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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第九十八話


扉がコツコツと控えめに叩かれ、少女の声が聞こえる。ソロモンは黙って、扉を開けた。
「やあ、来てくれたのか」
「勿論です。楽しみにしておりましたとも」
「こちらへ」ソロモンはマケダを奥の方へ案内した。マケダが扉を離すと扉はバタンと音を立てて閉まり、彼らを王宮の全てから切り離した。数本の蝋燭がゆらゆらと揺れる部屋にいるのは、ソロモンとマケダ、二人のみ。
「大きな宝石と言うのは?」
「うむ……これだ」
そう言ってソロモンは、自分の机に置いてある、両手を使って持てるほどの球体に手をかける。そして、それを持ち上げた。マケダが目をまたたかせていると、ソロモンはその青緑の球体をゴロリと彼女に渡す。
「見てみなさい」
蝋燭の光でをそれを見て、マケダは驚いた。それは、見たこともないほど複雑な色合いをした青緑の意志でできた球体。それに純金で星図の模様が彫ってあり、小型の天球儀になっていた。
「これは……」その宝石のあまりの見事さに、マケダも我を忘れて息をのんだ。全く純粋に、見事と言うほかはなかった、トルコ石、孔雀石、ラピスラズリ、どんな青や緑の宝石も、それにはかなわないと言うほどに、彼女の小さな両手に支えられる天球儀は複雑微妙な色合いを持って滑らかに輝き、そしてその上に、金で貴様れた星が光っていた。
「その宝石は、エイラットストーン、と言うんだ。イスラエルの名産さ」ソロモンは、青緑に見とれるマケダを見て満足げに笑いながら、言った。「星が好きだと言っていたからね……送りたくなった」
「すばらしい……ですわ。私がこの先何年生きようと、どのような殿方が私の心を引こうとやっきになろうと……これ以上の贈り物を、これ以上の宝石を頂くことなんて、絶対に、ありませんでしょう……」
マケダも、全てを忘れて、素直にそう言った。ソロモンをおだてなければならない、と言う算段など雲散霧消してしまったかのような。全くの本心だった。
ソロモンは「ありがとう」と呟き、そしてバルコニーのカーテンを開けた。しんと静まり返ったその日は、ちょうど新月で、月の光に覆い隠されるか弱い星々も、その日だけは思う存分イスラエルの空に光り輝いていた。
「こちらに来なさい。私の部屋のバルコニーからは、星がよく見えるから」
ソロモンは燭台を一つ持ち、マケダを手招きする。彼女もついて言った。天は星に照らされていても、新月のバルコニーは真っ暗だ。バルコニーの手すりにソロモンは燭台を置き、それをマケダのいる方向に滑らせる。彼女の手元の天球儀だけが、照らされる形になった。
真っ暗闇のもとで、見つめ合うこともない。お互いの目は自然と、星空へ向かった。マケダは燭台の明かりを頼りに、ぐるぐると貰ったばかりの天球儀を動かしていた。
「私も、君と同じことを思うよ。星を見るのは、楽しい。余り星読みに興味のないイスラエルに生まれたことを、惜しく思うほどにはね。バビロニア人などは、星を読むことに非常に情熱を傾けると言うのに」
「けれど、陛下もその知識をご存じなのでしょう?」
「聞きかじり程度だ。自慢するほどには、持っていない。……謙遜ではないぞ。イスラエルの神はその昔、我々に占いを禁じたからな。もとより盛んな方ではないのだ。其れなりに知ってはいるが……それでも私も、長年イスラエル人として生きた身。星は何かを知らせるものと言うよりも……天に光輝く美しいものと、とらえてしまう」
「なるほど……でも、それもよろしいかと思いますわ」
マケダも、天球儀をしっかりと持ちつつ、ソロモンと同じように満天の星空を眺めていた。エチオピアのものとは、少し違うらしい星空を。
「美しい物の美しさがわかるのは、何よりも尊い事ですもの。それに……陛下には、この空間が、本当にお似合いになられます。陛下はまるで……夜の神の中、生まれてきて、生きてきたようなお方に思えます」
「そうか……そうかも、しれんな」
ソロモンは、手すりにおいた自分の右手を静かに握りしめた。ダビデ王家の紋章の指輪がはまった手を。
「それは、私だけの話ではない。私の父も……神によって、星に象徴された。六芒星こそが、ダビデ王家のあかしとなった」
自分がヤロブアムを消そうと、レハブアムを嫌おうと、この指輪はずっと受け継がれていくのだろう。ダビデの血が続く限り。……磔になって死ぬ男が、イスラエルに終わりを告げるまでは。
「父の事を、ずっと嫌ってきた。心の底から、軽蔑する相手だった。尊敬したことなど、一度もない。……だが、気が付けば私の……私を象徴する文様も、星の模様だった。親友が、それを考えたのだ。そしてそれを見た時……私は、不愉快に等ならなかった。実にしっくりとなじんだのだ。自分には、これがふさわしいと。……マケダ。君は、私をわかってくれるのだな。本当に……ああ、そうだよ。私は小さい時、太陽のもとに出られず、昼間外に出れば馬鹿にされてあざ笑われるから……ずっと、出歩くのは、夜だった。あのころのにとって空とは、夜空の事だった。でも、それは……父も、同じだったのかもしれない。私の及びもつかないところで、私たちは……正真正銘親子であったのかもしれないと、今、初めて思うことができた」
ソロモンも、切ない気持ちがとめどなく湧き出てきた。何とも言い難く……自分は本当に老いてきたのだ、父に近づいたのだ、と、心の底から実感できた。
神は自分たちを、星に定められた。もっとも、今ではその神の寵愛すらも、失ってしまった。何故、それなのに星空はなんら変わらずに、自分の前でも美しく輝くのだろう。彼らも神に作られたものであるというのに。
「それにしても、不思議なものだ」彼は言った。
「何故、この私が、四十二年生きてきて思いもよらなかったことが……今君には分かるのだろう」
「理由をおっしゃるのが、必要でしょうか?」
ソロモンは小さく笑った。
「いや……そんなことはない」
ビルキス、と、掛け替えのない恋人の名前を、ソロモンは心の中で呼んだ。そしてマケダの細い肩にそっと手を置き、静かに彼女を抱き寄せた。

やがて、夜が終わった。
早朝マケダの侍女は、扉を開けて現れた主人を見て、はっと息をのんだ。「マケダ様……」と、彼女は駆け寄る。あまり寝ていない様子であった。
何と声をかければいいのか、いたわりか、同情か、それとも計画の進行を祝う文句か……だが、彼女が考えあぐねている間に、マケダはぼそりと言った。
「あまり眠れていない……今から眠る。朝食はいらない」
はい、と侍女は言い返し、マケダの望むままにした。支度の済んだ寝台にマケダはそのまま寝転がり、寝息を立てて眠ってしまった。

マケダが目を覚ましたのは、昼頃だった。
「マケダ様、おはようございます」侍女はずっと、なんと言葉をかけるべきか考えていた。そして出た結論が、此れであった。
「お疲れになりましたでしょう……今は、良くお休みくださいませ……」
だが、マケダの口からその言葉に対する返答は出てこなかった。代わりに呟かれたのは「……何の、つもりだ」と言う一言だった。
それが自分に向けられた言葉だと思い、侍女はぎょっとした。だが、マケダは「勘違いするな。お前の事ではない」と目ざとくそれを見て、訂正した。
「と、おっしゃいますと……?」
「ソロモンは……私を、抱かなかった」
その言葉に、侍女も驚きのあまり、反応もできなかった。誰もが、思っていたのだ。ソロモンはマケダと肉体関係を持つために、部屋に招き入れたと。
「宝石は、しっかり渡された。本当に、私が見たこともないような代物をな……」
マケダはそう言って、ごろりと一緒も寝台に転がした天球儀を取り上げ、侍女に魅せた。昼間になっても相変わらず、この天球儀の見事さだけは損なわれない。
「ま、まあ……」
「だが、それだけだ。後は一晩中。延々と星の話をしていてな……話し込んでいるうちに、気が付いたら空が白んできていたので、返された。……まったく妙な話だろう?」
「それは、勿論……」
「何を考えている……」マケダは天球儀を膝の上で転がしながら、呟いた。
「私の考えに気がついているのか?しかしそれならば問答無用で送り返してもよいものを、何故一晩中傍においておいた。奴がわからん……抱かないのならば何のために、私を呼んだというのだ」


ソロモンも、昼過ぎに目が冷めた。
昨日の事は、ありありと思いだされる。夜だけではない、昼にレハブアムと親子喧嘩をしてから、夜に至るまでの気持ちのひとつながり全てを。
おもえば、精神的に忙しい一日だった。
昨日の昼、確かに自分の頭には相当血が昇っていた。そしてその地は、マケダを自分のものにせよ、と、問いかけていたのだ。
だが、その激情は夜の風に冷やされたのだろうか。マケダの細い肩を抱いた瞬間、目が覚めるように、その欲情が姿を消した。
この少女は、そう思う対象ではない、と。
ビルキスに生き写しで、ビルキスがそのまま小さくなったような少女。唯一無二の存在、今自分が世界で唯一愛すべき存在に、変わりはない。
だが、彼女はビルキスとは違った。ビルキス本人では、なかった。彼女は対等な女として愛する存在ではないのだ、と、彼女の肩を抱いた瞬間はっきりわかった。そこにあったのは大人の自分とは全く違う、幼い体だった。
そう言えばビルキスも、幼いころに父に愛と称した暴力を振るわれていたと聞く。彼女が立派な大人になっても、女王になっても、絶対に許さなかった害悪の一つだ。
それをなぜ、自分ができるだろう。あの愛すべき少女に。この世で何よりも大切に思った女に、生き写しの少女に。そう心の底から感じ、ソロモンはマケダの方から手を離したのだった。手のひらから彼女の体温が薄れ、穏やかな夜風に寄ってそれが奪い去られていったのをよく覚えている。そして、それでいてその瞬間は全く空し者ではあり得なかったのだ。

その日からソロモンとマケダの関係が大幅に変わったということはなかった。親密にも、疎遠にもならない。王宮はいろいろと噂をしているが、当人たちだけは、その噂など下種の勘繰りにすぎないことを知っていた。
だがソロモンは一層、マケダの教育に力を入れた。レハブアムに言い放った通りイスメニーが自分に王女を託した望み、それを全うするのが自分の使命だ、と心の底から実感することができた。たとえ神が自分を見放そうとも、神が近々自分をイスラエルの玉座から下ろそうと考えていようとも、マケダに帝王学を完璧に仕込まないことには、死んでも死にきれない。その一念が、ソロモンの心の中に大黒柱のように厳然と存在するようになった。
それが、神にも見放された自分を救ってくれたマケダへの恩返しであると、そして自分がこの少女に対してそそぐ愛の形であると、ソロモンは確信していた。肉欲一つが、愛であろうか。否。自分とビルキスは抱き合う前からも、愛し合っていたのだから。
数日お気に彼は、マケダを夜中に自室に呼んで一緒に星を見た。マケダはその度その度、いつもエイラットストーンの天球儀を携えてやってきた。星を見ながらする話は、どんな話題でも、講義でも雑談でも、昼間以上に弾んだものだった。

そのうち彼は、マアトシャレに手紙を書いた。彼が離宮の妻に、事務的な意味合いではなく手紙を書くことは、ほとんどない事であった。マアトシャレが荒れていることも、マケダに王妃の座を取られるのではないかと騒いでいることも、全部ソロモンの耳には届いていた。
マアトシャレを愛していないのは確かだ。嘘をつく気はなかった。だがそれでも、家柄のために嫁に取らされ離宮に押し込められ、いつ正妻の座を失いのかとハラハラするだけの生活を強いられるのは、確かに気の毒だと思った。
あらぬうわさは飛んでいるようだが、自分とマケダは男女の中ではない。マケダは信頼すべき盟友の娘であり将来の君主として自分の愛弟子である、との旨、そして、マケダに限らずどんな女が現れようとも、イスラエルの栄光の王ソロモンの正妻としてエジプト王女の名前以外が歴史の書に刻まれることは、この自分自身が絶対に許さない。そしてこの手紙をお前がどう扱おうとも自由である。これは王としての揺るがぬ宣言であり誓いである、と、イスラエルの神に誓って宣言した。……先方が、もう誓いの引き合いに出すことを許してくれるのかはわからないが。
今まで顔も見たくなかったマアトシャレに、何故だか、初めて悪意のない気持ちで向かい合うことができた。
そのうち、バセマトが時間を縫ってソロモンに話しかけてきた。「お母上の手紙を送ったの?」と、彼女はずいぶん率直に問うてきた。
「ああ」
「珍しいわね」
「たまには、その程度の事もせねばな」
ソロモンは娘を前にして、軽く笑った。娘はじっと、父の顔を見ていた。
「なんだかお父上様、幸せそうね」
「ああ、幸せだよ」多くを語る気はしなかった。彼は本当に率直に、即答した。
「やっぱり。あたしが見たことないくらい、さっぱりした顔をしてるわ」
ソロモンはその時はじめて、バセマトは鋭い娘だ、と思った。あまり興味を持っていなかった自分の娘に、初めて、自分譲りの聡明さを見た。
「驚いた。お前にも、お見通しだったのか」
「当たっていたようで嬉しいわ。お父上様」
そうしてソロモンとバセマトは互いに笑いあった。思えば父娘二人きりで笑いあうのも、ない事であった。
不思議なものだ。神に見放され、絶望がひたひたと歩み寄る未来が分かっているのに、ビルキスを失ってから今に至るまで、今この時が一番、穏やかで幸福な時間であるかのように思えた。

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