ずかしいもののようにレハブアムには思えた。
「考え事をして、眠れなくて……君の事を、考えていた」
彼は結局、全く素直にそう言った。マケダは、そう驚く様子を見せなかった。小さな唇を手のひらで覆い隠し「あらあら」と笑った。
「ほ、本当だよ!君が来た時から、その、僕は、ずっと……」
「あんまりからかわれると、こちらも困りますわ」
「からかってなんかないよ!僕は本気で、その、君はとてもきれいだし、ええっと……」
言葉がちっとも湧いてこない。どんな時より、今この瞬間、レハブアムは自分の出来の悪さを痛感した。心臓は破裂しそうなほど波打ち、体中が彼女に途方もない情熱を感じているのに、その情熱を言葉にする速度が全く追いつかない。
レハブアムはもどかしくなってきた。おまけにその間も、レハブアム自身の身体が発する彼女に対する情熱は留まるところを知らない。扇情的な彼女の笑顔、池の中に泳ぐ脚、こちらをからかうような態度、何もかもが、ただでさえ選んでいる余裕のない言葉をひねり出す余裕をどんどん削り取っていった。
「マケダ!」とうとうレハブアムは、体の方が先に動いた。彼女の腰かけていたところに自分も膝をつき、彼女に迫る。
「ぼ、ぼっ、ぼく、君の事が……」
レハブアムは息を荒くしながら、彼女にキスをしようとした。しかしその瞬間、すっ、と静かに彼女の手が動く。レハブアムには少しだけ、顎をはじかれる感覚があった。
全く自然に、レハブアムは小さくはねのけられた。後にのこったのは、かがり火に浮かび上がる、マケダの微笑みだけ。まるで猫の目が暗闇の中に光るように、金色の目が輝いて見えた。
レハブアムは目を瞬かせる。厚くなっていた脳が、一気に冷えたような感覚。
「……貴方に近しいあの将軍様が、こう言っておられました」だが、マケダは彼が言い訳するよりも先に、言葉を粒ぎだした。彼の困り具合をあざ笑うかのように、流ちょうで一付いていた。
「エチオピア女は、性に放縦だって……王子様も、そう思われておりますの?私の事を、娼婦のようにお思い?」
そう言えば、そんなことをベナヤが言っていたような気もする……彼女がどこで聞いたのかは知らないが、余計なことを言ってくれたものだ!自分まで彼女に嫌われたらどうする。だがいずれにしろ、誤解を解かなければ、とレハブアムは強く思う。
「そんなこと……そんなことは、ない!」レハブアムは必死で叫んだ。
「その……さっきのは、君があんまりに綺麗で、つい……で、でも、君を不愉快にさせたなら、いくらでも、謝るから……!信じて!君の事をそんなふうになんて、思ってないよ!」
必死に弁解するレハブアムの事を、マケダは笑った「分かりましたわ」と、彼女は言う。
「分かりました。王子様が嘘がつけるようには見えませんもの……信じることにいたします」
「ありがとう……」
だが、それ以上は言えなかった。彼女にとてつもなく室理恵なことをしてしまった、そんな気持ちが湧いてきて、話しどころでは無くなった。
「マケダ、お休み……!」そう言い残し、レハブアムは一目散に夜の庭園を、自分の寝室に戻ってかけて言った。
頭が火照る。同時に冷える。情熱と、絶望と、二つの感情がぐるぐると頭を駆け巡り、どう思っていいかもわからなかった。
彼女に、誤解されたくない。ベナヤのように、彼女を見下してなどいる者か。でも、どうしたら本気だと分かってもらえる。どうすれば……
そんなことを考えながら走っていると、不意に足の裏に地面を感じなくなった。次の瞬間、レハブアムは見事に茂みの中に転んでしまっていた。

「全く……本当に、相手をする価値もない王子だな」
マケダは星空を見ながら、ひとりごとを呟いていた。だが、漢書の心の中には、安心もあった。来たのが、レハブアムでよかった、と言う安心。
レハブアムは、互角に堪能ではないらしい。だから、きっとあのようなとっさの一瞬の出来事、わからないし覚えもしないはずだ。
不意をつかれた時に出たマケダの言葉が、エチオピアの言葉ではなかったことなど……。
それは、アラビアの方言。「誰だ!」の一言ではわからないが、正確には……シバ語である。

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